頼山陽書斎山紫水明處
京都府京都市上京区東三本木通丸太町上る南町517山紫水明処は歴史家・思想家・漢詩人・文人として活躍した頼山陽の書斎兼茶室。
1811年、広島から京都に出て塾を開いた。
転居を繰り返し、東山や鴨川の眺望を気に入り、屋敷を「山紫水明処」と名付けた。
1822年、6度目の転居先として当地が選ばれ、晩年を過ごした。
山陽は屋敷地を「水西荘」と名付け、庭にウメ、サクラ、モモ、ツバキ、ナツメなどの花木、実の成る木を好んで植えた。
1828年には書斎兼茶室を造営し、「山紫水明処」と名付けた。
これが今の「山紫水明処」となる。
茶の湯にも精通していた山陽は、鴨川の水を汲んで煎茶を入れて友人に振る舞った。
庭には鴨川の伏流水が湧き出す「降り井」が設けられた。