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《中国•上海編》一度は訪れたいモダンアートの集積地🎨
独特な感性が世界中から注目されている中国のモダンアート🎨🇨🇳街に点在するアートスポットをめぐって、パワフルな中国アートの今に触れてみよう‼️
海鮮・カキの食を味わい&遊び尽くそう!
まいどまいど! 瀬戸内海側に面した備前焼の地元・カキ(牡蠣)の名産地の一つとして知られる岡山県備前市を旅しまひょ! 備前市内には、新鮮な海鮮料理を味わうことのできる海の駅があり、カキはもちろん、一風変わった、カキフライソフトクリーム、カキオコなどを味わうことができまんねん。 また、海の駅には駐車場がおまして無料。 せやさかい、時間を気にせずに一日中、楽しむことができまっせ。 重要な建築物として注目を集めている閑谷学校跡では当時の雰囲気そのままに保存して展示、公開され、見学することもできまんねん。 備前市の北部では八塔寺ふるさと村があり、茅葺屋根の家屋が密集。 まるで京都・美山のような街並みの中にゆったりとした時間が流れてまっせ。 またレストラン&キャンプ場があり、自然豊かな環境に恵まれた場所の中でアウトドアを満喫。 晴れた日の夜には満天の星空を眺めることもできるとか。 その他、兵庫県神戸市北区と山口県下関市とを結ぶ高速道路の山陽自動車道三千キロ開通記念碑が建立された福石パーキングエリアではデミカツ丼などを味わうことができまっせ。
日生町観光協会
備前市内やその周辺の情報発信や観光案内を行う施設。 施設内では備前市内のグッズの展示や販売も。
お好み焼 もりした
お好み焼きや焼きそばを味わうことができる飲食店。 店内はカウンター席とテーブル席がある。 日生地区は海の幸として知られる牡蠣とお好み焼きが一つになったカキオコが名物として知られ、ここでも、カキオコで様々な味を楽しむことができる。
八塔寺ふるさと村
木造建築など古い町並みが特長の村。 728年、聖武天皇の勅願により弓削道鏡が創造。 1184年、源頼朝の誓願により守護梶原景八塔寺に八院七堂伽藍、十三重塔を再建。 後鳥羽上皇隠岐御遷幸、八塔寺に宿泊。
八塔寺ふるさと館
周辺の八塔寺ふるさと村や八塔寺ふるさと農園などの観光案内や情報発信、レストラン、宿泊施設等で構成。
望ヶ丘レストラン&キャンプ場
うどんやそば、カレーなどを味わうことのできるレストラン。 店内はテーブル席のみ。 メニューは鴨すきうどん、鴨のねぎ焼、鴨鍋、ジンギスカンなど。
恵日山高顕寺
宗派は高野山真言宗。 山号は恵日山。 本尊は不動明王像・毘沙門天像、日輪大師。 不動明王像は定朝作。 728年、和気清麻呂公と道鏡法印によって開基。 多くの高野聖が集ったことから「西の高野山」との異名を持ち、全盛期には八院六四僧坊や十三重塔など仏塔も。 山岳宗教の聖地として信仰を集め、古代の製鉄技術者集団が活躍したことから「八頭霊」とも。 やがて八塔寺に転化して八塔寺山(堂山、行者山とも)、八塔寺村も。 1184年、源頼朝により鎌倉幕府の祈祷所として塔堂・僧舎が再建。 南北朝時代、戦乱により本堂・伽藍等が焼失。 江戸時代、池田藩により再興。
八塔寺ふるさと村民俗資料館
茅葺きの民家を移築して保存され、展示。 江戸時代から続く農家としての民具類、馬鍬などの農具類が展示。
熊沢蕃山先生「八塔寺農兵制度」実践の地
江戸時代、和気郡八塔寺は備前・美作・播磨三国の接点に在り、国境警備の要衝であった。 熊沢蕃山は知行地であったこの地に自ら数十人の武士を連れ、農業に従事させたという。 平時には農民とともに田畑を耕し、有事の際には国境の警備にあたるという農兵制度を実践。 熊沢蕃山は陽明学者として活躍した。 1619年、京都稲荷(京都府京都市下京区)に住む父・野尻藤兵衛一利と母・亀女の長男。 通称、左七郎、次郎八、助右衛門、又息遊軒。 1634年、丹後国宮津藩主京極高広の紹介で、輝政の孫で備前国岡山藩主池田光政の児小姓役として出仕。 滋賀県高島市に帰郷していた中江藤樹の門下に入り陽明学を学ぶ。
天神祭のおひざ元!すべらんうどんとバッテラを味わう食いだおれのまちの休日
まいどまいど! 京都の祇園祭、東京の神田祭に並ぶ日本三大祭りの一つ「天神祭」は、大阪天満宮とその周辺で行われまんねん。 開催期間中は大川に大きな船が浮かび、花火が盛大に打ち上げられる。 大阪天満宮すぐそばには直線距離にして約2.6km。 日本で一番長い商店街として知られる天神橋筋商店街には、約600の商店が立ち並んではりますぅ~。 1丁目から6丁目までの全エリアでアーケードが設置されてるさかい、雨の心配はおまへん。 天神橋筋一丁目を天一(てんいち)、天神橋筋六丁目を天六(てんろく)と呼び、地域の人々に親しまれてきてまんねん。 かつては大阪市中央区法円坂に日本最古の本格的な首都「難波宮」が造営され、日本の中心地として栄えていた。 このときに、その参詣道としての役割を果たし、商店街として発展してきたとか。 今回は吉本興業発祥の地として知られる天満天神繁昌亭、行列のできるコロッケ屋さん、居酒屋さん、銭湯など、天神橋筋商店街とその周辺の魅力をまとめました。 今も昔も変わらへん「あきんど」のまち「なにわ」の魅力ぜひ堪能してってや。 今回は天神橋筋1丁目付近から3丁目付近までのご案内でっせ~。
