羽田空港(東京国際空港)から文豪が過ごした大田区を散策
東京羽田空港(東京国際空港)から文豪が過ごした大田区を散策
まいどまいど! 関東地方の空の玄関口として知られる羽田空港(正式名称、東京国際空港)がある東京都大田区。 空港の施設内には飛行機の離着陸する瞬間を見学できる展望台をはじめ、東京など日本を代表するお土産を販売する専門店などが集まる一大ショッピングモールとなってまんねん。 また、全国的にも珍しい飛行機の神社も鎮座しておまして、自由に参拝することもできまっせ。 ほんでまた、案内などを行う遠隔操作ロボットも稼働しており、最先端な一面も。 さて、空港をあとにして地下鉄の東京都交通局(都営地下鉄)に乗って辿りついた街・東京都大田区の馬込(まごめ)。 駅の改札を出ると、そこは住宅街でんねん。 駅の周辺をしばらく歩いていると、何やら有名な仏教寺院が。 日蓮宗と深い関係があり、池上本門寺に隣接する池上梅園では見ごろを迎えるとぎょうさんの見物客でにぎわおうてはんねんやとか。 ほんでまた、住宅街の中でひっそりと佇む居酒屋の数々。 はしご酒を楽しみつつ、作家や文筆業などに携わるぎょうさんの文士や芸術家らが暮らしていた馬込の夜を満喫しまひょ。
通称、羽田空港。 成田国際空港と並ぶ首都圏の「空の玄関」。 2017年、世界で4番目に乗降客数の多い空港となった。 空機発着回数、航空旅客数ともに国内第1位、航空貨物取扱量は成田国際空港に次いで国内第2位。 成田国際空港を超える日本最大の面積を有する空港となり、24時間の運用可能な空港の一つ。 天皇・皇族や内閣総理大臣などが政府専用機を使用する場合、国賓や公賓が専用機や特別機で訪日する多くは羽田空港を使用し、専用施設としてVIP機専用スポットや貴賓室がある。 スカイトラックス「Global Airport Ranking 2014」において日本の空港として初めて世界最高水準の5つ星を獲得。
「世界一清潔な空港」「世界一の国内線空港」「世界一バリアフリーな空港」
スカイトラックス「ザ・ワールズ・ベスト・エアポーツ・オブ・2019」においてシンガポール・チャンギ国際空港に次ぐ第2位。 「世界一清潔な空港」「世界一の国内線空港」「世界一バリアフリーな空港」にも選出。 江戸時代、羽田村沖の干潟が水田開発を目的として干拓され、羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町の地名が付けられた。
羽田お台場
江戸防衛のための砲台が設置(羽田お台場)。 干拓地の中に鎮座していた穴守稲荷神社に向けて京浜電鉄穴守線(京急空港線)が建設。 また京浜電鉄が経営する羽田球場があり、周辺には遊園地や海水プールが併設された一大レジャー施設であった。 1917年、玉井藤一郎が日本飛行学校を開校。 多摩川河川敷(主に川崎側)を滑走路として利用。
立川陸軍飛行場
当初、民間航空会社は立川陸軍飛行場を使用、軍民共用のため制約が多く空港を建設。 1931年、東京市蒲田区羽田江戸見町に逓信省航空局管轄の民間飛行場として羽田飛行場(東京飛行場)が開港。 滑走路脇には標識文字「トウキヤウ」が設置。 運賃が高額で乗客がいなかったため、第一便では大連のカフェに送る松虫や鈴虫が乗せられたとか。 初の税関設置飛行場に指定、気象台羽田出張所が開設されて航空気象観測が開始。
立川飛行場
1933年、立川飛行場の民間航空部門が移駐。 1937年、欧亜連絡飛行を行った「神風号」の帰着地に、公認世界記録を樹立する「航研機」の初飛行場所となった。 1939年、国産航空機として初の世界一周飛行に挑んだ「ニッポン号」の発着地。 羽田球場は消滅し、民間飛行場となった。 1941年、海軍航空要員の訓練を行う霞ヶ浦海軍航空隊の一部が分遣隊として移駐、軍用飛行場として使用。
