飯盛城跡
大阪府大東市大字北条2377別名、飯盛城。
飯盛山山頂付近にある史跡。
天文年間、畠山義堯が河内を支配、家臣の木沢長政に命じて飯盛山に城郭を構えた。
1531年、義堯は三好元長の一族三好勝宗(三好一秀)に頼んで飯盛山城を攻撃。
1532年、飯盛城の戦いが勃発、籠城方・木沢長政が勝利。
太平寺の戦いで木沢長政が討ち死に、畠山高政の家臣・安見宗房で交野城城主・安見宗房が城主となる。
自ら河内の守護代を名乗り主君の高政を紀伊に追放。
長慶は高政のために兵をあげ、宗房は大和に敗走。
高政は河内への進出阻止の為、敵対した宗房を守護代に任命、飯盛山城に配置。
長慶は高政の高屋城を攻囲、安見軍を撃退、高政・宗房は敗走。