モロッコってどんなところ?
モロッコの基本情報
モロッコはアフリカ大陸北西部のマグリブ地方に位置する「砂漠の国」で、正式名称はモロッコ王国、首都は国土北部に位置するラバト(Rabat)です。
国土面積は西サハラを除いても日本の約1.2倍程度の大きさですが、その人口は2018年の世界銀行発表データによると3,603万人と、日本の首都圏の総人口(約3,800万人)よりもやや少ない数字となっています。
日本との時差はマイナス8時間で、この国の人口を構成している主要民族はアラブ人が65%、ベルベル人が30%な為、公用語はアラビア語とベルベル語ですがフランス語も広い範囲で通用します。
国教はイスラム教で、国民の大多数はイスラムの二大宗派のうちのスンニ派と言われています。治安も比較的良好かつ、日本からビザなしで訪れることが出来ることもあって、近年多くの観光客が訪れています。
モロッコの歴史
フェニキア人およびローマ帝国による支配
モロッコの歴史は、同じアフリカ大陸に位置するエジプトと同様、紀元前3000年頃まで遡ります。当時モロッコに住んでいたと言われているのが今もこの国の総人口の約30%を構成する先住民族として知られる「ベルベル人」でした。
紀元前12年頃 モロッコ沿岸に、当時レバノン周辺で繁栄し現在チュニジアがある場所に、巨大な都市「カルタゴ」を築いていたフェニキア人が到来し、モロッコにも港湾都市を築いた為その後カルタゴの植民市となりました。
紀元前146年 第三次ポエニ戦争のカルタゴの戦いが起こり、古代カルタゴ(前650年–前146年)がローマ帝国により滅ぼされたことにより、モロッコはローマ帝国の植民地として支配されました。
現在、ユネスコの世界遺産であり人気の観光地でもある「ヴォルビリスの古代遺跡」は、この時代にあたる紀元前3世紀にローマ帝国属州「マウレタニア」の首都として築かれた商業都市です。
バンダル人および東ローマ帝国による支配
モロッコがローマ帝国の支配下に置かれている時代はそう長く続くことはなく、幾多の反乱が続いた結果その支配力は次第に弱まり、その後はゲルマン民族の一派で5世紀半ばに北アフリカまで南下してきたバンダル人、それから東ローマ(ビザンチン)帝国に支配される時代が6世紀はじめ頃まで続きました。
イスラム教がモロッコに布教されて以降の歴史
国土のイスラム化
紀元788年 モロッコにアラブ人が到来し、その後の9世紀はじめには同国北部に位置する都市「フェズ」がモロッコ最初のイスラム王朝であるイドリス朝の都となり、一気にイスラム化が進みました。
現在この国の公用語として話されているアラビア語が、先住民であるベルベル人に浸透していったのもこの頃であったと言われています。
ファーティマ朝の滅亡からスペインの後ウマイヤ朝による支配
紀元788〜926年まで続いたイドリス朝でしたが、王朝を率いていたイドリス2世が亡くなると、残された地をエジプトのファーティマ朝およびスペインの後ウマイヤ朝が狙った為、度々戦火に見舞われるようになりました。
紀元974年 モロッコが後ウマイヤ朝の支配下に入ったものの、1031年に後ウマイヤ朝が滅亡した為、モロッコはいくつかのベルベル人の王国へと分裂しました。
マラケシュに首都が遷されてからのモロッコ
紀元1056年 イドリス朝がムラービト朝により滅ぼされ、首都は現在のマラケシュに築かれました。
紀元1147年 ムラービト朝は、イスラム教において絶対唯一の神を主張するサンハージャ系マスムーダ族で宗教運動の中心人物となっていたアブド・アル・ムーメンにより滅されます。
紀元1152年 イスラム教スペインおよびマグレブ(アルジェリア・モロッコ・チュニジア)を征服。
一時期はスペインのアンダルシア地方、マグレブ、リビア東部を支配下に入れていたムワッヒド朝でしたが、1212年ナバス・デ・トローサの戦いでカスティーリャ王国に敗れたことをきっかけに没落しはじめ、現在のようにアルジェリア・モロッコ・チュニジアの三国に分裂しました。
紀元1258年 フェズがマリーン朝の首都として再び置かれたましたが、各地の反乱とペストの流行などを理由に紀元1465年に滅亡。
紀元1549年 モロッコ南部のトドラ峡谷出身のムハンマド・エシュ・シェイフは混乱が続くモロッコを統一してサアード朝を統一し、以降同国首都はマラケシュに位置しています。
紀元1666年 アラウィー朝 サハラ砂漠の玄関口リッサニ周辺のフェラリ族のムーレイ・ラシッドは、モロッコを統一して強い権力を持ち、19世紀初頭まで続きました。
紀元1912年 フェズ条約により1956年までの間フランスの保護国に(北部地方はフランス・スペイン条約によりスペインの支配下に)。
紀元1930年代 国民の民主運動が盛んになり、第二次世界大戦後の1956年にベン・ユーセフがフランスから独立を勝ち取り現在のモロッコ王国があります。
通貨事情
モロッコの基本通貨はディルハム(DH)と呼ばれ、2019年12月4日(火)現在1ディルハム(DH)あたり約11.3円です。
紙幣は20DH,50DH,100DH,200DHの4種類、その他にも5C,10C,20C,50C,1DH,2DH,5DH,10DHの8種類の硬貨が存在します。
モロッコでの滞在中に通常見掛ける通貨は4種類の紙幣とディルハム硬貨4種類です。