東京国際空港
終戦まで、国内線や同盟国の満州国やタイ王国の他、日本軍が南方作戦で占領した勢力圏とした各地へ向けて、福岡第一飛行場を中継地とし、陸軍の特務航空輸送部が定期便を就航。 1952年、滑走路・誘導路・各種航空灯火等の諸施設がアメリカ軍から日本国政府に移管され、東京国際空港に改名。 世界初のジェット旅客機デ・ハビランド DH.106 コメッとMk.Iが英国海外航空によって初飛来。
遠隔案内ロボット
2020年、日本空港ビルデングは羽田空港第1ターミナルにおいて自動運転車椅子、遠隔案内ロボット、消毒ロボットの3種を導入。 2020年、中華人民共和国が発症とされる新型コロナウイルス感染症の感染拡大からソーシャルディスタンスの確保を目的に導入。
自動販売機
東京国際空港(羽田空港)では秋田、山形、福島、富山、岡山、熊本、福岡の自動販売機が設置。 販売されているのはご当地グルメやグッズなど名産品、特産品が中心。
ディズニー、ハローキティ、ポケットモンスター
東京国際空港(羽田空港)ではミッキー・ミニーでおなじみのディズニーをはじめ、ハローキティ、ポケットモンスターのグッズが販売されている自動販売機が設置。
ヨネスケのこだわり天むす
東京国際空港(羽田空港)で販売されている空弁。 空弁・駅弁を食べつくしたヨネスケのこだわり天むす。 ヨネスケ氏は千葉県市原市出身の落語家でタレント。 高座名は桂米助。 出囃子は「球場へ連れてってヨ(Take Me Out to the Ball Game)」。 師匠は4代目桂米丸。
ヨネスケのこだわり天むす
えび、えび胡椒、ほたて、とり、レンコンの5個入り。 味付けは天つゆジュレ。
東京モノレール羽田空港線の停車駅の一つ。 2004年、東京国際空港(羽田空港)第2旅客ターミナルビルの開業と同時に、羽田空港第2ビル駅として開業。 2020年、羽田空港旅客ターミナルビルの名称変更に伴い、羽田空港第2ターミナル駅に改称。 1959年、大和観光が設立され、日本高架電鉄に商号変更。 1964年、東京モノレールに商号変更。 1965年、名古屋鉄道が東京モノレールの経営から撤退。 1967年、日立運輸株式会社、東京モノレール、西部日立運輸が合併、日立運輸東京モノレール株式会社に商号変更。 1981年、東京モノレール設立。 2010年、羽田空港国際線ビル駅開業。
東京モノレールのモノルン
東京モノレールで活躍するマスコットキャラクター。 2012年、誕生。 出会うと幸せが訪れるという幸せの青い鳥に因み、幸せなことが訪れるように、幸せな気持ち=ルンルンと心が弾むような楽しさ・心地良さ等が感じることができるように、との願いが込められている。 小学生の男の子。 住まいはモノレール沿線。 好きな食べ物は高野豆腐。 好きなものは飛行機。 特技は歌を歌うこと、長い距離を歩くこと。
東京国際空港(羽田空港)第1旅客ターミナルは1993年に供用開始。 大阪国際空港(伊丹空港)・成田国際空港・新千歳空港などのターミナル施設と同様、建物中央部を商業区画「マーケットプレイス」が開業。 ここでは飲食店や雑貨店などが集中する商業施設で構成。 地下1階のフードコートは「東京シェフズキッチン」。 エリアには「マーケットプレイス ガレリア」。
1931年、明治神宮造営残木を拝受、帝国飛行協会理事会で航空神社を建立。 帝国飛行協会飛行館屋上に於いて新総裁梨本宮守正王殿下ご参列のもと靖国神社賀茂宮司斎主となり、鎮座祭執行。 1963、羽田航空神社創設に伴う祭神分霊祭(羽田空港・第1旅客ターミナル1階)。
