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熊沢蕃山先生「八塔寺農兵制度」実践の地周辺のおでかけプラン
熊沢蕃山先生「八塔寺農兵制度」実践の地周辺の人気スポット
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八塔寺ふるさと村
熊沢蕃山先生「八塔寺農兵制度」実践の地より約120m(徒歩2分)
木造建築など古い町並みが特長の村。 728年、聖武天皇の勅願により弓削道...
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八塔寺ふるさと館
熊沢蕃山先生「八塔寺農兵制度」実践の地より約540m(徒歩9分)
周辺の八塔寺ふるさと村や八塔寺ふるさと農園などの観光案内や情報発信、レス...
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望ヶ丘レストラン&キャンプ場
熊沢蕃山先生「八塔寺農兵制度」実践の地より約200m(徒歩4分)
うどんやそば、カレーなどを味わうことのできるレストラン。 店内はテーブル...
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恵日山高顕寺
熊沢蕃山先生「八塔寺農兵制度」実践の地より約190m(徒歩4分)
宗派は高野山真言宗。 山号は恵日山。 本尊は不動明王像・毘沙門天像、日輪...
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八塔寺ふるさと村民俗資料館
熊沢蕃山先生「八塔寺農兵制度」実践の地より約290m(徒歩5分)
茅葺きの民家を移築して保存され、展示。 江戸時代から続く農家としての民具...
江戸時代、和気郡八塔寺は備前・美作・播磨三国の接点に在り、国境警備の要衝であった。
熊沢蕃山は知行地であったこの地に自ら数十人の武士を連れ、農業に従事させたという。
平時には農民とともに田畑を耕し、有事の際には国境の警備にあたるという農兵制度を実践。
熊沢蕃山は陽明学者として活躍した。
1619年、京都稲荷(京都府京都市下京区)に住む父・野尻藤兵衛一利と母・亀女の長男。
通称、左七郎、次郎八、助右衛門、又息遊軒。
1634年、丹後国宮津藩主京極高広の紹介で、輝政の孫で備前国岡山藩主池田光政の児小姓役として出仕。
滋賀県高島市に帰郷していた中江藤樹の門下に入り陽明学を学ぶ。
2021年8月2日