
そうだ尾崎豊を巡ろう!
東京そうだ尾崎豊を巡ろう!
久しぶりに尾崎豊を聞きました。そしたら尾崎の思い出の地を巡ることを考えていました。「そうだ京都に行こう!」的に「そうだ尾崎豊を巡ろう!」です。26歳であまりにも早く死んでしまった尾崎を偲びながらのお出かけを。
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渋谷のクロスタワーの二階のテラス部分が尾崎豊の思い出の場所。当時は渋谷東邦生命ビル。青学高等部に通う尾崎の通学路といったところです。
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17歳の地図
「歩道橋の上振り返り焼け付くような夕陽」がありますかね。17歳の地図の歌詞の場所です。
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クロスタワー
今は時を経てクロスタワーと名乗っています。
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そうですね、尾崎の母校です。高等部からの入学で、高3で飲酒トラブルから無期停学とかになっています。それがオーディションを受けるきっかけだったみたいでその後自主退学しています。「夜の校舎窓ガラス壊して回っ」(「卒業」)てください。 あと憧れの先生「シェリー」を探して見たりとか。
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建て替え前
建て替え前はこちらですからこの窓ガラスでしょうかね。
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越境入学して過ごした中学。wikiによれば生徒会副会長や文化祭実行委員長だったそうです。 喫煙で停学処分にもなっておりまさに「校舎の裏 煙草をふかして見つかれば逃げ場もない」(「15の夜」)を地でやっていたわけです。
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巣鴨プリズンの跡地であるサンシャイン60。僕らの頃は日本で一番高いビルでした。15歳の頃を練馬で過ごした尾崎豊にとっての「超高層ビル」とはまさに池袋のサンシャイン60です。練馬から見えたサンシャインを「超高層ビルの上の空 届かない夢をみてる」(「15の夜」)と歌ったわけです。
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「15の夜」の舞台だそうです。 「家出の計画を立て」たり、「闇の中ポツンと光る自動販売機」があったり、「夢見てるあの子の家の横」だったりしたのでしょうか。 さあ「盗んだバイクで走り出」しましょう。
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「坂の下に見えたあの街に」の舞台になった坂が近くにあるそうです。 https://youtu.be/fHHLOWijdzw いつも下ってた坂道を登って街を出る話ですね。19歳の設定。
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尾崎豊の朝霞の実家でお父様の健一さんが住んでいる場所です。丁目までで正確な住所は記載しませんがタクシーに乗れば地元では有名なようです。 お父様は非常に優しいかたで時折訪ねて来るファンの人をお家にあげてくれたりするケースもあるそうですが常識の範囲で。 当然ですが「坂の下に見えたあの街に」の近くです。
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1992年(平成4年)4月25日早朝、尾崎の自宅マンションから約500メートル近くの足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見されたのですが、その場所がこちらです。 死因は覚醒剤中毒からの肺水腫。発見の態様から他殺説もありましたが、検死の結果から特定されています。 毎年の命日などにはファンが大勢集まっていたそうで、民家の方も好意で部屋を開放してきたそうで「尾崎ハウス」と呼ばれていました。しかし、2011年に建物を建て替えるためか、「そろそろ『尾崎』から『卒業』してくださいとの意向から解体されたそうです。
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葬儀、追悼式が行われた場所です。
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「生きること それは日々を告白してゆくことだろう」という遺作となった「放熱への証」の歌詞が刻まれています。戒名は「頌弦院智心碩豊居士」。保安上の理由から実際には納骨はされていないそうです。
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墓の位置
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