
「火垂るの墓」ゆかりの地。日本酒の名産地・東灘区と灘五郷
兵庫「火垂るの墓」ゆかりの地。日本酒の名産地・東灘区と灘五郷
まいどまいど! 第二次世界大戦での体験を描いた「火垂るの墓」の舞台ともなった兵庫県東灘区。 ここでは、豊かな水源に恵まれ今も昔も日本酒の名産地としても名高い。 古くから兵庫県西宮市と神戸市を中心とする西宮郷、今津郷、魚崎郷、御影郷、西郷は、灘五郷と呼ばれ、「灘の生一本」で知られる日本酒の生産地。 かつては伊丹・池田が代表的な酒処でおましてんけど、江戸時代、当時の技術では品質を落とさずに江戸まで酒を輸送するには困難やったさかい、輸送所要日数が短縮可能な灘地区が主流となり、絞油業も賑わいを見せたという。 環境省のかおり風景100選にも選定。 現在、酒蔵が立ち並ぶ酒所としてだけやなく、日本酒の製造工程や製造に必要な備品の展示、歴史の紹介などを行っている酒蔵博物館が開設され、見学することもできまんねん。 さらに一部では、お土産の販売や利き酒のコーナーもおまして、日本酒を楽しむ人もぎょうさんいたはりまっせ。 特に、灘五郷は駅からも近く、駐車場も完備。 徒歩で、多くの酒蔵をめぐる人やバスツアーで当地を訪れる人など、灘五郷の楽しみ方は様々。
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西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線、神戸新交通六甲アイランド線の停車駅の一つ。 1874年、日本国有鉄道の停車駅として開業した。 英国風の赤煉瓦を用いた駅舎であった。 当初、周辺は酒造地帯であったことから「汽車の煙のすすで酒が腐る」といった一種の鉄道忌避運動があったとか。 1912年、移転。 1990年、神戸新交通六甲アイランド線の停車駅として開業した。 1995年、阪神・淡路大震災が発生し、当駅を含む区間は運転見合わせとなった。 一時的に大阪方面からの終端駅となったため、当駅で折り返し運転を行った。 1997年、JR西日本の標準接近メロディ「さざなみ」を導入。
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神戸新交通
略称は新神交、KNT、新交通、ポートライナー、六甲ライナー。 兵庫県の神戸市内で新交通システム路線を日本で唯一で2路線、運営。 1977年、設立。 1981年、ポートアイランド線が開業。 日本初の実用的な新交通システム及び世界初の自動列車運転装置による自動無人運転方式を採用した。 1990年、六甲アイランド線が開業。 特徴としてゴムタイヤの車輪を使用して高加速・高減速性能を持つ。
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山号は、常住山。 院号は極楽院。 また、当地にゆかりのある作家の谷崎潤一郎の歌碑が建立。 1936年から1943年までの間、住吉村反高林の「倚松庵」に住み、「細雪」を執筆。
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住吉村役場・住吉小学校発祥の地
旧住吉村は、兵庫県武庫郡にあった村で当地の前身にあたる。 1889年、町村制の施行により、菟原郡住吉村が魚崎村の飛地を編入、阿彌陀寺茶堂に村役場を置いた。 1896年、武庫郡に変更。 1873年、住吉尋常小学校の前身にあたる住吉小学校は学制発布により、阿彌陀寺本堂を仮校舎として開校。 1903年、現在の住吉幼稚園敷地に校舎を新築し、住吉尋常小学校と改称。
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祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命(住吉三神)、神功皇后、天児屋根命、大山津見命。 神功皇后による三韓征伐からの帰途、船が進まなくなり、神託により当地に住吉三神を祀った。 住吉三神鎮祭の根源とされ、古くから「本住吉」と呼ばれている。 付近は西国街道(国道2号)、有馬道(別名、有馬街道、住吉有馬道)がある。
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有馬街道
別名、有馬道、湯山(湯乃山)街道、魚屋道、住吉道。 「湯山」とは有馬温泉の別名で、有馬温泉の場所が摂津国有馬郡湯山村であったことに由来。 有馬街道は大阪または神戸から有馬温泉までを結ぶ街道の一つで、兵庫県道15号神戸三田線の別称。 尼崎・神崎、伊丹・伊丹、宝塚・小浜、西宮・生瀬を経由、天皇や貴族、武家が往来した。
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有馬街道
羽柴秀吉は兵庫県三木市の三木城攻め(三木合戦)の折、有馬温泉から三木までを整備し、姫路から京都への最短ルートとなった。 魚問屋が有馬温泉の宿に魚を卸す際、六甲山を越えるルートで魚も運搬した。 1874年、山道「天王谷越え」と呼ばれていた。
