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西の法隆寺・鶴林寺とその界隈には
まいどまいど! 皆さんは、太子建立七大寺をご存知でっか? 日本最古の仏教寺院として伝わる大阪府大阪市天王寺区の四天王寺や奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺に代表され、加古川にある鶴林寺(かくりんじ)も七大寺の一つでんねん。 人の頭を見ながら、「つるりんじ」と言わへんようご注意ください(笑) さて、そんな鶴林寺には、昔ながらの蒸気機関車の展示や公園が整備されてまんねん。 1980年代、JR西日本山陽本線の加古川駅と旧高砂駅、旧高砂港駅までを結ぶ日本国有鉄道の高砂線が存在していたが、廃線。 途中、旧鶴林寺駅にも停車していた。 境内でゆっくり過ごした後は宮本武蔵にもゆかりがある泊神社へ。 宮本伊織ゆかりの神社として知られ、田原氏(宮本伊織の実家)の氏神であるとか。 聖徳太子が鶴林寺を建立した際、側近で棟梁であった秦河勝が紀伊国から彼の氏神である国懸大神を勧請し社殿を建立したという。 1339年、大井三樹伊予守宰によって築城されたと伝わる石弾城址がある。 現在は、更地となっているが、宮本伊織が宮本武蔵の供養の意を込め全社殿一式を再建したとか。 ほんでまた何やら珍しい自動販売機があるんやて?
マツオカ屋
テイクアウト専門の弁当販売店と喫茶店が併設。 テイクアウト専門の弁当販売店では幕の内弁当をはじめ、ヒレカツ弁当、ロースカツ弁当、串カツ弁当、カキフライ弁当などを販売する。 また、かつめしも。
白旗観音寺
宗派は曹洞宗。 正式名称は生竹山観音禅寺。 917年、肥後(熊本県)に鎮座する阿曾神社の宮司である阿蘇友成氏は当地に立ち寄った。 高砂の浦に船を停泊させて付近を見学し、再び船に戻ったときに竹の杖を浜に突き立てた。 すると杖が根を張り、枝葉が茂って抜けなくなった。 杖を諦め出発しようとすると船が動かない。 仕方なく当地にて一泊すると夢の中に観音様が現れ、観音様のお告げに従って一宇を立て観音像を安置。 地元の有志たちによって建立。 当初、「刀田の太子」で有名な刀田山鶴林寺を本寺とする天台宗の寺院であった。
陸軍加古川飛行場跡
1937年、日本陸軍により主に戦闘機による防空及び少年飛行兵の訓練の拠点として加古川飛行場が開設。 別名、尾上飛行場、3本の舗装滑走路が三角に交わる構造から「三角飛行場」とも。 飛行第13戦隊、飛行第246戦隊、第1教育隊が展開、九七式戦闘機などが運用、航空分廠などが設置された基地。 1944年、各地の陸軍基地から鹿児島県知覧町の特攻基地に向かう戦闘機の集結・燃料補給拠点として機能。 当基地からは特攻隊(第76、213、214振武隊)が出撃。 1950年代、滑走路は藤田航空による小型機の遊覧飛行、自衛隊によるトラック運転の訓練所にもなった。
ご当地グルメの「かつめし」と出会い、ドラマと映画のロケ地をめぐる加古川
まいどまいど! 皆さんは、加古川名物の「かつめし」っちゅうのをご存知でっか? かつめしとは、ご飯の上に、ビフカツ(とんかつ)が乗ったもので、なによりもタレがちゃいまんねん。 ほんでまた、加古川名物かつめしのキャラクター「かっつん」と「デミーちゃん」も登場。 それぞれの像の頭の部分は、かつめしがモチーフ。 加古川名物かつめしをPRしようと、兵庫大学短期大学部に所属する皆さん考案したキャラクターを、加古川観光協会とともに設置したという。 これは、いっぺん、食べてみな、なんぼ説明してもわかりまへんな。 また、加古川城址に代表されるように地元でもあまり知られてへん城址も各地に点在しておます。 その他、ドラマや映画のロケーションにも使用されたという日本毛織旧加古川工場の社宅があり、古くは明治時代から現存する洋風建築と和風建築も。 兵庫県加古川総合庁舎では社員食堂を自由に利用することができたり、最上階からは加古川市街地を一望することができますねん。 この界隈では、趣ある雰囲気を漂わせるなど、何かとおもろい加古川市をご案内しまひょ!
餃子屋コソラ加古川駅前店
製造直売の味を楽しむことができる餃子専門店。 テイクアウト専門店。 コンセプトは、餃子は「美味しい!」を包む宇宙。 コソラの名の由来は小宇宙(コソラ)から。 また冷凍生餃子を販売する自動販売機が併設され、コソラ餃子をはじめ、福崎の餃子、イベリコ豚と白ネギの餃子、肉汁小籠包、山椒とタケノコの餃子、福良の黒毛和牛ハンバーグ、黒毛和牛ガーリックライスなどが販売されている。
Kips
兵庫県靴下工業組合のアンテナショップ。 店内では主に加古川市内で製造された靴下を中心に販売している。 加古川市を中心とする兵庫県は東京都、奈良県と並ぶ靴下の三大産地の一つ、 明治時代、稲岡啓吉氏は中国の上海から手廻しの靴下編み機を持ち帰り、製造を開始。 靴下の製造は農家の副業であったが、大正時代には半自動靴下編み機、自動靴下編み機が輸入されて発展。 昭和時代、靴下を海外に輸出する規模にまで発展し、日本最大の靴下の産地となった。
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