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高槻のはにたんと行く古代と現代
まいどまいど! 古代と現在の両方が楽しめる都市・大阪府高槻市。 高槻市内では、高山右近ゆかりの高槻城跡がおます。 高槻城址は現在、公園として整備され、広々とした園内には市指定有形文化財に指定された旧笹井家住宅が常時展示されている他、緑も多くてゆったりと過ごすことができまんな。 ほんでまた、高槻城址公園周辺では、高槻市内の歴史や文化を中心に展示された高槻市立しろあと歴史館、JT生命誌研究館などがおまして、入場料も無料。 せやさかい、お財布にも優しく自由に見学することができまっせ。 ちなみに、高槻市のマスコットキャラクターは「はにたん」。 「はにたん」は、ハニワをモチーフとして誕生し、高槻市内を中心に活躍しておます。 また、最近注目を集めているのが、ご当地グルメ。 大阪といえば、タコ焼きやお好み焼き、イカ焼きなどのイメージが先行しがちかもしれまへんけど、実は、饂飩と餃子が一つになったご当地グルメ「うどんぎょうざ」があるが、地域社会の発展・地産地消にこだわった「高槻バーガー」もおすすめ。 高槻市にお立ち寄りの際にはぜひ、味わってみてください。 高槻市にはええとこ、ええもんがおまっせ。
藤井竹外邸跡
1807年、藤井竹外は、高槻藩士藤井沢右衛門の長男として生まれた。 七言絶句が得意だったため、「絶句の竹外」とも呼ばれたのだとか。 以降、高槻藩士の地位に興味を示すことなく、試作に没頭していたと言う。
野見神社
祭神は、須佐之男命と野見宿禰命を祀る。 平安時代中期、この地方に疫病がはやり、神託により牛頭天王(須佐之男命)を祀ったところ、疫病が治まったので、社殿を造営したと伝えられている。 1619年、高槻城主・松平紀伊守が社殿を再建。
高槻現代劇場
市民会館、文化ホール、飲食店などがある。 1964年、高槻市民会館が開業。 1992年、高槻市文化ホールが開業。
高槻市指定有形文化財旧笹井家住宅
江戸時代、商家として建設。 その後、城址公園内に移築し、復元。 歴史民俗資料館として開業。 施設内では、生活用品、農具などが保存。 現在、しろあと歴史館の分館。
JT生命誌研究館
日本たばこ産業によって運営されている。 1993年、生命科学に関連した展示と研究を行う施設として設立。 ここでは、人類をはじめ、「生きている」に着目し、地球上に誕生した細胞の進化、多様化してきた過程、生き物の持つDNA(ゲノム)などから、生命・人間・自然などを展示、研究している。
芥川仇討の辻
江戸時代、西国街道・東海道・中国路の宿場町・芥川宿として栄え、賑わっていた。 幕府領であったが、高槻藩領となった。 江戸時代、石見国吉永城下(島根県大田市)で同藩に属していた2人の侍が美しい稚児の争奪を巡る争いが勃発。 邪推からもう一人の藩士を江戸表で殺してしまう。 殺された藩士の子息の助三郎は豊臣秀吉の時代に水軍の将として活躍し、賤ヶ岳七本槍の一人・加藤左馬之助嘉明の曾孫。 助三郎は京で剣客につき、剣術を学び、諸国を遍歴。 敵は芥川宿の旅籠に入り、宿を立ち去るところで討ち取り、本懐を遂げた。 討たれた八之丞は「自分は討たれて当然である。討った方に咎はない。」と書状を懐に忍ばせていた。
芥川商店街事業協同組合
別名、「SUNROAD」。 飲食店や雑貨店、旅館、病院などが立ち並ぶ。 明治時代、当時の高槻町は小さな町で、住民の多くは農家として生計を立てていた。 1928年、阪急電車の前身にあたる京阪電気軌道の「新京阪線」が開通し、宅地開発が活発化し、人口が増加した。 高槻センター街の前身にあたる「新京町商店街」がにぎわった。 1970年代、商店街のアクトアモーレなどが整備された。
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