みかんの出身地・海ニャンと遊ぶ海南
和歌山みかんの出身地・海ニャンと遊ぶ海南
まいどまいど! 日本のみかんで有名な場所の一つ和歌山県海南市。 市内にはミカン発祥の地として名高い橘本神社が鎮座しており、4月第1日曜日に催行される全国銘菓奉献祭(菓子祭)では、みかんが菓子として好まれたことに因んで菓子屋の商売繁盛を祈願するとも。 全国的には菓子の神として信仰を集めているという。 そもそも第11代垂仁天皇は田道間守に不老長寿の霊菓を探すことを命じたといい、常世の国(異世界・理想郷とも)に渡り十余年の辛苦の末に非時香菓「橘」を持ち帰ったとか。 市内各所にはみかんにまるわる地ビールやお菓子などが販売され、観光客に人気のお土産ともなってまんねん。
海ニャン 和歌山県の海南市内を中心に活躍するマスコットキャラクター。 2017年、第1回かいなんお菓子まつり「海南の町がお菓子のはぢまりの地」をきっかけに誕生。 性別は女の子。 好物はお菓子。 特技は肉きゅうパンチ、餅投げ。 特徴は「うみにゃん」と呼ぶとふくれてしまう。 走るのが苦手で、のし飴のしっぽ。 休日は橘の木の下で、ひなたぼっこで過ごすとか。 好きな場所は橘本神社。
みかんクッキー
オカザキ紀芳庵が製造販売するクッキー。 原料のみかんは和歌山県産の有田みかんを使用。
みかんロールケーキ
オカザキ紀芳庵が製造販売するロールケーキ。 原料のみかんは和歌山県産の有田みかんを使用。
有田みかんエール
アオキヤが製造販売する地ビール。 原料のみかんは和歌山県産の有田みかんを使用。
西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線の停車駅の一つ。 1916年、野上軽便鉄道(野上電気鉄道)の停車駅として開業。 1924年、日本国有鉄道紀勢西線の日方町駅が開業。 1929年、京阪電気鉄道和歌山線(南海和歌山軌道線)内海駅(海南駅前駅)が開業。 1936年、日方町駅が海南駅に改称。 1971年、南海和歌山軌道線海南駅前駅と和歌浦口駅間が廃止。 1987年、国鉄分割民営化によりJR西日本の駅となる。 1994年、野上電気鉄道の全線廃止。 第1回近畿の駅百選に選定 紀州漆器の職人により製作された漆塗りの駅名板が、駅出入口付近に設置。
西日本旅客鉄道紀勢本線の海南駅構内にある施設。 海南市内の観光案内や情報発信などを行っている。 また黒江の漆商品や紀州産の棕櫚たわし、地酒など地域の名物や特産品を販売。 その他、レンタサイクルも。
祭神は菓祖・田道間守、熊野坐大神。 菓子の神として信仰を集めている。 第11代垂仁天皇は田道間守に不老長寿の霊菓を探すことを命じた。 常世の国(異世界・理想郷とも)に渡り十余年の辛苦の末に非時香菓「橘」を持ち帰るも(一説では中国とも)、天皇は既に崩御。 田道間守は落胆し、その陵に橘を捧げた。 これが日本で最初に移植されたの橘本神社旧社地「六本樹の丘」とされる。 橘は現在のミカンの原種にあたり、品種改良を重ねて現在のミカンとなった、つまり、ミカン発祥の地とも。 1158年、白河法皇は熊野行幸の際、当社で一夜を明かした。
みかん祭
1687年、紀州藩主徳川光貞が社殿の修繕を行った。 毎年10月10日の例祭は「みかん祭」が開催される。 祭神の田道間守が日本にみかんをもたらしたことに因む祭事。 4月第1日曜日に催行される全国銘菓奉献祭(菓子祭)は、みかんが菓子として好まれたことに因んで菓子屋の商売繁盛を祈願。
宗派は高野山真言宗。 山号は岩屋山。 院号は金剛寿院。 本尊は千手千眼観世音菩薩。 開基は弘法大師。 本尊「千手千眼観世音菩薩」は、唐へ渡る直前の弘法大師が「旅立の観音 厄除の観音 雷除の観音」と3つのご請願を立て安置。 江戸時代、紀州徳川家の初代藩主 徳川頼宣によって、紀州藩主の祈祷所「求聞寺堂」を建立。 境内には滝の裏から見物できる「裏見の滝」や、「天狗の手形も」。
菓子の神として信仰を集めている田道間守。 第11代垂仁天皇は田道間守に不老長寿の霊菓を探すことを命じた。 常世の国(異世界・理想郷とも)に渡り十余年の辛苦の末に非時香菓「橘」を持ち帰るも(一説では中国とも)、天皇は既に崩御。 田道間守は落胆し、その陵に橘を捧げた。
六本樹の丘
これが日本で最初に移植されたの橘本神社旧社地「六本樹の丘」とされる。 橘は現在のミカンの原種にあたり、品種改良を重ねて現在のミカンとなった、つまり、ミカン発祥の地とも。
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熊野九十九王子の中の一つにあたる所坂王子の旧址。
所坂王子
1907年、神社統合令によって塔下王子、橘本王子、みかんと菓子の祖神田道間守その他の社祠を合祀。
静岡県浜松市中央区と和歌山県和歌山市とを結ぶ国道42号の道の駅。 和歌山県内の道の駅では36番目、海南市では初。 「サクアス」という名の由来は、さかなの「サ」、くだものの「ク」、あそびの「ア」、多くの人が集まる「巣」を組み合わせたもの。 また同時に「咲く明日」、明るい未来のイメージをもつ言葉としてこの名前が選定。 施設内では海南市内の観光案内や情報発信などを行っている。