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大神神社と素麺発祥のまち・奈良県桜井市
まいどまいど! 関西を代表する素麺っちゅうたら兵庫県では播州素麺、揖保乃糸、淡路素麺、大阪府では河内素麺などが挙げられまんねんけど、奈良県っちゅうたら、やっぱり三輪素麺でんな。 三輪素麵のおひざ元・桜井市を中心とする三輪地方は素麺の発祥地として知られ、市内各所には素麺を製造販売するお店がぎょうさんおます。 素麺は奈良時代、遣唐使により小麦栽培・製粉技術などが伝えられたとされ、唐菓子の一つ索餅(和名「麦縄」とも)が原型ともいわれてはりまんな。 索餅とは乾麵で奈良時代には米の端境期を乗り越える夏の保存食として重宝。 大和三輪において紀元前91年に大物主命の五世の孫・大田子根子命が大神神社の大神主に任ぜられ、その十二世の孫・従五位上大神朝臣狭井久佐の次男穀主が飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願、神の啓示を賜り三輪の地で小麦を栽培、素麺を初めて作ったとも。 大神神社祭神は素麺作りの守護神、生産者と卸業者の初取引の卸値の参考価格を神前で占う「卜定祭」が営まれているという。 そんな三輪では醸造安全祈願祭(酒まつり)が有名。 拝殿に杉玉が吊るされ、これが各地の造り酒屋へと伝わったという。
歴史街道 古代の道
山の辺の道は歴史に記された、わが国最古の道、大和盆地の北東の山々の麓を縫って海石榴市から天理に細道が続く、この道に沿って、四世紀、崇神、垂仁、景行、諸天皇が皇居を置いた場所で、古社寺、古墳、史跡が点在する。 海石榴市(金屋)から北は奈良への山の辺の道、西は大阪への竹内峠の道、南は飛鳥への磐余の道、山田への道、東へは長谷街道より伊勢詣でにぎわい平安時代から栄えた。
弘法の井戸
ある夏の日、身なりも質素な巡礼姿の僧が農家に立ち寄り、飲み水を乞われた。 村人は、心良く水を差し出し、僧は礼を言って飲んだが、金気のある良水では無かった。 その時、僧は村人に「この隣の畑に井戸を掘ればもっと良い水が湧くだろう」と井戸の掘り方や造り方を丁重に指示し、立ち去った。 その場所を掘ったところ、六尺足らずで泉が噴き出し、ここに良水の井戸が出来た。 井戸掘りを指示した巡礼姿の僧が弘法大師とわかり驚いた。 村人は早速ここに弘法大師を祀る祠を建立した。
まほろばの里卑弥呼
みたらし団子などを製造販売する専門店。 「卑弥呼の町」を盛り上げようと桜井市商工会の女性部員が始めた。 地元の醤油を使用して作られた自家製のタレをかけてできたみたらし団子は絶品とも。 卑弥呼は邪馬台国の女王として知られ、卑弥呼の墓との伝説が残る古墳「箸墓」も付近にある。
芸能創生の地
西日本旅客鉄道(JR西日本)桜井線(万葉まほろば線)、近畿日本鉄道(近鉄)の停車駅の一つ桜井駅前のロータリーに設置されたモニュメント。 612年、百済から帰化した味摩之が「呉の国に学び、伎楽の舞ができる」と言い、少年を集めて伎楽の舞を習わせた。 伎楽とは、古代チベットやインド発祥の仮面劇。 奈良時代、大仏開眼供養でも上演され、正倉院にはその時に使用されたとされる伎楽面が現存。 土舞台と呼ばれる場所は、聖徳太子が国立演劇研究所と国立劇場を設置したとされ、「日本芸能発祥の地」とされる。 駅前には日本最初の芸能創成の地と刻まれた碑が建立。
あの名作ドラマDr.コトー診療所の撮影地は与那国島‼️聖地巡礼してきました😭当時のままの姿で感動の連続。
ドラマのファンでなくても、与那国でのサイクリングは他では味わえない大自然の中でのとっておきの時間になること間違いなし💎
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