
浪花の名城!大阪城を散策
大阪浪花の名城!大阪城を散策
まいど! 大阪は日本の中心!? 今回は、そんな大阪の意外な素顔を皆さんにご案内していきまひょ! 大阪城は、太閤秀吉のお膝元。 周辺には大阪城ホールなどがあるさかい、知ってるよ!行ったことがあるよ!って言う人も多いのでは? もともと大阪城天守閣がそびえ立つ大阪城公園は上町台地の北部に位置し、古代から陸地として存在した。 森之宮では人々の生活の営みが残る遺跡、貝塚が発掘され、最近の発掘調査により日本最古の本格的な首都「難波宮」が置かれていたこともわかってきた。 時代は奈良県の平城京(710年)、京都府の平安京(794年)よりも古い645年に前期難波宮。 その後、奈良県に遷都するものの、744年に再び大阪が首都となり、後期難波宮とした。 その後、奈良や京都へと遷都している間、大阪は副首都・経済都市として日本を支え、太閤秀吉が天下統一を成し遂げたことによって、大阪が再び、日本の中心となった。 明治維新の頃、京都府から東京都へ首都機能を移転させる際にも一時期、大阪に首都機能を置いていたとか。 奈良県よりも京都府よりもそして東京都よりも歴史の古い大阪府。 歴史に浪漫を感じつつ、大阪を歩きまひょ!
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姫路城、熊本城と共に日本三名城に選ばれた。 別名、金城、錦城とも。 1583年、石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が築城を開始し、大阪城主となった。 1614年に豊臣秀頼と徳川家康による大坂冬の陣が勃発。 翌年には大坂夏の陣が勃発した。 大坂城は落城、豊臣秀頼と淀殿(茶々)は自刃した。 一説によると、大阪城から外へと抜け穴を利用して逃げ切ったとも。 1620年、大坂城を再建したが、落雷によって天守を焼失。 1931年、市民の募金により再建し、大阪のシンボルとして注目を集める。 2006年、日本100名城に選定。
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博物館
大阪城天守閣の内部は博物館となっていて、大阪城の歴史、豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家康と歩んできた大阪の歴史が展示されている。
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展望台から
大阪城天守閣の最上階は展望台となっており、大阪市内を一望することができる。
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石山本願寺推定地
大阪城にはかつて石山本願寺が存在した。 1496年、坊舎が建てられ、蓮如が隠居所とした。 1504年、大坂一乱が勃発。 1532年、本願寺教団の本山となり、山科本願寺の滅亡後、大坂が本山となった。 1580年、織田信長との石山合戦の末、顕如が明け渡し、その直後に焼亡した。 その後、豊臣秀吉が跡地に大坂城を築き、城下町を建設。 同寺建立以前、古墳または生国魂神社の境内であったとも言う。
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京橋口枡形の巨石
大阪城公園内には立派な石垣を多く目にする。 その中でも注目を浴びているのが、京橋口枡形の巨石。 別名「肥後石」とも呼ばれ、大阪城を築城の際、その建設に関わった加藤肥後守清正によって運び込まれたといわれている。 また、一説によると、徳川幕府によって大阪城再建の際、備前岡山藩主池田忠雄によって運び込まれたとも。
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大阪城本丸御殿跡
江戸時代、政治を行なう御殿が立ち並んでいたと言う。 江戸時代末期、14代将軍徳川家茂は長州戦争の指揮をとったと言う。 15代将軍徳川慶喜は、外国使節と対面したと言う。 明治維新時に焼失し、当時の面影はほとんどない。
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玉造口定番屋敷跡
かつて、大坂城の玉造門が黒塗りであったため、黒門とも呼ばれていた。 黒門は、大阪市中央区玉造1丁目にあり、豊臣期に惣構門として築かれた。 1700年代、この門付近で越(白)瓜が採れたことから玉造黒門越(白)瓜と名付けられ黒門(白瓜)市場も建てられた。 1989年、豊臣時代の黒門の遺構が発掘された。
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生國魂神社お旅所跡
大阪市天王寺区にある生國魂神社の前身とされる。 1400年代、今の大坂城にあたる場所に石山本願寺が建立されたと同時に、生國魂神社が隣接されたと言う。 豊臣秀吉は、現在の大阪市天王寺区へ移築させたと言う。
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SLで行く大阪城観光
線路が敷かれてない道をミニSLがアナウンスをしながら、大阪城公園を一周する。 「ポーーー」っと音をたて、「SLが通ります」とアナウンス。 いつもと違う角度から、大阪城公園を観光することができる。 駅は、JR大阪城公園駅前。 期間限定で走るので、ご利用の際は前もって確認の上、ご利用ください。
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大坂の陣400年天下一祭
