せやせや!関西が好っきゃねん
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天空の城・日本のマチュピチュな世界へ

天空の城・日本のマチュピチュな世界へ

まいどまいど! 水力発電と風力発電の町・兵庫県朝来市。 ここはかつて、銀の産出が活発で、明治新政府に指定された由緒正しい歴史を持ってはりましたんやけど、銀の算出が激減して以後、遺跡として整備、唐人姿を今に伝えてまんな。 名を生野銀山。 生野鉱物館などが併設され、生野銀山の歴史や情報を展示・紹介してまんねん。 生野銀山の名物っちゅうたら、銀山うどん。 生野銀山のすぐそばには名物、銀山うどんと書かれた看板が見えましてん。 ほんで次に訪れた黒川ダム。 ここには、先述したようにダムとダムとの高低差を利用した水力発電と、黒川ダムの一角に建築された一基の風車が風力発電の役割を担ってまんねん。 最近、注目を集めているのが、天空の城や日本のマチュピチュとの異名を持つ竹田城。 竹田城は、山上に位置し、天候の条件が重なると雲海とともに楽しむことができ、記念撮影で楽しむ人の姿も。 ほんでまた周辺には天空の駅や海鮮せんべいを楽しむことのできるスポットが盛りだくさん! 過去と未来が交錯する兵庫県朝来市。 最近はシックナー跡、一円電車など注目の名所も。 時間を見つけて、ドライブに出かけまへんか。

和田山駅
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和田山駅

西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線、播但線の停車駅の一つ。 1906年、山陽鉄道が新井駅から延伸、終着駅として開業。 山陽鉄道国有化により日本国有鉄道となる。 1911年、播但線の支線として福知山駅と当駅間が開通。 1943年、漏電により駅舎焼失。 1976年、現駅舎に改築。 1987年、国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。

朝来歴史民俗資料館
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朝来歴史民俗資料館

朝来歴史民俗資料館・郷土文化財館・古墳園がある施設。 1986年、和田山郷土民俗資料館として開館。 施設内は糸井・土田陣屋関係の歴史資料、明治時代から昭和時代にかけての衣食住・生産・生業などの民俗資料及び民俗芸能関係資料を保存、展示。 竹ノ内隕石、採掘された自然金、幕末の偉人など、和田山地域の歴史、民俗、考古資料、兵庫県無形文化財に指定された「山王神社ざんざか踊り」など

糸井京極陣屋跡
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糸井京極陣屋跡

朝来歴史民俗資料館内にある跡地。 1668年、京極高門が豊岡より分家し、陣屋を造営。 第8代目・京極能登守高朗は1860年、江戸城炎上の際、活躍し、やがて外国船の出入、貿易の開始と共に貿易筋の御用扱いとなった。 1862年、第1回遣欧使節の大目付として欧州へ赴いた。 陣屋は学校用地となり、寺内小学校廃校に。

茶すり山古墳
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茶すり山古墳

西の和田山盆地と東の山東盆地の中間地点にあたり、宝珠峠西側の丘陵先端部を削って造成された古墳(円墳)。 円墳としては奈良県の富雄丸山古墳に次ぐ近畿地方最大級の規模。 古墳時代、築造。 16世紀、古墳上に城砦が築かれ、葺石や埴輪は紛失。 埴輪は墳頂平坦部の周縁と、段築平坦面に円筒埴輪と朝顔形埴輪が並べられた。

立雲峡
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立雲峡

峡谷。 立雲峡という名の由来は円山川の川霧に覆われた幻想的な風情と雲海の美しさから。 当地からは古城山の頂に築城された天空の城と呼ばれる竹田城跡や、城下町、円山川、雲海(時期により異なる)などを望むことができる。 おおなる池、竜神の滝など多くの奇岩・巨岩・滝が点在する景勝渓谷。 但馬吉野とも称される山陰随一の山桜の名所で、立雲峡桜祭りが開催される。

あさご芸術の森美術館
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あさご芸術の森美術館

美術館。 1999年、開館し、野外彫刻展示と屋内展示施設で構成。 朝来市出身の文勲彫刻家・淀井敏夫の作品群の常設展示と現代美術の企画展などを行う。 屋内施設には展示室、アトリエ室や情報コーナーも。 野外彫刻展示には彫刻作品が毎年2つずつ追加設置。 「野外彫刻展in多々良木」大賞受賞作等の現代美術家の作品が設置。

多々良木フォレストリゾートCoCoDe
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多々良木フォレストリゾートCoCoDe

コンセプトはCoCoDe遊ぶ・CoCoDe食べる・CoCoDe楽しむ。 施設内ではドームハウス、ログハウスなどの宿泊棟の他、バーベキューハウス、交流棟、広場、公園、あさご芸術の森美術館、多々良木ダムなど。

朝来歴史民俗資料館
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朝来歴史民俗資料館

歴史民俗資料館。

岩津ネギのモニュメント
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岩津ネギのモニュメント

群馬県「下仁田ネギ」、福岡県「博多万能ねぎ」と並ぶ日本三大ねぎの一つ「岩津ねぎ」。 江戸時代、朝来・生野に代官所が置かれ、その役人が京都から「九条ねぎ」の種を持ち帰り、当地の農家に栽培させたのが始まり。 佐渡金山、岩見銀山と並ぶ「生野銀山」で働く労働者の冬の生鮮野菜として愛された。 「岩津ねぎ」は「朝来市岩津ねぎ生産組合」に認められた約250の生産者のみが販売できる。

羽渕鋳鉄橋
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羽渕鋳鉄橋

鋳鉄製二連の橋。 愛称は羽渕のめがね橋。 明治時代、神子畑鉱山・選鉱所から生野精錬所へ鉱石を運搬することを目的とした5つの鋳鉄橋のうちの一つとして架橋。 明治時代、洪水のため、橋が流され、その時に修復された。 平成時代、台風19号の災害による田路川全面改修により、川幅が拡幅、現在地に移築。

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