安倍晴明の足跡を求めて京都御所を四季折々の花々と
まいどまいど! 今回は京都の中心地でおます京都御所を散策しまひょ、と。 京都御所の内部にもいろんなスポットがおまして、京都御苑や京都大宮御所、京都迎賓館など環境省や宮内庁、内閣府が管理。 日本の中枢とも言える場所が今やが一般開放されてるっちゅうことで、京都御所の内部を自由に散策することができますねん。 京都御所の中では、いろんな植物が生息し、野鳥も飛来。 四季折々の花々と珍しい野鳥を観察することができますねん。 ほんでまた、京都御所周辺には藩邸跡や京都の歴史に関する資料の保存、公開を目的に開館した京都市歴史資料館、京洛七福神めぐり、京都七福神めぐりの一つである青龍妙音弁財天、鯖街道の終点にあたることから、サバなどの海の生物が描かれた陶板が埋め込まれている出町桝形商店街など、見どころが満載。 中でも794年、平安京の造営に際し、平安京の京域の北を限る通り「一条大路」に堀川を渡る橋として架橋の一条戻り橋は様々な伝説が残る名所として知られ、時々、メディアに取り上げられることも。 京都も京都御所だけではない魅力をご案内していきまっせ! ほな、まいどおおきに。
頼山陽書斎山紫水明處
山紫水明処は歴史家・思想家・漢詩人・文人として活躍した頼山陽の書斎兼茶室。 1811年、広島から京都に出て塾を開いた。 転居を繰り返し、東山や鴨川の眺望を気に入り、屋敷を「山紫水明処」と名付けた。 1822年、6度目の転居先として当地が選ばれ、晩年を過ごした。 山陽は屋敷地を「水西荘」と名付け、庭にウメ、サクラ、モモ、ツバキ、ナツメなどの花木、実の成る木を好んで植えた。 1828年には書斎兼茶室を造営し、「山紫水明処」と名付けた。 これが今の「山紫水明処」となる。 茶の湯にも精通していた山陽は、鴨川の水を汲んで煎茶を入れて友人に振る舞った。 庭には鴨川の伏流水が湧き出す「降り井」が設けられた。
丸太町橋
京都市内を流れる一級河川の鴨川に架かる橋として知られ、京都市内を東西に結ぶ丸太町通りの一部。 通り沿いの西堀川に材木商が多かったため、丸太町の由来とも。 江戸時代、「丸田町通」と表記されていた。 1708年、宝永の大火の、公家町が丸太町通に接する範囲まで拡張、京都御苑の南端が丸太町通となった。 かつて木造の橋であったが、洪水のたびに流されていた。 1912年、京都市営電気軌道の敷設に伴い、鉄橋として架橋。 1976年に京都市営電気軌道が廃止され、1991年に現在の橋に架橋。
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