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北陸・福井の敦賀(つるが)で日本海を楽しむ
まいどまいど! 日本海近海で獲れた新鮮なお魚は美味しいと評判で、石川県金沢市や富山県富山市でも人気を呼んではりまんな。 そんな中で、関西地方から見て身近に感じる北陸地方の一つといえば、福井県。 兵庫県、そして、京都府のお隣で、福井県の敦賀市を散策してみることにしましてん。 毎年、冬になると日本でも有数の豪雪地帯の一つとして知られ、富山や石川、そして、福井などでは雪が降り積もりやすい場所で有名でんな。 関西地方からはJR西日本が便利。 JR西日本の京都府、滋賀県を経由して訪れた湖西線の敦賀駅を出るとそこはまるで別世界。 駅前には松本零士さん作品の「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」の像が並べられ、観光客の目を楽しませてくれまっせ。 ほんで、その奥には神宮があり日本三大鳥居に数えられる大きな鳥居を眺めながら、北へと向かうと力強い波音が聞こえてくる日本海。 ここで、冬の味覚であるカニなど海の幸を堪能しつつ、敦賀名物の敦賀ラーメン、敦賀発祥として知られるソースカツ丼を味わいつつ、松尾芭蕉の足跡を追いながら氣比の松原を散策しつつ、福井県敦賀市を堪能していくおでかけプランです。
キッズパークつるが
旧アクアトム。 テーマは、自然。 ここでは、こどもたちが一日中、楽しみながら遊ぶことのできる「あそび・まなび拠点」。 日本最大級の5階建てネット遊具「スーパーコクーン」をはじめ、クライミングウォール、ボールプール、あかちゃんひろばなどがある。
芭蕉翁逗留出雲屋跡
松尾芭蕉は江戸時代、「奥の細道」で旅の途中で福井県敦賀市に立ち寄った。 宿泊した出雲屋の亭主から「遊行の砂持ち」、南北朝時代の「金ヶ崎の戦い」の故事を聞いたという。 「遊行の砂持ち」とは、他阿は豊後国において、時宗の始祖・一遍上人の門下となり遊行を行い、越前国の時宗寺院のほとんどを開創。 真言宗より時宗に改宗した西方寺に入り、氣比社に参詣した時、沼地があり、ぬかるんで参詣の妨げとなっていた。 他阿は宗徒・氣比の神官・民衆とともに、もっこを担いで海岸から砂を運び、沼地を埋め立て、参道を整備した。 「金ヶ崎の戦い」とは、新田義顕が陣鐘を海に沈めたが、海から引き上げることができなかったとか。
北陸・福井の敦賀(つるが)で日本海を楽しむ
まいどまいど! 日本海近海で獲れた新鮮なお魚は美味しいと評判で、石川県金沢市や富山県富山市でも人気を呼んではりまんな。 そんな中で、関西地方から見て身近に感じる北陸地方の一つといえば、福井県。 兵庫県、そして、京都府のお隣で、福井県の敦賀市を散策してみることにしましてん。 毎年、冬になると日本でも有数の豪雪地帯の一つとして知られ、富山や石川、そして、福井などでは雪が降り積もりやすい場所で有名でんな。 関西地方からはJR西日本が便利。 JR西日本の京都府、滋賀県を経由して訪れた湖西線の敦賀駅を出るとそこはまるで別世界。 駅前には松本零士さん作品の「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」の像が並べられ、観光客の目を楽しませてくれまっせ。 ほんで、その奥には神宮があり日本三大鳥居に数えられる大きな鳥居を眺めながら、北へと向かうと力強い波音が聞こえてくる日本海。 ここで、冬の味覚であるカニなど海の幸を堪能しつつ、敦賀名物の敦賀ラーメン、敦賀発祥として知られるソースカツ丼を味わいつつ、松尾芭蕉の足跡を追いながら氣比の松原を散策しつつ、福井県敦賀市を堪能していくおでかけプランです。
相生町
敦賀では古代、気比神宮の社領ともいわれ、発展してきた。
紙わらべ資料館
創作和紙人形を中心とした美術館。 施設内では、敦賀市在住の和紙人形作家として知られる高木栄子氏の作品を展示。 昭和時代の子供たちの遊戯をモチーフとした作品が中心。
晴明神社
賀茂忠行・賀茂保憲の親子に学び陰陽道の大家となった平安時代の陰陽師・安倍晴明を祀る。 南北朝時代、晴明神社周辺では金ヶ崎戦、織田信長と朝倉氏による合戦が勃発、今も防火の神として信仰を集めている。 拝殿には、陰陽道の研究に使ったとされる「祈念石」が安置され、天文学・地文学の研究を重ねた。 敦賀は敦賀港があり、古くから海外との交流が盛んで、中国からの情報も届いた。 陰陽道は、古代中国の「陰陽五行説」を基礎にした学問で、長らく当地で暮らしていた。 御神体の「祈念石」は晴明の霊力を宿すといわれ、床下を望む小窓から覗き見ることができ、賽銭を投げいれて石の上に載れば願いが通じるといわれている。
気比の松原
虹の松原、三保の松原に並ぶ景勝地「日本三大松原」の一つで、万葉集、日本書紀にも掲載。 日本の白砂青松100選、日本の名松100選、日本の自然100選、レクリエーションの森に選定、若狭湾国定公園の一部で国の名勝に指定。 夏場は海水浴場・花火大会・灯籠流しの会場として賑わう。 かつて、石川県羽咋郡志賀町福浦港の福良津と共に渤海使の為の使節松原客館が置かれた。 古来より氣比神宮の神苑として神人が近隣住民の利用を管理していたが、織田信長の越前攻略により氣比神宮の所領などが没収。 江戸時代、小浜藩の御用木(藩有林)となり、近隣住民は藩への納税によって燃料となる松葉採集を行ってきた。
駐輦の碑
駐輦の碑とは、明治天皇は気比松原に立ち寄り、白砂青松を讃えたという。 以後、勝海舟が訪れ、当時の明治天皇の行幸を回想し、漢詩を詠んだとか。 高浜虚子氏は当地を訪れ、多くの俳句を残した。
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