福知山城と福知山城。竜王戦で鬼そばを
京都福知山城と福知山城。竜王戦で鬼そばを
まいどまいど! 京都を代表する観光地の一つといえば、福知山城とちゃいますやろか。 歴史の教科書では本能寺の変や明智光秀らが登場しますが、ここ福知山城も明智光秀ゆかりの地。 天守閣の最上階からは福知山市内を一望することができまんねん。 また、佐藤太清記念美術館で日本画家を鑑賞したあとにおすすめなのは、鬼瓦公園や大江山など、鬼のゆかりの地。 なんでも福知山市では鬼退治伝説が残る場所として知られ、岡山県や香川県などに次ぐ人気の観光地となってまんねん。 福知山市の奥地へ行くと、数々の鬼瓦や鬼退治の中心地となった場所もあり、歴史に浪漫を感じることができまんねん。 その他、三重県に鎮座する伊勢神宮の前身ともなった豊受大神宮、皇大神社があり、それぞれを元伊勢神宮外宮、元伊勢神宮内宮と呼び、かつての面影を忍ばせまんねん。 さらに、周辺では蕎麦が美味しいと評判で、「鬼そば」と書かれた幟を掲げる老舗などが登場。 福知山市もまだまだおもろいとこがぎょうさんおまっせ。 さあ、福知山市内をドライブしよう!
西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線、福知山線、京都丹後鉄道(WILLER TRAINS)宮福線の停車駅の一つ。 かつては北丹鉄道の停車駅であった。 1階には専門店街「ビエラ福知山」。 1904年、官設鉄道、阪鶴鉄道の開業により両路線の接続駅として設置。 1907年、阪鶴鉄道が国有化。 1923年、北丹鉄道線が開業、1971年に休止。 1988年、宮福鉄道(北近畿タンゴ鉄道)宮福線が開業。 2015年、北近畿タンゴ鉄道宮福線がWILLER TRAINSに移管、京都丹後鉄道宮福線となる。 ホーム上の時計には福知山市のイメージキャラクター「ドッコちゃん」が描かれている。 BGMは小鳥のさえずり。
福知山踊りの像
西日本旅客鉄道の福知山駅北口付近に設置されている像。 別名、福知山音頭。 福知山踊りは江戸時代から親しまれるようになり、「どっこいせ」という掛け声が特徴。 これは、明智光秀による福知山城の修復工事中、木材や石垣を運ぶ際に「どっこいせ」という掛け声をかけて運んでいたことに由来する。 毎年、8月の盆期間中に「市民総踊り大会」が開催され、福知山踊りが披露される。
南側一帯にはかつて西日本旅客鉄道の福知山運転所があったが現在は、公園を擁するロータリーとして整備されている。 また、かつて福知山機関区に所属していたC11形蒸気機関車40号機が、転車台に載せられた状態で展示、保存されている。
別名、横山城、臥龍城、八幡城、福智山城、掻上城。 小笠原長清の末裔である国人塩見頼勝が、八幡山の脇に掻上城を築城。 塩見頼勝は横山に姓を改め、城主は塩見信房、城名は横山城。 明智光秀は丹波国征討戦を開始、敵対した赤井直正・波多野秀治連合軍に塩見信房も加担。 戦術「赤井の呼び込み軍法」で明智光秀軍を撃退。 赤井直正が病死、波多野秀治の居城八上城と赤井直正の黒井城も落城。 明智光秀は金山城を築城、矢島刑部、朽木久兵衛、加上弥右衛門らが城代、丹波国の掃討戦を開始。 四王天政春、林半四郎らが横山城を攻撃、塩見信房と塩見信勝は防戦、自刃。 山家城の城主和久利明、猪ノ崎城の城主塩見利勝らは討死。
明智光秀
