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チャオプレッソ 京都みやこみち店
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京都鉄道博物館
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京都市学校歴史博物館
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先斗町
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三条大橋高札場跡
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旅籠茶屋池田屋はなの舞
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お龍庵【十割そば】
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本因坊 発祥の地
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がんばれお好み焼き負けるな焼きそば 堀川三条店
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御金神社
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京都国際マンガミュージアム
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琵琶湖疏水記念館
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南禅寺
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清水寺
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白峯神宮
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一条戻橋
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北野天満宮
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金閣寺(鹿苑寺)
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伏見稲荷大社
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伏見十石舟
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キザクラカッパカントリー
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電電宮
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鈴虫寺(華厳寺)
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東映太秦映画村
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御髪神社
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嵯峨とうふ稲 北店
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河合神社
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MKバイキング上賀茂
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鞍馬寺
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平等院
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貴船神社
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流れ橋(上津屋橋)
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酬恩庵(一休寺)
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寿宝寺
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普門山 蟹満寺
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パン・オ・セーグル
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木津南配水池
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CoffeeHouse微利軒
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保津川下り
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かやぶきの里
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食堂 大江山
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日本の鬼の交流博物館
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舞鶴赤れんがパーク
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五老スカイタワー
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ドライブイン ダルマ
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天橋立ビューランド
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宮津まごころ市 農産物等直売所
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丹後王国 食のみやこ
あかん!京都、えらいおもろすぎる!
京都あかん!京都、えらいおもろすぎる!
まいどおおきに! 千年の都・京のまちには関西だけやなく遠くは海外からもぎょうさんの観光客が押し寄せ、にぎわおうてはりまんねやけど、ここのプランでは地元・京都府民でも知りはれへんような名所も含めてご案内していきまひょ。 京の都には「清水の舞台から飛び降りる」っちゅう日本の故事・諺の由来にもなった清水寺、「絶景かな!絶景かな!」っちゅう台詞で知られる南禅寺、球技の神様、落語の神様、美人の神様、芸能の神様、髪の毛の・・・髪様!?もおすすめ。 ほんでそれら観光名所に向かう道中でも、京の魅力を味わおうていただきたいさかい、京の都を流れる鴨川沿いで川床の先斗町、伏見稲荷すぐそばで京地酒、嵐山で湯葉の名店、ご家族やご友人など幅広い世代で楽しめる京都鉄道博物館、マンガミュージアムもおまっせ。 ほんでさらに、肉じゃが、海軍カレー発祥の地の赤レンガパーク、西日本最大級規模を誇る丹後王国食のみやこなど京の都の「おもろいもん・おもろいとこ」だけを抜粋し、それだけを追求したおでかけプランでおます。 是非この機会に知る人ぞ知る穴場も併せて京の都を巡ってみはったらどないですやろか。 ぜひ、参考にしておくれやっしゃ。
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東海道新幹線と西日本旅客鉄道の停車駅の一つ京都駅構内にあるカフェ。 メニューはエスプレッソ、アイスカフェラッテ、ケーキなど。 店内にはカウンター席とテーブル席がある。 京都限定「舞妓はんカプチーノ」は記念撮影など楽しみ方は様々。
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舞妓・芸妓
酒席等で芸(三味線や舞い等)を披露する女性の芸者のことを「舞妓・芸妓」と呼ぶが、そもそも舞妓とは中学校卒業後の15歳から20歳まで(見習い期間)、芸妓は20歳から、と年齢に違いがある。 その他、髪型(地毛からカツラ)や服装(振袖から無地の着物)、履物も(下駄・草履)などに違いも。 特に舞妓はんからもらわはった(=貰った)お名刺はお財布の中に入れておくと幸せが「舞い込」んでくるとか!?
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2016年、大阪市港区の交通科学博物館と京都鉄道博物館の前身にあたる梅小路蒸気機関車館を統合し、グランドオープンした。 西日本旅客鉄道(JR西日本)および公益財団法人交通文化振興財団が運営する。 展示面積はJR東日本の鉄道博物館(埼玉県)やJR東海のリニア・鉄道館(愛知県)を超える日本最大の鉄道博物館として知られている。 イギリス国立鉄道博物館との姉妹提携継続調印式が行われた。 プロムナードでは、実際に使用されていた車両の一部が展示、保存されている。 プロムナードは、エントランスホールと本館とをつなぐ。
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自動改札機と自動券売機
日本で初めて自動改札機と自動券売機が設置されたのは、阪急電車千里線の北千里駅。 今では全国各地で目にするようになった自動改札機や自動券売機にも不思議がいっぱい。 ここでは、自動券売機で切符の購入体験。 自動改札機は一部が切り取られ、購入体験で購入した切符を持って、実際に入れながら自動改札機の仕組みを観察することができる。
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運転シミュレータ
壁面には、映画やドラマでないとみる機会がないであろう運転シミュレータ。 ここでは、在来線用6台と新幹線用2台が設置されており、パソコンを使用して、実際に体験することができる。
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鉄道ジオラマ
鉄道ジオラマでは、ガラスの奥で街並みが再現され、線路が敷かれている。 ここでは、JR在来線や新幹線、私鉄の阪急電車や京阪電車、近畿日本鉄道などが走り、アナウンスでは車両の紹介などを行っている。
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3階のスカイテラス
京都鉄道博物館の本館の最上階にあたる3階の一部はスカイテラスとなっていて、京都市内を一望することができる。 周辺は高層ビルが少なく、すっきりとした印象。 また、列車運行をリアルタイムで示すモニターが設置され、京都と 西大路間および京都と丹波口間を走る在来線全列車の現在位置が表示されている。
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新幹線車両
1985年に登場した100系。 座席間隔の拡大により3人掛けとなり、回転が可能となった。 また、個室、グリーン車、食堂車、そして、2階建車両が連結した。
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扇形機関車庫
梅小路蒸気機関車館所蔵の車両。 扇形車庫1番から7番までは動態保存車、8番から20番までは静態保存車の収蔵。
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1998年、閉校となった元番組小学校の一つである開智小学校の校舎を利用して開館。 施設内では京都の学校教育の元番組小学校を中心とした常設展の他、企画展を開催。 国家による学校制度(学制)が1872年に創設されるその先駆けとなった。 1869年、当時の住民自治組織「番組(町組)」を単位として京都の町衆たちの手によって64の小学校が創設。 かつて京都の上京と下京には「町組」という住民自治の組織があったが、明治維新の頃に「番組」という地域的なまとまりを持つ組織に再編。 1870年、各番組小学校において「稽古はじめ」式が催され、授業が開始。 授業科目は「句読」「暗誦」「習字」「算術」の4科。
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番組小学校!?
