観音崎で照らし続ける灯台
神奈川観音崎で照らし続ける灯台
まいどまいど! 自然豊かな環境に恵まれた神奈川県横須賀市の鴨居。 ここには日本を代表する観音崎の灯台があり、昼夜問わず、海を監視、夜間には海に向かって照らし続けてはりまんねん。 かつては砲台も設置されていたといい、砲台跡が点在。 現在も保存、展示されているため、自由に見学することができまんねん。 また、日本武尊、弟橘媛命 伝説の地としても知られておまして、走水神社を筆頭にゆかりの地として語り継がれてまんねん。 特に走水神社付近では山車も保管され、雅な山鉾を見学することもできまんねん。 走水山大泉寺では徳川家康が関東に入国した際、三浦郡代官頭・長谷川七左衛門により曹洞宗の寺として開山したとされ、本尊は室町時代作と伝わる延命地蔵。 その他、海に面しているため、景勝地の一つとして人気があり、その景勝地の中に位置する走水観音崎遊歩道は 三浦半島の東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面する岬の一つに数えられる観音崎でんねん。 東日本旅客鉄道の横須賀駅付近から観音崎まで望むことができまっせ。
三浦半島の東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面する岬。 周辺は神奈川県立観音崎公園として整備され、観音崎海水浴場をはじめ、観音埼灯台やレストラン、海蝕洞、観音崎自然博物館、横須賀美術館、海上保安庁東京湾海上交通センターの観音埼レーダー施設などがある。 また、明治時代に旧日本陸軍が建設した砲台と弾薬庫跡が残る。
海蝕洞
三浦半島の東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面する岬の一つに数えられる観音崎にある海蝕洞。 海蝕洞とは、波浪による侵食で海食崖に形成された洞窟のことで、海食洞とも。 741年、行基が当地の大蛇を退治して十一面観音(船守観音)を祀ったと伝えられる。 江戸時代、観音堂など堂宇が創建され、仏崎山観音寺と称した。 1880年、観音寺は旧日本陸軍の砲台建造に伴って移転したが焼失。
三浦半島の東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面する岬の一つに数えられる観音崎にある観音寺跡。 現在、神奈川県立観音崎公園の休憩所として開設。 かつて仏崎山観音寺が存在した。 741年、行基が当地の海蝕洞に住む大蛇を退治して十一面観音(船守観音)を祀ったと伝えられる。 江戸時代、観音堂など堂宇が創建され、仏崎山観音寺と称した。 1880年、観音寺は旧日本陸軍の砲台建造に伴って移転したが焼失。
三浦半島東端の観音崎に立っている日本最初の洋式灯台。 1869年、従来の西浦賀の燈明堂に代わり、建設され、初点灯。 1866年、アメリカ、イギリス、フランス、オランダと結んだ「改税条約」(江戸条約)によって建設を約束した8が所の灯台(条約灯台)の1つ。 高さ約19m。 光達距離は約20海里。 周辺の東京湾や浦賀水道を照らし、浦賀水道航路の安全を守っている。 白色八角形の中型灯台で、日本の灯台50選に選定。 この灯台の着工日を記念して11月1日が灯台記念日に指定。 初代、設計はレオンス・ヴェルニー等フランス人技師が担当。
灯台
屋上に灯塔を設けたフランス風白色八角形の煉瓦造灯台。 大正時代、1922年の地震により倒壊して再建、1923年の関東大震災により倒壊して再建。 現在の灯台は3代目。
三浦半島の東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面する岬の一つに数えられる観音崎にある砲台跡。 観音崎は現在、観音崎公園として整備され、明治時代、明治政府によって築造された陸軍砲台跡が点在する。 東京や横須賀軍港の守備を目的に建設された西洋式の砲台群の一つで、特に1880年に築造された北門第一砲台は日本で最初の洋式砲台である。 この他、衛兵所、監守衛舎、油庫、火薬庫、弾薬調整所、弾丸庫、電灯所、発電所などが配置された。 但し、完成はしたものの、砲台に設置する大砲がなかったとか。 1915年、大砲は撤去され、陸軍の防禦営造物から廃止。
かつては三軒の家が存在したことから三軒家という地名の由来ともなったとか。 また、周辺は三浦半島の東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面する岬の一つに数えられる観音崎があり、三軒家砲台跡が残る。 1821年以後、浦賀奉行所によって管理。 1861年以後、江川太郎左衛門が引継ぐ。 1868年以降、海軍省から陸軍省へと引継ぐ。 1894年、着工。 1896年、完成。 1945年まで管理された。 観音崎一帯は明治時代、要塞となり、一般の人の立入りは禁止となった。 第一、第二、第三、第四、南門、大浦、三軒家各砲台などや、火薬庫などが築造。 三軒家砲台跡は別名、観音崎台場跡。
2007年、横須賀市の市制100周年を記念して開館。 別館として谷内六郎館が併設。 設計者は山本理顕氏、小野田泰明氏。 展示ギャラリーは吹き抜けとなっており、自然光を取り込む穴が開けられ、塩害を防ぐためにガラスで包んでいる。 谷内六郎氏はノスタルジックな昭和の風景を描いた画家として知られ、横須賀市内にアトリエを構えていた。 1998年、「週刊新潮」の表紙絵など作品を横須賀市に寄贈され、谷内六郎館で常設展示。
