
【日本100名城】松山から高松まで歴史と100名城を巡る旅
愛媛【日本100名城】松山から高松まで歴史と100名城を巡る旅
松山から高松まで四国の北半分をレンタカーで移動すると結構な数のお城を回ることができます。そもそも四国は現存12天守のうち4個があるお城王国でもあるのですが、この松山→高松ルートだけで100名城の5個を回ることができたりします。ちょっと時間的には厳しいのでいくつかは次回に回すことになるかもしれませんが、取捨選択してお城旅を楽しんでください。
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まずは飛行機で松山空港に降り立ちます。空港の到着出口のすぐ目の前にあるのはあの有名な伝説のポンジュース蛇口です。 レンタカー屋さんのバスを待ちつつ駆けつけ一杯いかがでしょう。
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現存12天守のなかでも規模としては大規模な方に位置付けられる松山城。二の丸、三の丸は麓にある平山城ですが、山の高さがかなりあるので迫力ある名城になっています。関ヶ原の戦いで武功のあった加藤嘉明が築城を開始、その後は松平家による改築などを経て今の姿になっています。
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全景
山の頂上部に連なって立っている様がなかなかです。
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石垣
最初の見どころの高石垣
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石垣
隅櫓とその向こうの大天守がのぞめる坂道です。
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隅櫓
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筒井門
隠門に対する表の顔で一体で建築されています。
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隠門
筒井門からは見えない位置にある門です。
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隠門
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隠門続櫓
門をくぐった反対か側から
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隠門続櫓解説
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山上からの展望
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櫓の連なり
山頂尾根沿いに櫓が続くのが松山城のもう一つの名顔です。
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天守
中央が大天守。小天守を含めた囲み建築になっています。
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スポット内のおすすめ
大小天守。右が大、左が小。
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天守中庭
非常に珍しい形なのですが、小天守と大天守によって囲まれている中庭があります。ここの中にある穴蔵の入口に天守閣への見学者の入口が設けられています。
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穴蔵
物資の蔵だった場所ですがここが見学者の入場口になっています。
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天守閣上階
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石落とし
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天守からの眺め
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二の丸、三の丸は平地なので平山城。それに対してロープウェイがあります。登りは利用するのが良いでしょう。
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リフト
リフトも併設しているのでそれに乗るのもまた楽しい。
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乗り場入り口
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リフト
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天皇陛下が訪れたり、千と千尋の神隠しのモデルと言われたり何かと有名な本館ですが、これから長期な大改装に入ります。今は大分渋い感じですが、どう生まれ変わるのか。明治時代には夏目漱石ももちろん来たでしょうしとにかく歴史を感じますのでまずは外からだけでなくお湯にも是非。
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皇族
皇族専用の湯殿も。
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歴史
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伊佐庭如矢翁
道後の町長で本館建築に多大な尽力をした人です。
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いさにわゆきや
「いさにわゆきや」と読みます。愛媛県高松中学校(明治19年に廃校)校長、金刀比羅宮禰宜、初代道後湯之町長を務めた人物で、道後温泉の観光地化に貢献しました。
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聖徳太子伝説
聖徳太子が道後でご奉浴されたとの記述。
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白鷺伝説
白鷺の傷も癒えたとか。
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大国主命の伝説
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壁画
三つの湯殿の壁画にこれら3つの話が描かれています。
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休憩所
料金が上がりますが二階の休憩所に上がると。
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湯釜の歌
湯釜には漢詩で歌が書かれているのですが、その意味が書かれています。聖徳太子のエピソードも踏まえたものですね。
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スポット内のおすすめ
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スポット内のおすすめ
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スポット内のおすすめ
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2018年現在道後では一番と言われる宿です。
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玄関
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部屋露天
部屋にはテラス露天があります。
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大浴場1
男女入れ替えの浴場も2つ
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大浴場2
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食事ですがこの道後の鯛めしが最高でした。卵かけ出汁鯛めし。最後は出汁茶漬けも。
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先付け
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お凌ぎ
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お造り
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しゃぶしゃぶ
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お椀
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小寿司
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鯛めし
卵と出汁をかけていただく形。
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出来上がった鯛めし
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デザート
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朝食
盛りだくさんの朝食。お部屋でいただくのではなく個室の朝食会場で。
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日本100名城の1つである湯築城です。松山城に目が行きそうなので目立ちませんが道後から歩けるので是非こちらにも行ってみてください。 室町期に河野氏が居城として以来の城で、四国平定の羽柴秀吉の命で小早川隆景に攻められ落城するのがクライマックス。 その後福島正則が城主のときに居城変更で廃城にし、加藤松山城建設に資材が利用されたそうです。
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内堀
内堀とそれを掘って作った土塁。この外側に武家跡があります。
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武家跡(100名城受付)
最初に見える武家跡が100名城スタンプ受付です。
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映像
湯築城の歴史などの映像展示などがあります。河野氏がこの辺りを納め始めるところから秀吉に攻め落とされるまでがわかります。
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武家跡
昔の武家が再現されています。
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武家屋敷内
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外堀土塁の中
城を守る外堀を掘った土を盛って土塁を作っていました。この土塁を切って中をみせてくれています。珍しい!