大阪ガラス業発祥之地碑
1549年、フランシスコ・ザビエルによって、日本にガラスが伝来した。 その後、ヨーロッパからガラス製品が輸入され、長崎県にガラス製法が伝わった。 播磨屋(本名は久米清兵衛)が長崎でガラス製法を学び、天満で玉屋を開いた。 1772年、日本で初めて、ガラス玉細工が製造され、日本一のガラス製造都市となった。
HESTA SMART STORE(へスタ スマートストア)
江戸時代、大阪天満宮の境内は現在の国道1号線あたりまで広がり、寄席や演芸場、飲食の小屋が約50件建ち並び、人形浄瑠璃・新内節・浮かれ節・軽口(落語)・神道講釈などの諸芸が人気で遊興地であった。 明治時代、上知令によって大工門から北側は境外地となり、やがて天満天神裏と呼ばれた。 次第に歌舞伎や女義太夫・落語・軍談、楊弓場などの小屋や飲食店でにぎわいを見せ、なかでも寄席小屋は天満八軒と呼ばれ、大阪の演芸史にも残っているとか。
宮本武蔵の生誕地で遊ぶ石の宝殿とかつめし発祥の地
まいど! JR西日本山陽本線と山陽電車本線が走り抜け、交通の要衝として栄えてきた兵庫県高砂市。 ここは、瀬戸内海に面し、豊富な海の幸と山の幸が一度に楽しむことができ、中でも漁業は、引き網漁・船引き網による貝類、甲殻類等の水揚げの他、ノリ・ワカメの養殖が盛ん。 また、沿岸部では重工業、軽工業の工場が目立ち、世界的にも珍しい発電用ガスタービンの設計・製造等を行っとーねんて。 ほいで、高砂市には全国的にも珍しいもの、お店がぎょうさんあるねんで! 例えば、ミシュランで星を獲得した話題のお店をはじめ、全国的にも珍しい神社や寺院を集めてみました。 鹿島神社は、一願成就・合格祈願の神様として知られ、出入り口に建立された大鳥居はチタン製。 宝殿山の中腹に鎮座する生石神社は石の宝殿として知られ、ご神体は巨石。 誰がなぜ、何の目的で、石の宝殿を祀ったのか、今もわからへんという、謎。 そして、現在も学問の神様として信仰を集めている菅原道真公もこの地にゆかりがあるといい、曽根天満宮では曽根の松が有名であるなど、ええとこ満載!
イオン高砂店
1875年、神戸にて牛肉商として創業した老舗。 「神戸牛」「神戸ワインビーフ」を使用した精肉や総菜、弁当を製造販売。 播磨の郷土料理の一つとして知られる「かつめし」も。
宮本武蔵生誕地碑
宮本武蔵は江戸時代、剣術家、兵法家、絵画や武具・馬具づくりなど芸術家として活躍。 二刀を用いる二天一流兵法の開祖。 京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘が有名。 本姓は藤原氏。 名字は宮本、新免。 幼名は辨助。 諱は玄信。 号は二天、二天道楽。 著書「五輪書」の中では新免武蔵守・藤原玄信と名乗る。 生年は諸説あるが、1582年または1643年。 小倉宮本系図では武蔵の養子・伊織の祖父で別所氏の家臣・田原家貞は実父、武蔵はその次男。
田原・宮本家父祖の地碑
小倉在住の宮本家第13代当主宮本信男氏によって書かれた碑文。 これは宮本一族会によって当主が武蔵・伊織の生誕地に間違いないとされるもの。 田原氏(宮本武蔵の甥で養子にあたる宮本伊織の実家)。
独行道碑
世々の道を背くことなし 身にたのしみをたくまず よろずに依怙の心なし 身を浅く思ひ世を深く思ふ 一生の間欲心思はず 我事において後悔をせず 善悪に他をねたむ心なし いずれの道にも別れを悲しまず 自他ともに恨みかこつ心なし 恋慕の道思いよる心なし 物事に好きこのむ事なし 私宅において望む心なし 身ひとつに美食を好まず 末々代物なる古き道具所持せず 我身にいたり物忌みすることなし 兵具は格別余の道具たしなまず 道においては死を厭はず思ふ 老身に財宝所領もちゆる心なし 仏神は貴し仏神を頼まず 身を捨てても名利はすてず 常に兵法の道を離れず
米田天神社
米田天神社は泊神社(兵庫県加古川市)の分社。 1653年、宮本武蔵の甥で養子の宮本伊織は泊神社の再建時、旧社殿を移築して建立。 泊神社では宮本武蔵・伊織の高砂生誕説を裏付ける棟札が現存。 泊神社の祭神は天照大神、少彦名神、国懸大神。 田原氏(宮本伊織の実家)の氏神。
株式会社福助堂本店
どらやきや最中などの和菓子を販売する専門店。 兵庫県のマスコットキャラクター「はばたん」や高砂市のマスコットキャラクター「ぼっくりん」などにまつわる和菓子も。
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