佃煮・和惣菜、農水産物を中心に製造販売する専門店。 1884年、初代杉原浅五郎が佃煮製造卸売業を創業。
寺格は日蓮宗の大本山。 山号は長栄山。 院号は大国院。 寺号は本門寺。 日蓮宗の十四霊蹟寺院の一つで七大本山の一つにも数えられている日蓮入滅の霊場。 1282年、病身の日蓮は身延山を出て、湯治のために茨城県の常陸に向かった。 道中、当地付近にあった池上宗仲の館に到着し、晩年を過ごした。 池上氏館の背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源。 日蓮の没後、池上宗仲は法華経の字数である69,384に合わせて坪を寺領として寄進、寺院の基礎が築かれた。 鎌倉時代から関東武士の庇護を受け、加藤清正や紀伊徳川家等諸侯も祈願に訪れたとか。
池上法縁五本山
本行寺は池上宗仲の館跡にあたり、日蓮は荼毘に付された。 1276年、池上氏館内の持仏堂が法華堂とされたことに始まる。 1283年、日朗の弟子九老僧の大乗阿闍梨本成院日澄によって本行寺が開創。 また池上法縁五本山の一つにも数えられている。
「お会式桜」と「ひきずり豆腐」
当寺の伝承には「お会式桜」と「ひきずり豆腐」がある。 お会式桜は、日蓮が入滅した時、庭の桜が時ならぬ花を咲かせたと伝えられる。 ひきずり豆腐は、日蓮が池上家に到着した折、宗仲夫妻が差し上げた料理と伝えられる。
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梅園や茶室などがある。 戦前、日本画家の伊東深水の自宅兼アトリエ(月山山荘)であったが、戦災で焼失。 戦後、築地の料亭経営者の邸宅となったが、所有者の没後、敷地は東京都に譲渡された。 ここでは約370本(白梅150本、紅梅220本)の梅が植樹され、大田区では梅の花を区の花に指定している。 その他、ボタンやツツジの花が咲き、年中、花見の見物客でにぎわう。
馬込文士村とは、大正時代から昭和時代にかけて、東京府荏原郡馬込村(現在の東京都大田区の山王、馬込、中央の一帯)を中心に作家や文筆業に携わる多くの文士や芸術家らが暮らしていた地域の呼称。 江戸時代まで農村地帯であったが、1876年に東海道線(京浜東北線)大森駅が開業して以後、別荘地として開発されるようになった。 日夏耿之介、小林古径、川端龍子らが移住し、会合「大森丘の会」を「望翠楼ホテル」で行っていた。 尾崎士郎、萩原朔太郎、川端康成らが移住、特に尾崎士郎の住居は「馬込放送局」と呼ばれた。 1923年、関東大震災が発生し、被災地から移住してきた人で賑わい、住宅地へと変貌を遂げた。 らがいる。
馬込(馬篭)牛洗戸(西一丁目)北向稲荷辺から塚越(西二丁目)の中間に位置していた河原栄蔵氏の所有地に無名塚があった。 当時、周辺に住む住民は観音塚と呼んでいたが、現在、都市開発によって整備されて道路となった。 付近には、行者の岡田将監によって建立された石の観音像が塚上に奉安されていた。 明治時代、河原氏一門の墓地に収容したが、夜になると、河原源六氏の夢枕に立ち、元の所に安置せよと告げたとか。 その後、現在地に遷座させた。
山号は、興正山。 宗派は、浄土真宗本願寺派。 本尊は、阿弥陀如来立像。 1946年、創建。
東京都大田区にある施設。 熊谷恒子氏は、現代女流かな書の第一人者として活躍した人物として知られ、当地では旧居を改装し、記念艦として一般公開されている。 1893年、京都府京都市生まれ。 1914年、熊谷幸四郎と結婚し、東京に移住。 1931年、川北桜嶼、尾上柴舟、岡山高蔭に師事。 1936年、当地に住居を構える。 以後、日本書道美術院理事就任、大東文化大学教授着任、当時の皇太子妃美智子殿下へ書道ご進講を拝命など活躍。 現在、記念館内では作品約170点を所蔵、公開されている。
