
天空の城・日本のマチュピチュな世界へ
兵庫天空の城・日本のマチュピチュな世界へ
まいどまいど! 水力発電と風力発電の町・兵庫県朝来市。 ここはかつて、銀の産出が活発で、明治新政府に指定された由緒正しい歴史を持ってはりましたんやけど、銀の算出が激減して以後、遺跡として整備、唐人姿を今に伝えてまんな。 名を生野銀山。 生野鉱物館などが併設され、生野銀山の歴史や情報を展示・紹介してまんねん。 生野銀山の名物っちゅうたら、銀山うどん。 生野銀山のすぐそばには名物、銀山うどんと書かれた看板が見えましてん。 ほんで次に訪れた黒川ダム。 ここには、先述したようにダムとダムとの高低差を利用した水力発電と、黒川ダムの一角に建築された一基の風車が風力発電の役割を担ってまんねん。 最近、注目を集めているのが、天空の城や日本のマチュピチュとの異名を持つ竹田城。 竹田城は、山上に位置し、天候の条件が重なると雲海とともに楽しむことができ、記念撮影で楽しむ人の姿も。 ほんでまた周辺には天空の駅や海鮮せんべいを楽しむことのできるスポットが盛りだくさん! 過去と未来が交錯する兵庫県朝来市。 最近はシックナー跡、一円電車など注目の名所も。 時間を見つけて、ドライブに出かけまへんか。
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兵庫県朝来市にある竹田城跡で活躍するキャラクター「たけじぃ」。 天空の城とも呼ばれる竹田城跡に古くから住む妖精。
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ちゃすりん
朝来市で活躍するマスコットキャラクター。 茶すり山古墳や南但馬の歴史・文化をイメージした古代の少年の姿がモチーフ。 性別は男の子。 年齢は推定1600歳。 出身地は茶すり山古墳。 誕生日は7月22日。 性格はいたずら大好き、人間大好き、イベント大好きなお調子者。 好きな食べ物は岩津ねぎ。 特技はみずらを回転させて跳ぶこと。 特徴は岩津ねぎを食べ過ぎて、髪の毛が緑色になったという噂。
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ちゃすりん
2006年、南但馬歴史・文化ミュージアム推進協議会キャラクターとしてデビュー。 朝来市マスコットキャラクターに任命。 朝来市観光交流課PR担当、朝来市観光交流課PR担当、市民体操普及委員会委員、ネットショップあさごもん店長。
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西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線、播但線の停車駅の一つ。 1906年、山陽鉄道が新井駅から延伸、終着駅として開業。 山陽鉄道国有化により日本国有鉄道となる。 1911年、播但線の支線として福知山駅と当駅間が開通。 1943年、漏電により駅舎焼失。 1976年、現駅舎に改築。 1987年、国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
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朝来歴史民俗資料館・郷土文化財館・古墳園がある施設。 1986年、和田山郷土民俗資料館として開館。 施設内は糸井・土田陣屋関係の歴史資料、明治時代から昭和時代にかけての衣食住・生産・生業などの民俗資料及び民俗芸能関係資料を保存、展示。 竹ノ内隕石、採掘された自然金、幕末の偉人など、和田山地域の歴史、民俗、考古資料、兵庫県無形文化財に指定された「山王神社ざんざか踊り」など
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朝来歴史民俗資料館内にある跡地。 1668年、京極高門が豊岡より分家し、陣屋を造営。 第8代目・京極能登守高朗は1860年、江戸城炎上の際、活躍し、やがて外国船の出入、貿易の開始と共に貿易筋の御用扱いとなった。 1862年、第1回遣欧使節の大目付として欧州へ赴いた。 陣屋は学校用地となり、寺内小学校廃校に。
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西の和田山盆地と東の山東盆地の中間地点にあたり、宝珠峠西側の丘陵先端部を削って造成された古墳(円墳)。 円墳としては奈良県の富雄丸山古墳に次ぐ近畿地方最大級の規模。 古墳時代、築造。 16世紀、古墳上に城砦が築かれ、葺石や埴輪は紛失。 埴輪は墳頂平坦部の周縁と、段築平坦面に円筒埴輪と朝顔形埴輪が並べられた。
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2006年、製造工場と売店を併設した施設としてオープン。 店内ではかにせん、たこやきせん、えびせん、たまねぎせん、にんにくフラワー、うめなどの試食コーナー、無料でコーヒーなどが楽しめる休憩所が設置されている。
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お土産に
パッケージには天空の城・竹田城が描かれている。
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お土産に
中には「かに」「ゆず」「松茸」「甘エビ」のせんべい。
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別名、虎臥城。 由来は、縄張りが、虎が臥せているように見えることから。 標高約353mの古城山(虎臥山)の山頂付近に築城。 別名、天空の城、日本のマチュピチュ(稀に円山川の川霧により霞む(雲海)ことから)。 1431年、但馬守護山名宗全(持豊)によって丹波国、播磨の出入口である竹田の地に安井ノ城として築城。 初代城主は、太田垣光景。 細川勝元と山名宗全の争いが一因で応仁の乱が勃発し、付近は戦場となった。 出雲の戦国大名・尼子氏は月山富田城の戦いで毛利元就によって滅亡。 1577年、竹田城の戦いでは、羽柴秀吉、黒田孝高らが関わり、織田信長軍が勝利を収めた。
