東遊園地
花と彫刻の道 日本近代洋服発祥の地記念彫刻
1.17希望の灯り
アレキサンダー・キャメロン・シム顕彰碑
花と彫刻の道 W・Jモラエス翁像
ボウリング発祥の地
神戸旧居留地VILLA BLANCHE
日本マラソン発祥の地
花時計広場
こども本の森 神戸
神戸市役所
神戸市役所24階展望ロビー
日本真珠会館
高砂ビル
オリエンタルホテル跡
神戸海軍操練所跡碑
神戸電信発祥の地
海岸通
KOBE Parklet(こうべ パークレット)
チャータードビル
神戸市立博物館
宮城道雄生誕地の石碑
カフェ・ド・神戸旧居留地十五番館
神港ビルヂング
商船三井ビルディング
神戸郵船ビル
神戸華僑歴史博物館
海岸ビルヂング
海岸ビル
神戸海軍操練所・陸奥宗光顕彰碑
ケンミン食品(株)
神戸居留地で今も残るモダンな町並みを楽しむ旅
兵庫神戸居留地で今も残るモダンな町並みを楽しむ旅
まいどまいど! 神戸と言えば、六甲山頂付近などから眺める百万ドルの夜景の町は全国的に有名でんねん。 そんなオシャレなまち神戸の一つとして象徴するのが、今も残る近代建築物。 一般的にはモダニズム建築(モダン建築)とも言われてまんねやけど、その洋風なデザインが注目を浴びてまんねん。 なかでも、モダニズム建築が集まるエリアが海岸通付近。 すぐ近くには海外との貿易が盛んな神戸港があり、神戸の北野とともに、外国人居留地の町として発展してきました。 神戸港の前身は大阪港。 元々、大阪市西区川口に港があり、海外との貿易が盛んで、外国人居留地「川口居留地」としてのにぎわいを見せていました。 ある日、時代と共に大型船も行き来するようになりましてんけど、浅瀬であったかさい、大型船が入港できへん事態に。 そこで、注目を集めたのが神戸港。 大阪からも近く、コンテナの取扱個数は一時、世界一でおました。 今も海外との貿易が盛んな神戸には魅力がぎょうさんおまっせ。 今回はその一部だけやおますけど、モダニズム建築物を中心に紹介していきまひょ! まずは、南京町やハーバーランドなど、近くに寄ったついでに、ぜひ!
1868年、日本初の西洋式運動公園「外国人居留遊園」として開園。 開園当時は外国人専用であった。 1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震、通称、阪神・淡路大震災の慰霊と復興のモニュメント・1.17希望の灯りも公園内に建立。 毎年1月17日の追悼行事では主要会場の一つ。 毎年12月の光の祭典「神戸ルミナリエ」は主要会場の一部。 名称の「遊園地」は一般的な遊園地の意味とは異なり、「公園」と同義で使われている。 また、当初、「内外人公園」などと呼ばれていたが、旧居留地の東に位置することから「東遊園地」と呼ばれるようになった。
東遊園地
外国人らが園内のグラウンドで野球、ラグビー、サッカー、ボウリングなどのスポーツを行ったことで、国内にそれらのスポーツが広まるきっかけとなった。 1890年、神戸倶楽部(アレクサンダー・ネルソン・ハンセル設計)が建設されたことで、外国人の社交場となった。
1869年、英国人カベル氏が兵庫県神戸市内にある旧居留地16番館に洋服店が開業。 30番館に英国人スキツプ氏と付近に中国人其昌号氏が開業。 日本人では泉小十郎氏、次いで西田正太郎氏が開業。 明治政府は洋服を日本国内に浸透させるため、洋服を着用するよう発令。 以後、神戸洋服商工業協同組合によって1972年に100年を迎え記念に碑を建立。 碑は、洋服の身頃と袖部分の型紙を象形化したもの。
1995年1月17日5時46分、兵庫県南部を震源地とする兵庫県南部地震(通称、阪神淡路大震災)が発生。 大都市の直下を震源とする大地震としては日本で初めて。 気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初めて最大震度7が記録された地震。 地震の震源は野島断層(六甲・淡路島断層帯の一部)付近で、地震により断層が大きく隆起して地表にも露出。 慰霊と復興のモニュメント・1.17希望の灯りのモニュメントが建立。 毎年1月17日に開催される阪神・淡路大震災の追悼行事では主要会場の一つ。 また、1995年から毎年12月に開催される光「神戸ルミナリエ」は当遊園地のグラウンドにフロントーネ(光の装飾)を設置。
1840年、英国のスコットランドのアバルー(英語版)生まれ。 ロンドンで薬剤師となった。 政府の海外派遣員の資格を得、香港で勤務後、来日。 長崎で滞在後、神戸に移住、薬剤師となった。 18番地にACシム商会を設立、薬品の輸入・販売。 また、日本初のラムネを販売。 その他、陸上競技、ボート競技などスポーツ選手として活躍。 スポーツクラブの創設を提唱、神戸レガッタアンドアスレチッククラブを設立。