京都府が作成した式次第によると、孔子と菅原道真の2学神像が祀られた。 1879年、京都では「区」として再編、郡区町村編制法により上京区・下京区が置かれ、「組」と改称。 1941年、国民学校令により学区による小学校の運営が廃止。 正門、石塀、玄関(旧成徳小学校講堂玄関車寄を移築)が国・登録有形文化財。
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鴨川と木屋町通の間にある花街(芸妓屋、遊女屋が集まっている区域)。 先斗町(ぽんとちょう)と読む。 1670年、鴨川の州であった場所を護岸工事で埋立て、新河原町通と呼んだ。 当時は、茶屋、旅籠などが置かれていたが、芸妓、娼妓が居住するようになった。 京都市左京区川端二条東入るにあった二条新地の出稼ぎ地として認められ、明治初期に独立。 1872年、鴨川をどりが初演。 舞踊の流派は篠塚流、柳流、尾上流がある。 飲食店や居酒屋などが立ち並ぶがなかでも全国的に有名なのが鴨川に面した形で営業を続ける納涼床「川床」。 また、先斗町には「先斗町公園」があり、太平洋戦争中の建物疎開で作られた空き地がある。
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卯柳 先斗町 花
鱧や河豚、鴨を使用した懐石料理があるが、今回は京都の名物を使用した季節の野菜、魚介を天婦羅に、ボリューム満点の盛り合せと生湯葉と鮮魚のお造りが一つになった天ぷら御膳(1日限定10食)。
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富美家
ここでは主に、和食や懐石料理、他にはステーキなどがある。 川床は陽が沈む午後5時から(店舗により異なる)の営業となっているが、午前11時から(店舗により異なる)ランチとして楽しむことができる。 湯葉を味わいつつ。
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鴨川に架かる三条大橋は三条通の橋。 豊臣秀吉の命により、五条大橋と共に増田長盛を奉行として石柱の橋に改修。 江戸時代、五街道の一つ東海道に繋がる橋として、幕府直轄の公儀橋に位置付け。 徳川家康による東海道五十三次の西の起点となった。 撫で石は、撫でると縁起がいいとの言い伝えも。 1917年、日本初の駅伝競走が、当地からスタートした記念碑「駅伝の碑」。 旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した池田屋事件が勃発し、三条大橋擬宝珠刀の傷跡が現存。
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高札場跡
江戸時代、三条大橋の西詰には藩や幕府の高札を立てた「高札場跡」。 土佐藩士8人が三条大橋西詰北の制札を引き抜こうとしたところ、京都の治安維持を行っていた新選組がこれを襲撃・捕縛した三条高札事件がある。
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京料理と新鮮海鮮料理専門の居酒屋。 店内はテーブル席、座敷など。 居酒屋は1864年に旅館・池田屋で潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織・新選組が襲撃した池田屋事件の場所として知られ、店前には池田屋事件に関する石碑と説明板。 店内には、当時の旅館を再現した造りとなっていて、大階段や壁面には尊王攘夷派志士や新選組。 そして、大階段の上には、襲撃する武士の姿と斬られる武士の姿も。
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試着体験
武士の法被などを試着体験することができ、記念撮影を楽しむことができる。 2008年にアイディアファクトリー(オトメイト)から発売された女性向け恋愛アドベンチャーゲーム、テレビアニメ、ミュージカル、映画などにもなった「薄桜鬼〜新選組奇譚〜」のコラボレーション企画が実現し、そのコラボレーション期間中であるといい、地下では雪村千鶴、土方歳三、沖田総司、斎藤一、藤堂平助ら薄桜鬼にまつわる展示があった。
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池田屋事件にちなみ、新選組として
メニューは池田屋事件にちなみ、新選組として活躍した近藤勇、土方歳三、沖田総司、斎藤一がランチ時間帯のみ定食に。 夜間の宴会コースでも近藤勇、土方歳三、沖田総司、斎藤一が宴として楽しめる。
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近藤勇
ランチ定食「近藤勇」で郡鶏すき、刺身、豆富、小鉢、味噌汁、漬物、甘味、そしてご飯。 ちなみにご飯は大盛り、おかわり無料。
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十割蕎麦専門店。 店内にはテーブル席がある。
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ざるそば
メニューは、ざるそば、かけそば、かも南蛮そば、九条ネギそば季節の天ぷら、板わさなど。
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坂本龍馬 妻 お龍
店舗は坂本龍馬 妻 お龍の実家 楢崎家跡に位置しているため、店内には実家跡で使用されていたとされる瓦屋根の一部の瓦や坂本龍馬・楢崎龍夫婦の写真、その他、坂本龍馬・楢崎龍夫婦に関するグッズなどが展示。