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2010年、愛知県名古屋市で創業。 油そばとは、スープのないラーメンの一種で、どんぶりの底に入ったごま油や、しょうゆベースのタレに、ラー油、酢などの調味料を好みでかけ、麺に絡めて食べる。 代表的な具はメンマ、チャーシュー、ネギなど。 別名、「もんじゃそば」、「まぜそば」、「手抜きそば」、「あぶらーめん」などと称する。
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油そば
油そば並盛、チャーシュー丼、ワンタンスープのセット。
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2013年、旧東灘区役所跡地に開設。 住吉を代表する伝統文化の一つ「だんじり」を主に取り扱う。 西區の先代だんじりの展示をはじめ、各地区の法被やミニチュアだんじり、西區の立体刺繍飾幕、吉田區の江戸時代に作られた二丁鐘、茶屋區の改修前のだんじりの破風(はふ)や山田區のつくコマが展示されている。
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中高一貫教育の私立男子中学校・高等学校。 1928年、酒造業を営む嘉納治郎右衛門(菊正宗)、嘉納治兵衛(白鶴)、山邑太左衛門(櫻正宗)によって設立。 学校法人灘育英会として開校。 白鶴嘉納家の縁戚にあたり講道館柔道の創始者で東京高等師範学校(東京教育大学・筑波大学)やその附属校(筑波大附属中・高)等の学校長職を務めた嘉納治五郎が顧問として参画。 治五郎は柔道の精神として唱えた「精力善用」「自他共栄」を校是とした。 初代校長は東京高等師範学校の数物化学科卒業の眞田範衞が就任。
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設立当初
眞田は「教育の方針」を定め、自ら校歌・生徒歌も作詞。 設立当初から官公立中学(国公立高校)以上を目指して学力向上に力を入れ、学力別にA・B・C・Dという学級分けに。
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特徴
東大合格者数トップの都立日比谷高校を抜き、国立及び私立校初の東大合格者数首位となった。 特徴は体育とは別に柔道の時間が週に1時間ある。 現在、制服の着用義務が無く、明文化された校則を有せず、風紀については生徒の良識に委ねる等、自由な校風が特徴。 遠足など、校外行事においては現地集合、現地解散が慣習。 東京大学、京都大学、大阪大学など全国屈指の進学実績を誇る。 現在、本館は国の登録有形文化財に登録。
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別名、細雪の家。 作家・谷崎潤一郎の旧居で歴史的建造物。 代表作「細雪」を執筆していたことから、「細雪の家」とも。 庵号は夫人の名前「松子」に因む。 1929年、和風木造建築として建設。 谷崎潤一郎は1936年から1943年までの間、居住。 当時の家主は極東選手権競技大会サッカー日本代表の後藤靱雄であったとか。 1990年、現在地に移築。 また、「倚松庵」と呼ばれる家は6軒存在した。 1階には、応接間(洋間)、西の部屋(洋間)、和室、和室、風呂、台所。 2階には、「幸子の部屋」(「細雪」に登場する二女「幸子」=松子夫人=の部屋) 、「悦子の部屋」、「こいさんの部屋」。
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阪急電鉄神戸線の停車駅の一つ。 1920年、阪急電鉄の前身にあたる阪神急行電鉄神戸線開通と同時に開業。 1943年、会社合併により京阪神急行電鉄の駅となる。 1973年、社名変更により、阪急電鉄の駅となる。 1995年、阪神淡路大震災により被災。 その後、復旧。
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祭神は伊弉冉尊(那智大社)、事解之男命(本宮大社)、速玉之男命(速玉大社)を祀り、「根本熊野三所大神」と総称。 天照皇大御神・素佐男尊を配祀。 シンボルは八咫烏。 神功皇后の三韓征伐からの帰途、忍熊王が挙兵、この地で弓矢・甲冑を納めて熊野大神に戦勝を祈願。 弓矢・甲冑を納めたことから、山を「弓弦羽岳」「武庫山」(「六甲山」)と呼ぶようになった。 800年頃、弓弦羽の森が神領地と定められ、社殿を造営し遷座。 17世紀、周辺で酒造家の創業が相次ぎ、造酒・回船業の氏子を集め繁栄。 1995年、パブリックアート「神戸ルーツ」が現代美術家八木マリヨの提唱で制作。
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鎮魂の送り火
全国から集められた一万着の古着を束ねて縄にして、拝殿の正面に直径1m、高さ8mの縄が垂直にたてられた。 震災復興祈願祭の際、「鎮魂の送り火」として拝殿の正面に垂直に立てられたまま燃やされた。
