あべのハルカス周辺エリアのおすすめ史跡情報が掲載されているページです。
大阪歴史博物館
大阪城の近くにあるので、歴史好きな人は大阪城に行った際に立ち寄りたくなるスポット。特別展などのイベント情報をチェックしてから行きましょう。 【基本情報】 開館時間→午前9時30分〜午後5時 休館日→火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月28日から1月4日) 観覧料→大人600円、高大学生400円、それ以外無料
阿倍王子神社
#史跡 #寺院 #神社 #宗教施設 #0歳・1歳・2歳の赤ちゃん(乳児・幼児)OK #3歳・4歳・5歳・6歳(幼児)が楽しめる #小学生の子供が楽しめる #中学生・高校生の子供が楽しめる #子供と一緒に大人も楽しめる #駐車場あり #雨でもOK
茶臼山古墳
茶臼山古墳は、天王寺公園に囲まれ、遊歩道が整備、河底池がある。 5世紀頃、この地の豪族のために作られた墓といわれる前方後円墳である。 1614年、大坂冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となった。 1615年、大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の本陣となった。 明治以降は住友家邸宅の敷地の一部となる。 1925年、住友家から邸宅敷地(大阪市立美術館)、慶沢園とともに大阪市に寄付された。
御勝山古墳
大阪冬の陣の徳川秀忠の陣跡。戦後岡山から御勝山に変更されました。もともとは大小橋(オオバセノミコト)の墓と言われています。位置関係的には真田丸を東側から伺う感じですね。
帝塚山古墳
本来は、明治時代まで「大帝塚」と「小帝塚」と呼ばれる二つの古墳があった。 この地に館を持っていた古代豪族の大伴氏の大伴金村とその子の墓とされていた。 大帝塚は現在、中学校の敷地となっている。 小帝塚は古墳として現存している。
天下茶屋跡
かつて当地にあった芽木家の跡の一部である。 住吉大社へ行く途中、豊臣秀吉が紀州街道沿いにあったこの屋敷で茶会を催したという故事から、天下茶屋という名前が付いた。 江戸時代、紀州藩主などの諸大名も宿泊したと伝えられる。 明治天皇も、住吉行幸の途中、立ち寄っている。
つるのはし跡
#史跡 #ランドマーク
つるのはし跡公園
#史跡 #ランドマーク #0歳・1歳・2歳の赤ちゃん(乳児・幼児)OK #3歳・4歳・5歳・6歳(幼児)が楽しめる #小学生の子供が楽しめる #中学生・高校生の子供が楽しめる #子供と一緒に大人も楽しめる #ベビーカーOK #食事持込OK
真田幸村緒戦勝利之碑
1614年、大坂冬の陣が勃発。 1615年、大坂夏の陣が勃発。 1614年に勃発した大阪冬の陣では、豊臣軍と徳川軍による熾烈な争いを繰り広げ、豊臣秀頼方の戦国武将の一人、真田幸村(信繁)は出城「真田丸(現在の大阪市天王寺区餌差町)」を築城し、徳川家康方を圧倒させた。 当地は、真田幸村が緒戦にて勝利を収めた場所として石碑が建立されている。
西町奉行所跡
1724年に築かれた奉行所である。 大阪は幕府直轄地として将軍直属の大阪城代が置かれていた。 1619年、当時は、大阪城京橋口門の外にあった。 1724年、移転した。
平野郷樋尻口門跡
戦国時代、自治都市であった平野郷。 その際、郷内の安全のため集落のまわりを濠で囲み(「環濠集落」)、郷への出入りは13ヶ所に設けられた木戸口を使って行われたと言う。 また、それぞれに門や地蔵堂があって平野十三口と呼ばれ、その中の一つに「樋之尻口門」があった。 そのときに架けられていたとされる樋之尻橋の名残がある。
摂津酒造跡
1909年、2代目阿部喜兵衛が摂津酒造合資会社を設立。 明治時代、岩井喜一郎がアルコール連続蒸留装置を考案。 岩井式アルコール連続蒸留装置としての地位を確立した。 大正時代、国内三大アルコール製造業者となった。 1918年、本格的なウイスキー製造技術を導入することを目的に竹鶴政孝をスコットランドに留学させたことが、国産ウイスキー誕生につながったとされる。 後に、宝酒造(現在の宝ホールディングス)と合併し、同社の大阪工場となったが廃止された。
折口信夫 文学碑
歌に志した折口信夫は頭角を現した。 筆名は、釈迢空。 国文学の民俗学的研究にも力を入れ、柳田国男の影響を受けながら各地方を探訪し、風俗習慣の解明につとめた。
真田丸顕彰碑
#史跡
大阪開港の地
1853年、大阪港として開港した。 江戸時代、「天下の台所」と言われ栄えていた大阪の船着場の一つである。 幕府の官用地として船番所・船蔵や、船奉行をはじめ与力・同心などの屋敷があったと言う。 その後、機能を大阪市港区へ移転した。
小西来山十萬堂跡
1654年、俳人として知られる来山は、平野町の薬種問屋に生まれた。 その後、西山宗因に師事したが、芭蕉に近い境地をひらき、十萬堂に住み多くの名句を残した。 1945年、この建物は戦災で焼失した。
大坂城 六番櫓
#城 #史跡
住吉神宮寺跡
#史跡 #宗教施設
上方落語寄席発祥の地
かつて、ここは、上方落語寄席の発祥地として知られ、人気を集めている。 江戸時代末期、初代桂文治によって、坐摩神社の境内で小屋を開設し、本格的に活動し始めたことによる。
大阪城 一番櫓
大阪
Holidayへのご意見やご要望、各種お問い合わせは以下のフォームよりご連絡ください。
お問い合わせいただき、ありがとうございます。内容を確認の上、ご対応させていただきます。
送信に失敗しました。お手数ですが、時間をおいて再度お試しください。
ログイン
Facebookでログイン
パスワードを忘れた方はこちら
初めての方は ユーザー登録をしてください
ご利用のブラウザでは正しく画面が表示されない、もしくは一部の機能が使えない可能性がございます。以下の推奨環境でご利用ください。
推奨環境:Google Chrome 最新版、Safari 最新版