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外壁土塁面
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解説
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平山城
いざとなったらこの山に立て篭もります。河野氏も小早川隆景に攻められた時は1月篭ったと言われています。
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山頂の展望台
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展望台
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展望台から
松山が一望できる。松山城もすぐそこ。
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東京ラブストーリーの完治とリカのすれ違いの駅。ハンカチを結んだロケ地のサインがあります。 ここから見える堤防で2人が話し「気が変わったら4時48分の電車に来て」と。「逢いたいからさよならは言わないよ。」の名セイフ。結果、完治はギリギリで、やってきたのですが、リカは借りていたハンカチを結んで33分の電車に乗って行っていまっていましたという話。 現地に行くと駅から堤防が見えるのがわかるので、リカの気持ちもわかるかも。 ドラマに登場する4時33分、48分の時刻表の電車も実在します。
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ロケ地の看板
ここにハンカチが。
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松山といえば日露戦争を舞台にした司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」の舞台です。騎馬隊の秋山好古(兄)と海軍の秋山真之(弟)の生家が綺麗になっていて見学できます。
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秋山真之像
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秋山眞之
日本の海軍軍人で東郷平八郎の元で旅順港閉塞作戦に参加。その後、ロシアのバルチック艦隊の迎撃作戦を立案し、日本海海戦の勝利に貢献、日露戦争における日本の政略上の勝利を決定付けた人物と言われています。 秋山好古とともに兄弟で陸海軍からそれぞれ日露戦争勝利に貢献し、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の題材となり有名になりました。
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弟秋山眞之解説
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秋山好古騎馬像
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秋山好古
秋山好古はフランスで騎馬戦術を学び、満州にて世界最強と言われたロシアのコサック騎士団を破ったことで有名。日本騎兵の父と言われる。
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兄秋山好古解説
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生家
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阿部寛と本木雅治さんのサイン
NHKの「坂の上の雲」を熱演したお二人もいらしてます。
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小泉純一郎元総理
小泉純一郎元総理も在職中にいらした模様。
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映像
簡単な映像も。
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好古の部屋
私立北予中学校(現在の愛媛県立松山北高等学校)校長就任したあとここから通ったとのこと。
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司馬遼太郎の名作日露戦争にまつわる秋山兄弟と正岡子規のことを書いた「坂の上の雲」にまつわる博物館。司馬遼太郎は軍国主義を憂いたため最後まで坂の上の雲については映像化を渋っていたと言われますが、NHKにより阿部寛、本木雅弘、香川照之のキャストで2009年から3年越しで映像化。それに先立って2007年にミュージアムも整備されました。
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安藤忠雄
設計は安藤忠雄
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ファサード
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入口
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1604年築城の藤堂高虎の手による水城です。日本三大水城の一つ。
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石垣と内堀
石垣と内堀はほぼ江戸時代のものそのものの姿だそうです。
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天守閣
実は実在に説が分かれています。遺構が発見されていないというのがその理由で、本丸の北隅櫓が天守がわりに利用されていた実績もあるからです。ちなみに今治城の店主は亀山城に移築されたという説もあり、現復元天守は明治初期の亀山城天守を参考に造られたそうです。
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藤堂高虎
浅井長政の家来からスタートし秀吉、関ヶ原から東軍家康と何度も主君を変えた戦国武将です。築城技術に長けているのが特徴で、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城・二条城などで知られ、黒田孝高、加藤清正とともに築城名人と称えられている。その築城は伊賀上野城に代表される堀から石垣を高く積み上げていくところにあります(反りを重視する加藤清正と象徴的)。
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亀山城天守
京都丹波にあるのですが、明智光秀が築城し、江戸時代に藤堂高虎が縄張りをし直し天守を作ったと言われており、一説には今治城の天守が移築されたといわれています。なので、今治城の復元天守はこの写真の亀山城天守を参考にしたと言われています。 写真は美田村顕教撮影
