
宮本武蔵の生誕地で遊ぶ石の宝殿とかつめし発祥の地
兵庫宮本武蔵の生誕地で遊ぶ石の宝殿とかつめし発祥の地
まいど! JR西日本山陽本線と山陽電車本線が走り抜け、交通の要衝として栄えてきた兵庫県高砂市。 ここは、瀬戸内海に面し、豊富な海の幸と山の幸が一度に楽しむことができ、中でも漁業は、引き網漁・船引き網による貝類、甲殻類等の水揚げの他、ノリ・ワカメの養殖が盛ん。 また、沿岸部では重工業、軽工業の工場が目立ち、世界的にも珍しい発電用ガスタービンの設計・製造等を行っとーねんて。 ほいで、高砂市には全国的にも珍しいもの、お店がぎょうさんあるねんで! 例えば、ミシュランで星を獲得した話題のお店をはじめ、全国的にも珍しい神社や寺院を集めてみました。 鹿島神社は、一願成就・合格祈願の神様として知られ、出入り口に建立された大鳥居はチタン製。 宝殿山の中腹に鎮座する生石神社は石の宝殿として知られ、ご神体は巨石。 誰がなぜ、何の目的で、石の宝殿を祀ったのか、今もわからへんという、謎。 そして、現在も学問の神様として信仰を集めている菅原道真公もこの地にゆかりがあるといい、曽根天満宮では曽根の松が有名であるなど、ええとこ満載!
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(左)ぼっくりん 兵庫県高砂市に鎮座する高砂神社の境内にある相生の松から生まれた妖精。 誕生日は、2009年3月19日。 育ての親は、尉(じょう)と姥(うば)。 使命は、人と人の縁を取り持つこと。 趣味は、散歩、お友達作り。 特技は、ぼっくりんダンス、ぼっくりんソング、ぼっくりん音頭で歌って踊ること。 (右)あかはねちゃん 赤い羽根ひょうご(社会福祉法人 兵庫県共同募金会)のマスコットキャラクター。 共同募金を呼びかけるため、赤い大きな羽根を持ってPR活動を行っている。 好きな食べ物は、明石焼き。 性格は、ちょっぴりシャイ。 特技は、動物と仲良くなれる。
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生石神社は宝殿山山腹に鎮座する神社。 崇神天皇の時代、国内に疫病が流行した。 石の宝殿に鎮まる二神が崇神天皇の夢に表れ、「吾らを祀れば天下は泰平になる」と告げたことから、現在地に生石神社が創建。 当地には一ノ鳥居がある。
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宝殿山山腹に鎮座する神社。 崇神天皇の時代、国内に疫病が流行した。 石の宝殿に鎮まる二神が崇神天皇の夢に表れ、「吾らを祀れば天下は泰平になる」と告げたことから、現在地に生石神社が創建されたとか。 1579年、羽柴秀吉が三木合戦の折、神吉城攻略のために当神社を陣所として貸与するよう申し出たが、当時の宮司は神吉城主の弟であり、拒否したために焼き討ちに逢わせたとか。 焼け残った梵鐘は持ち去られ、関ヶ原の戦いの時に西軍石田三成方の勇将大谷吉継が陣鐘として使用した。 敗戦の結果、徳川家康が戦利品として美濃国赤坂の安楽寺(大垣市)に寄進している。 毎年10月には秋季例祭が行われる。
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日本三奇
別名、巨大な石造物「石の宝殿」をご神体とし、宮城県鹽竈神社の塩竈、鹿児島県霧島神宮の天逆鉾とともに「日本三奇」の一つとされている。
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石の宝殿
祭神は、大穴牟遅命、少毘古那命、大国主大神、生石子大神、粟嶋大神、高御位大神。 本殿奥に祀られた石の宝殿は、国の史跡。 高さ約5.7m、幅約6.4m、奥行約7.2m。 水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」とも呼ばれる。
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宝殿山山頂付近から
生石神社は小高い山の中腹に位置し、奥には山頂付近へと続く階段がある。 その階段を登っていくと、山頂にたどりつき、加古川、高砂市、明石市内を一望することができる。
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兵庫県高砂市の宝殿山に鎮座する生石神社に神体として祭られている巨石。 別名、鎮の石室、天の浮石、浮石。 2014年、「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」として、国の史跡に指定。 生石神社の石の宝殿と、宮城県鹽竈神社の塩竈、鹿児島県霧島神宮の天逆鉾を総称して、日本三奇とも。
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その昔、高砂神社の境内に、一本の根から雌雄の幹が左右に分かれた松が生え、「尉と姥」に姿を変えたイザナギ・イザナミの2神が現れた。 その2神は夫婦の在り方を説いた。 以後、この木を「相生の霊松」と呼び、この2神を縁結びと夫婦和合の象徴として信仰するようになった。 婚儀の際におなじみの「尉と姥」は高砂市が発祥の地として知られている。
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兵庫県高砂市は江戸時代、商人・学者として活躍した山片蟠桃の生誕地。 山片蟠桃は13歳で大阪の両替商升屋平右衛門に仕え、仙台藩の蔵元として藩財政を立て直した他、多くの大名貸しをつとめる大商人になった。 また、経済学、朱子学、天文学、蘭学も学んだ。 著書は「夢の代」など。