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1589年、道路名称「寺町通」は豊臣秀吉の都市計画によって洛中の寺院が集められたことに由来。 寂光寺(久遠寺)もその一つで、町名「久遠院前町」に名残も。 1600年頃、寂光寺の塔頭「本因坊」に住む僧侶の日海は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑に仕えた囲碁の名人。 江戸幕府が開かれると、徳川家康の命によって寺を弟子に譲り、本因坊算砂と改名して幕府の碁所を任された。 以降、名「本因坊」は世襲で受け継がれ、真の実力者が本因坊を名乗るべきとしてその名跡を日本棋院に譲り渡し、選手権制「本因坊戦」が誕生。 1708年、寂光寺は焼失。 現在、算砂愛用の盤石や算砂直筆の囲碁狂歌などの資料を保存・公開。
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通りすがりに見つけた面白い名前のお店。 その名も「がんばれお好み焼き まけるな焼きそば」。 関西の”粉もん”を励まし続ける地元に愛されてきたお店。 「名物おとうふのお好み焼き「ふかふか焼き」も興味深い。
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祭神は金山毘古命、天照大御神、月読命。 金色の鳥居が特徴。 ここでは金属にまつわる神社として信仰を集め、古くから設計、造船など、建築に関わる金型を奉納。 最近では金銭にまつわる神社として再注目され、資産運用や証券取引等の成功祈願、競馬、競輪などでの勝利、宝くじの当選を願うイチョウ型の絵馬が奉納。 当初、個人の屋敷内に金山毘古命を祭神とする邸内社として建立。 1883年、周辺には鋳物職人の釜師が集まる「釜座通り」、徳川家康により設けられた「金座」と「銀座」、江戸幕府の金貨鋳造を担い、各地の金銀細工業者が住んでいた「両替町通り」があったため、参拝者は絶えなかったともいわれ、現在地に移転。
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2006年、開館。 国内外の漫画に関する貴重な資料を収集・展示する国内初の総合的な漫画ミュージアムの博物館。 当施設は、京都精華大学マンガ学部と京都市が主体となって設立。 近世思想史や美術史などを専攻する研究員4人が所属、まんが文化の研究を行い、オーストラリアのモナシュ大学日本研究センターやドイツのライプツィヒ大学も協力。 建物は、旧龍池小学校で国の登録有形文化財に登録。 明治時代の雑誌や戦後の貸本などの貴重な歴史資料、現代の人気作品、世界各国の名作などを所蔵。
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マンガ本の壁
施設内では、一般公開のギャラリーゾーン、研究ゾーン、資料収蔵ゾーン、地域利便施設によって構成。 「マンガ本の壁」は、総延長約200mの書架に5万冊が並ぶ。 また、屋外の芝生にマンガを持ち出して読むことができる。
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琵琶湖と京都を結ぶ運河琵琶湖疏水の完成100周年を記念して開設。 琵琶湖疏水とは琵琶湖の湖水を西隣の京都市へ流すことを目的として明治時代に作られた水路(疏水)。 安積疏水(福島県)、那須疏水(栃木県)と並ぶ日本三大疏水の一つ。 琵琶湖疏水は第1疏水と第2疏水を総称したもので、両疏水は滋賀県大津市三保ヶ崎で取水。 取水後、水道用水、蹴上発電所による水力発電、農地の灌漑、下水の掃流、工業用水などに使用。 蹴上発電所による水力発電は1891年より運転開始され、営業用発電所としては日本初となった。 電力は日本初の電車(京都電気鉄道)に利用。 疏水を利用した水運は、琵琶湖と京都、伏見、宇治川を結んだ。
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蹴上インクライン
琵琶湖疏水による舟運ルートの一区間である南禅寺と蹴上間を結んだ傾斜鉄道。 1891年に運用開始。 1948年まで利用された。 琵琶湖疏水は船の輸送を用途としていたが、落差が大きく船が運行できない区間があった。 琵琶湖疏水ではインクライン方式が採用、勾配のある水路にレールを敷き、台車に船を載せ、ケーブルカーのようにケーブルで引っ張り上下させた。 蹴上インクラインは台車に直接、船を載せるドライ式。
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京のかがやき 疏水物語
京都市の水道水をろ過・加熱処理し、アルミボトル缶に詰めた災害用備蓄飲料水。 未開封の場合、約10年間、保存が可能であるといい、琵琶湖疏水記念館内に設置された自動販売機などで販売されている。
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臨済宗南禅寺派大本山の寺院。 山号は瑞龍山。 本尊は釈迦如来。 開基は亀山法皇。 開山は無関普門(大明国師)。 日本最初の勅願禅寺で、京都五山及び鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院。 1264年、南禅寺の建立以前、後嵯峨天皇が離宮の禅林寺殿を造営。 「禅林寺殿」の名は、浄土宗西山禅林寺派総本山の禅林寺(永観堂)に由来。 離宮は上の御所(持仏堂を南禅院)と下の御所に分かれていた。 歌舞伎の「楼門五三桐」の二幕目返しで石川五右衛門が「絶景かな!絶景かな!」という名科白を廻す「南禅寺山門」由来の地。 天井画の天人と鳳凰の図は狩野探幽筆。 知恩院三門、東本願寺御影堂門と共に、京都三大門の一つ。
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水路閣
1890 年代に建造されたレンガ、花崗岩造りの水道橋。 設計は田邉朔郎氏。 連続するアーチ構造になっていて、琵琶湖から水を運んでいる。
