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チョコレート♪チョコレート♪チョコレートは?
まいどまいど! テレビコマーシャル「チョコレート♪チョコレート♪チョコレートは・・・」でおなじみのチョコレートの看板が大阪府高槻市におまっせ。 JR西日本東海道本線の車窓からでもはっきり見えるチョコレートをモチーフにした大きな看板は高さ28m、幅166mでビルの8階から9階建てに相当するといい、ギネスに認定されましてん! ほんでんまた、ここでは菓子の製造工場となっているさかい、製造現場の工場見学が体験できる他、チョコレートとカカオの展示を中心とした展示ホールも併設され、楽しむことができまっせ。 その他、山々に囲まれた自然豊かな場所に位置する摂津峡公園も人気を集めてはりまんな。 川のせせらぎはもちろん、四季折々の景色を堪能することができまっせ! せやさかい、キャンプやハイキングなど楽しみ方は様々。 摂津富田駅周辺では、昔ながらの雰囲気が漂っていて、そのなかでぽつんと佇む一軒の酒蔵は当時の面影をとどめつつ、当時の雰囲気を楽しむことができまんねん。 古墳では普段、立ち入ることのできへん古墳の内部を実際に歩くことができたり、ハニワ工場公園ではハニワ製造工場の跡地を散策できたりもできまっせ。
プーさんの三ツ星グルメ
商業施設のジョイフルとんだ前に設置された自動販売機。 高槻や茨木、吹田、豊中、箕面を中心とする大阪府内のランチやディナーを紹介している人気ブログ「プーさんの満腹日記」を運営する関西の食ブロガー・プーさんが厳選したグルメを買える自販機。 メニューはウナギやハンバーグ、スパイスカリー、チーズナンなど。
生搾りオレンジジュースマシン
商業施設のイオンフードスタイル 摂津富田店内にある自動販売機。 Feed ME Orange は、1杯に3個から4個程度のオレンジをまるごと使用しているといい、その場で搾るとか。
ヒナタ 摂津富田駅前店
焼鳥や唐揚げ、チキン南蛮などを味わうことができる居酒屋。 店内はカウンター席とテーブル席があり、テイクアウトも可能。 2020年、開業。 メニューは焼鳥の単品の他、焼鳥丼やお弁当も。
常見寺
宗派は浄土真宗本願寺派。 清和源氏や利井七郎隆房が浄空法師として利井坊を建立したのが始まり。 1595年、本願寺十一世顕如の薦めで、利井常見寺となった。 境内には僧侶養成・仏教勉学のための専門学校「行信教校」があり、空華学派の一大拠点としても知られる。 設置学科は学院部、教校部で、真宗学及び仏教学を学ぶ。 1882年、本照寺境内に設立。 1886年、常見寺境内に移転。
富田商業協同組合
西日本旅客鉄道東海道本線の停車駅の一つ摂津富田駅と阪急電車京都線の富田駅前にある商店街。 飲食店や居酒屋、雑貨店などが立ち並ぶ。 また、富田駅やその周辺の歴史や文化を紹介した案内板も点在。
清蓮寺
宗派は浄土宗。 かつて当地には念仏堂があった。 1584年、地震で被災し、富田酒の蔵元・紅粉屋の祖清水利重が再建。 開山は顕誉良閑を大山崎の大念寺から迎えた。 1872年、富田子安地蔵尊は三輪神社の三輪大明神として鎮座していたが、神仏分離令により安置。 境内の若水處士之墓は入江若水(兼通、子微、釣隠)による。 入江若水は清水家の一族とて酒造業を営んでいたが、都嵐山に隠棲。漢詩を学び、諸国を巡った荻生徂徠の門人。
蓮如上人御旧跡の碑
室町時代、浄土真宗の僧として活躍した蓮如は1415年、京都東山の大谷本願寺に生まれた。 本願寺を継ぎ、近江国(滋賀県)布教に乗り出したが、比叡山衆徒によって本願寺が焼失。 1471年、越前国(福井県)に坊舎を構えたが武士の争いなどが頻発して退去。 河内国出口(枚方市)を拠点に布教活動を展開。 1476年、当地で布教拠点を展開し、八男の蓮芸が教行寺「富田御坊」を発展させ、周辺が寺内町となった。
浄土真宗本願寺派 富寿栄山 本照寺
宗派は浄土真宗本願寺派。 山号は富寿栄山、富山。 別名、富田御坊。 本尊は阿弥陀如来。 1427年、本願寺第7代法主存如(蓮如の父)により光照寺として建立。 1532年、天文の錯乱により、一時荒廃。 寛正の法難で延暦寺によって大谷本願寺を破却された本願寺8世蓮如を宥めるため、管領細川勝元がこの地に寺地を与えて京都から立ち退かせようとした。 蓮如は富田荘の光照寺に一時滞在、教行寺を建立。 以後、富田は本願寺門徒が集まった。 1646年、本照寺と改称。 教行寺と共に北摂の西本願寺系寺院を取り纏める中本山となる。