稀に現地の市場などで5〜50C硬貨を見掛ける場合があると思いますが、この場合1DH=100Cなので細かい硬貨を使い切りたいという方は参考にしてください。
両替事情
両替は空港、ホテル、市内の銀行および両替所で行うことが出来ますが、ホテルでの両替はレートがあまり良くないので空港または市内の両替商での両替をオススメします。
空港出発ターミナルでのモロッコ・ディルハムからその他通貨への再両替は可能ですが、レートが非常に悪いので出国時までに手持ちの現金を使い切るのが理想でしょう。
人気観光都市
モロッコには9つの世界遺産登録地区があり、それらを中心に以下の都市が人気です。
【人気観光都市一覧】
- ベルベル語で「神の国」を意味するかつての帝都マラケシュ
- 「白い家」という意味を持ち空の玄関口として知られるカサブランカ
- かつてイスラム王朝が首都として定めていた迷路のような内陸都市フェズ
- まるで絵本の中の世界を歩いているかのような可愛い街並みが特徴のシャウエン
- アメリカ大陸とほぼ同じ大きさを持つ「世界最大の砂漠」として知られるサハラ砂漠
- 17世紀に「モロッコのヴェルサイユ」を目指して造られた古都メクネス
- ヨーロッパ調の建物とイスラム調の古い建物が見事に調和する、モロッコの首都ラバト
- 世界遺産なのにリゾート地としての側面も持つエッサウィラ
気候事情
モロッコの気候は日本と同様に四季が存在します。
しかしながらその違いは比較的緩やかで、夏は内陸部および砂漠地帯を中心に最高気温が50度に達することもあるのに対し、冬でも最高気温が20度前後を保ち、日本のようにコートが必要な程気温が下がらないのが特徴です。
砂漠エリアは夏の間でも、日中は強い日差しとうだる様な暑さにも関わらず、日没以降は一気に気温が下がるため夏の時期に訪れる場合でも、ある程度の防寒対策を講じる必要があります。
モロッコを観光するのに適したシーズンは、春にあたる3〜5月と秋にあたる9〜11月で、この時期は気温が暑すぎず、寒すぎず丁度いい気温で過ごしやすいため一般的に、最も多くの観光客訪れる「ハイシーズン」に該当します。
細かい服装の調節は必要なものの、この時期はモロッコ国内のほぼ全ての観光地を快適に訪れることが可能です。しかし、ピンポイントで「この地域に行ってみたい」という方にとっては、訪れる地域により一般的なハイシーズンが通用しにくい場合もありますので、以下で紹介する地域別の具体的な観光に適したシーズンを参考にしてください。
【地域別のハイシーズン一覧】
タンジェおよびフェズ=4〜6月および9〜10月頃まで
アトラス山脈=5〜6月
マラケシュ=3〜6月、10〜11月
サハラ砂漠=9〜11月
治安事情
多くの人にとって旅行に行くうえで心配な事柄のうちの一つが旅行先の「治安」。色々と治安が不安定な印象が強いアフリカ大陸ですが、モロッコの治安は中でも比較的良いとされています。
しかしながら、殺人や強盗などといった重犯罪の報告件数は少ないものの、外国人観光客を狙ったスリやひったくりといった軽犯罪の被害が多く報告されているのも事実です。
ひったくられやすい鞄は持たない、携帯電話や財布などの貴重品は隠して持ち歩く、携帯を持ったまま歩かない、食事中に携帯をテーブルに置かない、レストランで席に座る際はリュックを椅子の背もたれにかけない、所持金は分散するなどといった工夫が必要です。
文化について
モロッコでは国民のほとんどがスンニ派のイスラム教徒であると言われているため、イスラムの習慣に従った生活を送っています。
そのため祝祭日はイスラム教に従ったものが多く、飲酒出来る場所が制限されていたり、豚肉を食べることを禁じているのはもちろん、ムスリムにとっての断食月にあたるラマダーン期間中は、お店やレストランの営業時間が不規則に変化したり、お祈りの日である金曜日は、日本でいう土日にあたるような休日に該当するなど、日本とは日常生活の過ごし方が異なります。
またイスラム教では、特に女性の肌の露出があまり好まれていないので、暑くても肩や胸元が出る服装の場合はスカーフやカーディガンを一枚羽織るなどの工夫をして、肌の露出を避けるのが無難です。
これはイスラム教を信仰するの現地の方々への配慮と、露出が原因で現地の男性達からの性的被害およびセクハラなど、不快に感じる余計なトラブルを避ける為にも大変役立ちます。
気になるモロッコ国民の基本性格ですが、非常に親切でホスピタリティーに溢れています。たまにその親切さが故に鬱陶しく思われてしまうこともありますが、モロッコ人の親切さとフレンドリーさには、モロッコを訪れる私たちの心を温めてくれる不思議な力があります。
定番スポット10選
フェズのメディナ
フェズのメディナ(旧市街)は、首都ラバトから東へ約200kmのところに位置する「世界一の迷宮都市」。
城壁に囲まれた旧市街東側は、9世紀初頭にモロッコ最初のイスラム王朝となった「イドリス朝」のイドリースニ世によって建設され、それから1,000年もの時が経過しているにも関わらず今もなお、良い保存状態が保たれているのが特徴です。
城壁内は、細い道が複雑に入り組んだ迷路のような構造で「イスラムの町」ならではの美しさを持っていますが、あまりに複雑すぎて地図アプリに載っていない道があるということも度々耳にするほどです。
その主な見どころは、当時建設されたマドラサと呼ばれる神学校、宿屋、宮殿および邸宅。モスクなどをはじめとした美しいイスラム建築群です。