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正式名称は、走水観音崎遊歩道。 三浦半島の東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面する岬の一つに数えられる観音崎にある遊歩道。 日本武尊ゆかりの皇島や弟橘媛が入水したと伝わる「むぐりの鼻」をはじめ、東日本旅客鉄道の横須賀駅付近から観音崎まで望むことができる。 テーマは「海とあそぶ道」。
海とあそぶ道
綺麗な景色を一望できる。
山鉾形式、総欅づくり。 高さ約4.6m、幅3.7m。 元々、屋根のは6尺(約1.8m)の日本武尊の人形があった。 全体に彫刻が施され、武州金沢の後藤忠造の刻銘がある。 山車は7月中旬の土・日曜に行われる本祭り(隔年)のときに曳かれるほか、走水南町町内会館で公開。 別名、南町の山車。
祭神は日本武尊、弟橘媛。 伝説によると日本武尊が東征途上、当地から浦賀水道を渡る際、自身の冠を村人に与え、村人がこの冠を石櫃へ納めて土中に埋め、社を建立して創建。 上総国に船出した日本武尊は海上で暴風雨に遭い、弟橘媛が海へ身を投じて暴風雨を鎮めた。 数日後、海岸に弟橘媛の櫛が流れつき、村人は旗山崎(御所ヶ崎)に社を建立して櫛を納めた。 この社は弟橘媛を祀る橘神社であったが、1885年に軍用地になり走水神社境内へ遷座。 1909年に合祀。 境内には稲荷神社、三社(須賀神社・神明社・諏訪神社)。 別宮では弟橘媛命に殉じた侍女を祀る。 水神社(河童大明神)は走水に伝わる河童伝説に因んで祀られる。
日本武尊
弟橘媛命記念碑は1910年、東郷平八郎、乃木希典らが建立(恒久王妃昌子内親王筆)。 機械水雷は1910年に奉納された、日露戦争戦利品のロシア製機械水雷。 包丁塚は1973年、当地で大伴黒主が日本武尊に料理を献じて喜ばれた故事に因み、建立。 舵の碑は1975年、弟橘媛が荒海を鎮めた故事に因み、航海の安全を祈念して建立。
1590、徳川家康が関東に入国した際、三浦郡代官頭・長谷川七左衛門により曹洞宗の寺として開山。 弟子の霊屋が中興。 本尊は室町時代作と伝わる延命地蔵。 本堂には魚の入った竹の籠を持つ魚藍観世音菩薩が祀られている。 御朱印二石の由緒を持つ。 墓地には江戸湾海防に従事した川越藩士が眠る。
伝説によると日本武尊の東征途上、宿所とされたことから御所ケ崎の名が残る。 また、山に旗を立てたことから旗山崎という地名の由来とも。 1632年、番所が設置され、走水奉行・向井氏が管轄、奉行屋敷が置かれて江戸湾の防備と船舶往来の関所になった。 与力や同心の住居があった場所(小学校辺り)は同心町と呼ばれた。 幕末期、台場が築造され、1885年には旧日本陸軍の低砲台が置かれた。 後に重砲兵学校の演習砲台として使用された。
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伝説によると日本武尊が東征途上の際、日本武尊が当地上総に渡ったとされ、仮の御所を設けた。 軍旗を立てたことから御所ヶ崎、旗山崎という地名の由来とも。 当地にはかつて弟橘媛を祀る橘神社が鎮座。 上総国に船出した日本武尊は海上で暴風雨に遭い、弟橘媛が海へ身を投じて暴風雨を鎮めた。 7日後、妃の御櫛が浜に漂着、村人は旗山に御陵を造ってその櫛を納めた。 御所ヶ崎には江戸幕府によって台場が築造、明治政府によって軍用地として買収された際、橘神社は走水神社に遷座。 現在、旗山崎公園には明治時代に建設された「走水低砲台」の遺構の残り、加農砲が据え付けられていた砲座跡、弾薬庫などのレンガ積み構造物がある。
伊勢町町内会館では伊勢町観音を祀る。 伊勢町観音は漁民の網にかかったとされ、ポックリ観音として信仰を集めている。 像高は約61cm、寄木造りの玉眼入りで、漆箔が施され宝冠を頂いた立姿。 江戸時代に鎌倉仏師によって彫られ、宋の影響を受けているとも。
東日本旅客鉄道の横須賀駅付近から観音崎へと続く海辺の道を「うみかぜの路」と呼び、特に当地周辺は東京湾の眺望が美しいと評判であるとか。 東京湾唯一の猿島や要塞の島・第一海望、第二海望を望み、遠くは横浜市のランドマークタワーも見えるとか。 また晴れた日には太陽が富士山山頂に重なるときの現象「ダイヤモンド富士」を観察できるとか。
別名、ヴェルニーの水。 走水水源地に設置された水栓では横須賀水道発祥の地・走水水源地から湧き出した水を飲むことができる。 1876年、走水水源地はフランス人技師ヴェルニー指揮の下、日本の近代化が始まった横須賀製鉄所(後の造船所)の用水として使用を開始。 煉瓦造貯水池とコンクリート造浄水池は、共に国登録有形文化財・日本遺産構成文化財に指定。 かつて走水水源地管理センターの煉瓦塀にヴェルニーの塑像が設置され、水を飲むことができたが1999年に休止。 2008年、よこすか水道給水100周年記念事業の一つとして「ヴェルニーの水」の提供を再開。
スーパー銭湯。 2011年、開業。 泉質はナトリウム-塩化物強塩泉(高張性・中性・高温泉)。 泉温は44.9℃。
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