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神戸居留地で今も残るモダンな町並みを楽しむ旅
まいどまいど! 神戸と言えば、六甲山頂付近などから眺める百万ドルの夜景の町は全国的に有名でんねん。 そんなオシャレなまち神戸の一つとして象徴するのが、今も残る近代建築物。 一般的にはモダニズム建築(モダン建築)とも言われてまんねやけど、その洋風なデザインが注目を浴びてまんねん。 なかでも、モダニズム建築が集まるエリアが海岸通付近。 すぐ近くには海外との貿易が盛んな神戸港があり、神戸の北野とともに、外国人居留地の町として発展してきました。 神戸港の前身は大阪港。 元々、大阪市西区川口に港があり、海外との貿易が盛んで、外国人居留地「川口居留地」としてのにぎわいを見せていました。 ある日、時代と共に大型船も行き来するようになりましてんけど、浅瀬であったかさい、大型船が入港できへん事態に。 そこで、注目を集めたのが神戸港。 大阪からも近く、コンテナの取扱個数は一時、世界一でおました。 今も海外との貿易が盛んな神戸には魅力がぎょうさんおまっせ。 今回はその一部だけやおますけど、モダニズム建築物を中心に紹介していきまひょ! まずは、南京町やハーバーランドなど、近くに寄ったついでに、ぜひ!
東遊園地
1868年、日本初の西洋式運動公園「外国人居留遊園」として開園。 開園当時は外国人専用であった。 1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震、通称、阪神・淡路大震災の慰霊と復興のモニュメント・1.17希望の灯りも公園内に建立。 毎年1月17日の追悼行事では主要会場の一つ。 毎年12月の光の祭典「神戸ルミナリエ」は主要会場の一部。 名称の「遊園地」は一般的な遊園地の意味とは異なり、「公園」と同義で使われている。 また、当初、「内外人公園」などと呼ばれていたが、旧居留地の東に位置することから「東遊園地」と呼ばれるようになった。
ボウリング発祥の地
1868年、日本初の西洋式運動公園「外国人居留遊園」が開園し、多くの外国人が当地に訪れた。 次第に外国人の社交場としての賑わいを見せ、それまでは外国のスポーツであった野球、ラグビー、サッカー、ボウリングなどが広まった。 日本初のボウリング場は、1861年6月22日に発行された日本初の英字新聞・近代活版新聞「ザ・ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アド バタイザー」に掲載された長崎県のインターナショナル・ボウリング・サロン。 6月22日は「ボウリングの日」として制定。 当地では1869年、ボウリングレーン付で駐在外国人の会員制クラブ「ユニオンクラブ」が開業、以後、「神戸クラブ」となった。
神戸旧居留地VILLA BLANCHE
現在、東遊園地公園の管理事務所と旧神戸社交倶楽部・レストランとなっている。 設計は、イギリス人の建築家アレキサンダー・ハンセル。 ゴシック.リバイバル建築に基づき、煉瓦を剥き出しにしたデザインを採用。 1868年、当時、兵庫県神戸市には社交倶楽部が2つ存在した。 一つはドイツ人が設立したクラブ・コンコルディアにはオランダ人、ノルウェー人、スウェーデン人などが入会。 非ドイツ人会員が、対立を機に大量に脱会し、79番地のオリエンタルホテル地下に移転。 ユニオンクラブは居留地返還後も、活動を行っている。
日本真珠会館
別名、神戸パールミュージアム。 戦前、兵庫県神戸市は日本の真珠取引の約8割を担っていた。 1952年、世界の真珠取引の中心を目指す拠点として、建設されたオフィスビル。 建設当時、日本で初めてとなる全自動ベネシャンブラインド、全自動式エレベータ、全館蛍光灯などを採用した。 1階には、博物館「神戸パールミュージアム」が設立。 近代化産業遺産および国の登録有形文化財に登録、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築などにも定められている。
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