城壁に囲まれた迷路のような旧市街は主に2つのエリアに分かれ、東側に位置するのがイドリス朝時代に築かれた「フェズ・エル・バリ」、その後の13世紀に繁栄したマリーン朝時代に城壁内西側に築かれたのが「フェズ・エル・ジェディド」です。東側に位置する「フェズ・エル・バリ」は、1981年に世界遺産として登録されました。
シャウエン
シャウエンは正式名称を「シェフシャウエン」とする「青の街」です。近年その青の美しさと街並みの可愛さから、日本からも多くの観光客が訪れているモロッコ国内でも人気の観光スポットです。
シャウエンの歴史は、1471年に「ムーレイ・アリ・ベン・ラシッド」によりモロッコ北部のリフ山脈の麓に建設されたのがはじまりで、その後1492年以降にはスペインから逃れてきたイスラム教徒が加わって人口が増大し、イスラムの聖域となりました。
約400年後の1920年には、モロッコ北部はスペイン領に組み込まれ、この街も例外ではありませんでした。その為シャウエンはモロッコに位置しているにも関わらず、スペイン語がよく通じるのが特徴です。
シャウエンの魅力は何と言っても「美しい青の街並み」にありますが、その青さの理由は諸説あり、中でも有力と言われている説が「イスラム教徒にとって青色が神聖な色である」というものですが、はっきりとした理由は未だにわかっていません。
ジャマ・エル・フナ広場(マラケシュ)
モロッコの首都ラバトから南約340kmのところに位置する都市「マラケシュ」。その旧市街であるメディナは、11世紀にアル・ムラービト朝により王都として建設されて以降、17世紀まで政治および文化の中心地でした。
主な見どころとしては、12世紀に建造された「クトゥビア・モスク」、16世紀に建造された「エル・バディ宮殿跡」、「ベン・ユーセフ新学校」や旧市街を守るように取り囲む高い壁に沿うようにいくつかある門などがあります。
そんなマラケシュのメディナ観光のハイライトと言えるのが、旧市街中心地にある「ジャマ・エル・フナ広場」で通称「フナ広場」と呼ばれています。ここはかつて公開処刑場として使用されていた場所でしたが、現在は歩行者天国になっています。
日中は広場でショーを行う大道芸人や音楽家が目立ちますが、日没以降はどこからともなくやってきた、多くの屋台で賑わいます。
フナ広場には毎晩多くの屋台が出店しますが、迷子になりやすいので気になった店は、屋台のテントに付けられている番号を覚えておきましょう。また大変多くの人が集まる場所なので、スリの被害も度々聞き受けられますので、訪れる場合は貴重品の管理に注意しましょう。
同広場は2001年に世界無形文化遺産として登録されました。
ハッサン2世モスク(カサブランカ)
「ハッサン2世モスク」は、1986年から8年もの歳月をかけて1993年8月に完成されたアフリカ最大のモスクです。同モスクは全敷地に対し8万人、モスク内部には2万5000人が収容可能で高さ200mの美しいミナレットを持ち、その高さは世界最高です。
外観は緻密な彫り模様が施され、内部はイタリアのヴェネツィアに位置するムラーノ島から取り寄せた55ものシャンデリア、そして白い大理石でつくられた支柱や美しいタイルなど非常に豪華なのが特徴で、モロッコ全土から職人と芸術家約1,000人を動員して造られました。
夜は美しくライトアップされるので、カサブランカでの滞在時間に余裕のある方は、昼と夜両方の姿を眺めることをオススメします。
ヴォルビリス遺跡(メクネス)
モロッコ北東部に位置し、メクネスから北に約30kmとアクセス抜群の立地にあるローマ古代遺跡が「ヴォルビリス遺跡」です。同遺跡は1997年に世界遺産として登録され、モロッコにある都市遺構では唯一の世界遺産といわれています。
その歴史は、モロッコにローマ人が入る前の紀元前1世紀までさかのぼり、マウレタニアの王である「ユバ2世」がこの地に王国の首都を置いたのがはじまりでした。
時代はローマ時代に移り、ヴォルビリスの町はローマ帝国の勢力範囲西限に位置する重要な都市として、ローマ属州の州都となり全盛期には2万人もの人々が住んでいました。
「ヴォルビリス遺跡」は見どころが非常に多く、40ヘクタールにも及ぶ広大な敷地に、多くの家屋跡、浴場、宮殿および礼拝堂など、保存状態の良い遺跡が数多く残っています。
【主な見どころ】
- 鮮やかで美しいモザイク「ダイアナとアクタエオン」を持つヴィーナスの家
- かつて大きな家々が並んでいた幹線通りであるデクマヌス・マクシムス
- 紀元277年にカラカラ帝への感謝を捧げるために建造されたカラカラ帝の凱旋門
- 保存状態の良い古代のサウナを確認することができるガリエヌス帝の浴場
- 大きく美しいモザイクが見事なオルフェウスの家
タンジェ
「タンジェ」はモロッコ北部に位置するジブラルタル海峡に面した港湾都市です。スペインやジブラルタルから多くのフェリーが行き来する国際都市として栄えているタンジェですが、その歴史は意外と古く、ここはモロッコ国内でもアラブ人によって征服された最も古い町のひとつです。
過去にはスペインの植民地であった歴史を持つため、街並みは白く植民地時代の名残を残しています。そんなタンジェの歴史を感じられる場所が城壁に囲まれた旧市街で、見どころはそのほかの大都市にある旧市街と比べると少なめな傾向にある為、半日ほどあれば全て楽しむことが可能です。