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東京都大田区の西馬込駅周辺にある桜のプロムナード。 大田区内の歴史や観光などの案内板の設置、休憩所などがある。 ここでは、「馬込の特産物」「大田区の農業の変遷」が紹介。 かつて周辺ではほうれん草、小松菜、きゅうり、なす、にんじんなどが栽培、特にきゅうりの一種「馬込半白節成胡瓜」は1895年から1955年にかけて栽培。 名称の由来は「馬込」特産の「半白」もと(ヘタ)の部分は緑色でその下が色白で、「節成」茎の節ごとに実が成る「胡瓜」に由来。 にんじんの一種「馬込大太三寸人参」は1950年に種苗名称登録された西洋ニンジンの改良種。 「馬込のシクラメン」も改良を重ね、現在も鯖いされている。
住宅街の奥で何やらにぎやかな笑い声が聞こえてきたので近づいてみた。 夜の街に明るい電気が灯り、ここは、地元でも人気の居酒屋のようで奥には多くのお客さんの姿が。 ここでは本格的な日本料理の味を楽しむことができるという地元でも人気のお店の一つ。 早速、中に入り、カウンター席に座った。
お通し
とりあえずは、と生ビールを注文し、お通しと一緒にいただく。
刺身
まずは、新鮮な魚介類を使用した刺身。 真鯛や鱸(すずき)、真蛸、鮪赤身、縞鯵など1人前なのに豪快に盛られた刺身。 一つ一つに名前が書かれ、ワサビと醤油をつけながらビールと一緒にいただく。
天ぷら
茄子やゴーヤなど旬の野菜を使用した天ぷらも豪快。 一つ一つ、違った味の楽しみ方があり、添えられた天つゆとの相性も抜群。
外から店内をのぞいてみると、少々、高級感が漂う雰囲気があった。 思い切って中に入ってみると、そこは焼き鳥の専門店で厨房では焼鳥が焼かれていた。 お客さんからの注文を受け、目の前の厨房で一本、一本、焼鳥が丁寧に焼かれ、お客さんのお皿に盛るというシステム。
お通し
カウンター席に座り、とりあえずは、と生ビールを注文し、お通しと一緒にいただく。 さっぱりとした食感が特徴のお通しで、ビールもすすむ。 皮やつくね、もも、ねぎまなどの一般的な焼き鳥に加え、丼も味わうことができる。
笹身漬け丼
この中で気になった笹身漬け丼をいただく。 焼き鳥の具材としても使用される笹身の美味しくて柔らかい食感とごはんがよく合うので、食も進む。
デザート
お腹もいっぱいになったし、ぼちぼち帰ろうとする頃、奥から出てきたのはデザート。 これもサービスに含まれているようで、ぺろりといただく。
北海道産の食材を使用した創作イタリアンとして人気を集めている。
本格派
店内はカウンター席とテーブル席がある。 ここではイタリアン中心であるため、ピザは注文を受けてから焼くという本格派。
イタリアンハイボール
今回はザクッと楽しみたかったので、お通しとイタリアンハイボールから。 イタリアで古くから愛されてきたリキュール「カンパリ」。
お通し
お通し
炭焼きステーキ
焼き立て熱々の鉄板でいただく炭焼きステーキをつまみに。
ここは、丸鶏料理と水炊き鍋が美味しいと評判で、お品書きももも肉の素揚げや胸肉の素揚げをはじめ、鶏皮せんべい、チキン南蛮などが並ぶ。
お通し
お通し。
チキン南蛮
ビールなどアルコールとも相性も抜群。
刺身
刺身も味わう。
焼鳥
ねぎまやせせり、梅焼きなど。
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