蝉丸神社
滋賀県大津市大谷町23-11今昔物語 本朝世俗編
源博雅朝臣、会坂の盲の許に行く語、第二十三
逢坂の関に、一人の盲人が、庵をつくって住んでいた。名を蟬丸といった。若い頃、蝉丸は宇多天皇の皇子で、きわめてすぐれた琵琶を弾く才能をもった敦実親王の側で雑役を務めていた。敦実親王が弾く琵琶を側で聴いていてすっかり覚えてしまい、その琵琶の腕は評判になっていた。老いて盲人となり逢坂の関近くに藁屋を建て住んでいた。
醍醐天皇の御子にあたる兵部卿の親王のお子さんに源博雅朝臣という、やはり琵琶の名手がいた。その源博雅朝臣が琵琶の秘曲である流泉と啄木がどのようなものであるかを知りたく3年もの間、蝉丸の住む藁屋を通ったとある。