【主な見どころ】
- 旧王宮内に位置しているカスバ博物館
- 古くは神学校(マドラサ)であったグラン・モスク
- イブン・バットゥータの墓
- アメリカ史上初の公館として建てられたタンジェ・アメリカ公使館協会
エッサウィラのメディナ
「エッサウィラ」はモロッコ南西部に位置する芸術の町です。この町の歴史は紀元前800年代のフェニキア時代まで遡り、その頃からすでに港町として栄え、紀元1世紀のローマ時代には古代紫という澄んだ赤みを持つ、巻貝のパープル腺からとれる紫色の染料の生産地として有名になりました。
現在私たちが訪れることができるエッサウィラの旧市街は、1765年にフランス人建築家である「テオドール・クールニュ」によって設計されたもので、18世紀末にヨーロッパの軍事建築様式に従って建設された後、2001年に世界遺産として登録されました。
要塞都市の役割を果たしていたエッサウィラの旧市街であるメディナは、海のすぐ隣に位置し、多くのギャラリーやかつて要塞であった名残が感じられる展望台、および工芸品が多数展示されているシディ・ムハンマド・ベン・アブダラー博物館などの見どころがあります。
エッサウィラは、20世紀以降にフランス保護下でカサブランカやタンジェなどの港の開発が進められるまでの間、モロッコそしてサハラ以南に位置する国々とヨーロッパをはじめとした国々とを結ぶ重要な貿易港として栄えました。
ウダイヤのカスバ(ラバト)
「ウダイヤのカスバ」は、モロッコの首都ラバト市内に位置するメディナ(旧市街)に位置しています。ラバトのメディナは2004年に世界遺産として登録されたため、町全体が世界遺産で見どころが非常に多いのが特徴です。
中でもウダイヤのカスバは旧市街北部に位置する要塞地区で、「カスバ」はアラビア語で「砦」を意味しています。現在の呼び名は18世紀にウダイヤ・アラブ族という軍隊をこの地に駐屯させたことにちなんで付けられたものです。
ムラービト朝以降に繁栄した、ムワッヒド朝(1130〜1269年)時代に築かれた城壁を利用して、17世紀にムーレイ・ラシッドにより建造されたのが城塞地区「ウダイヤのカスバ」です。
城塞を囲むかつての門、ウダイヤ庭園、ウダイヤ博物館などの見どころがあります。
メルズーガ(サハラ砂漠)
「メルズーガ」は、モロッコ東部に位置する「サハラ砂漠の小さな村」です。モロッコでサハラ砂漠を訪れる観光客は、メルズーガを拠点にする方が多く、マラケシュやフェズなどの人気観光地から直行バスも運行されているため、アクセスの良さが抜群なのも嬉しいですね。
この村には、砂漠の美しい自然が眺められるホテルやキャメルトレッキング、およびサンドバギーなどの充実したアクティビティを楽しむことが可能です。
また事前にアレンジをすれば、憧れのサハラ砂漠で先住民のベルベル人の伝統的なテントで知られるビルビルテントに泊まって、美しい星空の下キャンプを楽しむことも可能です。
アイト・ベン・ハッドゥ
首都ラバトから南へ約460kmのところに位置し、モロッコで最も古いカスバを訪れることができるのが「アイト・ベン・ハッドゥ」です。アイト・ベン・ハッドゥ村は「クサル」と呼ばれる要塞化された村の一つで、日干しレンガ造りの住居が構成する集落を、村の防衛目的でつくられた城壁で囲んでいるのが特徴です。
1987年には世界遺産として登録されました。この村には特別な歴史があるという訳ではありませんが、その美しい姿は訪れる多くの人々を魅了します。それもそのはず、この村は数々の映画のロケ地にも選ばれるほどで、今では「モロッコで最も美しい村」と呼ばれています。
時代の流れと共に建造物の傷みが進んでしまった為、現在この村に住んでいるのは3〜4家族のみですが、周辺に広がる砂漠と植物の緑と調和するその姿は一見の価値ありです。
鉄道を利用して訪れる観光スポット12選
フェズ
ブー・ジュルード門
ブー・ジュルード門は、フェズのメディナの入り口に位置する「フェズ最大の門」です。この門が建設されたのは、1913年のことで旧市街の長い歴史と比較すると非常に新しいのが分かります。
門は旧市街の外から眺めると、美しい青色の装飾が施されているのに対し、内部から新市街側を眺めると緑色の装飾になっていることに気付きます。門周辺にはカフェやレストランがいくつかありますので、是非テラスなどの眺めの良い席に座って「迷宮都市フェズ」の景色を楽しみましょう。
ブー・イナニア・マドラサ
ブー・イナニア・マドラサは、14世紀のマリーン朝最盛期に最後の王となったブー・イナニア王によって築かれた「マリーン朝最大の神学校」です。
大きな扉の先に広がる、壮大かつ繊細なイスラム建築は全ての訪れる人々を圧倒する美しさです。イスラム教の礼拝時間は訪れることが出来ないため、訪問時間に注意しましょう。
タンネリ・ショワラ
フランス語で「なめし革工場」を表す、タンネリ。フェズのメディナを歩いていると、多くのお土産屋さんで革製品が売られていることに気付くと思いますが、そんな革製品の染色を手作業で行なっている場所が「タンネリ」で実際に訪れて職人が作業を行なっている様子を見学することが出来ます。
規則的に並んだ円形の桶にカラフルな染色液が入った姿を見る機会はなかなか無いと思います。フェズを訪れた場合は是非タンネリを訪れてみてください!