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山号は音羽山。 本尊は千手観音。 開基は延鎮。 かつて、法相宗に属したが、現在は北法相宗大本山。 西国三十三所観音霊場の第16番札所。 清水寺は法相宗(南都六宗の一)系の寺院。 石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並ぶ、日本でも有数の観音霊場。 「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産に登録。 境内は標高242mの清水山(音羽山)中腹に立地。 本堂東側には寺名の由来ともなった名水が3本の筧から流れ落ちており、音羽の滝と呼ばれている。
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清水の舞台
清水の舞台は国宝に指定。 1633年、徳川家光の寄進により再建。 この高さから眺める京都市内の景色は圧巻。
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祭神は、崇徳天皇・淳仁天皇。 白峯神宮は、蹴鞠の宗家であった公家・飛鳥井家の屋敷の跡地に創建。 崇徳上皇は保元の乱に敗れて讃岐に流され、その地で歿した。 その後、天変地異が相次いだことから上皇の祟りとされ、上皇が葬られた白峯陵(香川県坂出市)の前に、上皇を白峯大権現として祀る御影堂が建立。 孝明天皇は異郷に祀られている崇徳上皇の霊を慰めるため、その神霊を京都に移すよう幕府に命じたが、その後、間もなく崩御した。 明治天皇は、現在地に社殿を造営し、御影堂の神像を移して神体とし白峯宮を創建した。 藤原仲麻呂の乱に巻き込まれて淡路に配流された淳仁天皇(淡路廃帝)の神霊を淡路から迎えて合祀した。
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球技の神様
精大明神は蹴鞠の守護神で、サッカーやバスケットボール、バレーボール、ボーリングなど球技全般、スポーツの守護神として信仰を集め、これまでサッカーやバレーボールの日本代表チームなどスポーツ関係者が参拝に訪れ、選手などからボールが奉納された。 スポーツにちなんだお守りが有名で、叶う輪という縁起物がある。 ワールド カップが開催される際には、応援絵馬が備えられる。
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蹴鞠の碑
日々、サッカーやバレーボール、バスケットボールなど部活動・スポーツに励む選手が訪れ、本殿前や碑周辺で記念撮影を楽しむ光景も。 毎年4月14日と7月7日、白峯神宮の蹴鞠保存会によって、春季例大祭・淳仁天皇祭、精大明神例祭、七夕祭に奉納蹴鞠が行われている。
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京都市上京区内を流れる堀川に架かる一条通の橋。 別名、戻橋。 794年、平安京の造営に際し、平安京の京域の北を限る通り「一条大路」に堀川を渡る橋として架橋。 平安時代、堀川右岸から右京にかけては衰退が著しく、堀川を渡ることには特別の意味が生じ、様々な伝承や風習が生まれた。 「撰集抄」巻七では、918年に漢学者三善清行の死去に伴って葬列がこの橋を渡ろうとした際、父の死を聞いた子・浄蔵が熊野での修行から急いで帰ってきて棺にすがって祈っていた。 すると雷鳴とともに清行が生き返り、父子が抱き合ったという逸話から、「戻橋」という名前の由来となった。
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平家物語
平家物語では、渡辺綱が歩いていると、そこに女性が。 夜中で怖いので一緒に家まで来てほしいと頼まれ、馬に乗せた。 女性は鬼に変貌、綱の髪を掴んで愛宕山の方へ飛ぼうとしたが、鬼の腕を太刀で切り落として逃げた。 腕は摂津国渡辺(大阪市中央区)の渡辺綱屋敷に置かれたが、綱の義母に化けた鬼が取り戻したとも。 源平盛衰記では、高倉天皇の中宮建礼門院の出産の時、母の二位殿が一条戻橋で橋占を行った。
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12人の童子
12人の童子が手を打ち鳴らしながら橋を渡り、生まれた皇子(安徳天皇)の将来を予言する歌を歌う。 童子は、陰陽師・安倍晴明が一条戻橋の下に隠していた十二神将の化身であろうと書かれている。 安倍晴明は十二神将を式神として使役、家の中に置いたが、彼の妻がその顔を怖がったので、晴明は十二神将を戻橋の下に置き、必要なときに召喚したという。 戦国時代、細川晴元により三好長慶の家臣・和田新五郎が鋸挽きに。
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安土桃山時代から昭和時代にかけても
安土桃山時代、豊臣秀吉により島津歳久と千利休が梟首。 1597年、キリスト教禁教令の下、日本二十六聖人と呼ばれるキリスト教殉教者は豊臣秀吉によって見せしめに耳たぶを切断、殉教地長崎へと向かわされた。 嫁入り前の女性や縁談に関わる人は嫁が実家に戻ってはいけないという意味から、この橋に近づかないという慣習も。 太平洋戦争中、戦地から無事に戻ってくるよう願いを込めて応召兵とその家族はこの橋を渡ったとか。
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903年、菅原道真が大宰府で没後、都では落雷などの災害が相次いだ。 これが道真の祟りだとする噂が広まり、右京七条に住む多治比文子に託宣があり、近江国の神官の幼児である太郎丸に同様の託宣があった。 947年、現在地のに朝廷によって道真を祀る社殿が造営。 987年、勅祭が行われ、一条天皇から「北野天満宮天神」の称が贈られた。 1587年、境内において豊臣秀吉による北野大茶湯が催行された。 境内西側に史跡「御土居」がある。 諸説あるが、上方落語発祥の地として知られている。
