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関西が好っきゃねん
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東京でまいど!亀戸(かめいど)で下町散歩

東京でまいど!亀戸(かめいど)で下町散歩

まいどまいど! 東京の難読地名の一つでおます亀戸やその周辺を散歩していきまひょ。 まあ、せやけど亀戸と書いて「かめいど」、これは簡単なようでなかなか読めまへんな(笑) さてそんな亀戸でんねんけど、ここは大宰府の天満宮にゆかりのある菅原道真公ゆかりの地としても知られておまして、その大宰府天満宮を模して建造されたという亀戸天神さんは必見。 四季折々の花が楽しめる場所としても知られておまして、特に梅や藤、菊の花はおすすめ。 広い境内をぶらりと散策した後にはスポーツの神様として知られておます香取神社もどないでっしゃろか。 香取神社の境内には大きな大根。 かつてはこの周辺に畑が広がり、大根が獲れたんやそうですが、近年の宅地開発により衰退。 現在は学校など数少なくなったそうですが、いつまでも残していきたいと奮闘しているんやそうです。 ほんでまた、亀戸には餃子の専門店や春巻きの専門店など、珍しいお店も。 猿江恩賜公園はかつて、徳川幕府による貯木場であったそうですが、明治政府による貯木場やったんやそうで。 一日では回りつくされへん亀戸の一部をご紹介していきまひょ。 ほな、まいどおおきに。

関西が好っきゃねん
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砂町銀座

砂町銀座

まいどまいど! 「日本経済新聞」の「訪れてみたい商店街」で巣鴨、横浜の元町に次いで3位に選ばれた砂町銀座っちゅう商店街を皆さんはご存じでっしゃろか。 場所は東京都江東区にあり、商店街を歩けば昔ながらの雰囲気が漂ってますねん。 ほんでまた、商店街の各店舗で販売されている総菜や弁当は低価格。 時間帯によっては割引もあり、地元では根強い人気であることがうなずけますねん。 そんな江東区もかつては干潟やったそうでんな。 1765年、平井満右衛門により州崎弁天から砂村新田まで広がっていた干潟が平井新田として埋め立てられ、塩浜が築かれ製塩が開始。 海から海水を導く水路「塩浜汐引ホリ」、鹹水(塩水)をつくる「汐溜」、海水を煮つめて塩をつくる「塩カマ(竈)」もあったそうですが、やがては衰退。 1891年、地名「塩浜」は「平井新田字塩浜耕地」として呼ばれたんやそうで。 スポーツの面では、洲崎球場。 東京府東京市城東区の木造の野球場として開場し、日本プロ野球草創期、東京都杉並区の上井草球場と共に東京地区のプロ野球常打ち球場の一つがあったといい、当時をしのぶ石碑が建立されてまんねん。 なんや歴史を感じまんな。

まぐろダイニング 美蔵 ホテルルートインGrand東京東陽町店
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まぐろダイニング 美蔵 ホテルルートインGrand東京東陽町店

マグロを中心とした海鮮料理が味わえる居酒屋。 メニューは中トロ刺身をはじめ、まぐろほほ肉ステーキ、まぐろざんまい握りなど。 店内はテーブル席のみ。 また、東京・深川の名物料理の一つとして知られる深川飯も著書区バイキング限定で味わうことができる。

平井新田塩浜跡
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平井新田塩浜跡

1765年、平井満右衛門により州崎弁天から砂村新田まで広がっていた干潟が平井新田として埋め立てられた。 1766年、平井新田を塩浜とする計画により、塩浜が築かれ製塩が開始。 海から海水を導く水路「塩浜汐引ホリ」、鹹水(塩水)をつくる「汐溜」、海水を煮つめて塩をつくる「塩カマ(竈)」も。 潮の便が悪く廃止され、衰退。 1891年、地名「塩浜」は「平井新田字塩浜耕地」として呼ばれた。

炭焼き やきとりはな 扇橋店|おすすめ居酒屋・人気焼き鳥・おしゃれ宴会・女子会・飲み放題
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炭焼き やきとりはな 扇橋店|おすすめ居酒屋・人気焼き鳥・おしゃれ宴会・女子会・飲み放題

焼鳥を中心とする鶏肉の専門店。 店内はカウンター席とテーブル席がある。 メニューは馬刺しや焼鳥弁当、牛タン炭焼き、牛タン弁当、マグロユッケなど。

左行秀鍛錬場跡
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左行秀鍛錬場跡

左行秀は江戸時代、復古調の刀工として活躍した一人。 1813年、筑前国(福岡県)生まれ。 別名、豊永久兵衛、久左衛門。 南北朝時代の名工「左門字」の流れを汲む意から「左」の号を用いた。 江戸時代、江戸(東京都)の刀工清水久義に入門。 土佐(高知県)に移住し、土佐藩の下で鍛刀を始め、三人扶持で刀工・鍛冶職として活躍。 1860年、江戸出府が命じられ、当地付近に位置した土佐藩下屋敷に滞在し、鍛錬場を築き刀剣を製造。 1868年、土佐に戻り、作刀を続けた。