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サッカーボール
近隣の御影師範学校で日本初のサッカーチームが編成され、境内に御影石製のサッカーボールが設置。 神戸を本拠地とする女子サッカークラブINAC神戸レオネッサが必勝祈願を行う。
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絵馬
2011年、フィギュアスケートの羽生結弦選手が、ファンからのお守りで自身と名前の似た当社の存在を知って参拝。 ソチオリンピックでの羽生の活躍を祈願しての絵馬が多数かけられ、金メダルを獲得した直後には参拝者が20倍になったとも。 神社に奉納される絵馬の多くは羽生選手の必勝祈願とも。
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1934年、東洋古美術を中心とした美術館として開館。 嘉納財閥の白嘉納家(白鶴酒造創業家)7代目当主嘉納治兵衛の収集品を展示。 7代目嘉納治兵衛は奈良興福寺の執事で鶴堂、鶴庵、鶴翁等と号した茶人。 古美術を扱う中村家(中村尭圓の四男、中村雅真は兄)出身、嘉納家の婿養子。 少年時代、奈良の博物館で正倉院宝物の展覧があると臨時の守衛をした。 収蔵品は奈良の社寺伝来品、仏教美術、中国の青銅器、銀器、陶磁器等。
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登録有形文化財登録
建物は登録有形文化財登録。 1995年、開館60周年を記念して日本初のカーペットミュージアム「絨毯美術館」を開設。 10代目嘉納秀郎が収集した中近東の絨毯の他、アフリカの仮面、彫刻を展示。
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お土産の販売や利き酒のコーナーも。
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吟醸工房
酒蔵の酒造りの工程を見学できる。
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櫻正宗の歴史とともに歩んできた酒造道具、看板や酒瓶やラベルなどを展示している。 お土産の販売や利き酒のコーナーも。
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国の重要有形民俗文化財に指定された酒造資料を展示。 お土産の販売や利き酒のコーナーも。
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白鶴酒造の酒蔵が博物館となった酒造資料館。 1910年代、建造。 お土産の販売や利き酒のコーナーも。
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人型ロボット「Pepper」
ソフトバンクが開発したPepperが白鶴で案内役として登場。 ここでは、日本語・英語・中国語の3言語を使い白鶴酒造資料館や商品について説明している。
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1751年、清酒の醸造を始めた。 テーマは、「旬の酒と肴」とする料亭「さかばやし」、量り売りでの販売を行っている「東明蔵」などがある。 ブランド「福寿」は七福神の一人である福禄寿に由来する。
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甲南漬、魚介類粕漬、薬膳漬物など各種漬物、調味料、佃煮類、神戸土産品などを販売する。
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美味伝承甲南漬資料館
1930年に建設された建物は国登録有形文化財。 奈良漬の歴史や奈良漬の主原料である酒粕の主な産地、灘五郷との関わりを説明する資料や嶋酒類食品株式会社の歴史やみりん作りに関する道具を展示。
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東灘区と灘区を流れる石屋川沿いに整備され、遊歩道や公園がある。 石屋川は標高931mの六甲山系の一つで標高376mの坊主山を源流とする二級水系の本流。 かつて六甲山から切り出された御影石を加工する石材屋が川沿いに軒を連ねたことから石屋川と名づけられたとか。 急流であるため、古くから度々氾濫を起こし、阪神大水害など大きな水害をもたらしてきた。 その他、石屋川沿いには西日本旅客鉄道の前身にあたる日本国有鉄道の石屋川隧道が存在した。 現在、住吉駅と六甲道駅間に石碑が建立されている。
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火垂るの墓
