
高槻のはにたんと行く古代と現代
大阪高槻のはにたんと行く古代と現代
まいどまいど! 古代と現在の両方が楽しめる都市・大阪府高槻市。 高槻市内では、高山右近ゆかりの高槻城跡がおます。 高槻城址は現在、公園として整備され、広々とした園内には市指定有形文化財に指定された旧笹井家住宅が常時展示されている他、緑も多くてゆったりと過ごすことができまんな。 ほんでまた、高槻城址公園周辺では、高槻市内の歴史や文化を中心に展示された高槻市立しろあと歴史館、JT生命誌研究館などがおまして、入場料も無料。 せやさかい、お財布にも優しく自由に見学することができまっせ。 ちなみに、高槻市のマスコットキャラクターは「はにたん」。 「はにたん」は、ハニワをモチーフとして誕生し、高槻市内を中心に活躍しておます。 また、最近注目を集めているのが、ご当地グルメ。 大阪といえば、タコ焼きやお好み焼き、イカ焼きなどのイメージが先行しがちかもしれまへんけど、実は、饂飩と餃子が一つになったご当地グルメ「うどんぎょうざ」があるが、地域社会の発展・地産地消にこだわった「高槻バーガー」もおすすめ。 高槻市にお立ち寄りの際にはぜひ、味わってみてください。 高槻市にはええとこ、ええもんがおまっせ。
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今城塚古墳の武人埴輪がモデル。 8月20日のはにわの日に誕生。 高槻市役所営業課で見習い期間を経て、「たかつきPR係長」に就任。 大阪・梅田、テレビ番組への出演のほか、高槻市のイベントに登場!
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うどんぎょうざ
皆さん、知ってはりました? 高槻市では、「うどんぎょうざ」っちゅうB級グルメが楽しめるねんで! 「うどんぎょうざ」とは、一般的な餃子に切り刻んだうどんを入れたもので、知る人ぞ知るB級グルメ。 高槻市内の居酒屋さんでも出されているメニューの一つであるといい、うどんぎょうざのB級グルメに出会ってみませんか?
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飲食店、雑貨店などが立ち並んでいる。 毎月第4金曜日は、イベント「サンクスディ」が開催され、お得な商品が並ぶ。
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高槻市内の観光案内や情報発信を行っている施設。 西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の停車駅の一つである高槻駅構内に位置する。
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カフェ・居酒屋・バルの専門店。 店内ではカウンター席とテーブル席がある。 またテイクアウトも可能。 スイカの形をしたパンをはじめ、数種類のパンが販売。
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うどん餃子
高槻市のご当地グルメとして知られる「うどん餃子」も販売。
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うどん餃子
高槻市のご当地グルメとして知られる「うどん餃子」も販売。
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創建時期など詳細は不明である。 高槻城内で開基するが、その後、当地に移転。 顕空登順上人によって開山。
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創建時期など詳細は不明である。 付近には、岡本寺が建立されていたとの伝説が残っており、当初は本照寺として開基。 戦国時代、三好元長、細川晴元らが訪れた。 天文法華の乱により炎上、三好長慶により毘沙門堂として再興されるがその後に炎上。 1596年、再建。 1651年、高槻城主の永井直清が本堂を建立。 「病を除く寺」として知られ、現在も信仰を集める。 山門は高槻城から移築され、保存。
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1807年、藤井竹外は、高槻藩士藤井沢右衛門の長男として生まれた。 七言絶句が得意だったため、「絶句の竹外」とも呼ばれたのだとか。 以降、高槻藩士の地位に興味を示すことなく、試作に没頭していたと言う。
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祭神は、須佐之男命と野見宿禰命を祀る。 平安時代中期、この地方に疫病がはやり、神託により牛頭天王(須佐之男命)を祀ったところ、疫病が治まったので、社殿を造営したと伝えられている。 1619年、高槻城主・松平紀伊守が社殿を再建。
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市民会館、文化ホール、飲食店などがある。 1964年、高槻市民会館が開業。 1992年、高槻市文化ホールが開業。
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かつて高槻城が栄えていた高槻市は、淀川と西国街道という水陸交通の要所にあたる。 ここでは、江戸時代を中心に、さまざまな資料や模型、映像などが展示されている。
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高山右近ゆかりの高槻城跡公園。 高山右近は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将、大名である。 通称、彦五郎と名乗る。 一般的には、キリシタン大名として知られる。 父は摂津国人高山友照、母は洗礼名マリア。 千利休の七高弟(利休七哲)の一人としても知られる茶人。 豊臣秀吉からの信頼を得て、播磨明石郡(現在、兵庫県明石市)の船上城を居城とした。 居城を放棄した後、加賀で暮らしていたが、徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、退去。 海外でも噂が広まり、長崎からマニラに到着した頃には、スペイン人のフィリピン総督フアン・デ・シルバらから大歓迎を受けた。
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高槻城
別名、入江城とも呼ばれている。 室町時代、入江氏の居城であったが、後に織田信長に滅ぼされた。 その後和田惟政、次いで高山右近が城主となった。 江戸時代、主に高槻藩の藩庁として用いられた。 1874年、廃城となる。
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桝形門の石垣石
昭和時代、発掘調査で出土。 高槻城の厩廓桝形門の石垣に使用されていたという花崗岩。 発掘調査では、井戸や溝なども発見された。
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江戸時代、商家として建設。 その後、城址公園内に移築し、復元。 歴史民俗資料館として開業。 施設内では、生活用品、農具などが保存。 現在、しろあと歴史館の分館。
