古高俊太郎邸跡
京都府京都市下京区米屋町 下京区河原町通四条上る一筋目東入南側江戸時代、攘夷派の志士として活躍した。
1829年、近江国栗太郡古高村(滋賀県守山市)生まれ。
別名、枡屋喜右衛門、湯浅喜右衛門。
父は大津代官所の手代・古高周蔵、母は公家の広橋家家来の娘・松本すみ。
山科毘沙門堂門跡に仕え、尊皇攘夷を唱える梅田雲浜に弟子入り。
筑前福岡藩黒田家御用達・枡屋を継ぎ、古道具、馬具を扱いながら宮部鼎蔵らと交流し、有栖川宮との間をつなぐ。
1864年、新選組に踏み込まれて捕縛される。
武器弾薬を押収され、諸藩浪士との書簡や血判書が発見。
壬生屯所前川邸の蔵で局長・近藤勇、副長・土方歳三から取調べを受けた。