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歴史
城主の斎村政広は関ヶ原の戦いで西軍に属した。 田辺城(舞鶴城)を攻めるも、西軍方は敗戦。 このため、東軍の亀井茲矩の誘いに乗る形で鳥取城攻めに加わり落城。 城下の大火の責任を問われ、東軍の盟主であった徳川家康の命によって、鳥取の真教寺にて切腹。 政広の居城であった竹田城は家康の命により、山名豊国が受取りを務め入城し、江戸幕府の方針により、竹田城は廃城。
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峡谷。 立雲峡という名の由来は円山川の川霧に覆われた幻想的な風情と雲海の美しさから。 当地からは古城山の頂に築城された天空の城と呼ばれる竹田城跡や、城下町、円山川、雲海(時期により異なる)などを望むことができる。 おおなる池、竜神の滝など多くの奇岩・巨岩・滝が点在する景勝渓谷。 但馬吉野とも称される山陰随一の山桜の名所で、立雲峡桜祭りが開催される。
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竹田城跡に最も近い休憩所。 地酒や地元で生産されている日本三大ねぎの「岩津ねぎ」などをはじめとする地元の特産物やお土産を中心に販売している売店や但馬牛、八鹿豚、但馬どりなどが楽しめるレストラン、観光案内所などが併設されている。
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市川最上流部に位置する上部調整池・黒川ダム。 下部調整池・多々良木ダムとのの有効落差を利用した発電を行っている。 一時、日本最大の発電能力であったが、稼動している揚水発電所としては日本最大である。
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発電には風車も
関西電力黒川風力発電所が併設。 一般世帯50軒分の電力を賄う事が出来る一基の風車。
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美術館。 1999年、開館し、野外彫刻展示と屋内展示施設で構成。 朝来市出身の文勲彫刻家・淀井敏夫の作品群の常設展示と現代美術の企画展などを行う。 屋内施設には展示室、アトリエ室や情報コーナーも。 野外彫刻展示には彫刻作品が毎年2つずつ追加設置。 「野外彫刻展in多々良木」大賞受賞作等の現代美術家の作品が設置。
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コンセプトはCoCoDe遊ぶ・CoCoDe食べる・CoCoDe楽しむ。 施設内ではドームハウス、ログハウスなどの宿泊棟の他、バーベキューハウス、交流棟、広場、公園、あさご芸術の森美術館、多々良木ダムなど。
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歴史民俗資料館。
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京都府宮津市から兵庫県姫路市に至る一般国道の国道312号線沿いにある道の駅。 1993年、開設。 朝来市やその周辺の観光案内や情報発信、名産品、特産品の販売などを行っている。 また施設内ではレストランや喫茶、芸術品・木工品を展示した「林業総合センター」「木工クラフトセンター」などもある。
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京都府宮津市から兵庫県姫路市に至る一般国道の国道312号線沿いにある道の駅あさご 村おこしセンター内にあるレストラン。 メニューはうどんやそば、カツカレー、豚カツ定食、ハンバーグ定食など。 店内はテーブル席と座敷がある。 但馬牛や八鹿豚など、地元食材を使用したメニューも。
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日本有数の銀山の一つ。 1542年、但馬国守護大名・山名祐豊により、石見銀山から採掘・精錬技術を導入し、本格的な採掘が始まった。 明治時代、日本の鉱業(鉱山・製鉱所)の近代化を確立するために最初に官営(直轄)鉱山とした模範鉱山となった。 鉱山長・朝倉盛明を筆頭に、フランス人技師長ジャン・フランシスク・コワニエらの助力を得た。 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は直轄地として指定し、佐渡金山(越後)、石見銀山(石見)とともに重要な財源としたが、銀産出が衰退し、銅や錫の産出が激増している。 2007年、近代化産業遺産、日本の地質百選に選定。
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生野銀山は現在、見学することができる。
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銀山
生野銀山は現在、見学することができる。
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一円電車
当時使用していたとされる車両も保存、展示。
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一円電車
当時使用していたとされる車両も保存、展示。
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広場
広場。
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兵庫県朝来市にある道の駅で、播但連絡道路の朝来サービスエリア。 2000年、オープン。 地元の農産物やお土産を販売している売店、レストランがある他、道路交通情報、観光案内、イベント案内などを行っている。 また、地元の特産物である岩津ねぎ、鹿肉を使用した料理、但馬地域の饅頭・煎餅・クッキー・餅などの菓子が楽しめる。
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コロッケ