注意:動物の革を扱っている場所なので、風向きにもよりますが臭いがキツイ場合があります。
メクネス
「メクネス」は10世紀頃からの歴史を持つ世界遺産都市です。長い歴史の中で最盛期を迎えたのは、17世紀に起こったアラウィー朝時代で、この頃モロッコの首都はメクネスに置かれていました。
この時代アラウィー朝の第2スルタンであったムーレイ・イスマイルは、同じ時代にフランスでヴェルサイユ宮殿を築いたルイ14世に対抗して、豪華な王国をつくろうとしたといわれています。実際にメクネスが首都として君臨していたのは約半世紀のみで、首都が他の都市へ動いて以降は衰退の路を辿りました。
先にも述べた通り、メクネスの歴史は約1,000年以上にも遡ります。しかしながら17世紀にムーレイ・イスマイルが「豪華な王国メクネス」を目指し、古くから残っていた建物をほぼ全て破壊してしまったため、現在訪れることが出来る建物の多くは17世紀以降に建造されたものです。
周辺にはブドウ畑やオリーブ畑をはじめとする豊かな自然が広がり、イスラム教を信仰する国なのにも関わらずワインの生産が盛んなのも、メクネスの面白い点として挙げられるでしょう。
【主な見どころ】
- かつては4万人もの囚人が捕らわれていたとされるキリスト教徒の地下牢
- メクネスの発展を強く願って町の大改築を行なったにも関わらず、その夢が完成した姿を見る事なく亡くなったムーレイ・イスマイルが眠る「ムーレイ・イスマイル廟」
- ムーレイ・イスマイルが手がけた最後の建築物として知られ1732年に完成したマンスール門
カサブランカ
「カサブランカ」はモロッコおよび北アフリカの経済の中心地として知られる大都市です。
現在はリン鉱石や農産物を輸出する港として重要な役割を果たし、400万人を超える賑やかな都市ですが、実はその歴史は12世紀のムワッヒド朝時代まで遡ります。この頃からすでにアラブ人の海賊が拠点として占拠し貿易港として機能していた歴史があります。
この町には、モロッコのその他都市の様なアラビアン風の雰囲気は感じないものの、モロッコの都会な姿を感じることが出来る数少ない場所であると言えるでしょう。
カサブランカのチャームポイントは、大きな都市でありながらも、ところどころ感じることが出来る「フランスやポルトガルによる植民地時代の名残」など町歩きで見つけられる数々の発見にあるかもしれませんね。
ムハンマド5世広場
「ムハンマド5世広場」は市内中心部に位置しカサブランカ市庁舎、裁判所、中央郵便局、税務署、劇場などのカサブランカの重要な機関が広場を囲むように建っています。観光の目印としての利用が便利です。
カサブランカのメディナ
カサブランカにも古い城塞に囲まれた旧市街である「メディナ」が存在します。ここ数年の間でメディナは綺麗に整備されてしまった為、モロッコ国内のその他都市にあるメディナをイメージして足を運ぶと拍子抜けしてしまうかもしれません。実際に訪れてみるとその雰囲気の違いに驚くはずです。
メディナの北側は住宅地、南側は地元の人々の活気で溢れるスークになっていますので、ローカルな雰囲気を味わいたい方は訪れてみることをオススメします。
また、港に近いエリアには可愛いストリートアートが施されたエリアがあり、とっても可愛いので素敵な写真を撮りたい方には最高なフォトスポットだと思います。写真撮影をする際に一つ気をつけていただきたいことがあります。写真を撮影する場合は、近隣で生活している現地住民の方々の迷惑にならないよう、配慮を忘れずに行動して下さい。
【主な見どころ】
- グラン・モスク
- 時計台
- ジェディド門
ラバト
ラバトは「庭園都市」という別名を持つモロッコの首都です。首都でありながらも経済都市であるカサブランカと比べると、かなり小さく、静かなのが特徴です。モロッコ国内にあるその他の都市と同様に、旧市街と新市街の2つのエリアに分かれていますが、ラバトに限り2エリア共に世界遺産として登録されています。
歴史は約10世紀までさかのぼり、ブーレグレグ川の東岸にサレという町を、西岸には要塞を造ったことからはじまりました。この場所に首都が遷されたのは、フランスの保護国であった1912年のことで、それまではこの国の首都はフェズに置かれていました。
モロッコのその他の都市と同様、あらゆる国の文化の影響を受けてきた歴史的背景から、興味深い観光スポットが多いのがラバトの魅力です。
ハッサンの塔
「ハッサン」の塔は高さ44mの未完のミナレットです。1195年にムワッヒド朝のヤークブ・マンスールがモスク建設に着手し、高さ88mのミナレットを築くことを目指しましたが、その4年後に当たる1195年に彼が死亡した為、予定の半分の高さで工事が中断されてしまった塔です。ラバトを訪れた場合は是非見ておきたいランドマーク的な建造物です。
ムハンマド5世の霊廟
ハッサンの塔が位置する広場には、1971年に完成した「ムハンマド5世霊廟」があります。ハッサン5世は、フランスからモロッコの独立を勝ち取ったのち1961年に亡くなったモロッコ王国の元国王です。息子であったハサン2世とムーレイ・アブダラー王子も同じく埋葬されています。
サレ
「サレ」は、ラバト=サレ空港からほど近くに位置する、16〜17世紀には海賊の拠点としてヨーロッパ中から恐れられた小さな町です。ラバトを訪れる多くの観光客は、残念ながらラバトへまっすぐ向かってしまいますが、サレの歴史はラバトのメディナよりも100年ほど古い特徴があります。
その歴史は11世紀までさかのぼりますが、サレの旧市街であるメディナ内で確認できる建物の多くは13〜16世紀に建造されたものです。サレの町は、ヨーロッパの国々との交易などで発展したものの、16〜17世紀に海賊の拠点へと変わり、フランス統治下となって以降は時代の流れと共にその重要度が失われていきました。
旧市街の主な見どころは、1260年に建設されたコーランが刻まれている立派な門の「ムリサ門」、13世紀に建造された神学校である「アブー・エ・ハッサン・マドラサ」や地元の人々の日常が垣間見れるスークなどがあります。
滞在時間の目安としては半日程度で十分ではないかと思います。ラバトを訪れた際は是非サレにも足を延ばしてみましょう。
マラケシュ
ベン・ユーセフ・マドラサ
「ベン・ユーセフ・マドラサ」は、1956年まで実際に使用されていたイスラム教の神学校で、その歴史は1565年までさかのぼります。
このマドラサは、サアード朝のスルタン・アブダラー・アル・ガリブによって建設されマグレブ地方(チュニジア・モロッコ・アルジェリア)では最も大規模、かつこの時代の建築技術が集結したアラブ・アンダルシア建築の中では最高傑作といわれています。
