情緒あふれる京の街をゆったりと
京都情緒あふれる京の街をゆったりと
まいどまいど! 京都を代表する観光地の一つ、中京区。 中京区には聖徳太子、小野妹子ゆかりの六角堂や明智光秀と織田信長ゆかりの本能寺、ほんでさらに、新撰組が活躍する舞台ともなった池田屋事件の跡地があるなど、中京区の魅力、歴史を一つのお出かけプランにまとめることができまへん。 せやさかい、今回は、中京区の一部でおます二条城とその界隈を中心にご案内していきまひょ! ここでは、夏になると祇園祭の舞台ともなり、ぎょうさんの山鉾が巡業してはりまんな。 祇園祭の歴史は古く、大阪の天神祭り、東京の神田祭に並ぶ日本三大祭りの一つにも数えられ、国内外から訪れる見物客がぎょうさんいたはりまんねん。 ちゅうことで、ぼちぼちと案内していきまひょか。 ほな、まいどおおきに~。
京都の八坂神社の祭礼である祇園祭は「博多祇園山笠」、「会津田島祇園祭」と並ぶ日本三大祇園祭の一つ。 さらに、大阪の天神祭と東京の神田祭とともに日本三大祭の一つとしても数えられている日本最大規模のお祭である。 祇園祭は、毎年7月1日(吉符入)から31日(疫神社夏越祭)までの1ヶ月にわたって行われ、17日(前祭・山鉾巡行と神幸祭)と24日(後祭・山鉾巡行と還幸祭)その宵山などが多くのメディアに取り上げられている。 山鉾は場所によって異なるが、お土産の販売、山鉾の上を実際に上って体験できる場合もあり、長蛇の列が。
歴史
869年、京洛で疫病が流行し、牛頭天王(素盞鳴命とも)の祟りとされた。 疾病を鎮めるため、祇園社(八坂神社の前身。祭神は素盞鳴命)を建立。 また、日本全国の国の数に準じて66本の鉾をつくらせ、それを神泉苑(中京区御池通大宮)におくり、悪疫を封じ込む御霊会をおこなったのがはじまり。 その後、祇園御霊会と呼ばれ、祇園会とよばれるようになった。
山鉾
山鉾は創意がこらされ、桃山時代以後、貿易が盛んになったころから舶来のゴブラン織や西陣織などを使用するようになり、内容、外観ともに豪華、絢爛なものとなっていった。 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産にも登録された祇園祭には多くの山鉾が参加して、祇園囃子「コンチキチン」という音色を響かせながら巡行する。 祇園囃子には約30種類の曲があるといい、それを聞き比べてみるのも祇園祭の楽しみ方。
旧家や老舗では
宵山の期間中、旧家や老舗では立派な屏風や掛け軸、秘蔵の美術品を飾って見物客を楽しませるといい、立ち入り禁止ではあるが、一部で一般公開されている。
祇園祭
大船鉾や北観音山、南観音山など、それぞれの山鉾にそれぞれの特色があり、見比べながら楽しんでみてはいかがでしょうか。
1603年、築城。 平城で、足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏による。 近代、京都府の府庁や皇室の離宮として使用された。 国の史跡に指定。 国宝、重要文化財、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定。 1994年、ユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に「古都京都の文化財」として登録。 徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。
2000年、芸術振興の拠点施設として開館。 1869年、京都の町衆らの尽力によって明倫小学校が開校するも廃校し、下京第三番組小学校(京都市立明倫小学校)が開校。 跡地と校舎を利用して、制作室、ギャラリー、講堂、大広間、フリースペース、図書室、情報コーナー、茶室、カフェ(前田珈琲明倫店)、談話室、ショップなどが開設。 西館・南館・北館・正門及び塀が国の登録有形文化財に登録。
通りすがりに見つけた面白い名前のお店。 その名も「がんばれお好み焼き まけるな焼きそば」。 関西の”粉もん”を励まし続ける地元に愛されてきたお店。 「名物おうとうふのお好み焼き「ふかふか焼き」も興味深い。