
祝☆福者認定☆キリシタン武将高山右近ゆかりの地、北陸へ…!
石川祝☆福者認定☆キリシタン武将高山右近ゆかりの地、北陸へ…!
戦国時代のキリシタン武将、高山右近は、実は26年間も北陸にいた…! 没後400年経ってローマ法王庁より福者(カトリック教会に徳と聖性を認められた信者に与えられる称号)に認定された高山右近ゆかりの地、北陸を訪ねるコースをご紹介します。 石川県能登の七尾、そして金沢、高岡と3つの街を回ります。 高山右近ゆかりの地なら高槻、明石…。なぜ北陸…?と、意外に思われる方も…。 右近は秀吉の切支丹禁教令により大名の地位と領地を奪われ、加賀前田家に仕えるようになったからです。 ここで一見、右近は歴史の表舞台から去ったように見えましたが、前田家の客将として戦にも出陣し、藩政にも関わり、金沢城の改修や高岡城の築城に、金沢城下の大改造に大きな役割を果たしていました。 それなのに北陸での26年間、右近の記録はほとんど残されていません。 江戸幕府の禁教令で右近は国外追放となり、キリシタン関係の建物は取り壊された中、北陸各地に”右近ゆかりの地”の伝承と史跡が残っていました。今回、その伝承の地を訪ね歩いてみました。 おまけとして付近のお土産ショッピング&体験スポットもご紹介します。
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なんと…!切支丹、高山右近ゆかりの”お寺”があるのです。 七尾の本行寺は、茶道の祖、円山梅雪が建立しました。 その後加賀藩主、前田利家がこの地に移転。 慶長4年、加賀藩により、お寺の境内に右近の修道所が建てられました。信仰生活、南蛮文化を伝える拠点となったそうです。 右近が海外追放となった後、この寺は加賀藩の切支丹の女性の隠れ家となり、”隠れキリシタンの寺”として知られています。 毎年5月の切支丹のお祭り、「アニマー祭」と10月の第4土曜日「山の寺の日」に寺宝が公開されます。 拝観は予約を…。お問い合わせは本行寺まで。 0767-53-0799
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隠れキリシタンの秘仏
本行寺に伝えられるキリシタンの秘仏です。一見、ごく普通の日蓮さまの像。でも合掌した両手を開くと…!なんと十字架があらわれるのです。禁教の時代に、ここで密かにキリシタン達が祈りを捧げたそうです。
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ゼウスの塔
ゼウスの塔は、中央に十字架の隠し彫りのある大きな宝篋印塔で、中にはキリストの聖体を象徴する石が置かれています。この寺にかくまわれた加賀藩重臣の母(切支丹)の墓と伝えられています。
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右近の修道所跡
右近の修道所は、本堂の奥の谷間、”右近嘆きの階段”を下りたところにあったそうです。今は、広場の中、右近が聖水をとったと伝えられる井戸、礎石、石灯籠だけがひっそりと残されています。
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右近崇拝のマリア像
本行寺には、江戸時代初期のものと思われるマリア像が残されています。禁教の時代から長年、礼拝されていたものらしく、腕は失われています。このマリア様に右近も祈りを捧げたかもしれません。
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右近直筆の書状
本行寺には、高山右近が海外追放でマニラに流される直前、長崎で書いた別れの書状が伝えられています。楠木正行の歌を引用して、日本を離れる思いを書き綴っています。(特別公開時に公開されます。)
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隠れキリシタンの仏画…?
一見どこのお寺にでもあるような仏画ですが、これはお釈迦様ではなく、実はキリスト。西洋のイコンと同じデザインです。仏画に見せて巧妙に隠されたキリシタンのシンボルです。
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狛犬も隠れキリシタン…?
境内にある古いお堂の狛犬が本堂の中に宝物として展示されていました。狛犬の額には、はっきりと十字が刻まれています。この狛犬さんも隠れ切支丹かな…?