400年の時を超えて、再び大阪が動き出す。 今から400年前の1614年から1615年にかけて、大坂城を居城とする豊臣方と徳川方との間で、大坂冬の陣、大坂夏の陣が勃発した。 2014年の今年は400年と言う節目にあたり、大阪城天守閣を中心とする大阪城公園一帯では、「大坂の陣400年」と位置づけ、大坂の歴史・文化の魅力を広く発信することを目的とした「大坂の陣400年天下一祭」が開催された。
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大阪城御座船
大阪城の内濠には金箔貼りの御座船。
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大阪城ホール(大阪城国際文化スポーツホール) 1983年、大阪城築城400年を記念に建設された多目的アリーナ。 構造は楕円形のドーム式で、国際級室内陸上競技会が開催可能な規模のアリーナを有する施設としては、日本初。 コンサートやスポーツ競技など開催されるイベントの内容に応じ、観客席の定員は変動する。
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JR西日本大阪環状線の大阪城公園駅が最寄り駅でJO-TERRACE OSAKAは駅に直結しているため、ほぼ雨に濡れることもない。 ここでは、「A TERRACE」から「F TERRACE」までと、「キャッスルガーデンOSAKA」の7施設にわかれ、ブッフェレストラン、カフェレストラン、カフェ&バーラウンジ、カフェ、お土産販売店、インフォメーションなど全22店舗が営業する。
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豊臣秀吉(豊国大明神)、豊臣秀頼、豊臣秀長を祀る。 1879年、大阪市北区の中之島に京都市の豊国神社の別社として創建。 1921年、京都市の豊国神社から独立。 1961年、大阪城公園内に遷座し、現在に至る。 遷座前の社殿は、住吉神社(大阪府豊中市)に移築されている。 毎年、8月18日に太閤祭を開催。
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1929年、陸軍施設を集約するために陸軍第4師団司令部庁舎として建設。 設計は第4師団経理部、施工は清水組。 戦後、連合国軍から返還され、大阪府警察本部・大阪市警視庁本部として利用された。 その後、大阪府警札本部は、移転した。 1960年、歴史博物館として設置した。 2001年、閉館し、大阪歴史博物館へ移転する。 現在は一般開放を行っていない。
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大坂の陣400年天下一祭
1614年と1615年に勃発した大坂の陣から約400年の時を越え、2014年と2015年にイベント・大坂の陣400年天下一祭を開催。 このとき、旧大阪市立博物館は一部を一般開放。 内部を自由に見学することができた。
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特別史跡大阪城跡
大阪城とその歴史を取り上げたコーナー。
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階段
階段には赤色の絨毯が敷かれ、モダンで高級感ある雰囲気が漂う。
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大阪城「本陣」では、大阪では定番のお土産を販売している他、オリジナルグッズ、Tシャツやタオル等も販売。 侍に関する甲冑をはじめ、忍者グッズやその他、戦国グッズ、和小物等を販売。 また、忍者の武器の一つとして知られる手裏剣を実際に投げることができる体験コーナー「手裏剣道場」も。
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ここでは、おしゃれな雰囲気が漂う店内で、内装はまるで高級レストラン。 特に女性に人気で、店内の客層のほとんどが女性。 なぜ、女性に人気なのか、その秘密も探っていく。 店内はテーブル席。 システムは、ランチの場合、ランチブッフェ。
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メインディッシュ
トマトパスタ、オイルパスタ、3種のキノコのクリームリゾットなど5種類(基本料金2000円から2500円まで)のなかからメインディッシュを選び、着席する。
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メインディッシュ
トマトパスタ、オイルパスタ、3種のキノコのクリームリゾットなど5種類(基本料金2000円から2500円まで)のなかからメインディッシュを選び、着席する。
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メインディッシュ
トマトパスタ、オイルパスタ、3種のキノコのクリームリゾットなど5種類(基本料金2000円から2500円まで)のなかからメインディッシュを選び、着席する。
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ブッフェ
メニューはブッフェなので、サラダや前菜、スープ、デザートなどがあり、好きなものを好きな分だけ選ぶことができる。
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スープやコーヒーも
スープやコーヒー、御茶も充実しているので、食事の合間にも楽しむことができる。
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ブッフェ
