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日本三景「天橋立」を股のぞきしながら丹後宇良
まいどまいど! 日本三景の一つに指定され、古くから愛されてきた天橋立。 ここは、京都府内での人気観光地の一つで、毎年、多くの来場者が訪れ、京都市内に次ぐ人気を誇ってんねんやとか。 天橋立には約8000本の松林が連なり、実際に歩くこともできまんねやで。 また、天橋立の両側には展望台があり、それぞれにケーブルカーなどが営業中。 一方の山頂付近からは天橋立やその周辺を一望することができまんねん。 ほんで、天橋立といえば、傘松公園。 ここでは、傘松公園を中心に活躍するキャラクターと出会いました。 名を「かさぼう」。 「かさぼう」と記念撮影をして、天橋立名物の股のぞきをした後は、西日本最大級の道の駅へと出かけました。 ここは、甲子園8個分という西日本最大級の敷地面積を誇っていることで知られ、特に夜になると、北近畿最大級のイルミネーションと出会うことができまんねん。 京都の北部で、日本三景と出会い、最後に幻想的な世界へと引き込まれる不思議な観光。 ぜひ、皆さんも体験してみてはいかがでっしゃろか。
島崎公園
近年の埋め立てにより完成した公園。 公園の中心部にはモニュメント「海燕」が設置。 「海燕」は「海園都市みやづ」の意味。 また「歩ら輪ぐルート ぶらり歴史のみち」の拠点として、また天橋立を一望できる市民の憩いの場として整備。 青色と赤色のそれぞれ二つの輪は直径5m以上。 「宇宙」や「人の輪」を輪に集まる小さな燕は四季の豊かさと市民の幸福を表現。 青は宮津の澄み切った青い空と海、赤は市民の情熱と市の未来への発展を表現。 モニュメントの前にはかつて宮津市内の小学校で実際に使われていた木製の椅子をブロンズで模りしたものが設置。 ここで記念撮影をすることで、その情景がいつまでも心に残るようにとの願いも。
前尾繁三郎 銅像
前尾繁三郎は日本の政治家、第2代宏池会会長、衆議院議長として活躍した。 1905年、京都府与謝郡宮津町(宮津市)生まれ。 京都府立宮津中学校、上京して第一高等学校、東京帝国大学法学部卒業。
クロスワークセンターMIYAZU
レンタルオフィス、コワーキングスペース、交流イベントスペース。 1983年、1973年から1976年まで衆議院議長を務めた前尾繁三郎の宮津市立前尾記念文庫が開館。 前尾繁三郎は宮津市出身、蔵書等が宮津市に寄贈された。 2017年、宮津市立図書館が宮津阪急ビルへの移転に伴い、前尾記念文庫の蔵書も「前尾記念文庫コーナー」に移管。
宮津市みやづ歴史の館
多目的ホール、宮津市中央公民館、宮津市歴史資料館がある複合公共施設。 2000年、開業。 宮津市歴史資料館は常設展示室・企画展示室・収蔵庫などがある。
大阪・住吉のルーツは明石にあり!?明石西を制覇
まいどまいど! 明石名物「玉子焼き(通称、明石焼き)」の本場として知られる兵庫県明石市には日本の標準時子午線である東経135度線が南北に走り抜け、全国的にも有名な町でんな。 瀬戸内海に面した環境を生かし、玉子焼きに使用されるタコの他、タイ、アナゴなどが水揚げされ、海苔などの海産物も豊富で市内にある商店街・魚の棚には新鮮な魚介類が並んでまんねん。 特に大阪名物「たこ焼き」のルーツは明石名物「玉子焼き」にあるといわれ、歴史も古い。 その他、笑いの殿堂なんばグランド花月など漫才・落語・新喜劇を含むお笑いの劇場で知られる吉本興業の創業者も明石市の出身。 そして大阪を代表する日本三大住吉の一つである住吉大社と明石の住吉神社にも深い関係があるといい、大阪と明石は何かと縁が深い。 住吉神社は海に面し、神社の境内にある鳥居からは瀬戸内海を一望でき、遠くには明石海峡大橋や淡路島を望むことができまんねん。 また、あじさいや藤、ぼたんなど四季折々の花々を楽しむことができると人気を呼び、毎年ぎょうさんの見物客が魚住を訪れはりまんな。 何かと明石東部が有名ですが、明石西部もおもろおまっせ。
一番星みつけた
兵庫県明石市の西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線魚住駅前にある像。 童謡・唱歌「一番星みつけた」、明石高等女学校校歌を作詞した生沼 勝氏を讃える像。 童謡・唱歌「一番星みつけた」とは「一番星みつけた。あれあの森の杉の木の上に。」などで知られる。 生沼 勝氏は1883年、三重県桑名市生まれ。 三重県の師範学校、広島高等師範学校を卒業し、兵庫県明石市の女子師範学校(神戸大学発達科学部)の教諭となった。 1921年には兵庫県の明石高等女学校(明石南高校)の初代校長、明石市教育委員会委員などに就任。
筒井昌次
兵庫県明石市の政治家とて活躍した。 明石市議会では第16代、17代の議長を務めた。
17号池魚住みんな公園
