
いなり寿司発祥の豊川稲荷でおいなりさんを食す
愛知いなり寿司発祥の豊川稲荷でおいなりさんを食す
まいどまいど! 関西でも古くから親しまれてきた「お稲荷さん」こと「いなり寿司(お稲荷)」。 江戸や名古屋と並ぶ豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)の門前町または稲荷神の神使である狐の好物が油揚げとされ、発祥の地の一つ。 周辺ではいなり寿司の上に愛知県名物のみそカツを載せたものや、鰻の載せたものなど、創作いなり寿司も販売。 1800年代、稲荷にお供えされた甘辛く煮た油揚げの中に酢飯を詰めた寿司が起源。 稲荷では、商売繁盛と共に豊作の神様である稲荷神(五穀を司る宇迦之御魂神・倉稲魂命)を祀るなど、米俵を模した俵型の稲荷寿司の原型となった。 境内やその周辺には「狐」に関する像も点在。 ほんでまた、名物「にかわうどん」を味わいまひょ! にかけうどんとは、豊川市や豊橋市など三河地方を代表する名物として知られ、温かいかけうどんの上に蒲鉾、揚げ、青味野菜、花カツオが乗せられてまんねん。 その他、高野山金剛峯寺を建立した弘法大師(空海)ゆかりの地や上野動物園の東京都交通局上野懸垂線(上野モノレール)が屋外展示されている日本車輌製造の工場もあり、グルメ・名物・歴史など、いろんな面から楽しむことができまっせ!
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愛知県豊川市で活躍するマスコットキャラクター。 2009年11月21日生まれ。 「キツネ」と愛知県豊川市発祥として知られる「豊川いなり寿司」と合体している。 一見、キツネであるが、背中には豊川いなり寿司のお米がたくさん詰まっているとか。 性別は、男の子。 好きな食べ物は、いなり寿司、みたらし団子。 趣味は、温泉めぐり、紅ショウガ作り、日向ぼっこ。 特徴は、お腹が空くとお米がカピカピになり、お母さんにお米を定期的に詰め替えてもらっているという。 口癖は「だリン☆」。 豊川市の宣伝部長として、「豊川いなり寿司」をはじめ、豊川市の魅力をPRしている。 お友達には、イナリン、いなリコがいるとか。
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1989年、プラサすわ(スーパーマーケット)の跡地に総合スーパーを核とする大型商業施設として開業。 2001年、プリオIIが開設。 豊川市諏訪地区のイメージキャラクター「すわポン」に因んだ「すわポン神」を設置して、店舗周辺の諏訪商店街振興組合と共同で割引やサービスなどの特典付きの地域通貨「すわポンマネー」の発行。 イルミネーションイベント「すわポンイルミナイト」の開催、豊川市の名物である豊川いなり寿司を販売。 登録団体・個人が無料で利用できる「とよかわボランティア・市民活動センタープリオ」、多目的室や大小の講義室と給排水設備のある工作室がある「プリオ生涯学習会館」が開館。
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稲荷寿司
総菜売り場でも豊川稲荷寿司が販売。
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2018年、グランドオープン。 メニューは、豚肉の「ぶた」、地元三河の鶏を使用した「とり」、串カツの「あげ」、素材にこだわったカレーうどんの「つゆ」、石焼ホルモン、自家製 博多もつ鍋、サラダ、おでんなどを味わうことができる。 豊川名物の「にかけうどん」と、地元三河の鶏を使用した「チキン南蛮」を味わう。
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にかけうどん
にかけうどんとは、豊川市や豊橋市など三河地方を代表する名物として知られ、温かいかけうどんの上に蒲鉾、揚げ、青味野菜、花カツオが乗せられている。 そもそも、「お煮しめ」を乗せていたことから、「煮かけうどん」と呼ばれるようになったとか。 また、上に乗せられた具を「荷」と呼んで「荷かけうどん」とも。
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チキン南蛮
チキン南蛮とは、宮崎県発祥の名物として知られ、ここでは、タルタルソースとともに地元の三河鶏が登場した。
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1972年、豊川市立図書館が開館。 直径8mのプラネタリウムが設置され、天体や星座の観測ができた。 また、東三河地方の文化・行事・自然環境・遺跡などに関する映像資料を提供する豊川市地域情報ライブラリー、オーロラを体験できるプラネタリウム「ジオスペース館」が併設。 図書館北側には、御油町美世賜(御油宿)で営業していた旅籠「小島屋」が移築復元された。 1999年、現在地に移転。 豊川市ジオスペース館では、「太陽、地球、環境」をテーマに、プラネタリウムの星空と全天周投影機による天体現象を再現。 「ジオスペース」とは、地球から太陽までの広大な空間という意味。
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別名、豊川運動公園。 豊川市総合体育館、陸上競技場、豊川市野球場、豊川市庭球場(テニスコート)、豊川市プールなどの施設で構成。 豊川公園の周囲は桜並木「桜トンネル」があり、春になると花見客でにぎわう。 また、豊川市民まつりの「おいでん祭」や「豊川手筒まつり」なども開催される。