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江戸時代に活躍した山片蟠桃の像や顕彰墓が建てられている通りを「ばんとう通り」と呼ぶ。 山片蟠桃は13歳で大阪の両替商升屋平右衛門に仕え、仙台藩の蔵元として藩財政を立て直した他、多くの大名貸しをつとめる大商人になった。 また、経済学、朱子学、天文学、蘭学も学んだ。 著書は「夢の代」など。
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神爪神社内に建立された山片蟠桃の像。 江戸時代、商人・学者として活躍。 本名は長谷川芳秀。 通称は升屋小右衛門。 1748年、播磨国印南郡神爪村(兵庫県高砂市)生まれ。 生家は農家・豊かな在郷商人。 13歳のとき、大阪に住む伯父の養子となる。 大阪町人・大阪商人の学塾である懐徳堂で中井竹山・履軒兄弟に朱子学を、先事館で麻田剛立に天文を学ぶ。 大阪の両替商・升屋に仕え、1771年で番頭に就き、桝屋を繁盛させた。 財政破綻した仙台藩に建議、差し米を集めて利用、無駄を浮かせて節約、藩札を発行。 藩札を発行した代わりに、金貨の金を差し米の節約で捻出した資金で大阪に輸送、それを利殖に回して利益を上げた。
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地動説と太陽系を紹介
仙台藩の財政は再建され、彼は大名貸しの金を回収できたと言う。 その功績を讃え、升屋では片姓を与えた。 著書内で地動説と太陽系を紹介 。 太陽系と同じものが宇宙に無数にあることや万有引力説を説いた。 五行説(万物が木火土金水の五つの気から成る説)を儒学者の妄説とし、天災もその実は人災であると批判。
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1875年、神戸にて牛肉商として創業した老舗。 「神戸牛」「神戸ワインビーフ」を使用した精肉や総菜、弁当を製造販売。 播磨の郷土料理の一つとして知られる「かつめし」も。
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明石市と姫路市とを結ぶ明姫幹線沿いに位置し、和風ステーキやハンバーグが美味しいと評判のお店。 店舗前には駐車場あり。 ランチタイムやディナータイムのころになると、満車になるので、早めの駐車がおすすめ。 店内はテーブル席と座敷があり、おしゃれな空間の中で落ち着いた雰囲気が漂う。
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梅はら定食
梅はら名物の梅はら定食には、ごはんや汁物、そして、天ぷらやステーキ(フィレ肉50g)、サラダなどが乗ったメインと、小鉢、デザートがあり、薬味やタレによって、いろんな組み合わせ、いろんな味が楽しめる。
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明石市と姫路市とを結ぶ明姫幹線から一本、狭い道に入った場所に位置するステーキ、ハンバーグが美味しいと評判のお店。 特に、「ミシュランガイド 兵庫 2016 特別版」にも掲載され、話題を呼んでいる。 店舗前には空きスペースがあるため、駐車は可能。 ただし、空きスペースが少ないので、早めの駐車または近隣のパーキングへの駐車がおすすめ。 店内は、カウンター席と座敷があり、おしゃれな雰囲気の中で、落ち着いた雰囲気が漂う。
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ステーキ丼
一日10食限定という幻メニュー。 「丼」と聞くと、かつ丼や天丼を注文した時によく目にする器は、「どんぶり」の形を想像していたが、想像していたものとはまったく違う雰囲気で登場した。 見た目、味は、その名のとおり、ごはんの上に、ステーキ(国産牛サーロイン)が乗せられている。 肉質は、柔らかく病みつきになるような美味しさ。
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宮本武蔵は江戸時代、剣術家、兵法家、絵画や武具・馬具づくりなど芸術家として活躍。 二刀を用いる二天一流兵法の開祖。 京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘が有名。 本姓は藤原氏。 名字は宮本、新免。 幼名は辨助。 諱は玄信。 号は二天、二天道楽。 著書「五輪書」の中では新免武蔵守・藤原玄信と名乗る。 生年は諸説あるが、1582年または1643年。 小倉宮本系図では武蔵の養子・伊織の祖父で別所氏の家臣・田原家貞は実父、武蔵はその次男。
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宮本武蔵・伊織生誕地碑
1626年、播磨の地侍・田原久光の次男・伊織を養子とし、宮本伊織貞次として明石藩主・小笠原忠真に出仕。 島原の乱では小笠原忠真に従い伊織も出陣、武蔵も忠真の甥である中津藩主・小笠原長次の後見として出陣。
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五輪司供養廟
上部には、五輪「地・水・火・風・空」の文字。 下部には、「成功の門」「安楽乃門」「幸福の門」「不老不死大門」とある。 著書「五輪書」で宮本武蔵は「見の眼弱く、観の目強く」と書き記した。 見とは形があるものを肉眼で見ること、観とは形のないものを意味。
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小倉在住の宮本家第13代当主宮本信男氏によって書かれた碑文。 これは宮本一族会によって当主が武蔵・伊織の生誕地に間違いないとされるもの。 田原氏(宮本武蔵の甥で養子にあたる宮本伊織の実家)。