見どころは、質素な建築の中に細部まで施された美しいタイル、アーチ、天井、床および美しい中庭などが挙げられます。中でもカラフルで細やかな技術が私たちの目を惹きつける化粧漆喰は必見です。世界遺産にも登録されたマラケシュ旧市街を構成する神学校の壮大なイスラム建築に酔いしれましょう。
クトゥビア
「マラケシュのランドマーク」であるクトゥビア。ミナレット(塔)の高さは77mで、ビルで例えるならば約23階の高さに相当する程の高さです。そのため、マラケシュ観光をする上で目印になる重要な場所でもあります。
1147年にムワッヒド朝の創始者である、アブド・アル・ムーメンにより着工されたのち、息子ヤクーブ・ユーセフの時代にモスクの部分が完成したといわれていますが、モスクが築かれた方向がメッカに対し誤っていたため破壊されました。
現在訪れることが出来るモスクの姿は、1199年にヤクーブ・エル・マンスールによって建て直されたもので、壁面に施された装飾の美しさは必見です。夜は美しくライトアップされるので、現地での滞在時間に余裕がある方は、昼と夜両方足を運ぶことをオススメします。
アグノウ門
アグノウ門はマラケシュにある19の門のうちの1つで、ムワッヒド朝時代である12世紀にメディナの南側に築かれました。「マラケシュで最も美しい門」と呼ばれ、アーチ周辺に施された細かな模様が主な見どころです。
かつてはスルタンが宮殿に行くために使っていましたが、死刑となった罪人の首をさらす場所でもあったと言うから驚きです。
モロッコの自然を楽しむスポット3選
メルズーガ(サハラ砂漠)
「メルズーガ」は、モロッコ東部に位置する「サハラ砂漠の小さな村」です。モロッコでサハラ砂漠を訪れる観光客は、メルズーガを拠点にする方が多く、マラケシュやフェズなどの人気観光地から直行バスも運行されているため、アクセスの良さが抜群なのも嬉しいですね。
この村には、砂漠の美しい自然が眺められるホテルやキャメルトレッキング、およびサンドバギーなどの充実したアクティビティーを楽しむことが可能です。
また事前にアレンジをすれば、憧れのサハラ砂漠で先住民のベルベル人の伝統的なテントで知られるビルビルテントに泊まって美しい星空の下キャンプを楽しむことも可能です。
トドラ峡谷
「トドラ峡谷」はモロッコ西部のテインジルという町に位置する、迫力のある切り立った断崖絶壁の峡谷が美しい、モロッコの景勝地のひとつです。
峡谷にはハイアトラス山脈からの美しい川が流れ、谷底からの壁の高さはなんと400mもあるというのだから驚きですね。そのため、この地には世界中から多くのロッククライマーが訪れ、聖地化されています。ロッククライミングに興味がないという方も、日帰りのハイキングを楽しんだり、先住民が住む地域へと訪れたり、手軽に大自然を満喫しながら楽しめるスポットとなっています。
また周辺には灯りがない為、夜は満点の星空に。現地での滞在時間に余裕がある方は、ぜひ周辺で一泊してみることをオススメします。
アガディール
「アガディール」は、エッサウィラのさらに173km南に位置する、モロッコを代表する人気ビーチリゾート地です。年間300日以上も晴天に恵まれ、主にヨーロッパから訪れる多くの観光客で一年中賑わっています。
海岸沿いには多くの高級ホテルが建ち並び、モロッコにあるその他の観光都市とは違った雰囲気を放っているのが特徴です。サーフィンやシュノーケリングをはじめとするマリンスポーツはもちろんのこと、周辺に位置する山へ出掛けたり、熱気球ツアーに参加するなど楽しみ方は色々。
少し世界遺産観光に疲れた方や、暑い季節に旅行をされる方は、海へ出掛けてクールダウンされるのも良いでしょう。
失敗なしのモロッコ定番お土産
タジン鍋
モロッコといえばタジン。タジン鍋は日本での地名度は高いものの、モロッコを訪れとことをキッカケに人生で初めてタジンを食べるという方も少なくないと思います。食材の栄養価を保つのにヘルシーなタジン料理は、モロッコ人の生活に欠かせないものです。
タジン鍋を購入すれば、そんなタジンをご家庭で再現することが出来ます。本格的にモロッコのタジンを再現してみたいという方は、スークでいくつかのスパイスも併せて購入すると良いでしょう。
また、タジン鍋の見た目は非常に可愛いので、小さいサイズのものを小物入れなどの用途で使用するのも良いですね。
バブーシュ
バブーシュはモロッコの伝統的なスリッパです。スークを訪れると必ず見かける「バーブーシュ」は、色々な種類がありますので複数のお店を回ってお気に入りのものを見つけましょう。
バブーシュはモロッコ国内で購入する場合、どこでも見つけることが出来るほどポピュラーなお土産ですが、フェズの革なめし職人地区が特に有名です。
スークなど商品に値札が付いていない場所でお土産を購入する場合は、料金があって無いようなものなので、遠慮せずに必ず値段交渉をするようにしましょう。
革製品
モロッコは革製品天国です。特にモロッコ北部に位置するフェズでは革なめし職人による染色および加工が盛んに行われているため、いろんな種類の革製品が良質なのにも関わらず安価で手に入ります。
バッグや財布など様々なデザインのものが売られていますので、納得のいくものを購入しましょう。
アルガンオイル製品
アルガンオイルとは、「アルガンツリー」というモロッコの過酷な環境の場所に自生している植物から得られる、高い美容効果を持つオイルです。
このアルガンオイルは、なんとオリーブオイルの4〜10倍ものビタミンEを含有しているというから驚き。その他にも様々な成分を含んでいるため特に女性に嬉しい効能が多数期待出来ます。
【アルガンオイルの主な効能】
- アンチエイジング
- 保湿作用
- ターンオーバーを正常に整える
- 肌のキメを整える
日本でも購入することは可能ですが、モロッコで購入するのに比べ高額なのでオトクな買い物をしたい方は是非現地で買い物しましょう。
ミントティー
日本人は緑茶をよく飲む民族ですが、モロッコではミントティーが盛んに消費されています。
伝統的な淹れ方は、ポットに中国茶とフレッシュミント、そして多量の砂糖を入れ、そこに高い位置から熱いお湯を注ぐというもの。
加える砂糖の量は、淹れる方の好みによって異なりますが私たち日本人にとっては、甘ったるいという場合が多いです。
モロッコのスーパーやスークでミントティーを購入すれば、そんなモロッコでの体験がご自宅で再現することが出来ます。比較的安く購入出来る上に、スーツケースの荷物もあまりかさ張らないのでオススメのお土産です。
学校や職場の方々へのバラマキ土産としていかがですか?