おしゃれな雰囲気の店内なのに、窓から見える大阪城天守閣を眺めながら、最高金額は2500円という安心価格。
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デザートも豊富
かつては天皇を迎え入れために設置された部屋「貴賓室」や、洋館を象徴する高い天井に大きな窓が特徴であるため、高貴な雰囲気の中で最高の贅沢な時間を過ごすことができる。
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大阪では、太平洋戦争から第二次世界大戦にかけて、アジア最大の軍事工場として兵器や火砲、金属製品を製造していた。 大阪砲兵工廠は、大村益次郎により作られた陸軍兵器工廠。 1870年、長崎製鉄所から移設して新設。 1919年、ネオ・ルネサンス様式の煉瓦造地上2階・地下1階として、置塩章氏の設計により竣工。 1964年、自衛隊大阪地方連絡部として利用されていた。
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大阪城公園内に残る戦争の傷あと
大阪大空襲によって大阪城天守閣の石垣のずれは1トン爆弾。 石垣は機銃掃射による弾痕の跡が残る。 当時、公園東側一帯には工場が多く建設された。 大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)は、日本国最大規模の兵器工場で、全工場では6万人を超える人々が働いていたとか。 1945年、大阪陸軍造兵廠は爆撃により壊滅し、今では科学分析場として利用された施設(元自衛隊大阪地方連絡部)など一部を残すのみとなっている。
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大阪城公園内にある梅林。 約1200本の梅が内濠の東側に植えられている。 早春には花をつけ、訪れる人たちでにぎわう。 1974年、大阪府立北野高校の卒業生が開校100周年事業として22品種880本を大阪市に寄付し、開園した。 バラ科サクラ属の落葉高木に分類されると言う。
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憩いの場として、親しまれている。 また、公園内には、大阪迎賓館や茶室 (豊松庵)がある。
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第二寝屋川に架かる橋。 大阪城公園と大阪ビジネスパークとを結ぶ。 大阪では数少ない公儀橋の一つに数えられ、鴫野橋と呼んでいた。 大阪では古くから橋を私財で架橋されることが多く、淀屋橋、心斎橋などが代表される。 建設時期などの詳細は不明であるが、江戸時代には存在していたとされる。 1879年、大阪城周辺には大日本帝国陸軍の大阪砲兵工廠が建設され、橋が架け替えられた。 付近には、鴫野橋が建設され、これに伴い、新鴫野橋と改称した。 1988年、老朽化に伴い、架け替えられ、石碑も建立された。
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2019年、開業。 大ホール「WWホール」、中ホール「TTホール」、小ホール「SSホール」の3劇場で構成。 3劇場の名称とロゴは明石家さんまさんによって命名。 命名した理由として「ホールの名前をつけてくれと、よしもとの方から言われて、適当に付けたらこれでええと言われたんですけれど。本当にこれでいいのでしょうか。TTは「楽しい楽しい」クラブでもホールでもいいですし、SSは「すっごい狭い」ホールでもいいですから、大喜利的にみなさんで大阪人らしい遊び方をしてもらったらええと思います。本当は全部、笑いに関した意味でもありますので、そう付けさせていただきました。あとはご自由に」という。
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さんま・岡村の花の駐在さん
ちなみに、WWは「笑って笑って」や「ワクワク」という意味が込められているという。 こけら落としは、「さんま・岡村の花の駐在さん」。 公演には明石家さんまさん、ナインティナイン・岡村隆史さんをはじめ、六代桂文枝さん、西川きよしさん、月亭八方さん、間寛平さん、今くるよさん、今田耕司さん、川端泰史さん、浅香あき恵さん、中川家さんら総勢31名が出演。
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花の駐在さん
「花の駐在さん」とは1976年から1986年まで放送されたコメディ番組で、1976年からは6代桂文枝(当時は三枝)さんが、1981年からは明石家さんまさんが主演を務めていた。
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飛鳥時代・奈良時代の宮殿として知られ、当時は、日本最古の本格的な首都として栄えていた。 645年、大化の改新後、中大兄皇子らによって企画。 652年、孝徳天皇によってこの地に遷都した。 一般的に、難波長柄豊埼宮と呼ばれている。 654年、斉明天皇により奈良県明日香村に遷宮された。 難波長柄豊埼宮が全焼したが、744年に、聖武天皇によって宮殿を再建。 陸軍の倉庫建築中に数個の重圏文・蓮華文の瓦、鴟尾を発見。 これらの遺構の詳細や出土品は、大阪歴史博物館にて保存されている。 現在、難波宮の跡地の一部は、難波宮史跡公園となっている。 難波宮の遺跡を元に建物の基壇などが設置されている。
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難波宮公園内
