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江戸時代の宿場町・枚方宿で歴史を感じて

江戸時代の宿場町・枚方宿で歴史を感じて

まいどまいど! 平安時代、付近を交野ヶ原と呼ぶ七夕伝説の発祥地。 奈良時代、七夕伝説は中華人民共和国の行事の一つであったが、日本に伝来、交野市に鎮座する機物神社には織姫が、枚方市に位置する観音山公園には巨石「牽牛石」が年に1度、天の川(天野川)に架かる逢合橋で出会い、逢瀬を楽しむという。 「交野ヶ原」と呼ばれる台地でかつ丘陵地は、耕作には適さなかったものの、鳥獣が多く棲息していた。 京の都からも近いことから貴族の狩場となっていて、桓武天皇の時代には離宮が置かれていた。 また枚方は旧宿場街。 1600年頃、淀川左岸の堤防「文禄堤」が、京街道として利用された。 これは、大阪・京橋付近から京都府にある伏見まで続く街道で、別名、大坂街道とも呼ばれる。 1601年、徳川家康によって、枚方をはじめ、伏見、淀、守口にそれぞれ、宿場町として指定した。 現在もその一部が現存し、枚方神屋資料館が開館。 「餅くらわんか、飯くらわんか」。 三十石船では、と客に勧めることから通称「くらわんか舟」とも呼ばれていた。 「くらわんか」とは、標準語の「食べないのか」を挑発的かつ乱暴な言い方で表現した河内弁。

旧枚方宿問屋役人小野(八幡屋)平右衛門家
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旧枚方宿問屋役人小野(八幡屋)平右衛門家

枚方宿の問屋役人の小野平右衛門家跡。 江戸時代、村年寄と問屋役人を兼務し、村と宿駅の運営にあたった。 家業は豪農で醤油業で屋号「八幡屋」とした。 1716年に製造された鬼瓦も保管。 主屋改修時、明治時代の淀川洪水による軒先浸水時の鮒のミイラが発見されたとか。

淀川寛平マラソン
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淀川寛平マラソン

吉本興業所属のお笑い芸人として知られる間寛平氏が発起人を務めるチャリティーマラソン大会。 2013年、2011年に発生した東日本大震災の被災地の復興支援を目的に年に一度開催。 例年、淀川河川公園(大阪府枚方市と大阪府大阪市旭区までの国営公園)内の特設コースを使用。 大会には間寛平氏の他、吉本興業所属の芸人やタレントも多数参加。 その他、会場には飲食物・チャリティーグッズなどを販売するブース、イベントステージ(メインステージ)を淀川河川公園内に設営。 「メインステージ」では、スタート前の準備体操、トークショー、出場芸人やゲストアーティストによるライブパフォーマンス、部門別の表彰式などがある。

蹉跎神社
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蹉跎神社

別名、蹉跎天満宮、蹉跎山天満宮。 祭神は、菅原道真公(神体は菅原道真公自ら作らせた菅原道真公の像)。 901年、菅原道真公が大宰府へ左遷される途中、大阪府寝屋川市に立ち寄った。 山頂付近から都の方角を望み、名残惜しむように出発。 後に、この場所を「菅相塚」と呼んだ。 菅原道真公の後を娘の苅屋姫が追ったが、間に合わず、足摺り(=蹉跎)して嘆いた。 後に、この場所を「蹉跎山」と呼んだ。 菅原道真公は大宰府でその話を聴き、自身の木像を作って娘に送った。 951年、木像をご神体とする社殿を蹉跎山に建立。 加茂健豆美命神社を合祀。 聖徳太子が開基した龍光寺(廃寺)が建立。 参道は「蹉跎参道」。

観音山公園
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観音山公園

平安時代、付近を「交野ヶ原」と呼び、七夕伝説の発祥地として知られている。 「交野ヶ原」と呼ばれる台地でかつ丘陵地は、耕作には適さなかったものの、鳥獣が多く棲息していた。 京の都からも近いことから貴族の狩場となっていて、桓武天皇の時代には離宮が置かれていた。 また、天皇の狩場(天皇以外の狩猟は禁止された)があったことから、枚方市には、禁野という地名が残っている。 奈良時代、七夕伝説は中華人民共和国の行事の一つであったが、日本に伝来し、交野市に鎮座する機物神社には織姫が、枚方市に位置する観音山公園には巨石「牽牛石」が年に1度、天の川(天野川)に架かる逢合橋で出会い、逢瀬を楽しむという。

牽牛像
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牽牛像

牽牛像の横には観音山公園は、縦に細長い公園で、公園内の中央付近には、牽牛像が建立されている。 この像は2007年7月7日と8日に開催された「全国七夕サミット」を記念したもの。 万葉歌人山上憶良の歌碑「牽牛(ひこぼし)の 妻迎え船 こぎ出らし 天の川原に 霧の立てるは」が建立。

牽牛石
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牽牛石

公園内の奥には、高さ約1m、幅約2mの巨石「牽牛石」が鎮座している。

中山観音寺跡
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中山観音寺跡

公園内の中央付近には、「中山観音寺跡」と刻まれた石碑が建立されている。 奈良時代、中山観音寺と呼ばれる寺院が創建。 南北朝時代、戦渦に巻き込まれ、兵庫県宝塚市に遷座した。

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