
東京でまいど!亀戸(かめいど)で下町散歩
東京東京でまいど!亀戸(かめいど)で下町散歩
まいどまいど! 東京の難読地名の一つでおます亀戸やその周辺を散歩していきまひょ。 まあ、せやけど亀戸と書いて「かめいど」、これは簡単なようでなかなか読めまへんな(笑) さてそんな亀戸でんねんけど、ここは大宰府の天満宮にゆかりのある菅原道真公ゆかりの地としても知られておまして、その大宰府天満宮を模して建造されたという亀戸天神さんは必見。 四季折々の花が楽しめる場所としても知られておまして、特に梅や藤、菊の花はおすすめ。 広い境内をぶらりと散策した後にはスポーツの神様として知られておます香取神社もどないでっしゃろか。 香取神社の境内には大きな大根。 かつてはこの周辺に畑が広がり、大根が獲れたんやそうですが、近年の宅地開発により衰退。 現在は学校など数少なくなったそうですが、いつまでも残していきたいと奮闘しているんやそうです。 ほんでまた、亀戸には餃子の専門店や春巻きの専門店など、珍しいお店も。 猿江恩賜公園はかつて、徳川幕府による貯木場であったそうですが、明治政府による貯木場やったんやそうで。 一日では回りつくされへん亀戸の一部をご紹介していきまひょ。 ほな、まいどおおきに。
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通称、亀戸天神、亀戸天満宮、東宰府天満宮。 祭神は、天満大自在天神(菅原道真、菅公)、天菩日命(菅原家の祖神)。 1644年頃、菅原道真の末裔で福岡県・太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は天神信仰を広めるため、諸国を巡った。 1661年、当地の亀戸村では元々存在した天神の小祠に菅原道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まり。 江戸幕府は当時、明暦の大火による被害からの復興を目指し、復興開発事業の地として本所を定め、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進。 1662年、社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰府天満宮に倣い造営。
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「東宰府天満宮」、「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」
本殿の扁額は、御本社である筑紫国太宰府天満宮宮司であった西高辻信貞による揮毫。 古くは総本社の太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称した。 1873年には亀戸神社、1936年には亀戸天神社となった。 現在、学問の神様として信仰を集め、藤と梅の名所とも。 亀戸の名物・葛餅は屋台売りの他、1805年に創業した船橋屋が人気を集め、亀戸餅とも。
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ウソ?
うそ替え神事は例年1月に行われ、縁起物の木彫りの鷽(ウソ)が授与。 「去年の悪(あ)しきはうそ(鷽)となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」との言い伝えによる。 梅まつりは例年2月から3月まで。 藤まつりは例年4月から5月まで。 菊まつりは例年10月から11月まで。
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菅原道真
菅原道真は845年の乙丑年に生まれ、903年に没。 葬送中、遺体を乗せた車を引く黒牛が動かなくなり、その場所を墓所と定めた。 その場所に社殿を建立、御霊を祀ったことが太宰府天満宮の起源であり、その年も乙丑年であった。
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男橋と女橋
また、道真が京都から大宰府へ下向中、白牛によって難から逃れることができたという故事も。 神牛座像の神牛に触ることにより病気を治し、知恵を得るとも。 牛は天神の神使として信仰。 男橋は太宰府天満宮を模して造られた。 池と橋を人の一生に見立てた「三世一念の理」に基づき、この橋は過去を表す。 女橋は希望の未来を表す。
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亀戸銭座とは江戸時代、広く流通した銭貨「寛永通宝」の鋳造、発行を行う機関。 以前、芝網縄平(東京都港区)に位置していたが亀戸に移転。 当地では主に1668年から1683年まで、「文」の字が鋳込まれた「文銭」を鋳造。 1773年、廃止。
