
笠を置く京の笠置山
京都笠を置く京の笠置山
まいどまいど! 古くは大友皇子が鹿の狩りで山を訪れたとき、立ち往生。 このとき、山の神様に願って助けていただいたお礼として笠を目印に置いて帰ったことから笠置町という地名の由来になったという笠置。 最近では笠置町内を流れる木津川沿いに開設されたキャンプ場が人気で、連日のようにぎょうさんの観光客がおずれてアウトドアを思い思いに楽しんではるんやとか。 また笠置町には笠置寺と呼ばれる由緒正しい寺院もあり、ぎょうさんの歴史ファンが訪れてはりまんな。 グルメでは付近に「道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村」という場所があり、名物はもちろん、野菜など地域の名産、特産、お土産などを販売する「のもん市場」、生活用品などを中心に販売する村民百貨店も。 特におすすめなのが、京の名物、宇治の抹茶を使用したスイーツ。 抹茶のほのかな香りを楽しみつつ、お口の中いっぱいに広がる抹茶の味も格別。
笠置山の戦いを再現した像。 弓を持つ武将は足助重範、巨岩を投げる般若寺の僧本性房。 1331年、笠置山で鎌倉幕府と鎌倉幕府打倒を企てる後醍醐天皇側との間で戦いが勃発。 持明院統と大覚寺統との間で皇位継承をめぐる紛議が起こり、幕府の調停によって持明院統と大覚寺統が交代で皇位継承。 持明院統の花園天皇の譲位により大覚寺統の尊治親王(後醍醐天皇)が継承。 天皇は自身の直系の子孫への皇位継承を望み、幕府打倒を計画。 後醍醐天皇は京を出、花山院師賢は比叡山に、天皇は四条隆資らと笠置山へ向かう。 幕府側は宇治で挙兵、笠置山を包囲して攻撃。 幕府側相手に善戦も幕府側の陶山義高らが笠置山に放火、天皇側は陥落。
太平記と楠木正成
太平記では後醍醐天皇は笠置山の笠置寺に行在所を設置したが、大きな木がある庭の下には官人が位の順に座っていた。 上座には誰も着席せず、誰のために設置されたのか疑問に思っているとき、童子が登場。 「その席はあなたのために設置されたもの」といい、その場を去った。 夢から覚め、「木」に「南」と書くと「楠」という字になることに気付き、楠木正成(大阪府南河内郡千早赤阪村)を笠置山に呼び寄せた。
妖怪・猫又。 モデルは、観光に訪れたお客様を案内していた実在の猫「笠やん」。 趣味は、お出かけ。 特技は、2本の尻尾を振りながらお出かけすること。 所属は、笠やん倶楽部。 笠置町は西日本で一番、人口が少ないため、笠置町をPRするために様々なイベントに登場する。
施設内には天然温泉やレストラン、会議室、ゲートボール場などがある。 肌の湯として知られ、笠置山麓の地下1200mから湧き出る天然温泉。
真言宗智山派の仏教寺院。 山号は鹿鷺山。 本尊は弥勒磨崖仏(自然の岩壁に直接彫り刻んだ仏像)。 開基は大友皇子、天武天皇。 笠置寺は標高約289mの笠置山に位置。 付近は奈良方面の月ヶ瀬街道、京都・伊賀方面の伊賀街道が交わる交通の要衝地。 平安時代、弥勒信仰の聖地として発展。 682年、大海人皇子(天武天皇)創建。 天智天皇の子・大友皇子は馬に乗って鹿狩りをしていた時、笠置山中の断崖絶壁で立ち往生。 鹿は断崖を越えて逃げ去り、自らの乗る馬は断崖の淵で動きがとれない。 そこで山の神に祈り、「岩に弥勒仏の像を刻む」と誓願し生還。 大友皇子は目印として笠を置いて行ったことが、笠置という地名の由来。
笠置山頂上付近から一望
皇子は再訪し、崖に弥勒の像を刻もうとしたが、難航。 そこに天人が現れ、弥勒像を刻んだ、これが笠置寺の弥勒磨崖仏の由来。
お水取り
「お水取り」の起源 東大寺の開山で初代別当(寺務を統括する僧)の良弁は千手窟に籠って修法を行い、その功徳によって木津川の舟運の妨げとなっていた河床の岩を掘削。 良弁の弟子・実忠は笠置山の洞窟・龍穴の奥には弥勒菩薩の住む兜率天へつながっていることを知り、兜率天に至った。 兜率天の内院四十九院をめぐった実忠が、そこで行われていた行法を人間界に伝えたのが東大寺のお水取りであるという。
元弘の乱
1331年、鎌倉幕府打倒を企てていた後醍醐天皇は御所を脱出して笠置山に篭り、挙兵(元弘の乱)。 笠置山は落城し、後醍醐は逃亡するが捕えられ、隠岐国へ流罪、笠置寺は焼失。
岩が点在
境内には「胎内くぐり」「蟻の戸渡り」「ゆるぎ石」などと名付けられた岩が点在。 弥勒磨崖仏、正月堂(弥勒磨崖仏の礼堂)、石造十三重塔、虚空蔵菩薩磨崖仏、後醍醐天皇行在所跡などがある。
当地は布目川の最下流地に位置し、布目川は木津川と合流する。 穴「甌穴」は河床の窪みに入った石や岩の破片が、渦流によって回転しながら岩盤に掘った穴。 河床に広がる花崗岩にできた甌穴は数十万年から数百万年かかるとも。 勧請縄は呪物を付した注連縄を張る習慣の一つで道切りとも。
三重県内と京都府内を流れる一級河川である木津川に架かる橋。 別名、恋路橋。 増水時に水没することから沈下橋、潜没橋とも。 当初、南山城村では南大河原と北大河原を結ぶ渡し船が運航されていた。 戦時中、大河原駅に亜炭を運搬する架橋の計画があり、着工。 橋の材質は村内の採石場で取れた柳生花崗岩。 1945年、完成。
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2015年、道の駅として開業。 施設内には、野菜など地域の名産、特産、お土産などを販売する「のもん市場」。 生活用品などを中心に販売する村民百貨店。 その他、レストラン、村茶屋など。
村茶
道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村では地元特産のお茶を地域ブランド「村茶(むらちゃ)」としてPR。 地域ブランド「村茶」でばペットボトルや茶葉、プリンなど。
どら焼き
どら焼きも絶品。