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金閣寺とも呼ばれる鹿苑寺。 臨済宗相国寺派の寺。 建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築の舎利殿は金閣、舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺。 相国寺の山外塔頭寺院。 開基した室町幕府3代将軍足利義満の法号・鹿苑院殿にちなんで命名。 山号は北山。 寺紋は五七桐。 義満の北山山荘をその死後に寺とした。 金閣を水面に映す鏡湖池を中心とする池泉回遊式庭園は、国の特別史跡・特別名勝に指定。 鏡湖池には葦原島、鶴島、亀島などの島々のほか、畠山石、赤松石、細川石などの奇岩名石が数多く配されている。 1994年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」に登録。
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旧称は稲荷神社。 式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。 稲荷山の麓に本殿、稲荷山全体を神域とする。 全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社。 鳥居を奉納する習わしは江戸時代に始まり、数は約1万基で、千本鳥居と呼ばれる。 稲荷山は、神体山。 標高233m。 3つの峰(一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰)が連なる。 かつて、古墳として知られ、円墳が確認されている。 中世、「下ノ塚」「中ノ塚」「上ノ塚」と呼ばれていた。 「白狐大神」や「白龍大神」などの神名を刻んで祀られた無数の小さな祠「お塚」が奉納、「お塚信仰」と呼ばれている。
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伏見観光協会が運航する遊覧船。 濠川(宇治川派流)に架かる弁天橋のたもとから発着する。 「十石舟」「三十石船」も随時運航されている。
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黄桜のテーマパーク。 清酒工房や地ビールレストラン、企業博物館の黄桜記念館があいる。 現在は、東山酒造が醸造している。 敷地内では河童が展示され、多くの人が記念撮影を楽しんでいる。
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奈良時代、僧・道昌が当地で行った求聞持法の満願の日、空から明星が降り注いで虚空蔵菩薩が示現。 明星を表す明星天子を本地仏として、雷の神である電電明神を祀る明星社を創建。 1956年、近畿電波監理局長・平林金之助は、電波の利用の利用を見込んで、電電明神を電気電波の祖神として祀り、電気電波関連の研究先覚者や事業者の霊を顕彰すべきと主唱。 法輪寺境内に電気電波関係者の霊を顕彰する電電塔が建立。 電電塔には電気研究者の代表・エジソン、電波研究者の代表・ヘルツの肖像。 電気自動車・ハイブリッドカーの電気システム安全祈願、SDメモリーカードのお守りを交付。
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山号は妙徳山。 宗派は臨済宗。 本尊は大日如来。 境内では先代住職によって年間を通じて鈴虫を飼育していることから通称、鈴虫寺。 温度管理が徹底しているため年中、成虫が鳴いているという。 1723年、平安時代に源義家の後裔の延朗上人によって建立された最福寺の旧地に創建。 開基は学僧の鳳潭 わらじを履いた幸福地蔵は願い事を一つだけ叶えるという。 僧侶による茶菓のおもてなしと約30分の説法が有名。
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東映京都撮影所を中心とした映画のテーマパーク。 1975年、時代劇に関するドラマや映画が人気を集めるようになったため、開業。 東映京都撮影所は映画スタジオの一つで、阪東妻三郎プロダクションが1925年に撮影所を建設、「合資会社一立商店阪東妻三郎プロダクション太秦撮影所」として開業。 1930年、撮影所は松竹となり、「帝国キネマ太秦撮影所」に改称。
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東映
施設内では、中村座、大手門、ステージ、武家屋敷等がある他、時代劇の殺陣ショー、トークショー・撮影会・握手会、スーパー戦隊シリーズや仮面ライダーシリーズなどのキャラクターショー、殺陣講座などの体験企画も開催。
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東映
時代劇に登場する舞妓、姫、殿様、武士、町人、町娘などへの変身も体験できる変身スタジオ。 その他、東映が製作する作品のロケ地として使用されることも。 1997年、大型屋内エンタテインメント施設「パディオス」開業。
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祭神は藤原采女亮政之。 日本で唯一の髪の神社。 古くから頭髪は女性の命とされ、百人一首にも詠まれた。 1200年代、藤原鎌足の末孫にあたり皇居の宝物守護で武士の北小路左衛尉藤原基春卿は、山口県の下関に居を構え、紛失した宝刀「九王丸」を探していた。 基春卿の三男、藤原采女亮政之は生活の糧を得るため、その地に於いて庄屋の婦女の髪を結って父を助けたことが、日本で初めてとなる「髪結い職」となった。 基春卿没後、政之公は鎌倉に移住。 立派な処世と功績により従五位を天皇より賜りました。 昭和時代の初期、全国の理・美容業者は、敬髪と始祖のご冥福を祈願のため、政之公の命日にあたる17日を毎月の定休日とした。
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髪・・・様!?