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日本海軍の工廠として機銃と弾丸、信管を製造。 全盛期は東洋最大規模を誇っていた。 2018年、終戦後に名古屋大学の研究施設として使用されていた一部を豊川海軍工廠平和公園として開園。 1937年、航空機用機銃の生産計画で、三重県の鈴鹿と愛知県の豊川が候補となった。 鈴鹿には大日本帝国海軍航空隊・鈴鹿航空隊があったため、豊川に決定。 1939年、5番目の海軍工廠として開廠。 開廠当初は機銃部、火工部、総務部、会計部から構成。 航空機が戦闘の主役となり、航空機用機銃と対空機銃の需要が高まった。 1942年、工廠への引き込み線(豊川鉄道西豊川支線)が整備され、西豊川駅も開業、工員輸送列車の運転を開始。
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戦時中から終戦にかけて
1945年、名古屋鉄道の国府駅と市役所駅(諏訪町駅)間が開業。 サイパン、テニアン、グアムから飛来したB-29爆撃機124機の爆撃を受けて工廠は壊滅。 広島や長崎などとともに原子爆弾投下候補地となったとも。 終戦後に廃止され、跡地は警察予備隊豊川駐屯地(陸上自衛隊豊川駐屯地)、豊川市役所、名古屋大学空電研究所(名古屋大学太陽地球環境研究所)等となった。
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鉄道車両、建設機械、特装車、橋梁、農業用プラントなどを製造する。 1896年、愛知県名古屋市で創業。 1971年、愛知県豊川市に豊川製作所が開設。 1957年、上野動物園の東京都交通局上野懸垂線(上野モノレール)として製造され、日本で初めてとなる懸垂式モノレール車両として知られている。 1966年、運転終了。
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8620形蒸気機関車
正門付近には上野動物園のモノレールや新幹線0系、8620形蒸気機関車等が展示されている。
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愛知県を代表する神社・稲荷といえば、豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)。 特に「豊川稲荷」としては日本三大稲荷の一つとして知られ、多くの参拝客でにぎわっている。
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「いなり寿司」「にわかうどん」
豊川市は和食店でよく目にする「いなり寿司」発祥の地として知られ、門前に位置する商店街では「いなり寿司」「にわかうどん」を販売する店舗が軒を連ね、常連客や観光客でにぎわっている。
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キツネ
豊川稲荷はキツネと深い縁を持っており、駅前のロータリーや商店街の至る場所でキツネの像が展示されている。
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なつかし青春商店街
なつかし青春商店街として昭和時代を代表する看板や昔ながらの街並みを楽しむことができる。
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なつかし青春商店街
なつかし青春商店街として昭和時代を代表する看板や昔ながらの街並みを楽しむことができる。
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狐と巻物
豊川稲荷という愛称で古くから親しまれてきた豊川吒枳尼真天。 そもそも、いなり寿司とは江戸や名古屋と並ぶ豊川稲荷の門前町が発祥の地の一つとして知られている。 いなりの語源は「豊川稲荷」の「稲荷」、または稲荷神の神使である狐の好物が油揚げ。 稲荷では商売繁盛と共に豊作の神様として知られる稲荷神(五穀を司る宇迦之御魂神・倉稲魂命)を祀るなど古くから関係が深く、米俵を模した俵型の稲荷寿司につながったとか。
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狐と巻物
また、神使である狐が口にくわえていた巻物を模った菓子として長年、親しまれてきた。
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豊川名物のにかけうどんをはじめ、カレー南ばん、味噌煮込み、玉子とじ、五目あんかけ、ざる、カレー丼、いなり寿司などが楽しめるお店。
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天ぷらいなりのセット
「温かいうどん」と「いなり寿司」が一つになったお得なセット。
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愛知県を代表する神社・稲荷といえば、豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)。 特に「豊川稲荷」としては日本三大稲荷の一つとして知られ、多くの参拝客でにぎわっている。 また、豊川市は和食店でよく目にする「いなり寿司」発祥の地として知られ、門前に位置する商店街では「いなり寿司」を販売する店舗が軒を連ね、普通の「いなり」に工夫を凝らした商品まで販売され、常連客や観光客でにぎわっている。 日没後、ほとんどの店舗では閉店となるが、夜間に営業していた居酒屋があった。
