「隅田川七福神」巡って美味しい初詣!
東京「隅田川七福神」巡って美味しい初詣!
言問橋から水神大橋にかけての隅田川東岸には「隅田川七福神巡り」という、江戸時代から続く風流な正月行事があります。 南からスタートする場合はとうきょうスカイツリー駅で下車して三囲神社から北上。 北から向かう場合は堀切駅で下車し、多門寺から南下します。 個人的には北上ルートをたどって最後に北千住へ雪崩れ込むパターンがオススメ。 なので、ここではとうきょうスカイツリー駅から北上するルートを紹介しましょう。 また、七福神巡りの合間には美味なる名店で、ひと休み。 縁起のいい蕎麦に団子で年始から幸運を呼び寄せましょう! なお、詳細なルートは下記のサイトをご参照ください。 http://tabi.tobu.co.jp/playing/hiking/town/sumidagawa/
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最初の神様は三囲神社の「大國神(だいこくしん)」と「恵比寿神(えびすしん)」。 つまり一か所で二柱の神様を一度に拝めるラッキーポイントです。 七福神風に言うと大國神は豊穣の神だいこくさま、恵比寿神は商売繁盛の神えべっさん。 ちなみに三囲神社のご祭神は宇迦之御魂命(うがのみたまのみこと)…つまりお稲荷さん。 なのになぜ大國神と恵比寿神かというと…隅田川七福神を決めるとき、たまたま三囲神社に両神の小さな祠があったので「ここにしちゃえ!」と決まったそうです。
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とうきょうスカイツリー駅から歩いて概ね15分
東武スカイツリーラインで浅草駅からひと駅。 正面改札口を出て右に曲がって道なりに進みます。 言問橋の手前、割烹上総屋の前で右折して向島の見番通りへ。 小梅小学校が見えてきたら、三囲神社はすぐそこです。
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白い狐が三べん回ってコン! それが「三囲神社」の由縁です
いつ三囲神社が出来たのかは不明ですが、現在の社殿は江戸時代、安政年間の建築とされています。 南北朝時代、近江国三井寺の僧源慶が荒れ果てた社殿を再建しようとした時、地中から壺が掘り出されました。 開けてみると中には白狐に跨った老爺の神像が。 その時どこからともかく白狐が現れ、神像の周囲を3度回って去りました。 これが「みめぐり」と呼ばれるようになった由縁だそうです。
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眷属(守護する動物)は狐、狛犬、そして…ライオン!?
三囲神社の神様はお稲荷さんなので、拝殿の前には狐が向い合い座っています。 また、恵比寿様や大黒様を祀っていることもあり、狛犬も鎮座しています。 そしてもうひとつ、ライオンの姿もあります。 ライオン像といえば三越の玄関口に佇む姿でおなじみ。 このライオン像は三越池袋店の玄関口に飾られていたもので、2009年の閉店を機に移設されました。
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三囲神社の少し北、向島の料亭が立ち並ぶ一角の狭間にヒッソリと佇む蕎麦屋です。 その佇まいは料亭街の雰囲気に溶け込んでいます。
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名物は「江戸蕎麦」
江戸初期、醤油が普及する以前の蕎麦つゆは味噌と大根おろしの絞り汁を和えたものだったそうな。 その「江戸つゆ」を現代に再現したのが、この「江戸蕎麦」。 味噌と大根おろしにカツオ出汁をブレンドし、現代人の口に合うようアレンジしてあります。
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三番目の神様は弘福寺の「布袋尊(ほていそん)」こと、福の神ほていさま。 中国唐代の禅僧契此(けいし)が本名(?)で、七福神の中で唯一実在した方であります。 弘福寺は京都宇治にある黄檗(おうばく)宗大本山万福寺の末寺。 黄檗宗は禅宗の中でも中国に近い宗派だけに、寺の建築様式も中国風なのが特色です。
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江戸時代の末期、植木職人の外山佐吉が創業したお団子屋さん。 向島は江戸期から明治大正にかけて風光明媚な観光地として栄えました。 それゆえ幸田露伴や野口雨情、竹久夢二ら多くの文人墨客が訪れ賞味したそう。 店内には、ここを訪れた作家の皆さんが色紙にサインを残しております。 中にはNHK連続テレビ小説「花子とアン」でおなじみ村岡花子の署名も。 ちなみにここはTBSラジオ「六輔七転八倒九十分」でおなじみ、外山惠理アナウンサーの実家でもあります。
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店内で賞味するもよし!テイクアウトして堪能してもよし!
