
金沢城と兼六園・茶屋街で楽しむ北陸の日常
石川金沢城と兼六園・茶屋街で楽しむ北陸の日常
まいどまいど! 北陸を代表する街の一つっちゅうたら、石川県の金沢やおまへんでっしゃろか。 金沢駅周辺には金沢市やその周辺のグルメやお土産が集まってまんねやけど、一歩、外に出れば金沢らしさがあふれてまっせ。 まずは近江町市場。 ここにも北陸を代表する名物がぎょうさんおまして、食べ歩きもよろしおます。 また古い町並みが特徴的なひがし茶屋街では重要伝統的建造物群保存地区に指定され、にし茶屋街とともに明治時代から続く茶屋様式の町家がぎょうさん残っておます。 ほんでなんや忍者寺と呼ばれるお寺さんもおまして、一見の価値がおまっせ。 歴史を楽しむなら、やっぱり金沢城。 広い公園内の中心部には金沢城がおまして最上階からは金沢市内を一望できまんねん。 ほんで周辺の兼六園は、国の特別名勝に指定された日本庭園で、岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園に並ぶ日本三名園の一つに数えられてまんねん。 そしてさらに、金沢21世紀美術館など金沢を代表する観光名所がぎょうさんおまっせ。
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地区名は、東山ひがし(ひがしやまひがし)。 重要伝統的建造物群保存地区に指定され、明治時代から続く茶屋様式の町家が多く残る。 かつて、金沢城の城下町として栄えた。 加賀藩では領民にも謡を奨励、金沢は「空から謡が降ってくる」と言われるほどの町になったとか。 ひがし茶屋街の他、にし茶屋街、主計町がある。
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金沢の台所として古くから親しまれてきた近江町市場。 前身は江戸時代といい、場所は、金沢城のすぐ目の前。 新鮮な魚介類をはじめ、寿司や青果、精肉など食卓に必要な食材は何でも揃う。
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武蔵ヶ辻。 辻は道路を表し、金沢城下の三叉路を形成。 武蔵ヶ辻は、加賀藩政期より商人が多く店を構えており、隣接する横安江町とともに発展。
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梯郭式の平山城で、白漆喰の壁にせん瓦を施した海鼠壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、塀に付けられた唐破風や入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴。 この地は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院「尾山御坊」であった。 織田信長が一揆を攻め落とし、跡地に金沢城を築城。 城主には、佐久間盛政、前田利家。
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金沢市内を一望
雪の降り積もる冬に撮影したため、屋根や地面には雪が目立つ。 山々は分厚い雲でかすんで見え、なんとも幻想的な世界へ誘う。 小さな窓から金沢市内を一望できる。
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兼六園は、国の特別名勝に指定された日本庭園で、岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園に並ぶ日本三名園の一つに数えられる。 江戸時代、加賀藩により金沢城の外郭に造営された池泉回遊式庭園。 5代藩主前田綱紀が「蓮池亭」を造り、その庭を「蓮池庭」と呼んだ。
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尾山神社。 主祭神は、加賀藩の藩祖前田利家。 1873年、創建。 神門は津田吉之助によって建立。 例祭は利家の命日である4月27日。 前田利家の没後、前田利長は、越中国射水郡の式内社物部神社に併祀されていた八幡神を勧請して卯辰八幡社を建立し、合祀。 卯辰八幡社は、宇多須神社に改称。 1873年、尾山神社を創建。 卯辰山天神社に遷座していた神像を尾山神社に遷座。
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神門
長谷川準也・大塚志良により計画され、長谷川家出入りの大工・津田吉之助によって建てられた。
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尾山神社からすぐの場所にある隠れ家的存在のお店、その名も隠れ家。 店先にはランチメニューの看板が立てられ、美味しそうなメニューが並ぶ。
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ランチ定食は600円でもたっぷり。
店内はカウンター席のみで、厨房に立つおばちゃんとも距離が近い。 チキン南蛮定食を注文し、しばらく待っていると、大きなお弁当箱がやってきた。 蓋を開けると、美味しそうな匂いと湯気が食欲をそそる。 「今日は初めて?2回目?」 「今日はお仕事?観光?」 初対面にも関わらず、会話も弾む。 金沢でまだ慣れないあなたにぴったりの心のふるさとかもしれません。
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現代美術を収蔵した美術館。 愛称は、まるびぃ。 由来は「丸い美術館」。 金沢大学附属中学校・小学校・幼稚園の跡地に開館。 円形の総ガラス張りが特徴。 多数の作品を無料で鑑賞することができる(一部、有料)。 各展示室は現代美術の展示に適した白い壁面の空間(ホワイトキューブ)。 設計者のSANAAは、ヴェネツィア・ビエンナーレ第9回国際建築展の最高賞である金獅子賞を受賞。
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謎のプール
美術館のほぼ中央に位置する場所にプールが出現。 中をのぞくと、人影が。 上から見ると、プールなのに、人がプールの下で服を着たまま立っている不思議な光景。 実は、プールの下にも空間があり、自由に出入りすることができるとか。 真相を知りたいと思ったあなたはぜひここへ!
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にし茶屋街。 金沢三大茶屋街(ひがし茶屋街、主計町茶屋街)の一つに数えられる。 加賀藩12代藩主前田斉広の時代、ひがし茶屋街と共に誕生。 小説家の島田清次郎が幼少の頃に過ごした場所である。
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加賀藩第三代藩主前田利常が創建。 複雑な建築構造と外敵を欺く仕掛けから、忍者寺とも呼ばれる。 藩祖前田利家が金沢に入城、藩を守護する祈願所を建立。 三代藩主利常が金沢城の近くから移築建立する。 多くの武士が起居できる寺院群を新築し、その中心に妙立寺を建立。 隠し階段・隠し部屋・落とし穴・見張り台・金沢城へ続く地下通路など外敵を欺く種々な仕掛けを備えているとか。 忍者寺と称されるのは、同寺に忍者がいたからではなく、伽藍の複雑な建築構造に由来。
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にし茶屋街の中心地に位置する西茶屋街資料館は、金沢市立の歴史博物館、資料館、及び文化施設である。 建物は、「吉米楼」跡地に当時の造りを再現。 大正時代、「吉米楼」は島田清次郎の小説「地上」の舞台となった。 1階は島田清次郎に関する資料、2階は金屏風や漆塗りの装飾品、扇子や三味線などが展示。
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藩政時代、薬種商「中屋薬舗」として実際に使用されていた建物を中屋家から金沢市に寄付された。 彦兵衛が薬種業を創業後、何代にも渡って営業してきた。
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代々奉行職を歴任してきた加賀藩士・野村伝兵衛信貞の武家屋敷跡。 加賀藩のお抱え絵師、狩野派の画人・佐々木泉景による山水画をほどこした襖や、総檜造りの格天井、ギヤマン入りの障子戸、庭園などが見どころ。 2009年、ミシュランの観光地格付けで2つ星に選定。 米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」誌の日本庭園ランキングで第3位に選定。
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石川県の歴史を扱う博物館で、旧制第四高等学校(現在の四高記念文化交流館)の旧校舎を用いて開館。 金沢美術工芸大学の建物に移転して開館。 2013年、「いしかわ赤レンガミュージアム」の一環として、加賀本多博物館と共にリニューアルオープン。 建物は金澤陸軍兵器支廠の兵器庫3棟(旧陸軍九師団)で国の重要文化財に指定。