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世々の道を背くことなし 身にたのしみをたくまず よろずに依怙の心なし 身を浅く思ひ世を深く思ふ 一生の間欲心思はず 我事において後悔をせず 善悪に他をねたむ心なし いずれの道にも別れを悲しまず 自他ともに恨みかこつ心なし 恋慕の道思いよる心なし 物事に好きこのむ事なし 私宅において望む心なし 身ひとつに美食を好まず 末々代物なる古き道具所持せず 我身にいたり物忌みすることなし 兵具は格別余の道具たしなまず 道においては死を厭はず思ふ 老身に財宝所領もちゆる心なし 仏神は貴し仏神を頼まず 身を捨てても名利はすてず 常に兵法の道を離れず
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独行道
新免武蔵(宮本武蔵)が自身の生き方を21か条に記した掛幅装の紙。 別名、自誓書。 晩年、肥後熊本藩の客分となり、熊本千葉城の自邸で、1645年に弟子の寺尾孫之允(丞)に兵法書「五輪書」と共に与えたとも。
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寿司、かつめし、ビフカツ、串カツなどが味わうことのできる飲食店。 店内はカウンター席とテーブル席があり、テイクアウトも可能。 1956年、創業。 メニューは寿司の盛り合わせ、にぎり、ちらしずし、大阪ずし、鉄火巻き、かつめし、Wかつめし、ビフカツ、カキフライ、串カツなど。
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かつめし
来客の多くは播磨地域名物の「かつめし」を注文するといい、寿司よりもかつめしが好評であるという。 そもそも播磨地域の郷土料理の一つ「かつめし」の名付け親であるとか。
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兵庫県を代表する名産の一つ「神戸ビーフ」。 別名、神戸牛とも、但馬牛も。 そんな神戸牛、但馬牛の味を堪能できるお店があった。 精肉の他、コロッケやハンバーグの他、総菜も販売する。 1926年、創業。
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コロッケ
老舗の味を気軽に堪能することができる。
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祭神は、大己貴神、事代主神。 500年代、大己貴神を荒井浜に祭祀したことに始まる。 仁輪加は俄のことで、ある物語を題材とした舞が行われる。 舞台のそばでは、物語に関する造り物と太鼓を乗せた屋台が担がれ、舞子・太鼓を叩く乗子・屋台を担ぐ練子が囃子の掛け合いを行う。
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境内
毎年10月上旬に開催される秋祭では、仁輪加太鼓が奉納される。
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米田天神社は泊神社(兵庫県加古川市)の分社。 1653年、宮本武蔵の甥で養子の宮本伊織は泊神社の再建時、旧社殿を移築して建立。 泊神社では宮本武蔵・伊織の高砂生誕説を裏付ける棟札が現存。 泊神社の祭神は天照大神、少彦名神、国懸大神。 田原氏(宮本伊織の実家)の氏神。
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米田村の村長。 1871年生まれ。 当時、大雨や台風などで河川の加古川やその支流が決壊し、度々、洪水となっていた。 村長になったころ、県や国に働きかけ、加古川を整備。 その他、米田村のために尽力した。
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どらやきや最中などの和菓子を販売する専門店。 兵庫県のマスコットキャラクター「はばたん」や高砂市のマスコットキャラクター「ぼっくりん」などにまつわる和菓子も。
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最中
宮本武蔵と甥で養子の伊織は兵庫県高砂市が生誕地として知られ、宮本武蔵と伊織にまつわる最中も。
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高砂市役所本庁舎全体をライトアップするイルミネーションイベント「高砂ルミナイト 星の市庁舎」。
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イルミネーションイベント
LED球によるイルミネーションや前庭でのキャンドルなどを楽しむことができる。
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2006年、開園した。 この浦舟池は、海と繋がっていて、潮の満ち干きによって水深が変化する海水の池である。 帆船型遊具「浜風丸」は、帆船のかたちをした滑り台がある。
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美しい砂浜を再生
当地周辺はかつて、白松青砂が絶景であった。 昭和時代、高度経済成長期における工業化により、埋立地の影響で減少した。
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