髪は神に通ずるものとして、縁の深い亀山天皇御陵地の小倉山山麓に建立。 境内には、献納された髪を納祭した髪塚がある。
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嵯峨とうふ、嵐山さくら餅、黒本蕨餅の専門店。 当初、建物は一般住宅として建設され、芸能界で活躍する勝新太郎さんと中村玉緒さんが暮らしていた。 新婚生活をこの地で過ごし、芸能界と子育て等で奮闘する中、建物を売却。 その後、旅館となったが、建物は建設当時のままに嵯峨野とうふが楽しめるレストランとなっている。 湯葉あんかけ丼は、温かいあんかけとご飯を中心に白味噌が主体となった汁物をいただきながら、弘法大師、空海の精進料理として知られる胡麻豆腐が添えられた贅沢な定食。
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河合神社は賀茂御祖神社(下鴨神社)の摂社。 祭神は神武天皇の母、玉依姫命。 玉依姫命は玉の様に美しいことから美麗の神としての信仰を集め、女性守護として人気。 境内では美麗の祈願絵馬「鏡絵馬」の授与を行っている。 手鏡の形をした「鏡絵馬」には素顔が描かれ、普段、使用している化粧品で化粧をして裏に願意を記入する。 参拝者ご自身が想像しながら綺麗な表情を描くことで、絵馬に願いを託し、外見だけでなく内面も磨いて美しくなっていく思いが込められている。 平安時代から鎌倉時代かけて活躍した三大随筆の一人に数えられる鴨長明は河合神社の禰宜の息子として幼少時代を過ごし、境内にはそれを再現した方丈の庵が展示。
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サラダバーやフルーツ、ライス、スープ、そばなど常時約30品の中から自由に味わうことができるバイキングレストラン。 料金は大人一人、平日600円からと低価格で人気を集めている。 タクシー・ハイヤーをはじめ、貸切・送迎バス、ガソリンスタンド・自動車整備業などを運営するMKグループが運営するアミューズメント事業。 1960年、青木定雄氏が「ミナミタクシー」を創業。 「MK」という名の由来は前身にあたる「ミナミタクシー」「桂タクシー」の頭文字から。 ここでは、カラオケ、ビリヤード、バッティング、ゲームセンター、ボウリング、芝生バーベキューが楽しめるほか、バーガーショップも。
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鞍馬山の南斜面に位置する。 鞍馬は牛若丸(源義経)が修行した地として知られ、能の「鞍馬天狗」も有名である。 また、鞍馬寺へと結ぶケーブルカー(鞍馬山鋼索鉄道)は、宗教法人としては唯一の鉄道事業である。 770年、鑑真の高弟・鑑禎が草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まり。
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山号は朝日山。 宗派は天台宗、浄土宗。 本尊は阿弥陀如来。 開基は藤原頼通。 開山は明尊。 宇治は源氏物語「宇治十帖」の舞台。 平安時代初期、貴族の別荘が営まれた。 800年代、光源氏のモデルで左大臣、嵯峨源氏の源融が営んだ別荘。 宇多天皇と孫・源重信が継いだ。 998年、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となった。 1052年、道長の没後、子の関白・藤原頼通が宇治殿を寺院に改めた。 開山(初代執印)は小野道風の孫で園城寺長吏を務めた明尊。 1053年、平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)を建立。 ユネスコの世界遺産「古都京都の文化財」として登録。 現在では、日本硬貨10円玉の表面に描かれていることで有名。
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貴船神社の総本社。 地域名は貴船「きぶね」。 貴船神社では、水の神様・高龗神をお祀りしていることから、「きふね」と読むとか。 古来より、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されていたが、後に、木の板に描いた馬「絵馬」を奉納されたことにより、絵馬発祥の地ともいわれている。 また、縁結びの神としての信仰を集める一方、縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。 おみくじは、くじを引いて巫女に告げるのではなく、複数の白紙の中から一枚を選び、境内の霊泉に浮かべると吉凶が解る「水占おみくじ」である。 当社のおみくじには「大凶」が存在という。
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京都府久世郡久御山町と八幡市を結ぶ、木津川に架けられた木橋。 川が増水すると橋桁が流される構造を持つ流れ橋であることから、流れ橋、木津川流れ橋、八幡流れ橋などと呼ばれる。 歩行者と自転車の専用橋で、手すりや街路灯は設置されていない。
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寺院は臨済宗大徳寺派。 山号は霊瑞山。 本尊は釈迦如来。 別名、一休寺、薪の一休寺。 納豆の一種「一休寺納豆」としても知られている。 1290年頃、南浦紹明が妙勝寺を開基。 1330年代、兵火に遭って衰退したが1456年、一休宗純が草庵を結んで中興。 宗祖の遺風を慕って師恩に酬いる意味で酬恩庵に改称。 以後、当地で過ごした。 能役者・能作者として活躍した金春禅竹は、一休禅師に対して猿楽の能を演じた。 1650年、加賀城主前田利常が伽藍を再興。 江戸時代、画家狩野探幽によって描かれた内部襖絵、障壁画を納め、江戸幕府から朱印状が与えられた。 本堂は、足利義教によって建立。
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別名、山本の大寺。 704年、創建。 本尊は十一面千手千眼観音立像。 四十手には、日輪、月輪、鏡、矢、雲、骨、剣など40の物を持つ。 1732年、木津川の氾濫により、現在地に移転。 明治時代、近隣の寺々と合併。 百味が供えられた前で神楽が舞われ、巫女は神笹で湯立を行う。 かつて東側には鶴の飛来し、仲秋の名月の名所である飯岡山と共に景勝地となっていたが現在は公園として整備。 その他、平安時代に成立した「竹取物語」で竹取の翁の舞台「山もと」にあたるとされ、「かぐや姫」とともに物語の発祥とも。
