
忍たま乱太郎の聖地・尼崎を観光・・・の段
兵庫忍たま乱太郎の聖地・尼崎を観光・・・の段
まいどまいど! 西日本最大の経済都市として知られている大阪市に隣接する兵庫県尼崎市。 古くから大阪市との経済的なつながりも強く、市外局番は大阪市と同じ「06」(神戸市の場合、「078」)を使用しているため、尼崎市以外の兵庫県民からは「大阪府の一部では」と揶揄、誤認されることも。 その一方で、歴史的も深い町として知られておまして阪神電気鉄道の尼崎駅付近には尼崎城址公園が整備。 かつての石垣で当時をしのびつつ、2019年には尼崎城の天守閣が再現され、話題を集めておます。 ほんでまた、周辺にはぎょうさんの寺院仏閣が集まる寺町もあり、静かな雰囲気も漂ってはります。 その他、NHKで放送されている人気アニメ「忍たま乱太郎」のゆかりの地として知られ、市内には、「忍たま乱太郎」に登場する人物の名前の由来となった地名がぎょうさんおまっせ。 ほんでまた、「忍たま乱太郎」の作者・尼子騒兵衛はんは尼崎市出身。 尼崎市に地盤を持つ尼崎信用金庫のキャラクターも尼子騒兵衛によって描かれてまんねん。 また、世界的にも珍しい世界の貯金箱をテーマにした博物館があるなど、尼崎には、おもろいとこがおまっせ!
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テレビコマーシャルで登場するキャラクター「あまちゃん&しんちゃん」のデザインは、尼崎市出身で「落第忍者乱太郎(忍たま乱太郎)」の作者で、漫画家の尼子騒兵衛。 キャッチコピーは「あましん僕らの貯金箱」。 阪神タイガースのシーズン成績に連動した1年もの定期預金(タイガース定期預金)を扱っており、毎年シーズン前に設定されている。 2002年、(阪神タイガースがリーグ優勝した前年度)の同商品は、預入総額が1500億円となる大ヒットであったとか。 2003年、優勝すれば当時の同球団監督星野仙一の背番号77に因んで金利が基本レートの7.7倍に設定。 実際に優勝したため金利が0.5%程度にまで上昇。
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テーマは、貯金箱の博物館。 1984年、尼崎信用金庫の職員が趣味で集めたという貯金箱コレクションを元に設立。 2015年、約13,000点に及ぶ世界の貯金箱コレクションを有し、その中から約2,500点を常設展示している。 貯金箱のコレクションとしては世界最大規模で、国内外問わず、世界62か国のものも含む。
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宝珠
来館者には、縁起が良いとされる宝珠の貯金箱のプレゼントがある。
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2001年、オープン。 1階から3階には展示室。 2階の常設展示室では、旧尼崎城に関する資料が展示され、復元模型も設置。 また、世界の貨幣も体系的に展示。
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忍たま乱太郎
創業100周年と尼信会館の開館20周年を記念して、特別展「乱太郎 忍者の世界」~絵本原画と忍者道具展~ ならびに「尼子騒兵衛と古典落語の世界」~らくご長屋原画展~を2021年7月17日から 9月26日まで期間限定で開催。 この特別展では、尼崎信用金庫のイメージキャラクター「あまちゃん・しんちゃん」の創作者で漫画家の尼子騒兵衛氏協力のもと、尼子氏の作品の中から、原画75点と忍者道具などを展示。
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忍たま乱太郎
尼子騒兵衛氏とは兵庫県尼崎出身で日本の漫画家。 本名、片根紀子。 代表作「落第忍者乱太郎」は現在も朝日小学生新聞紙上に連載中。 ペンネームの由来は兵庫県尼崎市生まれで「騒々しい尼っ子」から。 師匠は名和弓雄。 「落第忍者乱太郎」連載のきっかけは朝日小学生新聞編集部が、ギャグ漫画で女性漫画家を探していたことから。 1993年、NHK総合テレビにてアニメ「忍たま乱太郎」の放送開始。
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1937年、開明尋常小学校校舎として竣工した。 また、道路に面した場所に位置する塀には、第二次世界大戦当時の銃弾痕とされる遺構がある。 今後も、平和な社会の実現を祈って塀に残る米軍機による銃弾痕と伝えられる跡を保存し、公開。 1945年6月1日、B29の援護部隊として飛来した、P51戦闘機の機銃掃射跡と推定。 現在、国の登録有形文化財に指定。
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旧開明尋常小学校校舎
1階の旧校長室には戦前の奉安庫が現存している。
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立体遊歩道が整備された公園には、花が植えられ、地域の交流の場として親しまれている。 また、公園中央部には、「中央公園パークセンター」があり、展覧会の展示や観光案内などを行っている。
