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★新旧漂う西天満界隈をぶらぶら
まいどまいど! 西日本最大のターミナル駅として知られる大阪・梅田駅。 一日に200万人が利用するという大阪・梅田駅界隈では、高層ビルが乱立し、日本を代表するビジネス街となってはりまんな。 せやけど、大阪・梅田駅界隈を離れると、おもろそうなお店や神社、ほんで、近代的やねんけど、昔ながらの雰囲気が漂う商店街が見えてきますねん。 西天満に鎮座する堀川戎神社は、商売繁盛の神様「戎様」、通称、「えべっさん」を祭神として、十日戎(毎年1月9日、10日、11日)になると、浪速区の今宮戎神社、福島区の野田戎神社などとともに笹を持った参拝客でにぎわおうてはりまんな。 関西の戎様は、「えべっさん」という愛称で親しまれ、古くから信仰を集めてまんねん。 その他、未来的な高層ビルが乱立する一方、大正時代から昭和時代にかけて流行したモダニズム建築(近代建築物)の雰囲気を残した曾根崎変電所や大江ビル、宇治電ビルなどが点在してまんねん。 その他、江戸時代には天下の台所として栄えた場所としても知られ、当時の蔵屋敷が立っていたとされる場所をめぐってみたり、昔ながらの神社をめぐってみることにしまひょ!
読売新聞大阪本社
読売新聞大阪本社は、近畿地方、中国地方(山口県は除く)、四国地方を中心とする地域向けに印刷・発行する地域本社。 1952年、「大阪讀賣新聞」の第一号を発刊。 東京・読売新聞社(読売新聞東京本社)とは別の会社、別の法人による「大阪讀賣新聞社」によって「讀賣新聞」が関西に進出し、全国紙としての体制を整えた。 1953年、題字から「大阪」を外し、「讀賣新聞」の題号で発行。 1957年、大阪にも読売系列のテレビ局を持つことが必要と判断し、新大阪テレビ放送が設立され、現在の讀賣テレビ放送となった。 1971年、「読売新聞大阪本社」の呼称を使用。 1970年代、大阪管内の全国紙では発行部数1位を記録した。
大阪読売新聞 発祥の地の碑
読売新聞大阪本社は、近畿地方、中国地方(山口県は除く)、四国地方を中心とする地域向けに印刷・発行する地域本社。 1952年、「大阪讀賣新聞」の第一号を発刊。 東京・読売新聞社(読売新聞東京本社)とは別の会社、別の法人による「大阪讀賣新聞社」によって「讀賣新聞」が関西に進出し、全国紙としての体制を整えた。 1953年、題字から「大阪」を外し、「讀賣新聞」の題号で発行。 1971年、「読売新聞大阪本社」の呼称を使用。 読売新聞大阪本社は移転し、現在、スーパーマーケットとして営業する。
がんばろう神戸!しあわせ運べるように・アニメストリート
まいどまいど! 震災復興を象徴する町の一つと言えば、兵庫県の神戸市。 特に長田区では1995年に発生した阪神淡路対震災(兵庫県南部地震)によって、多くの店舗、家屋が倒壊または半壊するなど甚大な被害を受けました。 そんな辛さ・悲しさにある中で、少しでも明るくしていきたい、元気な神戸への復活をとの思いから、歌「しあわせ運べるように(臼井 真氏が作詞・作曲)」が発表され、周辺の小学校の授業にも取り上げられました。 歌詞の「生まれ変わる神戸の町に届けたいわたしたちの歌。しあわせ運べるように」という思いの下、仲間を一生懸命、励まし合い、悲しみに暮れる神戸の町にはいつしか一筋の希望の光が差し込み、未来に向かうために一歩ずつ歩み始めました。 「傷ついた神戸をもとの姿にもどそう。支えあう心と明日への希望を胸に」 その思いで商店街が立ち上がりました。 また、漫画家の横山光輝さんの出身地である長田区で、作品の鉄人28号や三国志のモニュメントが飾られました。 さあ、次は神戸の町が笑う番です。 長田名物そばめしを食べて日本で一番笑顔であふれる神戸の町で素敵な一日を。
いかなごのくぎ煮発祥の地
当地では古くからいかなご漁が盛んで、周辺は砂浜であった。 砂浜では左義長祭が行われ、東西それぞれがお山を上げ、神社から出た行司のお山の前で倒しあい、勝った方が網入れの優先権を得る。 そして底引き網にていかなご漁が行われたとか。 988年、左義長の始まりとされ、このころにいかなご漁が始まったとされる。 底引きで捕られるいかなごは成魚となったフルセ。 平安時代、駒ヶ林には現在の税関にあたる玄蕃寮の出先機関があり、大陸との外交の要所であった。 その後、いかなごを砂糖と醤油、生姜で炊いて食していた。