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枝豆
枝豆やおまかせ串揚げなどを味わうことができる。
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おまかせ串揚げ
枝豆やおまかせ串揚げなどを味わうことができる。
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豊川市やその周辺の観光案内、情報発信を行っている。 その他、ボランティアガイドや食べ歩きも可能。 また、豊川市のマスコットキャラクター「いなりん」のグッズなども販売されている。
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愛知県豊川市内にある豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)の薬師如来堂。 健康長寿や病気平穏を願う参拝客でにぎわう。
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いなり寿司専門店まつやとして知られ、店頭では具材が入っていない極みいなりや豊川わさび、大根漬けいなり、新潟県栃尾の油揚げを使用した栃尾わさび、ひじき・人参・ごま・ごぼう・レンコンを使用した五目いなりがある他、愛知県名物の三河ポークと味噌カツを使用した味噌カツいなり、大阪名物のたこ焼きとのコラボレーションが実現したたこ丸いなりなどがある。
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おきつねあげ
また、店内で楽しめるだけでなくテイクアウトも可能で、300円で販売されていた「おきつねあげ」を味わってみることにした。 「おきつねあげ」は、焼き立てで肉圧の油揚げに秘伝のタレとネギが挟まったもので、たれの美味しさと油揚げの柔らかさで大満足。
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元祖 いなり寿司として知られている。 その他、自家製手打ちきしめん、稲荷門前そば、禅寺そばなどを味わうことができる。
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元祖 いなり寿司
江戸や名古屋と並ぶ豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)の門前町または稲荷神の神使である狐の好物が油揚げとされ、発祥の地の一つ。 いなり寿司の元祖として知られ、多くのメディアで取り上げられた実績を持ち、店内の壁面には有名人のサイン色紙が所狭しと飾られていた。
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自家製手打ちきしめん
いなり寿司とセットになった「きしめん」。 こちらも愛知県の名物の一つとしてしられ、同時に味わうことができる。
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うどんやいなり寿司、串カツ、土手に等を味わうことができるレストラン。 ここでは、元東三河産の食材や特産品が使用されているといい、すべて手作り。 豆腐も絹豆腐、木綿豆腐など様々。
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創作いなり
特に創作いなり寿司の種類が多く、豊川いなり寿司食べ比べ選手権で2015年に第1位となった「焼きいなり&田舎みそいなり」や2014年に入賞の「いなコロ&コロちゃんいなり」など、10種類以上。 その他、季節限定のいなり寿司やかき氷も。
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ウナギ料理各種をはじめ、きしめん、いなり寿司などが楽しめる。 店内はテーブル席、座敷。 浜松出身の初代が鰻屋を始め、味噌醤油屋出身の女将が伝統の味を守りつづけている。 名物のきしめんと、名物のいなり寿司の両方を楽しむことができ、なおかつ、「まぶし稲荷きしめん」ではいなり寿司の上に鰻がのっている。
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円福山 豊川閣 妙厳寺。 宗派は曹洞宗。 秘仏「豊川吒枳尼真天」の稲穂を担いだ姿から豊川稲荷とも。 古くから商売繁盛としての信仰を集め、伏見稲荷大社(京都府)、笠間稲荷神社(茨城県)、祐徳稲荷神社(佐賀県)と並ぶ日本三大稲荷の一つ。 北海道、東京都、神奈川県、大阪府、福岡県に別院があり、修行道場として僧堂を設置、豊川高等学校を運営。 本尊は千手観音。 吒枳尼天は、インドの古代民間信仰に由来する仏教の女神で、日本では稲荷信仰と習合、稲荷神と同一視。 開祖の東海義易は幼少時代、曹洞宗法王派5世の華蔵義曇の元で仏門に入門。 東海地方における法王派の拠点となる普済寺(浜松市)で修行して諸国を行脚。
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歴史
1439年、荒廃した真言宗寺院・歓喜院(豊橋市)を再建、曹洞宗に改修。 1441年、曹洞宗法王派(寒巌派)の東海義易によって創建。 室町時代、今川義元は河川の豊川付近にある高台の円福ヶ丘から移転。 鎌倉時代、禅僧・寒巌義尹が入宋、船で日本へ帰国の途上、吒枳尼天の加護を受け、この天を護法神として尊崇。 6代目の東海義易が妙厳寺を創建するに際し、寒巌自作の吒枳尼天像を山門の鎮守として祀った。