お団子は白玉を小豆餡、白餡で包んだものと、クチナシ由来の粉で青黄色に外側を彩色して中に味噌餡を入れたものの3種類。 櫛に刺さっておらず、丸いままコロンと提供されます。
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四番目の神様は長命寺の「弁財天(べんざいてん)」こと、水の女神べんてんさま。 水に関係ある場所に多く祭られている神様で、ここの弁財天は琵琶湖竹生島の分身です。 また名前に“財”の字があるように、財宝と福運の神様でもあります。
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長命水の井戸
江戸時代の寛永年間(1624~44)、徳川三代将軍家光が鷹狩の途中で腹痛を起こしました。 この寺の井戸水で薬を服用したところ、たちどころに快癒。 喜んだ家光が井戸水に「長命水」と命名したのが寺号の由来です。
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桜餅は関東と関西で大きく異なりますが、関東風桜餅の元祖がこちら。 創業は享保2(1717)年…ちなみに大岡越前守忠相が江戸(南)町奉行に就任した年とのこと。 創業者の山本新六が隅田堤に散った桜の葉を樽の中で塩漬けにし、試しに作った和菓子が元祖。 向島の名跡「長命寺」の門前で売り始めたところ、花見客から大いに受けたのが世に広まるきっかけでした。 一般的な桜餅は桜葉が一枚なのに対し、二枚の葉で重ねるように包んであるのが特徴です。
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江戸の「長命寺」と京都の「道明寺」…関東と関西で異なる桜餅
桜餅は関東と関西で大きく異なります。 関西は京都「道明寺」。 水に浸して蒸したモチ米を干して粗めにひいた「道明寺粉」を用い、餅に米粒の食感が残り、ちょっとピンク色なのが特徴。 一方の関東は江戸「長命寺」。 薄く伸ばして焼いた生地で餡を包んであるのが特徴です。 なお、どちらも塩漬けにした桜の葉で包んであるのは共通です。
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五番目の神様は向島百花園の「福禄寿尊(ふくろくじゅそん)」。 向島百花園は江戸時代の文化元(1804)年に造られた庭園です。 ここの最大の特徴は幕府や大名、神社仏閣とは無関係な、単なる一町人の手による「民営庭園」だということ。 骨董商人の佐原鞠塢が交遊のあった文人墨客の協力を得て、旗本屋敷の跡に作り上げたものです。 民間での営業は、なんと昭和13(1938)年まで続いたそう。 戦後、復興が進む中で廃園になりかけましたが、なんとか存続。 昭和53(1978)年10月には国から名勝と史跡に指定されました。
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福禄寿尊
なぜ寺でも神社でもない百花園に七福神? それは隅田川七福神巡りが向島百花園発祥だからです。 百花園を開いた佐原鞠塢(さわらきくう)は、草花の神様として福禄寿尊を愛蔵していました。 すると仲間の文化人が「他の六福神を探して七福神にしよう」と提案。 それが隅田川七福神の始まりでした。 ちなみに福禄寿尊は幸福と封禄(給料)と長寿を兼ね備えた中国の福神。 たまに寿老神と間違われることがあるそうです。
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六番目の神様は白鬚神社の「寿老神(じゅろうじん)」。 天暦5(951)年、滋賀県高島市の琵琶湖湖畔に鎮座する白鬚神社総本社から分祀されたのが起源です。 墨田区の旧寺島町…現在の東向島、墨田、堤通、京島、八広、押上…の氏神として信仰されてきました。 主祭神の猿田彦大神は高天原から降臨してきた天孫瓊瓊杵尊を道案内した神。 そこから旅立安全、交通安全、商売繁昌、方災除の神として崇められています。 ちなみに白“ヒゲ”は髭(くちひげ)ではなく鬚(あごひげ)です。
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寿老神
寿老神は読んで字のごとく「長寿の神様」で、白い鬚が特徴です。 隅田川七福神の中でも当てはまる神様が最後まで見つからなかったのですが。 神社の名前“白鬚”を寿老神に当てはめ、ようやく「七福神」が揃いました。
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最後七番目の神様は、ここ多門寺の「毘沙門天(びしゃもんてん)」。 創建は天徳年間(957~960)で、弘法大師作と伝わる毘沙門天が本尊です。 毘沙門天は勇猛な神様で、武士から篤く信仰されました。 特に戦国武将の上杉謙信は有名で、旗印に毘沙門天の「毘」の字を用いていたほどです。
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狸塚
境内に「狸」と刻まれた石碑が立ってます。 大昔、本堂前の大きな老松の根本に古狸の夫婦が棲んでおりました。 村人に悪さするので住職は老松を切り倒しますが、悪さは酷くなる一方。 因った住職が毘沙門天に祈ったところ、毘沙門天門下の禅尼師(ぜんにし)童子が宝棒で狸を打ちすえる夢を見ました。 翌朝、庭に二匹の大狸が死んでいたそうです。 この狸を葬った場所に建てた石が狸塚になりました。
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堀切駅
多聞寺から東武線の脇を北へ向かい、高速道路の下をくぐり歩道橋を渡ると堀切駅です。 ただ、改札へ向かう前に、そのまま歩道橋を通って荒川の河川敷へ行かれることをお薦めします。 そこには、どこかで見覚えのある風景が広がっていることでしょう。
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東京未来大学
堀切駅前に立つ大学。 でも、この校舎どこか見覚えはありませんか? そう、テレビドラマ「3年B組金八先生」の舞台、桜中学校に使用されていた校舎なのです。 また、この一帯は金八先生のロケ地でもあります。 金八ファンなら北千住駅にかけてブラブラ散策するのも面白いですよ。
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