
門司港でも~じもじ♪門司でじっくり眺めるレトロな街並み
福岡門司港でも~じもじ♪門司でじっくり眺めるレトロな街並み
まいどまいど! 今回は九州の玄関口の一つに数えられる門司港をじっくりと散策しまひょ。 かつては本州と九州とを結ぶ海の玄関口として栄えた歴史を持ってはるねんやとか。 最近では鉄道も発達し、九州といえば博多が有名となってしまいましたが、門司港にはまだまだ魅力がぎょうさん詰まってはりまっせ。 門司港やその界隈ではかつての時代を偲ばせる近代建築物がぎょうさん現存し、観光名所ともなってまんねん。 たとえば、洋風の文化を取り入れたモダニズム建築、日本の鉄道の博物館でおます九州鉄道記念館もおます。 ほんでまた、バナナの叩き売り発祥の地としても知られておまして、門司港では独特のリズムに乗せて、歌を歌う伝統が残っていて、観光客を楽しませてくれはりまっせ。 その他、門司港ではかいらしいキャラクターも活躍してはりまして、記念撮影も楽しむことができまんねん。 新旧が入り混じる、おもろいエリアに、今も昔も門司港名物として注目を集めているのが、焼きカレーという食べ物。 果たして、門司港とはどんな街並みなのか、そして、焼きカレーとは、どんな食べ物なのか、早速、案内していくことにしまひょ。
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九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の停車駅。 1891年、当初、九州鉄道の起点「門司駅」として開設された。 初代駅舎が建てられた場所は現在地よりも東側であった。 1901年、関門連絡船の運航を開始し、本州と九州とを結ぶ玄関口となった。 1911年、下関と小森江間で貨車の車両航送を開始し、本州と九州とを結ぶようになった。 1914年、ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルの監修の下、ネオ・ルネッサンス様式の外観デザインが特徴の2代目駅舎が完成し、移転開業した。 関門トンネルの開通に伴い、「門司港駅」へと改称した。 1988年、全国初となる国の重要文化財に指定された。
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記念撮影
門司港駅構内にあるオブジェ。 ここでは現役の車両や過去に使用されていたという備品などが展示、保存されている。 その他、駅構内には戦前から使用されている洗面所、手水鉢、上水道、一・二等客待合室、チッキ(手荷物)取扱所、貴賓室、関門連絡船通路跡など様々な歴史的資産が存在する。
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1937年、米国で建築を学んだ松田軍平が設計し、旧三井物産門司支店として建設された。 当時、「アメリカ式高層オフィスビル」として注目を集めたとか。 その後、日本国有鉄道・九州旅客鉄道として使用された。 音楽ホール、門司港歴史資料室があり、「関門海峡らいぶ館」では関門海峡に設置されらライブカメラを操作して海峡を運行する船舶の映像を見ることができたり、電子海図でかんもんかいの地形や海底の状況の情報公開などを行っている。
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満州事変から第二次世界大戦にかけて、当地には全国各地から多くの人や農耕馬が軍隊、軍馬として集められ、軍用船に乗り込み、門司港から戦地に向かったとか。 軍隊の場合、約200萬人の人々が、軍馬の場合、その数は百万頭にも及ぶとも言われ、ほとんどの場合、戦地から帰ってくることはなかったという。
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軍馬の水飲場
百万頭にも及ぶとも言われる多くの軍馬はここで水を飲み、出発する時を待っていたことでしょう。
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1921年、三井物産門司支店の社交クラブとして建築。 接客用として利用された洋風の本館と、和風の付属屋・倉庫から構成される。 1922年、アインシュタインが宿泊した。 現在は当時の状態で「アインシュタインメモリアルルーム」として展示されている。 1949年、国鉄の所有となり、「門鉄会館」として利用された。 山あいの門司区谷町より門司港レトロ地区に移築された。 1990年、重要文化財指定(本館及び付属屋)、近代化産業遺産(北九州炭鉱 - 筑豊炭田からの石炭輸送・貿易関連遺産)に認定された。 また、門司は林芙美子ゆかりの地として知られ、林芙美子資料室がある。
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1917年、大阪商船門司支店として建設された。 1964年、大阪商船と三井船舶の合併後、商船三井ビルとなり、1991年まで使用された。 登録有形文化財、近代化産業遺産(北九州炭鉱 - 筑豊炭田からの石炭輸送・貿易関連遺産)に認定された。 建設当時、北側は海に面し、専用桟橋から直接乗船可能であったとか。 海峡ロマンホール、わたせせいぞうと海のギャラリー、海事資料館、地元芸術家の作品を展示販売する門司港アート村のギャラリー「港のマチエール」がある。
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ここでは、山口県の下関・唐戸と福岡県の北九州・門司港とを結ぶ関門連絡船、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地で有名な巌流島(船島)までを結ぶ巌流島連絡船(発着は山口県の下関・唐戸または福岡県の北九州・門司港)がある。
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記念撮影も