モロッコへのアクセス
2019年12月現在、日本ーモロッコ間の直行便は就航されていません。そのためモロッコへ向かう場合は第三国を経由してアクセスすることになりますが、主な乗り換え地として中東およびヨーロッパの国々の主要都市が挙げられます。
経由地での乗り換え時間の長さにもよりますが、乗り換え時間を含めても往路で必要とされる最短所要時間は約18時間前後、復路では約16時間前後となっています。
また、ヨーロッパからはLCCも運航されていますので、ヨーロッパ旅行のついでにモロッコへも足を延ばしたいという方には利用がオススメです。
直行便
2019年12月現在、日本からモロッコへの直行便は就航されていません。
経由・乗り継ぎ便
日本からモロッコへの乗り継ぎ便を提供している航空会社と主な経由地
- エールフランス航空(パリ・シャルル・ド・ゴール空港経由)
- ルフトハンザ・ドイツ航空(フランクフルト経由)
- エミレーツ航空(ドバイ経由)
- トルコ航空(イスタンブール・アタテュルク空港経由)
モロッコ観光の移動手段
国内での主な移動手段
モロッコ国内を観光で移動する為の主な移動手段は鉄道、タクシー、バスそして飛行機の国内線です。
鉄道
モロッコの鉄道は、カサブランカ、マラケシュそしてフェズなどの主要都市間、またはカサブランカ内で空港と市内の間で運行している「ONCF」とカサブランカからタンジェ間を最高時速320km、所要2時間10分で結ぶ「LGV」という高速鉄道があります。
主な座席は1等および2等の2種類で、車内は広く快適なのが特徴です。バスよりも運行している本数が多いうえに利用料金もさほど変わらないので、主要都市間を移動する場合はとても便利です。列車の時刻表や運賃はONCFの公式ホームページで調べることが可能です。
またモロッコでは夜行列車も運行されているので、時間の節約の為に利用を希望される方が居ると思いますが、車内での盗難件数が大変多く報告されているのであまりオススメしません。
長距離バス
モロッコの長距離バスは鉄道会社のONCFが運営している「SUPR@TOURS(スープラトゥール)」というバスと国営である「CTM」があります。どちらの会社もほぼ時刻表通りにバスが運行されているほか、新しいバスを使用していて長時間の移動も快適に過ごすことができます。
特にハイシーズンを中心に乗車券が売り切れることも珍しくないので、観光客が多く訪れる人気路線を利用する場合は、利用の前日までには購入しておきたいところ。
他にも民営バスが運行されていますが、CTMやスープラトゥールに比べ価格の差は殆ど無いにも関わらず、設備が古く乗り心地が悪いうえに多くの地元の方が乗っていて、バス停が無い場所でも乗客が乗り降りするため時刻表が不規則なので、紹介は割愛します。
タクシー
バスが満席の時や急いでいる時に使えるのがタクシーですね。モロッコでは中長距離を移動する方々向けに「乗合タクシー」を利用することができます。大抵はバスターミナルなどへ行くと、声を掛けて来るので時間が無い場合は耳を傾けてみるのもアリです。
バスの本数が少ない地域などで利用することで、移動時間を短縮出来る反面、定員人数が集まらないと発車しないので、出発時間の予想がつかないのがデメリットとして挙げられます。
国内線
モロッコを観光する場合に最もポピュラーな交通手段として電車やバスが挙げられますが、現地での滞在時間に余裕の無い方および車酔いなどが心配な方は国内線を利用するのがベストでしょう。
モロッコの国内線を運航しているのは「モロッコ航空(RAM)」と「エアアラビア・モロッコ」というLCCキャリアです。
国内では主要観光都市を中心に毎日多くの便が運航していますので、旅行の計画を立てる際にフライトも一緒にチェックして移動手段を検討してみると良いでしょう。
モロッコ観光でお得なフリーパス
Rail Pass(レールパス)
Rail Pass(レールパス)とは、モロッコ国内を走るONCF社が運行するすべての列車が、記載されている有効期間中乗り放題になるパスです。
パスは2種類で、有効期間の長さにより購入金額が異なります。電車での移動は簡単かつ快適なため、現地での滞在時間が限られていて、より多くの観光地を訪れたいという方には非常に便利なパスでオススメです。
【パスの料金】
7 Daysパス
大人:1等車85ユーロ/2等車57ユーロ
小児:1等車45ユーロ/2等車30ユーロ
15 Daysパス
大人:1等車149ユーロ/2等車109ユーロ
小児:1等車85ユーロ/2等車57ユーロ
※小児料金は4〜12歳の子どもが対象
モロッコの年間イベント情報
1月
マラケシュマラソン
マラケシュマラソンは、旧市街から新市街にかけて走り抜ける国際的なマラソン大会で、毎年世界各国から多くの人々が参加しています。コースはハーフマラソンおよびフルマラソンの2種類があり、歴史のある世界遺産の街並みを駆け抜ける非日常的な体験は、きっと参加した人にしか分からない素晴らしさがあるはずでしょう。
2月
マラケシュビエンナーレ
ビエンナーレは、マラケシュで隔年の2〜5月まで開催されるイベントで、同市内の会場では映画や舞台などの芸術、アート、そして文学に関連する地元および国際的なアーティストを紹介しています。
3月
almond blossom festival(アーモンド花祭り)
アーモンド花祭りは、モロッコ南部に位置するTafraoute(タフロウト)地域でアーモンドの収穫を祝うために開催されているお祭りです。祭りでは、伝統的な歌やダンスが楽しめるほか、いくつかの屋台も出店し多くの地元の人で賑わいます。
この時期は開催地周辺がアーモンドの花で薄いピンク色に染まります。私たち日本人にも馴染み深いさくらの花にとても似た見た目をしているので、イベントの為のみならず花の見頃に合わせて訪れてみるのも良いでしょう。モロッコの文化を体験したい方にオススメです。