これを期に福山地方に属した国人衆は、明智光秀に降伏、福知山平定が成立。 1579年、明智光秀によって築城、女婿の明智秀満が城主。 由良川は天然の堀とし、北側には土師川と合流する標高40mの台地に築城。 織田信長は、豊臣秀吉と明智光秀に中国攻めを命じた。 豊臣秀吉は山陽道から、明智光秀は山陰道から進軍。 本能寺の変により、明智秀満は武功を立てたが、豊臣秀吉軍が福智山城で明智秀満の父を処刑。
明智光秀
明智光秀は山崎の戦いで敗北、在城は3年に。 丹波亀山城の城主は羽柴秀勝、杉原家次、小野木重勝。 関ヶ原の戦いで小野木重勝は西軍に属し、東軍の細川幽斎、細川忠興親子の田辺城を攻撃。 細川忠興は関東に出陣、細川幽斎が和議を成立。 細川忠興は福知山城を攻撃、小野木重勝は敗北。 有馬豊氏は福知山城に入城、久留米藩に転封、岡部長盛が亀山城から移る。
続日本100名城
岡部長盛も大垣藩に転封、稲葉紀通が摂津国中島藩より移るも、宮津藩の京極高広と争いとなった。 刈谷藩から松平忠房が入部、島原藩へ転封。 土浦城の朽木稙昌の入部後、1869年までの間、朽木氏が13代世襲。 天守は三重三階の大天守と1986年に復元された二重二階の小天守がある。 2017年、日本城郭協会が認定する続日本100名城(158番)に選定。
竜王戦
2018年11月、羽生善治竜王 対 広瀬章人八段」による将棋のタイトル戦「第31期竜王戦七番勝負」第4局が福知山城にて行われ、竜王戦としては史上初の城での開催となった。 羽生竜王の2勝1敗で迎えた第4局は、挑戦者の広瀬章人八段が勝利し、2勝2敗のタイに戻した。 控室や対局で使用された封じ手(実物)、羽生竜王直筆の色紙などが期間限定で展示されていた。
日本画家として活躍した佐藤太清の作品を中心に公開、展示している。 佐藤太清は1913年、京都府福知山市生まれ。 代表作には「清韻」「風騒」「緑雨」「雨あがり」「雪つばき」などがあり、特に花鳥画と風景画を融合させた独自の花鳥風景画を確立させ、文化勲章を受章した。 ここでは、日展、日春展等の出品画のほか、素描、スケッチブック等、幅広く収蔵。 展示室では制作で実際に使用した画材等を用いた画室が再現されている。
1998年、主に北丹鉄道の鉄道保存展示施設として設立。 北丹鉄道とは京都府福知山市の福知山駅と河守駅までを結んでいた鉄道会社。 建物は1933年、三ツ丸百貨店として竣工。 戦後、京都銀行となったが、ポッポランドとして開業。 1997年、福知山市が市制60周年を記念して、当時の福知山駅線路配置を再現したNゲージ鉄道模型が制作、展示。 C57形93号機の第3動輪が展示。 1957年から1970年までの間、福知山機関区(福知山電車区)に配属された蒸気機関車。 C58形56号機が展示。 1961年から1970年までの間、福知山機関区に配属され、1968年の福井国体でお召し列車牽引をした蒸気機関車。
京都府内を流れる一級水系の由良川に架かる橋。 1924年、長さ約550mの鉄橋として建設。
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そば・うどんを中心とする単品の他、群定食や鴨三昧、天婦羅定食、刺身定食、天丼、カツ丼、親子丼、雑炊などを味わうことができる。
群そば定食
そば、ご飯、サラダなどが一つになった群そば定食。 そばには、とんかつや鴨、てんぷら、山菜などが添えられていた。
いろんな蕎麦
温かいご飯と一緒に。
兵庫県明石市と京都府舞鶴市とを結ぶ国道175号沿いにあるロードパーク。
