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東海道散歩その2 (三条大橋から新居宿)
東海道五十三次 宿場を歩く。 ファイルが大きくなったので日本橋から浜松宿までの東海道散歩その1と京都三条大橋から舞坂宿までの東海道散歩その2に分けました。
大岩神明社
大岩神明宮 二川宿の西の入口付近には大岩神明宮という大岩町の氏神となる神社がある。
二川宿西問屋場跡
二川宿西問屋場跡
二川宿・壺屋
二川宿・壺屋
豊橋市二川宿本陣資料館
二川宿 馬場本陣
豊橋市二川宿本陣資料館
豊橋市二川宿本陣資料館 本陣の隣には「清明屋」という立派な旅籠屋がある。 両建造とも現在は、二川宿本陣資料館となっており、往時の宿泊者が帳場に腰を掛けたり、草鞋(わらじ)を履いている姿などが復元されているのが街道沿いから見ることができる。 この二川宿本陣資料館の敷地内には高札場も復元されている。
旅籠屋 清明屋
旅籠屋 清明屋 本陣の隣には「清明屋」という立派な旅籠屋がある。 両建造とも現在は、二川宿本陣資料館となっており、往時の宿泊者が帳場に腰を掛けたり、草鞋(わらじ)を履いている姿などが復元されているのが街道沿いから見ることができる。 この二川宿本陣資料館の敷地内には高札場も復元されている。
東海道散歩その2 (三条大橋から新居宿)
東海道五十三次 宿場を歩く。 ファイルが大きくなったので日本橋から浜松宿までの東海道散歩その1と京都三条大橋から舞坂宿までの東海道散歩その2に分けました。
御油一里塚跡
御油一里塚跡
伊奈一里塚
〒441-0105 愛知県豊川市伊奈町新町2
伊奈村立場茶屋跡
東海道吉田宿と御油宿の中間にあたり、立場茶屋が設けられた。茶屋のうち格式高い加藤家(初代は大林平右衛門)では、「良香散」という腹薬が有名であった。芭蕉とも親交のあった俳人の鳥巣(うそう)はこの加藤家の生まれであるとの事。
子だが橋の碑
およそ一千年前菟足神社には、人身御供があり、春の大祭の初日にこのあたりの街道を最初に通る若い女性を生贄にする習慣があったと伝えられている。 橋の名前の由来は、「子だが止むを得ん」と生贄にして神に奉ったことから「子だが橋」と呼ぶようになったという。「子断が橋」ともいわれ、明治時代には「小田橋」となった、との事。
瓜郷遺跡
瓜郷遺跡
聖眼寺
聖眼寺 聖眼寺境内の松葉塚には、古碑松葉塚・明和六年(1769年)の再建松葉塚・宝暦四年(1754年)建立の古碑松葉塚標石があり、文学史研究上資料的価値が高いものである。 古碑松葉塚には松尾芭蕉が愛弟子社国に詠んだ「松葉を焚て手拭あふる寒さ哉」という句が刻まれていて、「松葉塚」名称の由来を示している。
吉田宿西惣門跡
吉田宿西惣門跡 吉田宿も終盤に差し掛かり、旧東海道と国道23号線が交差するポイントに吉田城西惣門の跡がある。 この辺りが吉田宿の西の入口となったいたであろうと思われるとの事。
吉田宿脇本陣跡の碑
吉田宿脇本陣跡
吉田宿本陣跡
本陣跡
吉田宿問屋場跡
吉田宿問屋場跡
吉田宿東惣門跡
吉田宿東惣門跡 路面電車東八町駅付近の歩道橋下に吉田城東惣門跡がある。 この東総門跡の先からが東海道三十四番目の宿場、吉田宿となる。 東惣門跡の斜向かいには秋葉山常夜灯が残っている。
東海道散歩その2 (三条大橋から新居宿)
東海道五十三次 宿場を歩く。 ファイルが大きくなったので日本橋から浜松宿までの東海道散歩その1と京都三条大橋から舞坂宿までの東海道散歩その2に分けました。
山中八幡宮
山中八幡宮 徳川ゆかりの神社としても有名で、永禄六年(1563年)三河一向一揆で、門徒に追われた家康が身を隠し、難を逃れたという鳩ケ窟がある。追っ手が家康のひそんでいた洞窟を探そうとすると、中から2羽の鳩が飛び立ち、「人のいる所に鳩などいるわけはない」と追っ手は立ち去ったといわれている。
法蔵寺
徳川家康が幼少の頃この寺で勉学をしたとされ、徳川ゆかりの宝物が多く残されている。また、境内には新鮮組で有名な、近藤勇の首塚も祀られている。
旧東海道 長沢一里塚跡
旧東海道 長沢一里塚跡
旧東海道赤坂宿西見附跡
旧東海道赤坂宿西見附跡
赤坂休憩所(よらまいかん)
赤坂休憩所(よらまいかん)
大橋屋
〒441-0202 愛知県豊川市赤坂町紅里 大橋屋は、南北朝時代から続く旅籠で、敷地内にある灯篭は当時のものが現在も残る。 現存する建物は江戸時代のもので300年が経過している。 歌川広重が大橋屋の女中部屋から見える風景を東海道五十三次に残している。 歌川広重が絵を描いた頃は、中庭に灯篭とソテツがあった。
旧東海道 赤坂宿
旧東海道 赤坂宿跡
関川神社
関川神社 東の見付跡を過ぎると、関川神社にたどり着く。ここには常夜燈が残っている。
旧東海道赤坂宿東見附跡
旧東海道赤坂宿東見附跡
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