サハラマラソン
サハラマラソンは世界最大の砂漠である「サハラ砂漠」を野宿しながら7日間かけて約230〜250kmの距離を走破する、過酷なマラソン大会です。
このレースに参加するランナーは、大会期間である7日間を過ごすのに必要な衣食住に関わる全ての物資を自ら背負って、日中の最高気温が約40度にも達する程の過酷な環境の中を走り抜けます。
大会は毎年春に開催され、世界各国から1,300人もの参加者が集まる人気のマラソン大会です。
4月
jazz blanca(ジャザブランカ・フェスティバル)
ジャザブランカは、カサブランカで毎年2会場を設け、6日間開催されるジャズと世界の音楽祭で、ジャズ、ポップおよび世界の様々な文化との交流をはかることを目的に2006年にはじまりました。
5月
5月1日 メーデー
メーデーとは、毎年5月1日に行われる国際的な労働者の祭典を指します。
モロッコでは祝日でもありますので、旅程にメーデーが含まれる場合は一部のお店およびレストランそして公的機関が休みになるので注意しましょう。
ラマダーン(断食月)
ラマダーンとは、イスラム暦における第9月を指し断食月とも呼ばれています。期間は約1ヵ月間で、イスラム教徒は日の出から日没まで断食を行います。
そもそもイスラム暦とは預言者「ムハンマド」が聖地メッカからメディナに移住した622年を元年としてつくられた暦で、月の満ち欠けを利用した太陰暦を利用しており1年の長さは354日と、私たちが普段目にする暦よりも11日短くなっています。
そのためラマダーンが行われるイスラム暦の9月が訪れるのも毎年11日ずつ早くなっていくと考えていただければ理解しやすいと思います。
6月
6月5日 ラマダン明けの祭★
断食明け大祭は、ラマダーンの終わりを告げるお祭りで、人々は断食明けを祝ってごちそうを食べます。期間は3日間ですが、イスラム暦に従っているため、渡航前に日程を確認しておくことをオススメします。店や官公庁は休みになることが多いので注意が必要です。
Fez World Sacred Music
モロッコ北部に位置するフェズで、毎年5月または6月の1週間開催される音楽祭です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ゴスペル、セネガルの音楽など様々なジャンルの音楽を楽しむことが可能で1994年から開催され続けている、長い歴史を持つイベントです。
7月
7月30日 国王即位の日
Asilah festival(アシラー・フェスティバル)
アシラーフェスティバルは、毎年モロッコ北部の「アシラー」という小さな港町で毎年開催されるアートイベントを指します。
この町は白壁の美しい街並みが特徴で、まるでヨーロッパのサントリーニ島やミコノス島にでも来たかのような錯覚を覚えるほど美しい建物が並んでいるのが特徴です。
祭の期間中は世界各国から多くのアーティストが集い、町の家屋の壁面にアート作品を描くことで知られています。お祭りは毎年開催されるため、町の姿は毎年変わります。
8月
犠牲祭★
犠牲祭はイスラム教徒および国民の休日を指し、毎年7〜8月の4日間行われる、イスラム教徒にとって1年に1度の最高なお祭りです。
8月21日 ムハンマド6世誕生日
ムハンマド6世は、モロッコの現国王で8月21日は国王の誕生日であり国民の休日です。国王の肖像画はモロッコで発行されている全ての紙幣の表に載っている為、訪れる場合は紙幣を確認してみてくださいね。
ムハンマド6世誕生日は、日本でいう天皇誕生日をイメージしていただけると分かりやすいでしょう。
9月
9月1日 イスラム暦新年★
ラマダーン同様、預言者「ムハンマド」が聖地メッカからメディナに移住した622年を元年としてつくられた暦「イスラム暦」に従った祝日がイスラム暦新年です。
この新年は、ムハンマドがメディナに移住した日を祝うもので、この時期にモロッコを旅行される方は、訪れる先の営業時間などが不規則に変化する可能性がありますので注意してください。
TANJAZZ(タンジャズ)
タンジャズは、モロッコ北部の港町タンジェで2000年から20年以上も開催され続いている、国際ジャズフェスティバルです。地元および国際的なミュージシャンが参加し、毎年多くの人で賑わいます。
11月
11月6日 緑の行進記念日
緑の行進は、1975年11月6日(木)に行われたモロッコの歴史上でも重要なイベントの一つです。
この日、約35万人にも及ぶモロッコ人が同国南端に位置する「タフ」を出発し、当時スペインの植民地であった西サハラの国境を越えて「この地は王様のものだ」と叫び戦略的な大規模デモンストレーションを行いました。これによりスペインは、最終的にモロッコとの係争地域であった西サハラの割譲を余儀なくされました。
モロッコの100DH紙幣にも印刷されるほど、国家にとって重要な歴史的イベントを祝う日です。
11月10日 ムハンマド生誕祭★
イスラム教の教祖として知られる預言者ムハンマドの生誕を祝う日で、通称「預言者生誕祭」とも呼ばれています。この日はモロッコだけでなく、イスラム教を国教とする多くの国々で祝日扱いとなります。
11月18日 独立記念日
1956年11月18日(日)にモロッコが独立したことを祝う国民の休日です。
12月
マラケシュ国際映画祭
マラケシュ国際映画祭は、2001年にモロッコ国王により設立された映画祭です。マラケシュという活気のある街の魅力やヨーロッパからのアクセスが良いなどといった好条件を理由に、ヨーロッパからの豪華ゲストが多数集結することで知られています。
★はイスラム暦に従っているため毎年変わります。