駒林神社
別名、八幡神社、駒ヶ林八幡宮、駒ヶ林の厄神さん、駒ヶ林の八幡さん。 「厄除の宮」とも言われ、毎年1月18日から20日にかけて行われる厄除大祭には多くの参拝者で賑わう。 祭神は応神天皇(誉田別命)、猿田彦大神、奇稲田姫命。 1178年、務古の水門の一部にあたる。 足利尊氏が西国敗走の折、奉詣して、社前の浜より乗船したとされる。 1830年、井山城守石原清左衛門が社殿を改築、井戸ノ町若中より狛犬一対が奉納。 1995年、阪神・淡路大震災に被災。 2013年、阪神・淡路大震災にて倒壊した大鳥居が第六十二回伊勢神宮式年遷宮と出雲大社遷座祭が共に行われたこの年に氏子により復興。
平清盛上陸の地
平清盛は、厳島神社参詣の途中に上陸したという。
海泉寺
宗派は臨済宗。 1266年、東尻池の宝満寺が寛心禅師の教化で真言宗から禅宗に改宗。 海泉寺は宝珠庵、慈眼庵、松月庵、松源庵とともに建てられ、宝満寺の子坊となった。 1288年、漸岸覚俊禅師が暴風雨にあい、大樹に身を寄せて一心に観音経を念誦すると大樹の頂に龍灯が輝き、その導きで無事宝満寺に帰ることができた。 その奇端に感じ、圓明国師を開山に創建された。 1874年、焼失し、現在地にあった慈眼庵に移転し、海泉寺とした。 1923年、本堂改築の時、阿弥陀堂の木材を利用。 阿弥陀堂の棟札に1815年建立とあり、この堂に祀られていた阿弥陀三尊仏が今の本尊である。
湯川秀樹の碑
湯川秀樹の銘による全人類の幸福を祈る梵鐘を新鋳。
がんばろう神戸!しあわせ運べるように・アニメストリート
まいどまいど! 震災復興を象徴する町の一つと言えば、兵庫県の神戸市。 特に長田区では1995年に発生した阪神淡路対震災(兵庫県南部地震)によって、多くの店舗、家屋が倒壊または半壊するなど甚大な被害を受けました。 そんな辛さ・悲しさにある中で、少しでも明るくしていきたい、元気な神戸への復活をとの思いから、歌「しあわせ運べるように(臼井 真氏が作詞・作曲)」が発表され、周辺の小学校の授業にも取り上げられました。 歌詞の「生まれ変わる神戸の町に届けたいわたしたちの歌。しあわせ運べるように」という思いの下、仲間を一生懸命、励まし合い、悲しみに暮れる神戸の町にはいつしか一筋の希望の光が差し込み、未来に向かうために一歩ずつ歩み始めました。 「傷ついた神戸をもとの姿にもどそう。支えあう心と明日への希望を胸に」 その思いで商店街が立ち上がりました。 また、漫画家の横山光輝さんの出身地である長田区で、作品の鉄人28号や三国志のモニュメントが飾られました。 さあ、次は神戸の町が笑う番です。 長田名物そばめしを食べて日本で一番笑顔であふれる神戸の町で素敵な一日を。
自動販売機 鉄板コテ之介
鉄板コテ之介は赤色のスーツが特長。 お好み焼きやそばめしなど長田名物の粉もんを応援するヒーロー。 持ち歌はほぼ全て「長田」か「こなもん」がテーマ。 イベント企画を行う地元の友人に「長田のキャラとして活動してほしい」と背中を押されたという。 三国志をテーマにしたイベントではオリジナルキャラの「諸葛屋小梅」を演じた。
自動販売機 大災獣ニゲロン
2017年、神戸市内の劇場で一般公開された神戸のローカル怪獣映画「大災獣ニゲロン」。 物語の舞台は架空の町「神戸(かんべ)市」で、300年に一度、現れては災害をもたらすといわれる伝説の怪獣・ニゲロンと代々にわたってニゲロンから町を守る二毛留(にげる)家との戦い。 撮影は全て神戸市内で、主要登場人物は神戸市内の劇団であるとか。
自動販売機 神戸 鉄人プロジェクト
代表作「鉄人28号」「伊賀の影丸」「仮面の忍者 赤影」「魔法使いサリー」「コメットさん」「バビル2世」「三国志」などで知られる漫画界の巨匠の一人・横山光輝氏の故郷として知られる兵庫県神戸市長田区。 横山光輝氏の偉業を後世に伝えようと「鉄人28号」のモニュメントや展示施設などの建設実現を目的にNPO法人「KOBE鉄人PROJECT」が発足。 プロジェクトでは作品をテーマにしたイベントの定期的開催や環境創造、関連施設運営等を行っているという。
焼そば専門店 イカリ
焼きそば、そばめし、ぼっかけの専門店。 店内はカウンター席とテーブル席があり、テイクアウトも可能。 メニューはぼっかけ焼きそば、ぶた焼きそば、そばめしなど。
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