せやせや!関西が好っきゃねん
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観音崎で照らし続ける灯台

観音崎で照らし続ける灯台

まいどまいど! 自然豊かな環境に恵まれた神奈川県横須賀市の鴨居。 ここには日本を代表する観音崎の灯台があり、昼夜問わず、海を監視、夜間には海に向かって照らし続けてはりまんねん。 かつては砲台も設置されていたといい、砲台跡が点在。 現在も保存、展示されているため、自由に見学することができまんねん。 また、日本武尊、弟橘媛命 伝説の地としても知られておまして、走水神社を筆頭にゆかりの地として語り継がれてまんねん。 特に走水神社付近では山車も保管され、雅な山鉾を見学することもできまんねん。 走水山大泉寺では徳川家康が関東に入国した際、三浦郡代官頭・長谷川七左衛門により曹洞宗の寺として開山したとされ、本尊は室町時代作と伝わる延命地蔵。 その他、海に面しているため、景勝地の一つとして人気があり、その景勝地の中に位置する走水観音崎遊歩道は 三浦半島の東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面する岬の一つに数えられる観音崎でんねん。 東日本旅客鉄道の横須賀駅付近から観音崎まで望むことができまっせ。

走水山大泉寺
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走水山大泉寺

1590、徳川家康が関東に入国した際、三浦郡代官頭・長谷川七左衛門により曹洞宗の寺として開山。 弟子の霊屋が中興。 本尊は室町時代作と伝わる延命地蔵。 本堂には魚の入った竹の籠を持つ魚藍観世音菩薩が祀られている。 御朱印二石の由緒を持つ。 墓地には江戸湾海防に従事した川越藩士が眠る。

旗山崎公園
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旗山崎公園

伝説によると日本武尊の東征途上、宿所とされたことから御所ケ崎の名が残る。 また、山に旗を立てたことから旗山崎という地名の由来とも。 1632年、番所が設置され、走水奉行・向井氏が管轄、奉行屋敷が置かれて江戸湾の防備と船舶往来の関所になった。 与力や同心の住居があった場所(小学校辺り)は同心町と呼ばれた。 幕末期、台場が築造され、1885年には旧日本陸軍の低砲台が置かれた。 後に重砲兵学校の演習砲台として使用された。

日本武尊、弟橘媛命 伝説の地 御所ヶ崎
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日本武尊、弟橘媛命 伝説の地 御所ヶ崎

伝説によると日本武尊が東征途上の際、日本武尊が当地上総に渡ったとされ、仮の御所を設けた。 軍旗を立てたことから御所ヶ崎、旗山崎という地名の由来とも。 当地にはかつて弟橘媛を祀る橘神社が鎮座。 上総国に船出した日本武尊は海上で暴風雨に遭い、弟橘媛が海へ身を投じて暴風雨を鎮めた。 7日後、妃の御櫛が浜に漂着、村人は旗山に御陵を造ってその櫛を納めた。 御所ヶ崎には江戸幕府によって台場が築造、明治政府によって軍用地として買収された際、橘神社は走水神社に遷座。 現在、旗山崎公園には明治時代に建設された「走水低砲台」の遺構の残り、加農砲が据え付けられていた砲座跡、弾薬庫などのレンガ積み構造物がある。

伊勢町町内会館
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伊勢町町内会館

伊勢町町内会館では伊勢町観音を祀る。 伊勢町観音は漁民の網にかかったとされ、ポックリ観音として信仰を集めている。 像高は約61cm、寄木造りの玉眼入りで、漆箔が施され宝冠を頂いた立姿。 江戸時代に鎌倉仏師によって彫られ、宋の影響を受けているとも。

夕日の富士
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夕日の富士

東日本旅客鉄道の横須賀駅付近から観音崎へと続く海辺の道を「うみかぜの路」と呼び、特に当地周辺は東京湾の眺望が美しいと評判であるとか。 東京湾唯一の猿島や要塞の島・第一海望、第二海望を望み、遠くは横浜市のランドマークタワーも見えるとか。 また晴れた日には太陽が富士山山頂に重なるときの現象「ダイヤモンド富士」を観察できるとか。

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