伏見港テニスコート
京都府京都市伏見区桃山町金井戸島1594年、豊臣秀吉は宇治川の治水および流路の大幅な変更を目的として、「太閤堤」と呼ばれる槇島堤や小倉堤の建設を前田利家らに命じて行った。
江戸時代、角倉了以・素庵父子が高瀬川を開削し京都と伏見が結ばれた。
幕府の伝馬所(問屋場)も置かれ、参勤交代の大名が立ち寄るために本陣や大名屋敷も置かれた。
明治時代、琵琶湖疏水(鴨川運河)が開通。
日本初の京都市電伏見線が港と京都市内を結ぶために建設。
ダムの建設や京阪本線の開通により衰退。
跡地を埋め立てて公園とした。
現在は、公園内に港湾施設の復元模型があるほか、濠川から三栖閘門の周辺は遊歩道が整備され観光用の十石舟が運航している。