門司港でも~じもじ♪門司でじっくり眺めるレトロな街並み
まいどまいど! 今回は九州の玄関口の一つに数えられる門司港をじっくりと散策しまひょ。 かつては本州と九州とを結ぶ海の玄関口として栄えた歴史を持ってはるねんやとか。 最近では鉄道も発達し、九州といえば博多が有名となってしまいましたが、門司港にはまだまだ魅力がぎょうさん詰まってはりまっせ。 門司港やその界隈ではかつての時代を偲ばせる近代建築物がぎょうさん現存し、観光名所ともなってまんねん。 たとえば、洋風の文化を取り入れたモダニズム建築、日本の鉄道の博物館でおます九州鉄道記念館もおます。 ほんでまた、バナナの叩き売り発祥の地としても知られておまして、門司港では独特のリズムに乗せて、歌を歌う伝統が残っていて、観光客を楽しませてくれはりまっせ。 その他、門司港ではかいらしいキャラクターも活躍してはりまして、記念撮影も楽しむことができまんねん。 新旧が入り混じる、おもろいエリアに、今も昔も門司港名物として注目を集めているのが、焼きカレーという食べ物。 果たして、門司港とはどんな街並みなのか、そして、焼きカレーとは、どんな食べ物なのか、早速、案内していくことにしまひょ。
門司港出征の碑・軍馬の水飲場
満州事変から第二次世界大戦にかけて、当地には全国各地から多くの人や農耕馬が軍隊、軍馬として集められ、軍用船に乗り込み、門司港から戦地に向かったとか。 軍隊の場合、約200萬人の人々が、軍馬の場合、その数は百万頭にも及ぶとも言われ、ほとんどの場合、戦地から帰ってくることはなかったという。
関門連絡船
ここでは、山口県の下関・唐戸と福岡県の北九州・門司港とを結ぶ関門連絡船、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地で有名な巌流島(船島)までを結ぶ巌流島連絡船(発着は山口県の下関・唐戸または福岡県の北九州・門司港)がある。
関門海峡ミュージアム(海峡ドラマシップ)
関門海峡の過去・現在を五感で感じられるミュージアムとして知られ、施設内では海峡にまつわる歴史を再現した「海峡アトリウム」「海峡歴史回廊」、大正時代の街並みを再現した「海峡レトロ通り」などがある。
松永文庫
1929年、中国・大連をはじめ、世界を結ぶ航路の中枢として、建設された国際旅客ターミナル。 現在、ホールや多目的スペースなどがあり、芸術・文化の発信拠点となっている。 館内には、映画資料を集めた「松永文庫」があり、門司港出身の松永武氏のコレクションを観覧できる。 また、昭和時代の映画のポスター、パンフレット、シナリオ、新聞スクラップ、映画雑誌、スチール写真なども企画展示されている。
門司港レトロ食堂
門司港やその周辺では焼きカレーが名物で、多くの店舗で提供されている。 あちこちの店舗や看板で目にする焼きカレーとの文字。 門司で文字とは少々、ややこしいが、そんな焼きカレーという言葉に惹かれ、一軒の店に入ってみることにした。
鎮西橋公園
鎮西橋公園には、明治屋門司支店のレリーフがあり、かつての雰囲気を今に残している。 レリーフは建物の右側面の煉瓦壁にあり、花綱装飾された明治屋のMと、この上には明治屋社章の三ツ鱗がデザインされた。
北九州青果発祥の地
門司やその付近では昔、源平の戦い、壇之浦合戦などが勃発し、熾烈な争いが繰り広げられた。 以後は鉄道や船が発達し、本州と九州が結ばれただけでなく、海外との貿易、交流が盛んとなった。 次第に商社や船会社が軒を連ねるようになり、バナナの叩き売りをはじめ、かつてない賑わいを見せた。 その当時の面影を今に伝える石碑がここに建立されている。
栄町銀天街
栄町銀天街の付近には港として栄えた門司港があり、当時のレトロな雰囲気が今に残っている。
栄町銀天街地域再発見モノはうす
栄町銀天街地域再発見モノはうす 北九州市立大学地域創生学群文学部社会学ゼミ 地域再発見、再生を目指して、にぎわい作りやイベントの実施、門司港の歴史や文化などの魅力発信を行っている。 かつては昭和レトロ館として、駄菓子の販売、にぎわい作りの昔遊び、お茶のサービスなど行っていたとか。
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