また、野坂昭如氏が描いた原作「火垂るの墓」では石屋川が登場し、石碑が建立されている。 「火垂るの墓」では1945年の神戸大空襲の際、主人公である清太と節子が立っていた場所が石屋川の堤防とされ、空襲直後の焼け野原に残っていたのが御影公会堂であるとされる。 御影公会堂は阪神大水害をはじめ、太平洋戦争、阪神淡路大震災など多くの苦難を乗り越えてきた歴史的建造物として注目を集めている。
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1976年まで存在した鉄道トンネル。 1871年、大阪と神戸とを結ぶ日本で2番目の鉄道を敷設する際、現在の住吉駅と六甲道駅間に日本で初めての鉄道トンネルが竣工。 当時、車両は勾配に弱かったことから、芦屋川、住吉川、石屋川のそれぞれにトンネルを開削。 1874年、鉄道開通で供用を開始。 イギリスの技術を元に水流を仮の木橋で変え、川を取り崩した。 そこにレンガを積みトンネルを組み立てた後、再び川を埋めるという開削工法であった。
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1976年まで
1894年、東海道本線が全通、輸送量の増加にあわせ同線の複線化が決定する。 トンネルの下半分を掘り下げ、垂直にする工法であった。 1919年、複々線化に対応するための工事開始に伴い、トンネルは解体、水路橋となった。 1976年、高架化のため、埋め立てられた。
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祭神は、菅原道真、別雷大神、蒼稻魂大神。 創建時期など詳細は不明となっている。 当初、御影山手の天神山にある祭壇地に祀られていた。 中世、現在地に遷座。 茨城国造の天道根命は天神山に別雷神を祀ったがはじまり。 後に天津彦根命に伝えられて子孫代々、祭祀を司っていたとか。 菅原道真は讃岐守として任地に赴く道中と昌泰の変によって大宰府へ左遷された道中の2度、参拝。 後堀河天皇の時代、道真の九世孫にあたる菅原善輝は太宰府の神官に任ぜられた。 筑紫に赴く途中、参拝に訪れて道真公ゆかりの地として社殿を建立し、石の上に綱を敷いてお迎えした由緒をもって「綱敷天満宮」と社名を定めた。
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綱敷天神御神像
境内には綱敷天神御神像が建立されている。
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綱打祭
綱打祭は特殊神事の一つ。 別名、八色雷公、綱打神事。 別雷大神縁起に伝わる特殊神事では天道根命の旧記に基づき、1186年よりはじまる。 氏子の代表者は小綱36本(閏年は37本)を十二本ずつ三束にして縒り合わせて大綱を作り、注連柱に三巻き半に巻くように張り渡す。 8本の白矢を突き刺し、多くの榊葉を束ねて下に吊し、御幣と麻緒を付ける。
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綱打祭
大綱は龍を表現、8本の白矢は八色雷公を意味、諸々の災いを除き、榊葉等は罪穢を祓い清める。 この注連柱全体が祓具で、ここを潜り抜ることによって一年間の無病息災を願う。 現在、1月8日から9日までの2日間、かみなり厄神と称して、厄除や家内安全など無病息災を願う神事が行われている。
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1929年、兵庫県神戸市に本社を置く日本酒を中心とした各種酒類の製造・販売を行っている白鶴酒造の嘉納治兵衛の寄付により建設を計画。 1933年、大林組により建設され、竣工。 設計は清水栄二。 1945年、神戸大空襲により神戸・御影やその周辺は焦土と化し、公会堂も一部を被災。 1947年、御影幼稚園が再開。 1951年、幼稚園が移転。 1953年、修繕・改修を開始し、使用を再開。 大ホールは約1000人が収容できる神戸市最大の集会施設であった。 1957年、結婚式場が設置され、最盛期には年間1100件の挙式があったが、1983年に閉鎖。
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嘉納記念館
1995年、公会堂を改修して柔道の殿堂「嘉納記念館」とする計画を立案したが阪神淡路大震災が発生し、避難場所として活用されたため、嘉納記念館構想はなくなったとか。 2017年、リニューアルオープン。
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御影郷土資料室・嘉納治五郎記念コーナー
地下には御影郷土資料室・嘉納治五郎記念コーナーが設置。 資料室では神戸・御影を中心とする歴史や文化を中心に展示して公開。 また、寄付をした白鶴酒造の嘉納治五郎記念コーナーでは白鶴酒造との歩みや人物像を展示して公開。 2013年、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選出。 御影公会堂食堂は建設当時から営業を続けている老舗の洋食店。 国の登録有形文化財に登録。