兵庫県明石市にある公園。 コンセプトは「みんなにやさしい」。 2023年、開園。 園内にはグランドや広場、駐車場などがある。 多目的グラウンドではポニー・馬車乗馬体験。、緑のグラウンドではグランドゴルフ・バブルボール・ストイラックアウト・キックターゲットなどが楽しめる。 17号池魚住みんな公園にはかつて17号池が存在した。 周辺地域の農業用ため池として使用されてきたが、一部を公園として整備。
浜の宮公園でプール!海洋文化センターで海を学び、加古川牛かつめしを味わう
まいどまいど! 山と海に囲まれた自然豊かなまち・兵庫県加古川市をドライブ。 加古川市では西日本旅客鉄道(JR西日本)と山陽電気鉄道が東西に走り抜け、大阪・神戸と姫路とを結んでまんねん。 加古川海洋文化センターでは海洋文化に関する海図、地形図を保管、展示した施設として知られておまして、海の理想郷アルカディア、海中散策、海中潜望鏡、電子水族館、ザ・ボートチャレンジ、海洋研究所が設置。 また、本の貸し出しも行っており、海のことを詳しく知ることができまっせ。 夏など暑い時期に嬉しい!水遊びができるじゃぶじゃぶ広場や、芝生、休憩所がある別府みなと緑地などがあり、一日中楽しむことができますねん。 その他、老舗の雰囲気漂うラーメン店があり、店内には船の模型や阪神電車・山陽電車のグッズが展示、鉄道ファン必見のお店でんねん。 和菓子では素朴な味わいを楽しむことができ、人気を集めてまんねん。 市民憩いの場として人気の浜の宮公園も戦争遺構のところも。 その他、宇宙科学館・プラネタリウム、美術ギャラリー、博物館、会議室などがある加古川市の総合文化センターや地域名産の豚かつめしなどが味わえる加古川食堂も必見!
教信寺
宗派は天台宗。 本尊は阿弥陀如来。 平安時代、僧の沙弥教信が庵をつくった。 念仏を唱えながら仏の教えを説き、お百姓の手伝いをする傍ら、わらじを作って貧しい人に与えたり、旅人の荷物を運ぶなど、大勢の人を助けたことから「荷送り上人」や「阿弥陀丸」とも呼ばれた。 庶民仏教の普及に努めた庵跡に教信寺が建立。 境内の左手奥に教信上人廟も。 季節になると桜が満開を迎え、多くの見物客でにぎわうとか。
野口神社
祭神は大山咋命(日吉大神)、品陀別命(八幡大神)、須佐之男命(八坂大神)、速玉男命(熊野大神)、天伊佐々比古命(日岡大神)。 主神の日吉大神は比叡山延暦寺の守護神日吉大社から分霊、のちに四柱の神を合わせて祀ったとか。 神社の西に位置する教信寺は延暦寺の末寺とも。 1578年に勃発した三木合戦の際、黒田官兵衛の指揮した羽柴秀吉軍と教信寺の僧兵と野口城兵が参戦した。 1868年、かつて付近には野口寺があったが神仏分離により廃寺となった。
稲荷神社(野口城跡)
野口稲荷祠にある碑。 室町時代、兵庫県三木市にある三木城の支城として築城。 城主は三木城・別所長治の家臣で大筒・小筒の名手として知られた長井四郎左衛門長重。 かつて「播州一の名城」とも謳われた。 周囲は野口段丘の先端部に位置し、低湿地帯で覆われた自然の要害地。 1578年、別所氏が離反し、織田信忠と羽柴秀吉による「三木合戦」が勃発。
コーヒーハウス ロッキー
モーニングやランチ、コーヒーなどを味わうことができる喫茶店。 店内はテーブル席のみ。 ここでは播磨地域の名物の一つであるかつめしが人気。 かつめしはビーフ、ポーク、牛ヘレより選択できる。 1971年、創業。
平木橋
平木池に浮かぶ水路橋でアーチ橋。 別名、平木水路橋。 土木学会「近代土木遺産2800選」に選出。 1915年、山田川疎水事業の一環で農業用水の送水用に建設。
聯隊(れんたい)橋
加古川市内を流れる新井用水に架かる橋。 1938年、架橋。 橋の名の由来は付近の旧陸軍高射砲連隊に由来。 付近には弾薬庫があり、爆弾を荷造りする箱を製造していたとか。
旧陸軍高射砲第三連隊基地
現在、ハリマ化成加古川製造所、陵南中学校の敷地となっている。 1938年、加古川飛行場の防備を目的に高射砲連隊が設置。 上空からの攻撃を地上から迎撃する部隊が駐在。 基地には、模擬高射砲や射撃の訓練場、格納庫があったとか。 1942年、大火で焼失。 旧陸軍航空通信学校加古川教育隊が置かれ、若者が1年間学んだ後、戦地の最前線に送られ、その多くが戦死。 現在、収納庫や兵舎などの一部の建物が残っているとか。 またハリマ化成加古川製造所の正門・南門は当時のものを使用しているとか。
くんれんばし
1938年、加古川飛行場の防備を目的に高射砲連隊が設置。 上空からの攻撃を地上から迎撃する部隊が駐在。 基地には、模擬高射砲や射撃の訓練場、格納庫があったとか。 高射砲連隊の訓練場に通う人たちがこの橋を渡っていたことから「くんれん橋」と呼ばれるようになった。
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