ロードパーク
ロードパーク入り口のモニュメントには「伝説の里 大江山 山の鬼道、川の鬼道」と刻まれている。 鬼の金棒を模った時計柱と、鬼の絵が描かれた手洗い場がある。
京都丹後鉄道宮福線の停車駅の一つ。 京都丹後鉄道の別名はWILLER TRAINS。 駅の愛称は付近にある大江山の鬼退治伝説に登場する鬼、酒呑童子に因んで酒呑童子駅。 1988年、宮福鉄道(北近畿タンゴ鉄道)宮福線開業と同時に開業。 駅構内には売店が設けられ、鬼饅頭などの特産品が販売されている他、レンタサイクルとして自転車の貸し出しも行っている。 また、2階には鬼や鬼瓦に関する展示室が設置されている。
鬼そば
江戸時代、丹後国宮津藩主が参勤交代の時、雲原で宿泊の際、手打ちそば「大江山 鬼そば屋」が蕎麦を打って献上したのが始まり。 そばは、歯ごたえの強い個性から、「こわい(かたい)そばや」と云い、「こわい」という方言から、大江町に古くから伝わる鬼伝説とあわせて「鬼そば」と呼ぶようになったとか。 そんな鬼そばをお土産としてお持ち帰りすることができる。
丹後の地酒 酒呑童子
ハクレイ酒造由良本店が醸造する酒の一つ。 1832年、創業。 こだわりのお米を使用した特別純米酒「香田」大辛口で一番人気であるとか。
付近の鬼伝説が残る大江山に因み、鬼をテーマにした都市公園(街区公園)。 大江山とは与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山で、鍋塚、鳩ヶ峰、千丈ヶ嶽、赤石ヶ岳で構成。 標高は832m。 別称、大枝山、与謝大山。 丹後天橋立大江山国定公園として国定公園に指定、新・花の百名山に選定。 山腹にはブナの原生林、稜線付近はナナカマドやヤマボウシ、山頂には笹原が広がる。 地質学的には超塩基性(蛇紋岩)の岩盤を持つといい、金属鉱脈が豊富でニッケル鉱石があることを確認、製錬所が建設され、専用鉄道(加悦鉄道日本冶金工業専用線)で輸送して製錬。
河守鉱山跡
福知山市では河守鉱山跡があり、1917年から1973年まで銅、クロム、銀の採掘が行われていた。 大江山には鬼退治伝説が残る。 一つ、「古事記」に記された、崇神天皇の弟の日子坐王(彦坐王)が土蜘蛛陸耳御笠の退治。 二つ、聖徳太子の弟の麻呂子親王(当麻皇子)が英胡、軽足、土熊の退治。 三つ、源頼光と頼光四天王が活躍した酒呑童子伝説。
鬼瓦
公園内には、全国の鬼瓦を作る鬼師の鬼瓦などを中心に72点が野外展示。
鬼瓦
鬼面柱の回廊、屋根付鬼の回廊、鬼の酒噴水、鬼門厄除け六面鬼、鬼のプロムナード等が設置。
鬼のプロムナード等
鬼面柱の回廊、屋根付鬼の回廊、鬼の酒噴水、鬼門厄除け六面鬼、鬼のプロムナード等が設置。
鬼面柱の回廊
鬼面柱の回廊、屋根付鬼の回廊、鬼の酒噴水、鬼門厄除け六面鬼、鬼のプロムナード等が設置。
鬼退治や酒呑童子伝説が残る大江山付近で佇む一軒のお店。 ここは地元でも人気のお店の一つで、駐車場には多くの車が止まっていた。 昔ながらの雰囲気があるが、ここの看板名物は、鬼そば。 店内は比較的に落ち着いた雰囲気で老舗らしい雰囲気が漂っている。 お品書きには、ざるそばや山かけそば、にしんそば、天ぷらそば、天ざるそば、巻きずしの他、うどんやカツ丼、親子丼などが並ぶ。 その中でも気になったのは店先にもあった「鬼そば」。 巻き寿司と一緒に。
巻き寿司
巻き寿司は本格的なお寿司屋さんのような味わいで具材も豊富で美味しい。
鬼そば