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日本たばこ産業によって運営されている。 1993年、生命科学に関連した展示と研究を行う施設として設立。 ここでは、人類をはじめ、「生きている」に着目し、地球上に誕生した細胞の進化、多様化してきた過程、生き物の持つDNA(ゲノム)などから、生命・人間・自然などを展示、研究している。
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江戸時代、西国街道・東海道・中国路の宿場町・芥川宿として栄え、賑わっていた。 幕府領であったが、高槻藩領となった。 江戸時代、石見国吉永城下(島根県大田市)で同藩に属していた2人の侍が美しい稚児の争奪を巡る争いが勃発。 邪推からもう一人の藩士を江戸表で殺してしまう。 殺された藩士の子息の助三郎は豊臣秀吉の時代に水軍の将として活躍し、賤ヶ岳七本槍の一人・加藤左馬之助嘉明の曾孫。 助三郎は京で剣客につき、剣術を学び、諸国を遍歴。 敵は芥川宿の旅籠に入り、宿を立ち去るところで討ち取り、本懐を遂げた。 討たれた八之丞は「自分は討たれて当然である。討った方に咎はない。」と書状を懐に忍ばせていた。
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別名、「SUNROAD」。 飲食店や雑貨店、旅館、病院などが立ち並ぶ。 明治時代、当時の高槻町は小さな町で、住民の多くは農家として生計を立てていた。 1928年、阪急電車の前身にあたる京阪電気軌道の「新京阪線」が開通し、宅地開発が活発化し、人口が増加した。 高槻センター街の前身にあたる「新京町商店街」がにぎわった。 1970年代、商店街のアクトアモーレなどが整備された。
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「大宰府天満宮に次いで日本で2番目に古い天満宮」として知られている。 祭神は、菅原道真命、配祀神武日照命、野見宿禰命。 武日照命が当地に降臨して、天神山(別名、日神山)に鎮座。 勅使・菅原為理が太宰府に移動中、菅原道真の墓に参拝。 この付近を通過時に牛車が動かなくなった。 これをきっかけに、菅原道真を祭神とした。 三好山に築城された芥川山城との戦いで、織田信長が本陣を構えた。 キリシタン大名として知られる高山右近が当社に放火。 山崎の戦いの際、豊臣秀吉が本陣を構えた。
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竹林の保存地区
日本で初めてとなる竹製の本殿を建立。 また、大阪府下では珍しい竹林の保存地区に指定。
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アメリカ合衆国を中心に古くから親しまれてきたファーストフードでサンドイッチの一種のハンバーガー。 日本国内のファーストフード業界では多くの大型チェーン店がひしめくなか、最近、注目を集めているグルメの一つがご当地バーガー。 ご当地バーガーとは、特定の地域の生産物や料理を使用したハンバーガーのことで、代表的なものに佐世保バーガーや淡路島バーガー、ヨコスカネイビーバーガーなどが挙げられる。 その中で、大阪府内では、堂島バーガーや鶴橋バーガー、寝屋川バーガー、大阪バーガーなどがある。 そして今回は、大阪府高槻市名物の高槻バーガーを試食。
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高槻バーガー
高槻市には饂飩と餃子が一つになったご当地グルメ「うどんぎょうざ」があるが、地域社会の発展・地産地消にこだわった「高槻バーガー」もおすすめ。 高槻バーガーは、エッグ、ベーコン、チーズをトッピング&オリジナルソースを使用。 「高槻バーガーの規定」として、アメリカンサイズ(バンズ直径13cm以上)。 100%ビーフパテ、高槻産トマト、高槻服部しろうりピクルス、高槻寒天バーベキューソース、高槻卵を使用。
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弥生時代の遺跡「安満遺跡」を中心とした公園。 1928年、京都大学大学院農学研究科附属農場の建設工事の際に発見、発掘調査を開始。 弥生時代の石器や土器が出土し、これらの出土品をもとに弥生文化が北部九州から畿内へ流入したと初めて指摘。 2019年、京都大学大学院農学研究科附属農場の移転に伴い、高槻市が本遺跡を保存・活用することを目的に「安満遺跡公園」として整備。 2021年、公園内全面開園。
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環濠集落
安満遺跡は三島平野の東端部に位置し、高槻市東部を流れる桧尾川が形成した扇状地に立地し、三島地方では初となる米作を始めた場所で、弥生時代には居住群のまわりに壕でめぐらせる環濠集落が存在したとも。
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水田
集落の南側に用水路を備えた水田。
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方形周溝墓
東側と西側は墓地で、方形周溝墓は100基以上数える。
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山麓の芝谷遺跡などへ移った形跡も
遺跡付近を流れる桧尾川の洪水や氾濫があった際、山麓の芝谷遺跡などへ移った形跡も。 本館は昭和時代、ハーフティンバー方式を採用したモダンな建物として建造。 レストランファーマーズクラブや休憩室、展示室(京大農場ヒストリー)がある。 展示館では発掘現場を再現した「ギャラリー」があり、弥生時代の様子を「シアター」で見ることができる。 体験館では勾玉づくりや土器づくりなど、「歴史体験室」がある。
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SAKURA広場
安満遺跡公園内にある施設。 様々なイベントの開催に利用できる。
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安満遺跡公園内にある施設。 観光案内や情報発信のほか、高槻市内を中心とする名産や特産も販売。
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600年代に築造された長方形墳で安満山古墳群の一つ。 規模は東西約18m、南北約21m。 埋葬施設はコウヤマキ製の割竹形木棺の直葬。 発掘調査の結果、青龍三年の紀年鏡、ガラス小玉、鉄製品(鉄刀・鉄斧)などの副葬品が出土。 青龍三年の紀年鏡の発見により3世紀後半の築造とも。
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女王の卑弥呼
青龍三年の銘鏡及び三角縁神獣鏡の出土により、魏から邪馬台国の女王の卑弥呼に贈られた「銅鏡百枚」の一部とも。
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眺望
大阪平野を一望。
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眺望
大阪平野を一望。
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