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キリシタン柄の着物
禁教の時代、ここに隠れ住んだキリシタンの女性の着物が展示されていました。イエスさまの一生が描かれた聖書の物語が着物の柄になっています。
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丸山梅雪ゆかりの茶室”きく亭”
”きく亭”は茶道の祖、丸山梅雪、そして前田利家ゆかりの茶室です。利家と右近もここでお茶を楽しんだのでしょうか…?広くて明るい茶室です。お庭には、切支丹灯籠がありました。
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歴史小説の舞台にもなりました
本行寺はもみじ寺としても知られています。また、小石房子さんの歴史小説、戦国時代の切支丹、内藤ジュリヤの生涯を描いた「ひと粒の麦」の印象的なラストシーンは、この本行寺が舞台です。
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山の寺寺院群と瞑想の道
本行寺の周囲にはたくさんのお寺があります。戦国武将、前田利家が防御の拠点として、ここに多くの寺を集めたそうです。今は、”山の寺寺院群と瞑想の道”として整備され、すてきな散策路となっています。
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ここからは右近ゆかりの七尾の街にある”一本杉通り”商店街のいくつかのお店を紹介します。 この通りには国の登録有形文化財になっているお店が5軒ほどあります。 時代の面影を残す貴重な建物ですが、現在でもお店や住まいとして生きています。 高澤ろうそく店は、登録文化財になっている昔ながらの佇まいの和ろうそくの店です。 一つ一つ手作りする伝統の和ろうそくで知られています。 その他、七尾の街オリジナル”等伯香”と名付けられたお香、お土産用のキャンドルもたくさんあります。
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金平糖のキャンドル
ヨーロッパから戦国時代に伝わったお菓子、金平糖って何となく高山右近を連想しませんか…?金平糖の形のキャンドルを見つけました。右近を訪ねる旅にぴったりのお土産かも…。
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七尾らしいお土産なら”等伯香”
七尾らしいお土産なら、”等伯香”がオススメです。これは七尾出身の桃山時代の画家、長谷川等伯の”松林図”をイメージして創作した七尾オリジナルのお香です。抜群にいい香りでした。
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”一本杉通り”にある昭和6年創業のお店。 北前船の寄港地として栄えた七尾の代表的な海産物のお店です。 北海道から運ばれた昆布や能登の珍味が並んでいます。ここも七尾のお土産探しにぴったりのお店です。 昆布巻き、にしんの飴だきがとてもおいしかったです。 店内にはミニギャラリーもあり、ゆっくりとショッピングできました。
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昆布巻きがおすすめです…!
昔ながらの手造りという昆布巻き、にしんの飴炊きをお土産にしました。帰ってから「もっとたくさん買っておけばよかった~。」と思うおいしさです。
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”一本杉通り”にある登録文化財の古い建物の醤油屋さんです。 能登産の材料を使い、2年熟成した醤油で知られています。 今でも醤油しぼりから、ビンのラベル貼りまで全部手作業で作られているそうです。
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だしつゆとお醤油
七尾の方から「ここのだしつゆ、一度使ったら手放せないです。」と聞いて、お土産にゲットしました。そういえば泊まったホテルの”こだわりの朝食”にも、ここのお醤油が使われていたようです。 昔ながらの佇まいのお店では、今でもお会計の時、年期の入ったそろばんを使ってみえました。
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もろみアイス発見…!
お店では「もろみアイス」もあり、”一本杉通り”の街歩きの途中、ここでいただきました。お味噌の風味が生きたおいしいアイスでした。
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古い街並みの面影が残る”一本杉通り”をちょっと入ったところに”花嫁のれん館”があります。 ”花嫁のれん”は、TVドラマや列車の名前で知られるようになったようですね。 ”花嫁のれん”は、花嫁さんが嫁ぐ時にくぐる、特別なのれんです。加賀藩の領地だけにあり、今なお続いている風習だそうです。 この館では、明治から現在までの「花嫁のれん」を展示する他、「花嫁のれんくぐり体験」もできます。
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前田利家、お松の像を発見…!
「花嫁のれん館」の裏には右近が仕えた前田利家、お松の銅像がありました。戦国時代、前田利家が築いた小丸山城の跡は、城址公園となって「花嫁のれん館」の背後に広がっています。
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「花嫁のれん展」
毎年ゴールデンウィークの期間には、この周辺の”一本杉通り”の商店街の商家、民家のあちこちでも”花嫁のれん”が展示されるそうです。古い街並みの面影を残す商店街の街歩きも楽しいです。
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ここからは金沢ゾーンです。 右近は、前田家に仕えるようになってから、藩政に関わる傍ら、金沢、能登に教会を建て、キリスト教の教えを広めました。 江戸幕府の切支丹禁教令により、切支丹関係の建物はすべて取り壊され、右近の時代のものは何も残されていません。 今ある教会は、明治時代になって、1888年に創立されたものです。 聖堂の前には高山右近を顕彰するため、銅像が建てられています。 聖堂は信者さんでなくても入ることができ、右近を偲ぶことも、祈りを捧げることもできます。
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ステンドグラスに右近の姿が…!