その他の別乗り場では、福岡県・北九州や山口県・下関付近の「門司港界隈」や「工場夜景」、「関門海峡の夜景」「市街地の灯り」を船上から観賞する夜景観賞定期クルーズ、関門海峡遊覧クルージング、門司港レトロクルーズがある。
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明治時代、バナナは台湾の日本への編入などによって大量に輸入された。 青々とした完全に熟していないバナナは一旦、問屋(室)で熟成させて各地に出荷。 当時は保存する技術、菓子や飲料に加工する技術がなかったため、廃棄されていたが、バナナが完全に傷んでしまう前に露天商や的屋らが独自の「ばなちゃん節」を歌いながら客を引き寄せて露天で販売していた。 バナナは当時、高価な食べ物の一つで、祭りなどの的屋の一つとして行われることが多かったとか。 現在、「ばなちゃん節」は少なくなり、大道芸(門司流)となっている一方で、門司流と佐賀流があり、口上や歌などが異なっているが、門司では「バナナ叩き売り保存会」が設立。
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2007年、本館(旧九州鉄道本社)が近代化産業遺産(北九州炭鉱 - 筑豊炭田からの石炭輸送・貿易関連遺産)に認定。 2014年、国の登録有形文化財に登録。
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蒸気機関車
本館、車両展示場、ミニ鉄道公園の3つのエリアで構成。 本館は1891年に建築された赤レンガ造りの初代九州鉄道本社社屋を転用し、九州鉄道の客車チブ37号など、鉄道模型やヘッドマークの展示、疑似運転体験ができる運転シミュレーター、キッズルームなどがある。
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車両展示場
車両展示場では鉄道車両9両が展示・保存されている。 ミニ鉄道公園は国内の鉄道の博物館では全国初の模型鉄道車両があり、屋外に設置された450mmゲージのレール上を走る車両に乗車することができる。
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関門海峡の過去・現在を五感で感じられるミュージアムとして知られ、施設内では海峡にまつわる歴史を再現した「海峡アトリウム」「海峡歴史回廊」、大正時代の街並みを再現した「海峡レトロ通り」などがある。
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1929年、中国・大連をはじめ、世界を結ぶ航路の中枢として、建設された国際旅客ターミナル。 現在、ホールや多目的スペースなどがあり、芸術・文化の発信拠点となっている。 館内には、映画資料を集めた「松永文庫」があり、門司港出身の松永武氏のコレクションを観覧できる。 また、昭和時代の映画のポスター、パンフレット、シナリオ、新聞スクラップ、映画雑誌、スチール写真なども企画展示されている。
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門司港やその周辺のお土産物、海産物、雑貨、菓子類などが店頭に並ぶ。 また、シーフードをはじめとしたレストラン街、オルゴールミュージアム、赤煉瓦ガラス館などがある。
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じーも
福岡県北九州市門司区役所のマスコットキャラクター。 関門海峡の海坊主の末裔。 性別、年齢は、不明。 身長は120cm、体重550g。 特技は、身体(足)が伸び縮みすること。 好物は、豊前海一粒かき、焼カレー、関門海峡たこ、バナナ、門司港ちゃんらー。 住まいは、関門海峡。
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門司港のバナナマン・バナナマンブラック
福岡県北九州市門司区門司港で活躍するキャラクター。 愛と正義の使者として活躍。 1999年、門司港界隈で干物店を営む秋武政道氏が考案した。 モデルは、秋武氏自身が着ぐるみをまとい、「台湾から船で運ばれてきたヒーロー」としてイベントに登場して人気に。 ラジオDJ、TOGGY(トギー)氏が「レトロ地区の起爆剤に」と、ブラックを秋武さんに提案。 設定は、「門司港の倉庫で腐って黒くなったちょい悪オヤジ」。
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ヨーロッパのアンティーク・オルゴールや自動演奏楽器、自動人形が展示されている。 また、ピアノ、打楽器、パイプオルガンによる自動演奏「ウェーバー・マエスト」を楽しむことができる。
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門司港やその周辺では焼きカレーが名物で、多くの店舗で提供されている。 あちこちの店舗や看板で目にする焼きカレーとの文字。 門司で文字とは少々、ややこしいが、そんな焼きカレーという言葉に惹かれ、一軒の店に入ってみることにした。
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レトロな洋食と串カツのお店
門司港に面し、名前や雰囲気でだけで、いかにもレトロを感じさせてくれる門司港レトロ食堂。
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くじら焼きカレーセット
焼きカレーにもいろんな具材を入れることによっていろんな種類があり、門司港やその周辺だけでしか味わえないようなメニューを探してみると、見つけました。 サラダとデザートがついたセットには、クジラがどどーんと入っている。 焼きカレーの下にはライスがあり、アツアツで、ハフハフと言いながら、味わい、満足の逸品でした。