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観音寺の一番の名物といえばこの寛永通宝の砂絵。公園内の山の上から見物します。歩きよりは車がおススメ。一方通行でぐるっと回れます。 この砂絵設営はいつ頃なぜ?について、1633年に丸亀藩主生駒高俊が領内を巡視する際、人々が歓迎のため、急遽白砂に鍬を入れ一夜にして作ったと説明されていますが、事実関係に矛盾があり疑わしいそうです。他にもその約200年後の1855年に丸亀藩主京極朗徹に見せるためとか、もとは豊臣氏の瓢箪紋だったが幕府の巡検使が来るため一夜で作り変えられたとか色々な説がありますが、定かではないそうです。
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夕陽
夕陽時もすごく綺麗です。
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地上から
この辺りまで近づけます。
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砂絵の隣には世界のコイン館が。そしてこの街出身の宰相大平正芳の記念館も二階に併設されてます。 大平正芳記念館は以前は大平正芳宅にあったのですが、こちらに移転していました。
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コインだけでなく紙幣も
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世界一大きなコイン
ヤップ島で発見されたそうです。
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世界のコイン
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大平正芳記念館
「あーうー」の口癖から愚鈍な総理のイメージがありますがかなりの切れ者宰相だったという評価があります。池田勇人の秘書だったというのも頷けますね。 最期には自民党内の政争により内閣不信任案が可決され、衆参同日選が行われている最中に在職中に死去するという壮絶な人生を送った。気概溢れる宰相の生き様を見に行きましょう。
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田中角栄の外相として
日中国交回復の中心人物
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総理大臣として
内政の田園都市構想や外交の環太平洋連帯構想など大きな視点を提供したが、政争に巻き込まれる結果となっています。
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駐車場
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格闘好きの若い主人が営む美味しいうどん屋さん。食べログでも高評価です。
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入口
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天ぷらたち
ちくわ、玉子天、とり天
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一人でも
カウンターで一人で食べる客も。
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全容
駐車は目の前に。ただ道からちょい降りたところにあるので降り損なわないように。この屋根の上が道路です。
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朝しかやっていない伝説のうどん屋。
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お店
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午前でうどんは終了
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「すざき」
なかなか豪快なサイン
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ナビでこんぴらさんを入れても本殿を指してしまいます。登り始めの目印はアカボシ珈琲。うらに駐車場もあります。ここの駐車場が一番近いです。
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階段始まります
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城めぐりには直接関係ないのですが、四国のこの辺りといえばこんぴらさんに行かないのも何です。階段785段を早くて30分は登らないといけなくなりますが、お参りに立ち寄るのもおススメです。
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785段の階段
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登り始め
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100段/785
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200段くらい/785
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294段/785
もうすぐ神域へ。
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大門
これをくぐると神域。物を売るなどはしてはならないので店がなくなります。
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景色
讃岐の山々をバックに
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五人百姓
飴を300年売り続けている特別のあめ。 飴を割ってお土産にして皆で分けるための飴です。 この飴を分けることで江戸時代に信仰が広がったそうです。
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海運無事
江戸時代には海運無事の祈願で有名になり船乗りがこんぴらさんの御利益を広めて大流行したそうです。 珍しいものとして樽を流してそれを拾ったものがこんぴらさんに代参するという風習があったりします。なので、境内には樽が沢山奉納されていたりします。
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棚垣
全国からの奉納品。江戸時代からのものもあるそうです。
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再び階段
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黄色
珍しくも黄色が象徴色
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象頭山だから?
