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京都散歩
京都散歩 中学2年時、バスケットの試合で訪れたのが初めての京都でした。それ以降、今回で何度目の訪問かな、と思いますが、もう分からないほど来ています。好きな場所です。 初めての京都は、東京駅を夜中に出る普通列車に乗り、確か朝8時頃着いた、と思います。早朝の京都駅からバスでそのまま試合会場に出向き3試合ほどしたことを思い出します。高校生の胸を借りた練習試合でした。試合終了後、直接京都駅に戻り、その日の普通列車で東京に戻りました。 朝夕に観た京都タワーが私の京都そのものになった思い出があります。もう半世紀前の話になります。 当時のバスケット部顧問の先生(当時40歳位)には頭が下がります。
水無瀬神宮
谷崎潤一郎の作品「蘆刈」散歩 作品では、男が秋の山崎の「水無瀬宮」を訪れる。 この地は、承久の乱で鎌倉幕府に破れ、隠岐の島に流されて、十八年後に隠岐島で亡くなった後鳥羽院の離宮のあったところ。 そんな後鳥羽院が詠んだ歌に描かれた景色を追いながら男は辺りを歩くうちに夕暮れになり、興の向くまま淀川に出て渡船で中州に着いている。 芦の茂る洲に座り、石清水八幡宮のある男山を見ながら酒を手に、川向こうにある橋本遊郭の遊女のまぼろしを追い、風流に月を見ていると、見知らぬ男が芦の間から現れ、身の上を語り始める。 その見知らぬ男の描く美しい女性と風景を物語は追っている。
京都 鳥羽伏見界隈散歩 寺田屋
寺田屋がある。この辺りは鳥羽伏見の戦い激戦地になっている。その戦いで寺田屋も焼けている。現在の寺田屋はその後再建された建物。近くの伏見奉行所跡は、鳥羽伏見の戦いで伏見奉行所に籠る新撰組と薩摩軍とが戦った場所でもある。 船宿寺田屋(薩摩藩定宿)では2つの歴史的事件が起きている。 1つは、1862年5月21日に薩摩藩の島津久光が薩摩藩尊皇派を始末した事件である。 2つ目は、1866年3月9日、薩長同盟の会談直後に薩摩藩士として宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行の捕り方が捕縛ないしは暗殺しようとした事件。この騒動で龍馬は、二人の捕り方をピストルで殺害している。
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