両手で支えながら持つような大きな赤い器に黒色の麺。 黒色の面は、山菜入りであるといい栄養価も抜群。 温かい蕎麦出汁と一緒に麺もすする。 これも本格的なお蕎麦屋さんの味がしみ込んでいて絶品でした。
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別名、元伊勢伝承地の一つであることから、「元伊勢神宮外宮」とも称される。 大江地域には当社の他にも元伊勢伝承の皇大神社、天岩戸神社が鎮座していることから「元伊勢三社」と総称。 祭神は、雄略天皇の時、丹波国から遷宮して伊勢神宮外宮に祀られた豊受姫命。 相殿神は、日子番能邇邇芸尊、天児屋根命、天太玉命。
歴史
804年、止由気宮儀式帳には雄略天皇が天照坐皇太神の夢託を蒙り、御饌都神として等由気太神(豊受大神)を丹波国から伊勢に迎えたのが外宮であると記されていた。 それに基づき、伊勢へ遷座したその故地であるという。 1656年、宮津藩主京極高国が将軍家綱の疱瘡平癒を祈願して社殿を造営。
伝統地場産業である丹後和紙の博物館。 ここでは、旧大江町の伝統地場産業であった丹後和紙の歴史や製造工程・生産方法、職人の技法などの展示や伝統作品が展示。 体験工房では、和紙の手づくり体験をすることができる。
別名、元伊勢伝承地の一つであることから、「元伊勢神宮内宮」とも称される。 大江地域には当社の他にも元伊勢伝承の豊受大神社、天岩戸神社が鎮座していることから「元伊勢三社」と総称。 祭神は、伊勢神宮の祭神でもある天照大神。
歴史
天照大御神は、宮中に祀られていた。 崇神天皇の時代、伊勢に至るまで鎮座地を各地に転々とさせた。 一時的に当地が鎮座地となり、「但波(丹波)国乃吉佐宮」となった。 また、元伊勢三社のうちの一社にあたる天岩戸神社が隣接し、皇大神社の奥宮とされる。
京都府福知山市にある観光案内所。 施設内では大江町を中心とする土産を販売する売店、休憩所がある。 その他、大江町を中心とする観光案内、情報発信などを行っている。
鬼のモニュメント
大江町にある大江山は鬼の酒呑童子ゆかりの地として知られ、鬼のモニュメントが設置。
毛原地区は自然豊かな山々に囲まれた山間部に位置し、傾斜を生かした約600枚の棚田が広がっている。 また、日本酒の一つ「どぶろく」の生産地として知られ、どぶろくを上場販売するどぶろくの里やイタリアンレストランなどが営業する。
鬼のモニュメン
大江町にある大江山は鬼の酒呑童子ゆかりの地として知られ、鬼のモニュメントが設置。
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京都府福知山市内を流れる二瀬川沿いと旧宮津街道沿いに位置する。 鬼の足跡は、二瀬川の対岸にある鬼の見張り場所の鬼飛岩から飛び降りたときにできたとか。
鬼のモニュメント
大江町にある大江山は鬼の酒呑童子ゆかりの地として知られ、鬼のモニュメントが設置。
鬼のモニュメント
大江町にある大江山は鬼の酒呑童子ゆかりの地として知られ、鬼のモニュメントが設置。
京都府福知山市内を流れる二瀬川沿いと旧宮津街道沿いに位置。 大江山で鬼退治をした源頼光が腰掛けたという大きな岩が現存する。 源頼光とは平安時代に活躍した武将の一人。 父は鎮守府将軍の源満仲、母は嵯峨源氏の近江守の源俊の娘。 満仲の長子で清和源氏の3代目であり、平安京に邸宅を構えていたとか。