アレキサンダー・キャメロン・シム氏の顕彰碑
自主的に消防隊の隊長を務め、就寝時にも出動に備えて消防服とヘルメット、手斧を枕元に置いていたとか。 消防隊が消防組として神戸市へ移管された後、消防組名誉顧問としての待遇を受け、消防組を指揮した。 また、日本各地で自然災害の発生時、義援金を集め、食料や衣料の配給にあたるなど現地に赴いて様々な救援、ボランティア活動を行った。 神戸外国人居留地における自治機構の最高議決機関・居留地会議の副議長を務めた。
1854年、ポルトガルのリスボン生まれ。 海軍学校卒業後は、ポルトガル海軍士官。 来日し、マカオ港務局副司令、外交官。 ポルトガル領事館では、在神戸副領事として赴任、総領事。 「コメルシオ・ド・ポルト(ポルト商業新聞)」に日本の政治外交や文芸等を紹介し、集録した書籍が刊行。 神戸在勤中、芸者おヨネ(福本ヨネ)と暮らした。 ヨネ氏の没後、ヨネ氏の出身地・徳島市に移住、ヨネの姪・斎藤コハルと暮らした。
1868年、日本初の西洋式運動公園「外国人居留遊園」が開園し、多くの外国人が当地に訪れた。 次第に外国人の社交場としての賑わいを見せ、それまでは外国のスポーツであった野球、ラグビー、サッカー、ボウリングなどが広まった。 日本初のボウリング場は、1861年6月22日に発行された日本初の英字新聞・近代活版新聞「ザ・ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アド バタイザー」に掲載された長崎県のインターナショナル・ボウリング・サロン。 6月22日は「ボウリングの日」として制定。 当地では1869年、ボウリングレーン付で駐在外国人の会員制クラブ「ユニオンクラブ」が開業、以後、「神戸クラブ」となった。
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現在、東遊園地公園の管理事務所と旧神戸社交倶楽部・レストランとなっている。 設計は、イギリス人の建築家アレキサンダー・ハンセル。 ゴシック.リバイバル建築に基づき、煉瓦を剥き出しにしたデザインを採用。 1868年、当時、兵庫県神戸市には社交倶楽部が2つ存在した。 一つはドイツ人が設立したクラブ・コンコルディアにはオランダ人、ノルウェー人、スウェーデン人などが入会。 非ドイツ人会員が、対立を機に大量に脱会し、79番地のオリエンタルホテル地下に移転。 ユニオンクラブは居留地返還後も、活動を行っている。
管理事務所と旧神戸社交倶楽部・レストラン
アメリカ人とイギリス人が中心となって設立したユニオンクラブ(インターナショナルクラブ)で、後の神戸外国倶楽部。
管理事務所と旧神戸社交倶楽部・レストラン
ユニオンクラブは、居留地内の建物の31番地、32番地、79番地(オリエンタルホテル地下)に本拠を置き、活動していた。 クラブ施設は太平洋戦争で日本軍に接収され、空襲で焼失。 1950年、東遊園地に、アメリカ合衆国領事館が建設され、クラブは、現在のトーアロードにあるドイツ系資本のトーアホテル跡地に移転。
1909年、神戸の湊川から大阪の西成大橋東端までの約32kmの「マラソン大競走」が開催。 国内で名称「マラソン」を使用したのは、この大会が初めてとも。 参加申込者は408人、体格試験によって120人に限定。 鳴尾競馬場で予選を実施、出場選手20人が決定。 大会当日の午前11時30分、当時の水上浩躬神戸市長が短剣で選手の前に張られた紅白のテープを切り、スタート。 1位は、岡山県在郷軍人の金子長之助選手。 御影付近で、わらじの緒が切れるも、脱ぎ捨てて走り続け、タイムは2時間10分54秒で優勝。 優勝者には300円の賞金の他、金時計や銀屏風などの賞品も。
東遊園地に設置されたモニュメント。 花時計としては日本で初めて設置された。 1950年代、第13代神戸市長の宮崎辰雄氏が日本初の花時計を製作する計画を提案。 多額の寄付金により花時計の製作が進められた。 1957年、第4代本庁舎の竣工と同じ時期に花時計が設置、始動式が開催され、稼働を開始。 1995年、阪神・淡路大震災で花時計が停止するも「よみがえれKOBE!がんばれ神戸っこ!!」のメッセージを添えて復旧。 2019年、市役所の建て替え工事に伴い、移設されるも東遊園地に移転。 花時計は小高い山のような形。 直径6m、傾斜角度15度の文字盤が設置。
