三好実休戦没碑
大阪府岸和田市小松里町604
戦国時代、三好氏の家臣として活躍した武将。
1527年、三好元長の次男。
兄に三好長慶、弟に安宅冬康、十河一存、野口冬長ら。
長慶は細川京兆家の当主・細川晴元、実休は晴元の弟で阿波細川家の当主・細川持隆に仕えた。
伊予国・河野氏との合戦に三好勢として参加。
細川晴元と対立する細川氏綱、畠山政国、遊佐長教らに対抗するため、阿波の軍勢を渡海、舎利寺の戦いで大勝。
弟の十河一存は岸和田城主となった。
1553年、細川持隆を見性寺で自害、細川真之を阿波細川家の当主として擁立。
久米義広、佐野丹波らが反抗、実休はこ鑓場の戦いで破り、阿波細川家の実権を掌握、阿讃衆・国人衆を三好政権の統制下に置いた。