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宗派は真言宗智山派。 山号は普門山。 本尊は観音菩薩、銅造釈迦如来坐像(国宝)。 600年代、創建。 1711年、智積院の僧亮範が入寺し再興。 当地の地名は綺田(かばた、古くはカニハタ・カムハタ)で、「蟹幡」「加波多」等と表記され、今昔物語集で知られる蟹の恩返しの伝承で有名。 その昔、農家を営む父娘が住んでいた。 娘はある日、村人が獲る蟹を哀れみ逃がした。 父はある日、田で蛇に捕まった蛙を助けようとしたときに「娘を嫁にやるから蛙を助けて欲しい」と発言。
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蟹の伝説
その夜、男性の姿をした蛇が目の前に現れたが「三日、待ってほしい」と懇願し、男性は一度、姿を消した。 その後、板を打ち付けた部屋の中で父娘は観音経普門品を唱えて懸命に祈っていたが、再び訪ねてきた蛇は「約束が違う」と怒りだし、家の周囲で暴れた。 その音がやんだ翌朝、様子を見てみると、蟹の鋏で切り裂かれた蛇の死体が転がっていた。 その時に死んだ蟹と蛇の屍を葬り、塚を作って建立したのが、蟹満寺のはじまり。
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今昔物語集で知られる蟹の恩返しの伝承で有名な木津川市。 ここには地元で話題となっているベーカリーショップがある。 店内には、全品天然酵母100%でビタミンやミネラル、食物繊維を多く含むライ麦であるセーグルを使用した商品が並ぶ。 さらに店内では旧日本国有鉄道(西日本旅客鉄道、JR西日本)として活躍してきた直流電気機関車の先頭車両の一部が展示、保存されている。 この車両はかつて寝台列車(ブルートレイン)として「はやぶさ」「富士」「あさかぜ」「さくら」などをけん引した電気機関車EF66形49号機。 2階にはイートインスペースがあり、自由に利用することができる。
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愛称は、タツタタワー木津川市。 1999年、関西学研都市により、木津川市州見台の配水塔を建設。 高さ約47m。 イメージは、地元の特産品タケノコ。 施設内では約8000tを貯水することができる上下2つのタンクを備え、高低差を利用して地域に配水する。 頂上付近にあたる展望室からは木津川市内はもちろん東大寺大仏殿を望むことができる。 タツタタワーのタツタとは命名権(ネーミングライツ)募集により大阪府東大阪市に本社を置く電線・電子材料製造の「タツタ電線」との契約が成立したことから。
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現在、亀岡市内ではブランド牛「亀岡牛」を使用した逸品を楽しむことができる和食レストランや洋食レストラン、カフェなどが複数店舗あり、観光客を中心に人気を集めている。 今回はそのなかの一つである珈琲専門店として店を構えているカフェに訪れてみることにした。 品質にこだわっているという上質の珈琲豆が店頭に並び、奥には喫茶スペースもあり、珈琲だけでなく、亀岡牛を使用した牛カツサンドなどの軽食も楽しむことができる。 牛カツサンドとは、亀岡牛のひき肉と国産野菜が詰まった牛カツサンドでテイクアウトも可能。 噛めば噛むほど、肉の旨みが出てきて、また食べたくなる美味しさです。
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1885年、遊覧船による川下りが始まった。 保津川下りは夏目漱石を始め、水上勉、薄田泣菫、大町桂月、三島由紀夫など幾つもの文学作品に登場した。 当時、京都から人力車に乗って老の坂を越え、篠町王子を経て保津川の亀岡盆地から保津峡への入り口にあたる山本浜(トロッコ亀岡駅付近)から乗船した。 ルーマニア皇太子やイギリス皇太子などの賓客も興じたことから、王子から山本浜までの道のりは「異人道」と呼ばれた。 その後、川下りは大衆的なものとなり、現在では約16kmの距離を約2時間かけて行われ、遊覧船からは四季折々の景色を楽しむことができる。
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かやぶきの里・北村は、茅葺き屋根の家屋が数多く現存する山村集落の一つ。 かつて丹波国桑田郡弓削荘に属し、林業が主産業であった。 集落の中心部に位置する街道は鯖街道と呼ばれ、古くから多くの人の往来があった。 その後、篠山藩に属し、「知井9か村」の一つと称されていた。 1993年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。 住宅の特徴として、家屋の多くは江戸時代の中期に山麓の傾斜地に建てられたとされ、宅地正面には石垣を築いている。
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シュークリーム
京都府京都市と福井県敦賀市とを結ぶ国道162号線沿いにある道の駅・美山ふれあい広場。 敷地内には、美山やその周辺の特産品を中心に扱う農林産物販売所ふらっと美山、深山宗周辺の観光案内を行う観光案内所の京都丹波高原国定公園ビジターセンター、などがある。 美山名物の一つで美山牛乳の直売所「美山のめぐみ 牛乳工房」が人気で、ソフトクリームやジェラートが店頭に並ぶ。 今回はシュークリームで美山牛乳を味わう。
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鬼退治や酒呑童子伝説が残る大江山付近で佇む一軒のお店。 ここは地元でも人気のお店の一つで、駐車場には多くの車が止まっていた。 昔ながらの雰囲気があるが、ここの看板名物は、鬼そば。 お品書きには、ざるそばや山かけそば、にしんそば、天ぷらそば、天ざるそば、巻きずしの他、うどんやカツ丼、親子丼などが並ぶ。 「鬼そば」は、両手で支えながら持つような大きな赤い器に黒色の麺。 黒色の面は、山菜入りであるといい栄養価も抜群。 温かい蕎麦出汁と一緒に麺もすする。 これも本格的なお蕎麦屋さんの味がしみ込んでいて絶品でした。