大江山は与謝野町、福知山市、宮津市に跨る連山。 標高832m。 別称、大枝山、与謝大山、千丈ヶ嶽。 鍋塚、鳩ヶ峰、千丈ヶ嶽、赤石ヶ岳と呼ばれる峰がある。 地質学的には地球の深部から隆起した地層で超塩基性(蛇紋岩)の岩盤を持つ。 金属鉱脈が豊富で周辺には金屋など金属にまつわる地名が多い。 1934年、与謝野町で日本火工(日本冶金工業)の子会社が探鉱を開始し、ニッケル鉱石があることを確認。
金属のまちとして
当初、製錬は石川県七尾の元セメント工場で行われたが、太平洋戦争のための兵器製造に必要なニッケルを大量に確保するため、宮津市に新しい製錬所を建設、専用鉄道(かつての加悦鉄道と日本冶金工業専用線)で輸送。 1917年から1973年まで銅、クロム、銀の採掘が行われた。 主な鉱石はキューバ鉱、黄銅鉱、クロム鉄鉱、磁硫鉄鉱など。
3つの鬼退治伝説
大江山には3つの鬼退治伝説「酒呑童子伝説」が残っている。 一つは、古事記に記された、崇神天皇の弟の日子坐王(彦坐王)が土蜘蛛陸耳御笠を退治。 二つは、聖徳太子の弟の麻呂子親王(当麻皇子)が英胡、軽足、土熊を退治。 三つは、源頼光と頼光四天王が活躍。
丹後天橋立大江山国定公園
京都府の京丹後市から舞鶴市に至る「丹後半島海岸地区」、丹後半島内陸部の「世屋高原地区」、福知山市を中心とした「大江山連峰地区」の3地区で構成。 2007年、若狭湾国定公園から丹後半島海岸地区が独立、他の2地区を追加指定して新設。 丹後半島沿岸では、日本三景の一つ天橋立や伊根の舟屋群、鳴き砂で知られる琴引浜などがある。 世屋高原では近畿有数のブナ林が広がり、大江山は鬼伝説、味土野の大滝がある。
大江山にむかう頼光たち
大江町にある大江山は鬼の酒呑童子ゆかりの地として知られ、鬼退治に向かう源頼光ら一行が展示。 源頼光とは平安時代に活躍した武将の一人。 父は鎮守府将軍の源満仲、母は嵯峨源氏の近江守の源俊の娘。 満仲の長子で清和源氏の3代目であり、平安京に邸宅を構えていたとか。
1993年、大江山には3つの鬼伝説「酒呑童子伝説」が残っており、廃坑となった銅鉱山跡地に鬼伝説をテーマとする博物館として開館。 外観は鬼をイメージ。 施設内では4つのスペースに分けられ、「鬼とは何者かをさぐる」があり、全国または世界各国の伝統芸能や実際に用いられてきた面、人形、屏風画などを展示。 「大江山の3つの鬼伝説紹介」では、大江山に伝わる鬼退治伝説の絵巻物などを展示。 「チビッ子おに」では、子どもの玩具としての鬼の面や絵本、紙芝居などを展示。 「日本における鬼瓦の推移を見る」では、飛鳥時代から現代までの鬼瓦を展示。
鬼
その他、「祀られる鬼」「仏と鬼」「神楽の鬼」「暮らしの中の鬼」「追われる鬼」「民俗芸能の鬼」など。
大鬼瓦
博物館の前庭にある大鬼瓦は、日本鬼師の会製作。 高さ約5mで日本一の大鬼瓦。
研修宿泊施設。 ツインの洋室(4部屋)、定員6名の和室、定員10名の大広間など。
施設
ツインの洋室(4部屋)、定員6名の和室、定員10名の大広間など。
鬼のモニュメント
大江町にある大江山は鬼の酒呑童子ゆかりの地として知られ、鬼のモニュメントが設置。
鬼のモニュメント
大江町にある大江山は鬼の酒呑童子ゆかりの地として知られ、鬼のモニュメントが設置。
鬼のモニュメント
大江町にある大江山は鬼の酒呑童子ゆかりの地として知られ、鬼のモニュメントが設置。
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