舎密局跡
京都府京都市中京区鉾田町 Unnamed Road明治時代、化学技術の研究・教育及び勧業を目的に設立された官営・公営機関。
舎密局の舎密とは、江戸時代に使用された蘭語のchemie(化学)に対する当て字。
1869年、後藤象二郎と小松帯刀の建言により、大阪の大手通旧京橋口御定番屋敷跡に大阪舎密局を設置。
旧開成所の教頭にはオランダ人化学教師ハラタマが就任。
学制公布に伴う改編により「第四大学区第一番中学」となり、理化学教育は廃止、京都大学となった。
1875年、跡地には大阪司薬所(大阪衛生試験所の前身)が設立。
1870年、京都舎密局を設置。
大阪舎密局でハラタマに学び、京都府に出仕した明石博高により設立。