小名木川かさ上げ護岸の歴史
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小名木川かさ上げ護岸の歴史

江戸時代、小名木川は隅田川と旧中川を結ぶ運河として建設。 途中、横十間川、大横川と交差。 小松橋と新扇橋の間には扇橋閘門を設置、閘門より東側は地盤沈下が著しく0m地帯のため水位を1m下げている。 1590年頃、江戸城主の徳川家康は兵糧としての塩の確保のため行徳塩田(千葉県)に着目。 小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの運河を開削、河川の名称の由来に。 完成後、塩の運搬が安全で容易となり、近郊の農村で採れた野菜、東北地方の年貢米など塩以外の品物や客も運搬。 1629年、江戸物流の重要河川となり、利根川東遷事業と併せて拡幅、小名木川と旧中川、新川の合流地点には「中川船番所」が設置。

関西が好っきゃねん
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東京でまいど!亀戸(かめいど)で下町散歩

東京でまいど!亀戸(かめいど)で下町散歩

まいどまいど! 東京の難読地名の一つでおます亀戸やその周辺を散歩していきまひょ。 まあ、せやけど亀戸と書いて「かめいど」、これは簡単なようでなかなか読めまへんな(笑) さてそんな亀戸でんねんけど、ここは大宰府の天満宮にゆかりのある菅原道真公ゆかりの地としても知られておまして、その大宰府天満宮を模して建造されたという亀戸天神さんは必見。 四季折々の花が楽しめる場所としても知られておまして、特に梅や藤、菊の花はおすすめ。 広い境内をぶらりと散策した後にはスポーツの神様として知られておます香取神社もどないでっしゃろか。 香取神社の境内には大きな大根。 かつてはこの周辺に畑が広がり、大根が獲れたんやそうですが、近年の宅地開発により衰退。 現在は学校など数少なくなったそうですが、いつまでも残していきたいと奮闘しているんやそうです。 ほんでまた、亀戸には餃子の専門店や春巻きの専門店など、珍しいお店も。 猿江恩賜公園はかつて、徳川幕府による貯木場であったそうですが、明治政府による貯木場やったんやそうで。 一日では回りつくされへん亀戸の一部をご紹介していきまひょ。 ほな、まいどおおきに。

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浜の宮公園でプール!海洋文化センターで海を学び、加古川牛かつめしを味わう

浜の宮公園でプール!海洋文化センターで海を学び、加古川牛かつめしを味わう

まいどまいど! 山と海に囲まれた自然豊かなまち・兵庫県加古川市をドライブ。 加古川市では西日本旅客鉄道(JR西日本)と山陽電気鉄道が東西に走り抜け、大阪・神戸と姫路とを結んでまんねん。 加古川海洋文化センターでは海洋文化に関する海図、地形図を保管、展示した施設として知られておまして、海の理想郷アルカディア、海中散策、海中潜望鏡、電子水族館、ザ・ボートチャレンジ、海洋研究所が設置。 また、本の貸し出しも行っており、海のことを詳しく知ることができまっせ。 夏など暑い時期に嬉しい!水遊びができるじゃぶじゃぶ広場や、芝生、休憩所がある別府みなと緑地などがあり、一日中楽しむことができますねん。 その他、老舗の雰囲気漂うラーメン店があり、店内には船の模型や阪神電車・山陽電車のグッズが展示、鉄道ファン必見のお店でんねん。 和菓子では素朴な味わいを楽しむことができ、人気を集めてまんねん。 市民憩いの場として人気の浜の宮公園も戦争遺構のところも。 その他、宇宙科学館・プラネタリウム、美術ギャラリー、博物館、会議室などがある加古川市の総合文化センターや地域名産の豚かつめしなどが味わえる加古川食堂も必見!

関西が好っきゃねん
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いにしえの文化漂う播磨を探検

いにしえの文化漂う播磨を探検

まいどまいど! 兵庫県の東南部に位置する加古郡の播磨町っちゅうことで、電車ではJR西日本山陽本線土山駅または山陽電車本線の播磨町駅が便利。 いにしえの文化漂う播磨町界隈では、大中遺跡やその遺跡に隣接する形で開館した兵庫県立考古博物館が名所。 特に大中遺跡は現在、大中遺跡公園として整備され、園内には弥生時代から古墳時代にかけて形成されたとされ、当時の生活を復元した竪穴住居も見学することができまんねん。 考古博物館は参加体験型博物館として知られ、地階では様々な遺物が収蔵された収蔵庫の見学、地上階では、大中遺跡など兵庫県内で調査、発掘された研究結果が展示されてまっせ。 ・・・兵庫県では遺跡の数は全国1位なんやとか。 ほんでそれに隣接して播磨町立郷土資料館も開館。 別府鉄道? なにやら鉄道ファン必見の名所も。 ほんでまた、兵庫県では新聞の父と呼ばれるジョセフ・ヒコさんの出身地。 日本初の新聞を発刊。 月刊「海外新聞」は、半紙約5枚を仮綴したもので、手書き後に活版印刷を用い、2年間で26号まで発行したことでも知られてまんねん。 これは、いっぺん、行ってみる価値がありまんな。