聖堂に入ると、正面祭壇の後ろに4枚のステンドグラスがあります。一番右のステンドグラスは、右近の姿を描いたもの。金沢にキリストの教えを広めた功績を讃えています。
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右近の像とゆかりの「南坊石」
右近の銅像の傍らに「南坊石」といわれる石がありました。これは以前、右近の屋敷(現在の金沢21世紀美術館のあたり)にあった石だそうです。「南坊」というのは右近の号だそうです。
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右近の時代、聖堂は紺屋坂に
教会からはちょっと離れますが、右近が金沢にいた頃の聖堂は、兼六園の紺屋坂のあたりにあったと伝えられています。金沢城の古絵図に”切支丹寺跡”と記されていますが、今は何も残されていません。
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赤レンガの博物館の建物は、戦前は陸軍の兵器庫、戦後は美術工芸大学の建物だった歴史あるものです。 右近の仕えた加賀前田家の歴史資料もたくさんあり、その時代の加賀藩の様子を知ることができます。 歴史体験ひろばでは、戦国武将など時代衣装を身に着けて写真を撮るコーナーもあります。 金色に輝くゴージャスな前田利家公の鎧兜姿がおススメです。
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加賀藩主、前田利家公を祀る神社です。 ここがどうして、”右近スポット”なのか…?、というと、神社の前の水路が”西内惣構堀”の一部なのです。 そして、この惣構堀こそは、加賀前田家が右近に命じて作らせた金沢城下の防御のための堀。 右近は、金沢城の城下の大改造にも関わっていたのです。
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西内惣構堀跡
右近は、慶長期、金沢城を中心に西と東に堀を作りました。驚くほどの短期間に完成したそうです。内惣構堀の一部は、金沢のあちこちに姿をとどめています。この堀は都市計画で暗渠化されていたものを、最近になって昔の姿に戻したそうです。
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加賀100万石前田家の居城を整備した公園です。 天正11年、賤ヶ岳の戦いの後、前田利家が金沢城に入城。 その頃から城作りがスタートしました。 築城の名手であった高山右近が文禄、慶長の大改修に関わったと伝えられてます。
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復元された金沢城
金沢城は石川門以外、平成の時代になってから昔の絵図や古文書をもとに復元整備されたため、右近の時代のものは残されていません。しかし、昔の絵図にある南蛮寺と菱櫓がそっくりなので、右近がかかわったことは間違いないようです。
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兼六園のすぐ近くの住宅街にある、高山右近を顕彰する小さな小さな歴史博物館です。夏の間は入館は予約制となりました。 高山右近の生涯がパネルで語られています。ここで紹介する”右近スポット”の他にも、右近の知行地のあった石川県志賀町に子孫の方が住んでいて、右近の銅像があるよ…と、教えていただきました。 高山右近のことならなんでも館長さんに聞いてみましょう。 館長さんは、右近に関する講演活動にも活躍しています。
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兼六園、ギャラリージュストの近くにある日本料理のガーデンレストランです。 加賀藩ゆかりの武家庭園を眺めながらお食事ができます。 窓の外に広がるのは、加賀藩重臣、脇田家の歴史ある庭園。石川県の指定名勝庭園になっています。 お食事の他、お抹茶やコーヒー、お庭の見学だけでもOKです。
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切支丹灯篭を発見…!
お庭のいたるところに灯篭があります。この灯篭は、全体を十字架に見立て、下のほうに聖母マリアの像が刻まれている切支丹灯篭。脇田家の初代は隠れキリシタンであったとも伝えられています。
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高山右近は3つの世界を持っていたと言われています。「武将」「キリシタン」「茶人」の3つです。 お茶の世界では、千利休に学び、利休七哲の一人に数えられる実力者であったとも…。 さてここで、茶人としての右近を偲んで「お抹茶体験」を…。 ポルテ金沢1Fの金澤美粋茶の湯サロンでは、お抹茶のお稽古体験ができます。 ここでお茶会の作法をちょっとだけ体験しました。
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”お稽古体験”は超オススメ
お抹茶は”吉はし”の上生菓子が付いて800円。お稽古体験はプラス500円でした。自分でお抹茶を点ててお茶会の作法を習いました。金沢の人が「ここで”吉はし”の上生菓子が味わえるなんて最高…!」と言っていましたが、同感です。
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金沢東山にある和菓子のお店です。 このお店には、高山右近にちなんだ”右近饅頭”があります。(普段お店にあるものではなく、特別注文になります。) 江戸幕府の切支丹追放令により、右近が本行寺を去る時、住職が右近の好物の柿を受け取り、寺を後にした…という言い伝えにより、饅頭の餡に柿を入れてあります。
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西洋人形の金花糖
金花糖はお祝い用の砂糖菓子です。これは西洋人形の形をしたもので、金沢と長崎にだけ伝わっている形だとか…。長崎の隠れキリシタンが大切にしていた人形と同じ形なのは不思議です。
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次は高岡へ。高岡城は、慶長14年、加賀前田家2代藩主利長公によって築き上げられました。 その後、徳川幕府の1国1城令により、わずか5年で廃城になってしまいました。 その高岡城の縄張り(設計)をしたのが、高山右近だと語り伝えられています。 今は整備され、豊かな水をたたえる公園として蘇っています。
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右近のブロンズ像
高岡古城公園の中には、たくさんのブロンズ像があります。もちろん、高岡城の設計者と仕えられる右近の像もあります。案内図を見ながら探してみては…?
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右近の井戸
高岡古城公園の中には、右近ゆかりの井戸と伝えられる古井戸があります。高岡城は廃城後、明治維新まで放置されたため、奇跡的にほぼ原形のまま残されているようです。
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射水神社
キリシタン武将高山右近ゆかりの地に、なんと…!教会ではなく、神社がお引越ししてきました。明治8年のことです。射水神社は、瓊瓊杵尊を祀る越中の国の一宮です。
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