目の前には、宮殿を復元した遺構などが残っている。 その奥には、太閤秀吉の御膝元・大阪城天守閣が見える。
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住宅街・マンションの一角にも難波宮内裏東方遺跡
日本初の本格的な首都として栄えた難波宮があった場所として知られ、大化の改新の難波遷都に伴って難波長柄豊崎宮が造営された。 この地域で、地下約1.5mのところから後期難波宮の建物や回廊などを発見した。 また、難波遷都以前である飛鳥時代の建物や倉庫を発見した。 ここでは、遺構面を砂で保護した上に広場を設ける特殊工法を用いて、遺構を保存している。
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1869年、天王寺にあった浪華仮病院が移転し、大阪医学校を開設。 1872年、文部省の学制改革の制度により大阪医学校の廃止後、日本全国7大学区に設置された官立師範学校の一つに数えられる大阪師範学校が開設。 国の重要な教育機関であったため、明治天皇が大阪師範学校を行幸。 1878年、学制改革の制度により大阪師範学校廃止。
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アピオ大阪・森之宮ピロティホールでは、縄文時代中期から近世にかけての長期にわたる複合遺跡を保存、公開している。 ここ森之宮遺跡からは、西日本最大の貝塚が発見された。 江戸時代、大阪城玉造口の警護を担当する与力・同心が居住する同心屋敷が建ち並んだ。 また、伝統野菜である玉造黒門越瓜の栽培地であったとか。
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大阪市中央区の旧日本生命球場跡地(日生球場)に開業したショッピングモール。 1950年、日本生命球場が建設され、当時の近鉄バファローズが本拠地または準本拠地とした。 1997年、日本生命球場が閉鎖した。 2015年、ショッピングモール「もりのみやキューズモール」が開業。
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屋上ランニングトラック
屋上には、北京オリンピック男子リレーで銅メダルに輝いた朝原宣治さん監修の元、ランニングやウォーキングが楽しめるエアトラックを整備。 1周約300mの人工芝トラックで3レーン設置され、付近の大阪城公園などの景色を楽しむことができる。 また、商業施設での屋上ランニングトラックが設置されたのは、初めてであるとか。
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可愛いキャラクターがお出迎え
コンセプトは、「豊かに生きる、ココロ・カラダ特区」。 「球場の記憶を継承する」として、施設の名称に野球の塁の英訳「BASE」を使用。 また、生活拠点(ベース)、暮らしの基本(ベース)を支え、健やかな身体づくりの基礎(ベース)となる施設を目指している。
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2001年、地上13階、塔屋2階、地下3階として開館。 1960年、前身は大阪城公園内にある旧陸軍第四師団司令部庁舎跡にあった大阪市立博物館である。 歴史系博物館の先駆的な存在として親しまれ、現在、資料は10万点を超えている。 博物館の展示構成は、常設展示と特別展示に大別される。 地下1階は、日本最初の首都である難波宮の遺構が保存されている。
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大阪歴史博物館前でも難波宮遺跡
最近の発掘調査によりこの付近にも遺跡があったことがわかってきた。 広場では、柱の跡をもとに復元。 無料で案内なども行っている。
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タレントが知事に、全国で初めて女性が知事に、全国最年少で弁護士が知事に・・・ 何かと話題の多い大阪府庁は、大阪城すぐ目の前。 1926年、大阪市西区から移転して以来、現存する都道府県庁舎としては、最古のもの。 外装はもちろんのこと、内装も大正末期から昭和初期にかけてのモダン建築。
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赤レンガの暖炉
大阪府大阪市中央区にある大阪府庁舎前に設置された赤レンガ造りの暖炉。
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旧大阪府庁舎の模型
かつての大阪府庁舎が忠実に再現されている。
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大阪府庁舎
レトロな雰囲気の階段とエレベーター。
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大阪府庁舎
玄関の照明や壁面など。
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ミャクミャク
2025年、大阪府大阪市此花区の夢洲で開催予定の日本国際博覧会(大阪・関西万博)の公式キャラクター。 モチーフは2020年に決定した公式ロゴマーク。 歴史、伝統、文化、世界とのつながりを脈々と引き継ぐ意味が込められている愛称。