アフリカ象の像の寄進が。こんぴらさんがあるのが象頭山にあるからなのでしょうか。
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プロペラ
船のスクリュープロペラが寄進されています。 平成6年9月に今治造船が「こんぴらさんも当社もうまく回っていきますように…」という願いから、大型船のものを奉納されたそうです。
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カフェ
いよいよというときになんとカフェがあります。
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神椿
かなり良い感じの景色のようなので急いでないときに来たい。
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江戸中期に作られた寄り道
奉納品が収まらないくらい寄進があり道を横にそらせて回り道にしたとのとこ。すごいこんぴらさん!
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最後の階段
いよいよ785段。この上に本殿が。
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本宮
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讃岐富士に瀬戸大橋
絶景がご褒美です。
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お守り
黄色いお参りを買って帰りましょう。
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おみくじ
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右がお守り販売所
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江戸時代のこんぴらさん
屏風絵に江戸時代のこんぴらさんの様子が描かれています。
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象頭山
象の頭に似ており、本宮が目に見えます。 かつてはメサ(テーブル型)だったと言われています。 花崗岩の上に硬い安山岩が乗った地形で花崗岩が風化しています。安山岩は風化しにくいので建物を建てるのには向いておらず、本宮があるのが花崗岩の最上部になっています。ここから急な斜面になっているのもわかります。 ブラタモリでも解説されていました。
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現存12天守の1つの丸亀城。平山城で高石垣の上に建つ景観はなかなかの迫力です。日本一の総高の石垣の上に現存日本一小さな天守閣が建つ特徴的な城になっています。 歴史としては生駒親正が讃岐17万石を与えられたときに高松城を本城とし丸亀城のある亀山に支城を築いたことが今の形のはじまりです。
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大手門
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高石垣
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見返りの坂
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高石垣
日本一の石垣とも言われています。ただし、山麓から山頂まで4重に重ねられた合計60mとしての総高日本一で、三の丸石垣だけだと22mです。単体としては、大阪城の33mが日本一。
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生駒坂
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月見櫓
新たに再現されました。
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三の丸
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東石垣修理解説
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山崎坂
ここが二の丸への坂ですが、ここまでも階段でないので実はこんぴらさんよりきついという説も。
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二の丸
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本丸へ
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天守閣
ちなみに現存12天守で一番小さい天守です。
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本丸からの眺望
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天守から
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生駒氏系譜
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丸亀城年表
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丸亀名物の骨付き鶏の名店。ここでビール飲みたいです。運転手以外で。
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ひなどり
柔らかい鳥希望なら。
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おやどり
歯ごたえはかなり。でも味はこちらが上。
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もろきゅう
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皮酢
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一階
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二階
座敷です。
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入口
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秀吉の四国制圧の後、生駒親正によって築城された城なのですが、かつては城壁が瀬戸内海に直接面し、外濠・中濠・内濠はすべて海水で、城内に直接軍船が出入りできる日本初の本格的な海城といわれています。 縄張りは黒田官兵衛といわれていますので名城ですね。海城は海上封鎖が難しく、篭城や物資の搬入、脱出ができる優れたものとされています。
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天守台
天守自体は明治時代に老朽化により破壊されています。
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天守閣
独立式層塔型3重4階、地下1階、初層平面が東西13間2尺(約26.2メートル)×南北12間2尺(約24.2メートル)、高さ13間半(約24.5メートル)だったそうです。 現存している高知城、松山城よりも大きく、四国一の規模だったそうです。
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艮櫓(丑寅櫓)と内堀
重要文化財に指定されています。
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本丸と二ノ丸を繋ぐ鞘橋
廊下橋の構造をしている珍しい橋。刀の鞘に見立ててこの名前がついています。
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海際
現代では道路が作られており城壁と海は面していませんが、海の面していたということをうかがい知ることができますね。
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空港到着前の最後の最後はアイスでも。
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赤松牧場
赤松牧場さんが運営していますのでフレッシュ!
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帰りは高松空港から。しかしこの高松空港、松山空港に劣らず面白い空港です。世界の中心で愛を叫ぶとか、出汁蛇口は是非堪能したいです。
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世界の中心で愛を叫ぶ
ここが長澤まさみが倒れて、森山未來さんが叫んでいたところです。
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うどんソファ
これがうどんなのか!確かに切ってる感じ。
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空港だし
松山空港がポンジュースなら香川高松空港は出汁が蛇口からでます。さすがはうどん県。
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出汁蛇口
この日は売り切れ。
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