ひらくとひろがる
花時計広場に設置された作品。 穂波梅太郎氏の作品「ひらくとひろがる」。
東遊園地内に位置する図書館。 2022年、一級建築士の安藤忠雄氏より神戸市に寄贈された文化施設。 安藤は大病を患い、療養期間中に読書の時間を得たことで、子どもが本と触れあえる場所を作ることに着想。 蔵書は市民から寄贈された本も含め、約2万冊。 こどもたちが、都心の公園の中で自由に本にふれあうことで、神戸の歴史や文化に出会い、震災の教訓から命の大切さを学び、創造力を育めるようにとの願いが込められている。
1号館の24階にはレストラン、喫茶がある展望ロビーあり、地上約100mの高さから公園の東遊園地公園、旧居留地など神戸市街地を一望することができる。
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神戸市役所の1号館の最上階である24階に設置された展望ロビー。 地上約100mの高さから六甲アイランドや東遊園地、六甲山系など神戸市街地を一望できる。
別名、神戸パールミュージアム。 戦前、兵庫県神戸市は日本の真珠取引の約8割を担っていた。 1952年、世界の真珠取引の中心を目指す拠点として、建設されたオフィスビル。 建設当時、日本で初めてとなる全自動ベネシャンブラインド、全自動式エレベータ、全館蛍光灯などを採用した。 1階には、博物館「神戸パールミュージアム」が設立。 近代化産業遺産および国の登録有形文化財に登録、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築などにも定められている。
1949年、当時の李義招会長らが戦後、配給物資のセメント材料を確保し、建設した。 本業である帽子の製造・関連素材の輸出入と保税上屋(営業倉庫)として使用していた。 1972年、ロフト付きの貸事務所として不動産賃貸業を開始。 1984年、CAP代表の芸術家・杉山さんがアトリエを、1988年には安田さんが突撃洋服店をオープン。 2階のフリースペース「髙砂小径」は、無料ギャラリーとして展開。 4階では、ワーナーブラザーズ映画、北野武監督・ビートたけし出演映画「アウトレイジ」の撮影が行われたという。 劇中ではビートたけしさん扮する「大友組」組長の組事務所として登場したとか。
1870年、オランダ人のG・ファン・デア・フリースにより日本最古級の西洋式ホテルとして開業。 1887年、フランス料理店「レストラン・フランセーズ」オーナー・フランス人のルイ・ベギューの所有となって移転。 1897年、アーサー・ヘスケス・グルーム、エドワード・ハズレット・ハンターらが所有。 日露戦争前、ロシア陸軍大臣クロパトキン将軍一行は宿泊。 1907年、当地に移転。 建築家ゲオルグ・デ・ラランデとヤン・レッツェルが共同設計。 当時、日本最高のホテルの一つとも。 ブランド「神戸ビーフ」を世界に広めた施設の一つとも。 1945年、神戸大空襲で焼失。 1948年、営業を再開。
モダンな外観で世界初となる灯台を設置したホテル
1964年、モダンな外観で世界初となる灯台を設置したホテルとして移転。 1995年、4代目が阪神淡路大震災で被災・解体。 2010年、同地に再オープン。
1864年、江戸幕府軍艦奉行の勝海舟の建言により海軍士官養成機関、海軍工廠を設置。 1863年、攘夷論が高まり、摂海(大阪湾)の防備が重要視され、幕府は砲台の築造を決定。 勝海舟は、14代将軍徳川家茂の大阪湾巡視に随行し、生田川河口(神戸村内)に上陸。 家茂から直々に、この場所に海軍の操練局開設の許可を得た。 海舟は、従来の幕府や諸藩の垣根を越えた日本の「一大共有の海局」を作りあげるという構想を抱いていた。 操練所の施設は、網屋吉兵衛が築造した船たで場を利用し、外周の土手を除いて竣工した。 失脚した長州藩が京都へ進攻した禁門の変の責を問われて海舟は軍艦奉行を罷免され、反幕府的と判断され、閉鎖。
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1969年、東京から横浜間で開通し、日本で初めて電信が商業的に使用を開始。 1970年、関西地方で初めて大阪(川口電信局)と当地に開通。 明治時代、電気通信は電信で、トン・ツーのモールス信号で通信を行った。
1871年、宇治川と鯉川との間に道路が完成し、海岸に面していた事から「海岸通り」と命名。 1872年、神戸外国人居留地内の東西5本、南北8本の道路のうち、最南端の東西通が「海岸通」と命名。 かつて神戸海岸通と呼ばれていた。 1930年代、香港上海銀行、海岸ビル、商船三井ビル、オリエンタルホテル、神港ビル、チャータード銀行など石造建築が立ち並んだ。 1870年、政府が居留外国人のために海岸遊園地を設置。