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1993年、大江山には3つの鬼伝説「酒呑童子伝説」が残り、廃坑となった銅鉱山跡地に鬼伝説をテーマとする博物館として開館。 外観は鬼をイメージ。 施設内では4つのスペースがある。 「鬼とは何者かをさぐる」では全国または世界各国の伝統芸能や実際に用いられてきた面、人形、屏風画などを展示。 「大江山の3つの鬼伝説紹介」では大江山に伝わる鬼退治伝説の絵巻物などを展示。 「チビッ子おに」では子どもの玩具としての鬼の面や絵本、紙芝居などを展示。 「日本における鬼瓦の推移を見る」では飛鳥時代から現代までの鬼瓦を展示。 「祀られる鬼」「仏と鬼」「神楽の鬼」「暮らしの中の鬼」「追われる鬼」「民俗芸能の鬼」など。
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周辺にも
鬼の足跡は、二瀬川の対岸にある鬼の見張り場所の鬼飛岩から飛び降りたときにできたとか。 大江町にある大江山は鬼の酒呑童子ゆかりの地として知られ、鬼のモニュメントが設置されている。
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鬼の像
最寄りの大江駅の目の前に広がる駅前広場には鬼瓦や鬼の像などが展示。
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旧舞鶴海軍軍需部本部地区(舞鶴港ウォーターフロント)にある12棟の赤煉瓦倉庫で構成。 別名、舞鶴赤レンガ倉庫群、北吸赤れんが倉庫群。 舞鶴旧鎮守府倉庫施設として国の重要文化財、近代化産業遺産に指定。 1901年、舞鶴鎮守府が創設。 明治時代に9棟、大正時代に3棟建てられた。 敷地内には旧舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫、旧舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫、旧舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫、旧舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫(雑品庫並損兵器庫とも)などが現存する。
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肉じゃが
肉じゃがは、1870年代、イギリスのポーツマス市に留学していた東郷平八郎が留学先で食べたというビーフシチューの味を再現し、日本の艦上食として料理長に作らせたことがはじまりといわれ、東郷平八郎のゆかりの地である舞鶴と呉との間でしばしば論争が起きることも。
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海軍カレー
海軍・海上自衛隊で愛されてきたカレーライスのレシピをそのまま再現したという海軍カレー。
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正式名称は、五老ヶ岳公園展望タワー。 1995年、舞鶴市市制50周年事業として建設された。 東舞鶴と西舞鶴を分ける標高約301mの五老岳に整備された五老ヶ岳公園内にある展望塔。 近畿百景第1位に選定。 タワーの最上階にある展望室からは舞鶴湾やリアス式海岸、舞鶴市街地、国際ふ頭の舞鶴国際ふ頭などを一望できる。
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UFOキャッチャー、インベーダーゲームやパックマンなどのアーケードゲームがある他、うどんやそばなど、全国的にも珍しい自動販売機が設置されている。
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ラーメンの自動販売機は全国でもここにしかないとか
特にラーメンの自動販売機は全国でもここにしかないとか。 店内にはハンバーガー、インスタントラーメン、瓶コーラの自動販売機も。
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日本三景の一つに数えられる天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる砂州のことで、京都府内での人気観光地の一つ。 ここには、約8,000本の松林が生え、白い砂浜が広がる。 天橋立では京都府道天の橋立線が走っており、「日本の道100選」に選定されている。 された、主に観光の散策路となっている。 現在、丹後天橋立大江山国定公園の指定区域。
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宮津市の名物の一つとして知られる「宮津カレー焼きそば」。 戦後、台湾出身の中華料理人・王さんが宮津市内に移住し、飲食店「平和軒」を開業。 中華料理をベースにしたインド由来のカレースパイスのスープを麺や具材に混ぜて販売したところ、評判となった。 平和軒は閉店したが、今もソウルフードとして人気を集めている。
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お米サイダー
京都府宮津市にある道の駅 海の京都 宮津の・宮津まごころ市で販売されている清涼飲料水。 京都府宮津産コシヒカリ「つやっ娘米」を使用したお米サイダー。 ゆず果汁入りでさっぱりとした味が特徴。
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道の駅「食のみやこ」。 甲子園8個分という西日本最大級の敷地面積を誇り、新鮮な野菜や海産物がそろうマルシェスペースや海鮮、野菜、肉、乳製品などを使用したレストランなどがある。 毎営業日、夕暮れと共に点灯される約100万球のLEDを使用したイルミネーション。 入り口から奥にかけて点灯され、幻想的な世界へと来場者を誘う。 ここでは、銀河、流れ星、星空、天の川、七姫など11 エリアにわかれ、それぞれを無料で楽しむことができる。