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大阪府庁大手前庁舎の地下1階にある食堂。 うどんやそば、丼などを味わうことができる飲食店。 正式には大阪府庁大手前庁舎本館職員食堂。 店内はテーブル席のみ、お弁当などテイクアウトも可能。 大阪府庁食堂は外食チェーンのUG・宇都宮が初めて運営する職員食堂で、積極的に食品ロス削減の取組を進める事業者と大阪府が連携して啓発活動を進めるために創設した「おおさか食品ロス削減パートナーシップ制度」のパートナーシップ事業者。
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大阪府庁ライス
大阪府庁食堂では、大阪府産はもちろん、関西広域連合エリア内産の食材も積極的に利用し、大阪府、そして広域連合エリア全体を「食」で盛り上げている。 名物は大阪府庁ライス。 デミグラスソースがかかったチキンカツの下にはご飯(白ご飯または雑穀米)があり、サラダとみそ汁も。
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大阪府大阪市中央区にある公館。 1923年、知事の住居として建設。 その後、歴代知事の住宅、執務室、応接室として使用。 2008年、府が開催するイベント等に使用してきた。 2016年、毎週金曜日に一般公開。 公館内には広報担当副知事でマスコットキャラクターの「もずやん」による「もずやんの部屋」が設置されている。 その他、大阪製ブランドや伝統工芸品の展示などのほか府政広報のコーナーが設置。
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大阪国際がんセンター前に設置された刻印石の庭。 1615年、大坂夏の陣の際、徳川氏により大阪城は埋め立てられたが、近年の発掘調査により刻印の入った石や焼けた瓦、陶磁器などが出土。 そのうちの刻印石は大阪城を再建する際、大阪城の石垣等に使用する予定でしたが、残念ながら使用されずほぼ当時のまま放置された残念な石のことで、通称、「残念石」と呼ばれている。 この近辺で出土した刻印石の多くは豊後国岡藩(大分県竹田市)中川家のものと推測される。
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住吉大社の歴代宮司の津守氏の住之江殿の中におかれた南朝の後村上天皇の御座所である。 1352年、1360年代に崩御するまでの間、行宮とされた。 1360年、正印殿は津守国基によって邸宅内に創建された。 後村上天皇が滞在した時には津守国夏、行宮とされた時には国夏の子、津守国量の邸宅であったという。 南北朝時代、住吉大社は宮司の津守氏が南朝方であった。 1938年、大阪府史跡に指定。 1939年、国の史跡に指定。
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1606年、教如上人を開基として創建。 浄土真宗東本願寺派に属している。 1830年、大塩平八郎が大阪西町奉行所与力「内山彦次郎」宛の手紙を保存。 1868年、鳥羽伏見の戦いの勃発後、大久保利通氏は、明治天皇とともに大阪を首都とする大坂遷都白書を提出。 しかし、京都府から猛反対に遭い、大坂御幸に変更した。 京都から大阪に移動した明治天皇は難宗寺(大阪府守口市)にて一泊、盛泉寺にて内侍所(賢所)を置いた。 一時的に大阪府が首都となる。 その後、日本の近代郵便制度の創設者の一人に数えられる政治家・前島密氏が東京遷都論を提出。 天皇は大阪から東京へと移動したが、正式に採用され、現在に至る。
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1875年、料亭「加賀伊」で、大久保利通、木戸孝允、板垣退助らが会議を行った。 その会議を大阪会議と呼ぶ。 ここでは、今後の政府の方針(立憲政治の樹立)および参議就任等の案件について協議した会議。 一説によると、大阪遷都論などを話し合ったとか。 大阪会議の際、「加賀伊」の名称を木戸孝允が「花外楼」に変えさせたと言われている。 現在でも木戸孝允の筆による「花外楼」の額が保存されている。
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1477年、蓮如上人が「守口御坊」を創立。 1611年、本願寺掛所となり西御坊となった。 1810年、石清水八幡宮護国寺仮堂の古材を利用して再建した。 明治天皇が一泊した場所としても知られている。
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祭神は、宇迦之御魂大神、下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命。 紀元前12年、創建。 蘇我氏と物部氏の戦いで、聖徳太子がこの地を訪れ、蘇我氏方の戦勝を祈願したと言う。 戦勝後、当地に観音堂を建立。 1603年、豊臣秀頼公により、社殿を再建。
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玉造黒門越瓜
玉造稲荷神社境内で栽培。 「玉造黒門越瓜」がお寿司となって登場。
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くろもんちゃん
玉造稲荷神社境内で栽培されている大阪伝統野菜の一つ「玉造黒門越瓜(=白瓜)」にちなんだキャラクター「くろもんちゃん」が登場。
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豊臣秀頼
玉造稲荷神社境内にある像。 1593年、次男として生まれた。 父は豊臣秀吉、母は淀殿(茶々)。 後に、大坂城を築いた豊臣秀吉の後継者となる。
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