特に、地元で採れた岩津ねぎと鹿肉を使用した「岩津ねぎしかないコロッケ」が名物。
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コロッケ
特に、地元で採れた岩津ねぎと鹿肉を使用した「岩津ねぎしかないコロッケ」が名物。
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岩津ねぎ
群馬県の下仁田ネギ、福岡県の博多万能ねぎと並ぶ日本三大ネギの一つ。 特徴は、白葱(根深ねぎ)と青葱(葉ねぎ)の中間種。 身は柔らかく、甘みや香りが強い。 江戸時代、生野代官所の役人が京都で親しまれてきた京野菜の九条ねぎの種子を持ち帰り、生野銀山の労働者のため、冬の生鮮野菜として栽培したのが始まり。 その後、白葱の東京根深一本太ねぎや千住葱とともに栽培されたことで、白葱と青葱の特徴を兼ね備えた。
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群馬県「下仁田ネギ」、福岡県「博多万能ねぎ」と並ぶ日本三大ねぎの一つ「岩津ねぎ」。 江戸時代、朝来・生野に代官所が置かれ、その役人が京都から「九条ねぎ」の種を持ち帰り、当地の農家に栽培させたのが始まり。 佐渡金山、岩見銀山と並ぶ「生野銀山」で働く労働者の冬の生鮮野菜として愛された。 「岩津ねぎ」は「朝来市岩津ねぎ生産組合」に認められた約250の生産者のみが販売できる。
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生野銀山名物の「銀山うどん」が楽しめるお店。 各種うどん・そばが中心。
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円山川の支流にあたる神子畑川に架かる鋳鉄一連アーチ橋。 1883年、神子畑鉱山で採掘された鉱石を生野の生野精錬所まで輸送することを目的に約16kmの鉱石運搬道路を建設。 その一環として手引車や牛車などのために架けられた鉄橋群の一つ。
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日本最古
鋳物で作られたものとしては日本最古。 生野鉱山の開発などで呼ばれたフランス人技師たちの指導のもと作られた。
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神子畑選鉱場と西日本旅客鉄道播但線の新井駅とを結んでいた路線。 神新軌道の神は「神子畑」、新は「新井」が由来。
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神子畑選鉱所跡にある公共施設。 施設内では観光案内や情報発信、ミュージアムショップなどがある。 2020年、開館。 2001年、高齢者福祉施設「神子畑いろりハウス」として建設。 明延鉱山と神子畑選鉱場のつながりを説明するジオラマ(縮尺500分の1)が保存、展示。
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明延鉱山は752年に開眼した奈良・東大寺の大仏を鋳造するための銅を献上とも。 明治時代、但馬地域に位置する明延・神子畑・中瀬などの鉱山は生野鉱山を本部とする明治政府の直営鉱山となった。 宮内省御料局の所管となり、生野鉱山群と佐渡鉱山群も三菱合資会社に移管。 明延鉱山で錫の鉱脈を発見、三菱による近代鉱山としての開発が開始。 その規模は東洋最大ともいわれ、1987年の閉山時には日本国内のシェアは9割。 明延の地下約1000mまで掘り下げられ、現在も良質の錫鉱脈と日本一の埋蔵量とも。 明延鉱山で採掘した鉱石は、約6km離れた神子畑選鉱場に明神電車で輸送し、銅・銀・錫などの金属に分離。
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一円電車
昭和時代、明神隧道(第3隧道・全長約4km)のトンネルが完成、電車による鉄道輸送の開始。 1952年、鉱石の運搬、客車の運行も始まり、一円電車切符の発行が開始。 1985年までの約33年間、料金1円で片道30分、客車2両で定員は約40人として運搬し、全国的に有名になった、 2010年、明延振興館前に長さ約70mの線路「一円電車明延線」が完成し、一円電車が復活。 蓄電池機関車で客車くろがね号を牽引。
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明治時代、但馬地域に位置する明延・神子畑・中瀬などの鉱山は生野鉱山を本部とする明治政府の直営鉱山となった。 宮内省御料局の所管となり、生野鉱山群と佐渡鉱山群も三菱合資会社に移管。 明延鉱山で錫(すず)の鉱脈が発見され、三菱による近代鉱山としての開発が開始。 その規模は東洋最大ともいわれ、1987年の閉山時には日本国内のシェアの90%を占めていた。 明延の地下約1000mまで掘り下げられ、現在も良質の錫鉱脈と日本一の埋蔵量とも。 液体中に混じる固体粒子を分離する装置「シックナー」で、大きさは約30m、約16mなど。
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博物館「ムーセ旧居資料館」、写真美術館「ムーセハウス写真館」、旧神子畑鉱山事務所。 明治時代、生野鉱山で働く外国人技術者のために、5棟の宿舎が建設。 当地は1872年、フランス人技師ムーセの住居として使用。 1880年、ムーセの帰国後、神子畑に移築され、事務所兼診療所として利用された。 現在、神子畑鉱山、神子畑選鉱場などの資料展示を行うムーセ旧居資料館、写真家織作峰子の作品を展示する写真美術館ムーセハウス写真館。
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鋳鉄製二連の橋。 愛称は羽渕のめがね橋。 明治時代、神子畑鉱山・選鉱所から生野精錬所へ鉱石を運搬することを目的とした5つの鋳鉄橋のうちの一つとして架橋。 明治時代、洪水のため、橋が流され、その時に修復された。 平成時代、台風19号の災害による田路川全面改修により、川幅が拡幅、現在地に移築。