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1907年、現在の日清紡ホールディングスの前身にあたる日清紡績が創業。 本社と亀戸工場を新設。 1945年、 戦災により焼失。 1967年、工場敷地は住宅団地と水道局用地になった。 日清紡は現在、東京都中央区日本橋に本社を移転し、エレクトロニクス、ブレーキ、精密機器、化学品、繊維の分野に事業を拡大。 吉田茂元首相、根津財閥総帥の根津嘉一郎、日清製粉創始者の正田貞一郎と親交深かった宮島清次郎(日本工業倶楽部元理事長)と、池田勇人内閣時に小林中、水野成夫、永野重雄とともに「財界四天王」と言われ、政界にも絶大な影響力を持った桜田武(日経連元会長)を輩出。
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通称、亀戸香取神社。 665年、創建。 藤原鎌足が東国下向の際、「亀の島」の地に船を寄せて太刀一振を納め、香取神宮から分霊を勧請。 旅の安泰を祈り、神徳を仰ぎ奉ったのが起源。 940年頃、藤原秀郷が平将門討伐の戦勝祈願、成就したことから弓矢を奉納、「勝矢」と命名。 祭神はスポーツ振興の神とされ、スポーツ関係の参拝者の姿も。
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絵馬
藤原秀郷の「勝矢」の故事に因む勝矢祭の当日は武者行列があり、平安時代の鎧兜の装束や陣羽織、裃などを身にまとった氏子、地元小学生の鼓笛隊等が参加する武者行列が亀戸の街を練り歩く。
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亀戸地区で収穫された亀戸大根を奉納する収穫祭。 亀戸大根は江戸時代に栽培が始まり、当社周辺が栽培の中心地となっていた。 近年の宅地開発により衰退。 亀戸大根の復活に向けた活動が起こり、亀戸地区の各小学校の校庭で栽培。 亀戸大根を奉納する祭「福分けまつり」も。
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江戸時代、亀戸に実在した梅屋敷を復元して設立された複合商業施設。 現在、観光案内や物産店、江戸切子ギャラリー、寄席等を行っている。 梅屋敷とは江戸時代、亀戸の呉服商・伊勢屋彦右衛門の別荘「清香庵」があり、その庭には立派な梅の木々が生えていた。 見ごろを迎えると亀戸はもちろん江戸中から見物客が訪れた。
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梅屋敷を絶賛
水戸光圀は「臥竜梅」、八代将軍・徳川吉宗は「世継ぎの梅」と絶賛し、絵師の歌川広重やゴッホも描写。
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記念撮影
建物前では記念撮影も。
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日本で初めてとなる春巻き専門店。 店内はテイクアウトのみ。 2011年、移動販売車「おかず屋いっぴん」を開業。 2013年、春巻専門店「東京はるまき 新小岩本店」を開業。 2017年、亀戸店を開業。 メニューは揚げ春巻き、焼き春巻き、生春巻き、スイーツ春巻きなど。 豚ひき肉、人参、ニラ、しいたけ、春雨、もやしを使用しているという具たくさんが特徴。
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亀戸の餃子専門店として注目を集める藤井屋。 店内はカウンター席とテーブル席がある。
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餃子専門店
メニューは餃子が中心で、パリパリ餃子や黒豚餃子など様々。
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米国ではスチール製ドラム缶を発明し、製造。 1929年、日本石油下松精油所では日本で初めてとなるドラム缶を製造。 1932年、自家用として生産したことに始まるが、事業家本野吉彦が合資会社日本ドラム罐製作所を設立。 当地に日本で初めてとなるドラム缶製造専門工場を建設し、商業生産を開始。 1974年、製鐵ドラムと合併、日鐵ドラム株式會社となった。
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1932年、都立公園として開園。 1733年、徳川幕府による貯木場であった。 明治時代、明治政府による貯木場となった。 1924年、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の成婚を記念して、猿江貯木場の一部を東京市に下賜。 1932年、南園部分が猿江恩賜公園として開園。 1972年、猿江貯木場の廃止、東京都が跡地を買収。 1983年、全面開園。
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小名木川橋の北詰に建立された石碑。 かつてこの付近に庚申堂があり、その建物の前に設置されていたとか。 道標は大島の羅漢寺、亀戸天神社に向かう参詣者の道標の役割を果たしてきた。
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江戸時代、小名木川北岸にあった九鬼家の屋敷に老松があった。 徳川吉宗は絶賛、歌川広重は描写、松尾芭蕉も句を残したとか。 明治時代、枯死。