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歴史
豊川吒枳尼天は、白狐の背に乗って稲束を担いで宝珠を持ち、岩の上を飛ぶ天女が特徴。 翁の姿をした狐の平八郎は、寺男として義易に仕えた。 義易が入寂した後、愛用の釜を遺して姿を消し、今もこの釜は本殿奥に安置。 戦国時代、三河領主の今川義元、徳川家康、九鬼嘉隆などが訪れた。 江戸時代、大岡忠相や渡辺崋山からの信仰を受け、立身出世や盗難避けの神として信仰を集めた。
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歴史
1828年、大岡邸の一角で江戸参詣所(東京別院)が創建。 東海道から豊川稲荷へ参拝するため、現在の愛知県豊橋市と豊川市に石の鳥居が建立。 明治時代、有栖川家等も帰依して「豊川閣」の篇額を寄進し、豊川閣とも。
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祭神は、進雄命。 かつて、豊川牛頭天王社と呼ばれ、豊川村の産土の神として信仰を集めてきた。 701年、河川の豊川の右岸に沿った場所に鎮座。 牛頭天王をお祀りして雨乞いのお祭りを行ったのを創始とする。 957年、現在地に建立。 豊川進雄神社は現在、本社と元宮の2つの社があり、当社では進雄命を、元宮では稲田姫命を祭神とする。 牛頭天王は祇園精舎の守護神で疫病退散の神として信仰を集め、疫病の流行する6月から8月にかけて、その災害を防ぐ意味で夏祭りが盛んとなった。 1660年、煙火の起源は定かではないが、衰退していた煙火を小笠原四郎右衛門義忠が再興させた。
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花火祭り
祭りにかかる費用の不足を、地元の若衆に呼びかけ、権現堂(豊川東部小学校敷地内)脇の荒地を開墾し、長年にかけて増加させることでその費用に当て、その傍ら若衆に花火の製法を教え、彼らを東西2組に分け花火を競わせて、現在の豊川進雄神社の花火祭りとなった。
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曹洞宗の寺院。 「参河國准四國(13番)」「東三河四国(87番)」「豊鳳大師(7番)」「穂の国観音(28番)」の札所。 かつて、高野山金剛峯寺を建立した弘法大師(空海)が旅の途中、徳城寺に立ち寄った。 弘法大師(空海)は一休みしようと寺僧に「水を一杯いただけませんか」と頼むと、「しばらくお待ちください」と返答があった。 すぐには水を持って現れなかったが、しばらく待っていると、水の入った手桶を持った寺僧が出てきた。 寺僧が持ってきたその水は、冷たくとても美味しかったという。
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名水
なぜ時間がかかったのかを尋ねてみたところ、寺僧は汲み置きの水がなかったので、急いで崖下の清水まで水を汲みに行っていたという。 周辺には井戸がなく、飲み水に不便をしていたことがわかり、「ここを掘れば、水が出る」と、錫杖で地面を示された。 そこを掘ってみると、水が湧いて出てきたので、これより「錫杖井戸」となり、絶えず水が沸き出した。
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名古屋鉄道豊川線の停車駅の一つ。 東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の豊川駅と隣接する。 駅では付近に鎮座する豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)の参拝客でにぎわい、特に初詣期などの混雑時に備えて、臨時改札もある。
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東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の停車駅の一つ。 1897年、豊橋を起点に豊川、新城を経て大海(新城市)とを結ぶ私鉄・豊川鉄道として開業。 1942年、新設された軍需工場(豊川海軍工廠)とを結ぶ路線として西豊川駅への支線(通称、西豊川支線)が開通、1956に廃止。 1943年、国有化されて日本国有鉄道の駅となった。 1954年、名古屋鉄道の新豊川駅(豊川稲荷駅)が開設、乗換駅となった。 同駅の開業以前、飯田線小坂井駅に名鉄小坂井支線(1926年に開業)が接続、正月期間中に豊川稲荷への参拝客輸送を目的とする臨時列車がこの路線を介して名古屋方面から豊川駅まで乗り入れた。
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民営化後も
新名古屋駅(名鉄名古屋駅)構内にかつて存在した連絡線を使用して、名鉄のみならず近畿日本鉄道からも参拝客の団体専用列車が乗り入れた。 1987年、分割民営化によって東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の停車駅となった。 駅では付近に鎮座する豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)の参拝客でにぎわう。
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