青木周弼旧宅
山口県萩市南古萩町3名は邦彦、号は月橋、字は周弼。
1803年、周防国大島郡和田村の村医青木玄棟の長男として生まれた。
三田尻の名医能美友庵・洞庵父子に学び、江戸に出て蘭方医坪井信道などに学んだ。
18歳で大坂、30歳で江戸に行き、深川の坪井信道にオランダ語、臨床医を学び、その縁で宇田川榛斎にも師事。
同門には後に塾の適塾を設立する緒方洪庵がいた。
弟の青木研蔵とともに長崎に行き、シーボルトに師事。
長州藩医、周防医学所の教授蘭学掛となった。
医学校の好生館設立に尽力、御側医に昇進。
1848、13代藩主・毛利敬親の信任を得て侍医となる。
研藏とともに種痘法に注目、コレラ治療に貢献。
村田清風らとの交流も深い。