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鎮西橋公園には、明治屋門司支店のレリーフがあり、かつての雰囲気を今に残している。 レリーフは建物の右側面の煉瓦壁にあり、花綱装飾された明治屋のMと、この上には明治屋社章の三ツ鱗がデザインされた。
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門司やその付近では昔、源平の戦い、壇之浦合戦などが勃発し、熾烈な争いが繰り広げられた。 以後は鉄道や船が発達し、本州と九州が結ばれただけでなく、海外との貿易、交流が盛んとなった。 次第に商社や船会社が軒を連ねるようになり、バナナの叩き売りをはじめ、かつてない賑わいを見せた。 その当時の面影を今に伝える石碑がここに建立されている。
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栄町銀天街の付近には港として栄えた門司港があり、当時のレトロな雰囲気が今に残っている。
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栄町銀天街地域再発見モノはうす 北九州市立大学地域創生学群文学部社会学ゼミ 地域再発見、再生を目指して、にぎわい作りやイベントの実施、門司港の歴史や文化などの魅力発信を行っている。 かつては昭和レトロ館として、駄菓子の販売、にぎわい作りの昔遊び、お茶のサービスなど行っていたとか。
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日本最大級の歩行者専用はね橋。 全長約108mで、1日6回、水面に対し60度の角度に跳ね上がる。
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恋人の聖地
橋が閉じて最初に渡ったカップルは一生結ばれると言われ、「恋人の聖地」にも選定。
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1912年、焼失した門司税関の2代目の庁舎として建設(1927年まで使用された)。 1階は税関常設展示コーナー、エントランスホール、休憩室、喫茶店、展示室。 2階はギャラリーと展望室。 近代化産業遺産(31北九州炭鉱 - 筑豊炭田からの石炭輸送・貿易関連遺産)に認定。
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福岡県北九州市門司区で製造販売されている門司港地ビール。 スタイルは、ヨーロッパの伝統ある国々で親しまれている正統派で、原料の麦芽・ホップはドイツ産、アメリカ産のものを、ビール酵母は国内産を使用しているとか。 1階では、ニュージーランドで飼育された仔羊を使用したジンギスカン料理を味わうことができる。 3階では、門司港地ビールなど各種のビールを味わうことができるほか、門司港やその周辺の名物として知られている焼きカレー、窯焼ピッツァ、イタリアンチーズ、パスタ、ハンバーグなどのメニューがある。
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北九州市内の菓子・海産物・B級グルメ・民芸品・雑貨・書籍等の特産品、名産品が店頭に並ぶ。
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MINATO HOUSE
北九州市内の菓子・海産物・B級グルメ・民芸品・雑貨・書籍等の特産品、名産品が店頭に並ぶ。
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北九州市と中華人民共和国の大連市の友好都市締結15周年を記念して整備された。 1階は中華レストラン「大連あかしあ」、2階は中国・東アジア関連書籍の図書館、3階は旧満州関連の資料展示室。 モデルは、かつて大連に存在していたという東清鉄道汽船会社事務所(ロシア帝国が1902年に建設)。
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地上31階、約103mの高さから関門海峡・関門橋、門司港レトロ地区や下関市唐戸の街並みを一望することができる。 屋上は、ヘリパッド。 1階は、マンションエントランス、門司港レトロ展望室専用エレベーターホール。
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門司港レトロ地区
門司港レトロ地区や下関市唐戸の街並み。
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関門海峡
関門海峡を一望。
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北九州線は、西日本鉄道(西鉄)が福岡県北九州市内で運行していた軌道路線の総称。 北九州本線、戸畑線、枝光線、北方線の4路線が存在していた。
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出光興産創業者として知られる出光佐三氏は門司で生まれ、機械油の販売店「出光商会」を創業した。 出光氏は収集した美術コレクションを中心に展示する私立美術館。
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1185年、門司城は標高175mの古城山の山頂に築城。 源平合戦の折に平家の大将であった平知盛が家臣の紀井通資に命じて築城したといい、付近には、平家が戦った壇ノ浦が城広がっている。 平安時代、壇ノ浦の戦いが山口県下関市で勃発し、栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いとなった。
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