神戸市内の中心部を南北に結ぶ京町筋の一角に設置された休憩所。 目的は都心の新たな憩いや賑わいの創出。 日本で初めて車道の停車帯を利用したKOBEパークレットが整備された。 また昔ながらの雰囲気が漂うガス灯も設置。
1938年、チャータード銀行神戸支店として竣工。 設計は、ジェイ・ヒル・モーガン。
1982年、神戸市立南蛮美術館と神戸市立考古館が統合して開館。 テーマは、国際文化交流-東西文化の接触と変容。 国宝を含む考古学資料や古地図、聖フランシスコ・ザビエル像、織田信長像、豊臣秀吉像などの美術品、金山平三や小磯良平ら神戸ゆかりの芸術家の作品等を所蔵・展示。 神戸市立南蛮美術館の前身は、神戸市出身の池長孟によって開館した私立池長美術館。 南蛮紅毛美術の収集品を展示する施設であったが、神戸市に譲渡し、神戸市文書館となった。 建物は1935年に竣工。 旧三菱銀行本店や丸ビル旧館などを手がけた建築家・桜井小太郎最後の作品。 横浜正金銀行神戸支店として建設され、東京銀行神戸支店として使用。
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1894年、菅国治郎とアサの長男として兵庫県神戸市で生まれる。 生後、眼病を患い、生田流箏曲の二代菊仲検校に師事するも、兄弟子菊西繁樹の紹介により二代中島検校に師事した。 以降、三代中島検校のもとに師事し免許皆伝となる。 師匠から「中島」の「中」の字をもらい受け、中菅道雄と名乗り、昼間は箏、夜間には尺八を教えていたとか。 14歳で第一作の箏曲「水の変態」を書き上げ、伊藤博文に評価された。 入り婿として喜多仲子と結婚し、妻の生家の宮城に改姓してからは芸名を廃止し、本名の宮城姓を名乗った。 最高位である大検校の称号を受けた。 代表曲は、「春の海」
旧アメリカ合衆国領事館。 国の重要文化財に指定。
旧神戸居留地煉瓦造下水道
日本最古の近代下水道の遺構(国の登録有形文化財)が展示されている。
1939年、川崎汽船本社ビルとして竣工。
1922年、旧大阪商船神戸支店として竣工。 アメリカルネサンス様式。 設計は、渡辺節。 構造設計は、内藤多仲。
1918年、初代米国領事館の跡地に旧日本郵船神戸支店として建設された。 設計は、曾禰達蔵・中條精一郎。 1945年、神戸大空襲で焼失した。 1994年、日本設計設計、大林組・藤木工務店施工。
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日本で唯一の華僑博物館である。 1979年、初代館長は陳徳仁。 神戸華僑来日の経緯やコミュニティーの発展の様子などが資料とパネル・写真によって展示。 孫文、戊戌政変で日本に亡命した梁啓超直筆の扁額や書も展示。
旧・日濠館。 兼松房治郎が創業した貿易会社兼松商店(現兼松の前身)の本店として建設された。 設計は、河合浩蔵。
設計は、河合浩蔵。 1918年、旧三井物産神戸支店として竣工した。 旧外壁は国の登録有形文化財に登録。
1858年、江戸で安井息軒に師事するも、吉原通いが露見して破門。 水本成美に学び、土佐藩の坂本龍馬、長州藩の桂小五郎(木戸孝允)・伊藤俊輔(伊藤博文)などの志士と交友を持った。 1863年、泊園書院(関西大学)で学び、勝海舟の神戸海軍操練所に入った。 1867年、坂本龍馬の海援隊(亀山社中)に参加。 龍馬暗殺後、紀州藩士三浦休太郎を暗殺の黒幕と思い込み、海援隊の同志15人と共に滞在する天満屋を襲撃する事件(天満屋事件)を起こした。
ビーフンを中心とする食品メーカー。 本社ビル1階は中華料理店「健民ダイニング」となっていて、焼きビーフンを中心に味わうことができる。 1950年、創業。 乾燥麺類、中国茶、冷凍食品、ライスパスタ、ライスペーパー等を製造している。 同社の社名は台湾出身の創業者で、社長、会長を歴任した高村健民の名に因むも。 ビーフンに始まる米めん開発・製造に精通し、国内シェアは約7割を占める。
ケンミン焼ビーフン
主力商品の「ケンミン焼ビーフン」は1960年に誕生、世界初の味付きビーフンで、2020年販売期間60年間がギネス世界記録に認定された。 また自動販売機が設置され、ケンミン食品で製造販売されている商品の一部を購入することができる。
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