東海道五十三次の川崎宿のかつてをぶらぶら
まいどまいど! 江戸時代、宿場町「川崎宿」としての賑わいを見せた神奈川県川崎市川崎区。 ここは江戸時代に整備された五街道の一つ「東海道」で宿場を指す「東海道五十三次」の2番目の宿場として知られてまんねん。 東海道は東京・日本橋を起点に品川宿があり、遠くは京都・大坂までを結んでまんねん。 1623年に川崎宿が設置されるも問屋場などが窮状に陥り、1632年には宿役人が幕府へ廃止を訴えた。 伝馬の負担が引き上げられ、財政がさらに困窮。 問屋で名主、本陣の田中休愚は、幕府に働きかけを行い、川崎宿の再建に奮闘。 本陣は田中本陣・佐藤(惣左衛門)本陣・惣兵衛本陣があったが、アメリカ合衆国の外交官、初代駐日本アメリカ合衆国弁理公使のタウンゼント・ハリス氏が宿泊の際、荒廃のため万年屋に変更する事態になったとか。 旅籠は72軒を数え、飯盛女(飯売女)を置く「飯売り旅籠」も集中。 当時はかなりの賑わいを見せていたことがうかがい知ることができまんな。 現在は繁華街となり、日本初の「3D飛沫可視化システム」による気流・飛沫シミュレーションを実施しているカワスイ 川崎水族館、商業施設や商店街が密集してまっせ。
川崎ルフロン
ショッピングセンター。 地上10階、地下2階として開業。 1988年、西武百貨店と丸井、専門店で構成する商業施設として開業。 2004年にヨドバシカメラが出店。 2020年、リニューアル。 屋上にはフットサルコート「銀座deフットサル川崎ルフロンスタジアム」がオープン。
カワスイ川崎水族館
日本初の「3D飛沫可視化システム」による気流・飛沫シミュレーションを実施している水族館。 2020年、川崎市内では初めてとなる水族館開館として開館。 日本初の駅前商業施設内の水族館。 テーマは 「世界の美しい水辺」。 多摩川やアジア、アフリカ、アマゾンの熱帯雨林などの世界各地の環境に暮らす生き物を展示。
アゼリア
1986年、JR川崎駅東口駅前広場、東口バスターミナルの地下に地下街として開業。 日本国内の地下街では大阪府大阪市のクリスタ長堀、東京都中央区の八重洲地下街に次いで3番目の規模を有する。 2016年、グランドオープン。 名称「アゼリア」の由来は、西洋ツツジの英名でツツジが川崎市の市花であることから。
川崎駅前タワー・リバーク
1994年、竣工。 かつて周辺には老朽化した店舗兼住宅などが混在した。 外装はガラスカーテンウォール。 飲食店や川崎市立川崎図書館、川崎市立アートガーデン川崎などがある。
銀柳街
東日本旅客鉄道と京浜急行電鉄の川崎駅・京急川崎駅前にある商店街。 1935年、河川「古川」が埋め立てられ、失業者の再雇用を目的に商店街が作られた。 1945年、第二次世界大戦の空襲により、川崎市街地は焦土化。 戦後、柳が数本植えられた。 それを見た人々は、空襲の苦しみに耐えながらも生活をしている自身と、大雪にも負けない柳とを重ねた。 深く美しい光を意味する銀を合わせ、この商店街を「銀柳街」と名付けた。 1991年、アーケードが設置されていたが、ステンドグラスを採用、開閉式。
川崎銀座街
東日本旅客鉄道と京浜急行電鉄の川崎駅・京急川崎駅前にある商店街。 商店街には約30の店舗が立ち並ぶ。 ほぼ毎週末ストリートライブが行われ、県内外から多くのアーティストが出演している。 毎年10月、イベントが開催され、ストリートライブや各店舗でのワゴンセールも。 1935年、河川「古川」が埋め立てられ、失業者の再雇用を目的に商店街が作られた。 1945年、第二次世界大戦の空襲により、川崎市街地は焦土化。 川崎銀星座をはじめとする川崎映画街(銀映街)の活況によって、大いににぎわった。 1927年に小美屋百貨店(旧小美屋呉服店)、1955年に岡田屋の百貨店、1956年にさいか屋が開業。
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