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キャンプ・スキー・スノボーなど年中楽しい千種

キャンプ・スキー・スノボーなど年中楽しい千種

まいどまいど! 山々に囲まれた自然豊かな環境に恵まれた兵庫県の宍粟市。 手つかずの大自然が今も現存していることから、兵庫県の北海道との異名を持っているとか。 ここでは、思想史の一部でおます千種町にスポットを当て、皆様にご紹介していきまひょ! 千種町におます千種高原では、春や秋にはハイキング、夏にはキャンプ、ほんで、冬にはスキー・スノボーなど、年中、楽しめるレジャー地として人気を集めてまんねん。 場所は、中国自動車道山崎インターチェンジからは少し離れていますが、都会から離れた日ごろ、体験することのできへん非日常を体感することができまっせ! その中でなんといってもおすすめなのが「たかのす里山キャンプ場」。 ここはかつてたかのす東小学校として開校していたが生徒数の減少を理由に約10年前に閉校。 地域活動拠点「たかのす東小学校」として復活し、現在は多目的宿泊施設となってまんねん。 宿泊施設は実際に使用されていた校舎を再利用する形となっていて旧教室が宿泊専用の部屋となってまんねん。 これはいっぺん行ってみな、わかれへんのとちゃいまっか~。

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兵庫県庁のおひざ元・神戸の旧繁華街におでかけ

兵庫県庁のおひざ元・神戸の旧繁華街におでかけ

まいどまいど! 兵庫県を代表する町の一つに神戸市がありまんな。 ただ、神戸市だけでも横浜や長崎と並ぶ中華街の南京町や神戸ポートタワー、神戸海洋博物館などがあるハーバーランド、豊臣秀吉も愛した有馬温泉、世界最大の吊り橋として知られる明石海峡大橋、また、ファッションとしての一面も持ち、神戸三田や垂水にはアウトレット、さらに、中華街に代表されるように海外との交流が昔から盛んであったため、山の斜面には外国人の住宅が並ぶ旧居留地の北野、その他、兵庫県の西宮市から神戸市にかけては酒処としても知られ、各地に酒蔵が点在し、日本を代表する灘五郷があるなど、いろんな顔を持ってはりまんな。 そんな神戸市の中心地といえばJR線山陽本線(神戸線)、阪急神戸線、阪神線、ポートライナーがひしめく三宮が有名かもしれまへんけど、実はかつての神戸の中心地は新開地やその周辺やったそうでんな。 今では下町らしい雰囲気が漂っているJR神戸駅界隈でんねんけど、大阪市の落語寄席・繁盛亭に次ぐ名所が誕生するなど最近、再び注目を集めてはりまんねん。 今回はそんな再び注目を集め始めた神戸駅・新開地駅界隈を散策していきまひょ!

相楽園
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相楽園

都市公園・日本庭園。 日本の文化財保護法に基づく最初の登録記念物で登録物件。 三田藩士・小寺泰次郎が困窮する三田藩の財政を立て直すべく、九鬼隆義、白洲退蔵らとともに神戸で事業を起こし実業家として成功。 1885年、小寺の私邸として建設され、1911年に完成。 当初「蘇鉄園」と呼ばれていたが神戸市に譲り渡し、名称を中国易経にある「和悦相楽」に因む「相楽園」に。 庭園の形式は池泉回遊式、西洋文化の広場も。 かつては本邸など多数の建造物があったが神戸大空襲により焼失。 北野町から旧ハッサム住宅(重要文化財)が移築保存、神戸市の迎賓館施設「相楽園会館」、茶室「浣心亭」が建設。

旧小寺家厩舎
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旧小寺家厩舎

相楽園内にある西洋風の厩舎建築。 1910年、建築家河合浩蔵の設計により竣工。 実業家小寺泰次郎の子・元神戸市長・小寺謙吉が園内の一角に建設。 1階は馬車庫と馬房、2階は厩務員宿舎。 構造は煉瓦造・木骨煉瓦造。

旧ハッサム住宅
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旧ハッサム住宅

異人館。 1902年、インド系イギリス人貿易商ハッサムの邸宅として、ハンセル氏設計により竣工。 1階がアーケード式、2階がコロネード式。 1995年に発生した阪神・淡路大震災により被災し、煙突が落下した。 当時の被害を記録として残すことを目的に展示。 1870年代、旧居留地の街頭としてガス灯が設置されたとい、現存するガス灯としては日本最古級。

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