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明石だこと海老の天むすの弁当には明石ダコ天、海老天、きゃらぶき。 淡路屋は1903年に創業。 兵庫県神戸市は駅弁の発祥の地としても知られ、1877年に神戸駅で駅弁が販売された。 淡路屋は明治時代、大阪・曽根崎新地で料亭「淡宇」として営業していたが、1903年に駅弁屋を始めた。 当時の阪鶴鉄道(西日本旅客鉄道福知山線)での構内営業が認められた。 大阪駅に拠点を置き、大阪と福知山間で弁当の車内販売を始めた。 以後、池田駅、有馬温泉の玄関口である生瀬駅などでも駅弁を販売。
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1992年、スターウッド・ホテル&リゾートの一つとして知られ、21階建て高層ホテルとして開業。 専用クラブラウンジへのアクセスが付いたクラブフロア、女性専用のレディースフロア、スパフロア、レストラン、ラウンジバー、プール、フィットネスクラブ&リラクゼーションサロン、神戸六甲温泉「濱泉」、スパ&ウェルネスなどで構成。 1997年、神戸ファッションプラザが開業後、2018年に閉業。 当初、「神戸ローザンヌホテル」、「神戸ファッション美術館」、シネマコンプレックス「MOVIX 六甲」、専門店街「Rink」があった。
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その他
神戸ファッション美術館は、ファッションをテーマにした日本初の美術館として1997年に開館。 また、素材、色彩、装飾、歴史、デザイナー、社会、メディアのカテゴリで服飾講座を開講。
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ラーメンやカツ、天ぷら、串などを味わうことができる居酒屋。 店内はカウンター席とテーブル席があり、テイクアウトも可能。 ランチの時間帯には単品や定食も。
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JBL2・兵庫ストークスのホームアリーナで、プロボクシング会場などがある複合商業施設。 1991年、ファッション産業の中核施設の一つとして開業。 施設内ではショッピングフロア、ファッションビジネスフロア、IT・ビジネスフロア、イベントスペースで構成。 また、館内には美術館のシルクロード絨毯ミュージアムがある。
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ファッションをテーマにした日本初の美術館として1997年に開館。 また、素材、色彩、装飾、歴史、デザイナー、社会、メディアのカテゴリで服飾講座を開講。
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2007年、開館。 神戸に所縁ある近代から現代の芸術家を主とする神戸市所蔵の作品を展示。
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神戸市の六甲アイランドやその周辺の観光案内や情報発信などを行っている。
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ちくわやかまぼこなどを販売するカネテツデリカフーズが運営する販売店・体験工房。
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てっちゃんに会いに行こう
ちくわやかまぼこ、天ぷら、カネテツデリカフーズのキャラクター「てっちゃん」のグッズを販売。
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記念撮影も
ちくわやかまぼこの手作り体験施設も併設。
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かまぼこをお土産に
この日は対象商品の蒲鉾が袋に詰め放題。 「だるま」の絵と「合格」と書かれた蒲鉾をお持ち帰り。
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パームツリーやソテツなどの南洋植物が植樹された熱帯リゾートの雰囲気が漂う海浜公園。 また、野鳥公園では、小窓のある野鳥観察小屋と小鳥の形をしたお手洗いがある。
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2005年、複合型スポーツコンプレックスとして開業。 施設内では、プール(流れるプール、並のプール、ボディースライダー、ふれあい水遊びプールなど)、ウォーターパーク、フットサル、スケートパーク、フードコーナーなどがある。