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1982年、美術・音楽・演劇等芸術文化の拠点となる施設「尼崎市総合文化センター」として、グランドオープン。 建物は、美術館や文化教室の役割をもつ文化棟、音楽・演劇公演の会場となるホール棟で構成。 声楽家集団関西二期会の活動拠点である。 メインホールは、音響家が選ぶ優良ホール100選に選定。 オーストラリアのシドニー・オペラハウスと友好ホール提携を結んでいる。 1982年、朝比奈隆指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団が「交響曲第5番(チャイコフスキー)」でこけら落し公演を開催した。
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尼子騒兵衛展「忍たま乱太郎」
尼子騒兵衛展 「落第忍者乱太郎」「忍たま乱太郎」はこうして生まれた! 2021年7月17日から 9月26日まで期間限定で開催。 尼子騒兵衛氏とは兵庫県尼崎出身で日本の漫画家。 ここでは、原画や資料、約1500点が展示。
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阪神電車本線尼崎駅から出屋敷駅付近へと続く商店街群。 愛称は、「元気街」。 通りは、東西南北約2kmのアーケード街で、約600軒の店舗が連なる。 地域活性化のために、まちづくり支援のための組織が誕生、尼崎市の出資を受けて「株式会社TMO尼崎」が設立。 プロ野球阪神タイガースの応援イベントは全国的に注目を浴びた。 また、ご当地ヒーロー「アマレンジャー」が活躍する。
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中央三番街
アーケードには、商店街が応援するプロ野球・阪神タイガースの「日本一早いマジック」点灯ボードが吊るされている。 ボードは天井のレールに吊るされた虎柄の魚型マスコットに取り付けられ、シーズン開幕直後から「マジック」を表示して通りを十数m往復する。 また、タイガース応援関連として「参虎殿」と呼ばれる鳥居も吊るされている。
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中央四番街
アーケード天井には地元出身の漫画家・尼子騒兵衛のイラストが描かれた「七福神絵ドーム」がある。
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あまらぶ戦隊AAAトリプルエース
地域の平和を守るため、尼崎市消防局から生まれたヒーロー「あまらぶ戦隊AAA(トリプルエース)」が活躍する。 尼崎市で行われた「防災ふれあいフェスタ」でデビュー。
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ガサキングα
三和市場の怪獣「ガサキングα」。 三和市場の地下に数万年前から眠っていたが、商店主たちが誤って起こしてしまい、シャッターを蹴破って暴れ出した怪獣。 あまりに凶暴でがさつな性格からこの名が付けられ、特別なアーマー(装甲)をまとうと「アマガサキングαに変身するのが特徴。
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めでタイガー
尼崎中央三丁目商店街を中心に活躍する「めでタイガー」。 プロ野球・阪神タイガースを応援している。
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尼崎商店街手形
地元関西で活躍するスポーツ選手や吉本興業に所属するタレントなどの手形が展示。
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尼崎商店街手形
地元関西で活躍するスポーツ選手や吉本興業に所属するタレントなどの手形が展示。
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祭神は天照大神、貴布禰大神。 2014年11月15日、付近に鎮座する貴布禰神社により創建。 兵庫県尼崎市にある三和本通商店街の守り神であり、恋愛成就、縁結びの神様、さらには学業成就として信仰を集める。
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恋愛成就
境内の鳥居や絵馬などに恋愛成就に関するモニュメントが飾られている。
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別名、倉持戎大宮、または「ちぢみさん」。 災害を被る毎に社勢が衰え、分断や縮小を余儀なくされていったことから、「ちぢみさん」と呼ばれるようになったとか。 創建は、醍醐天皇以前の時代。 正和年間、近江坂本の日吉神社に属する一社が尼崎に祀られた。 尼崎市西本町5丁目には戎太神宮が建立。 菅原道真が九州の大宰府に向かう途中、尼崎に立ち寄り、立ち並ぶ老松や砂浜の景観に感銘を受けたとか。
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戎様
古代、海辺に近く、漁業航海を守る海の神様としてえびすと同一視された事代主が主祭神とされた。 その後、商売繁盛の神様として崇拝されている。
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阪神尼崎駅前には中央商店街があり、その途中に神戸元居留地で1912年に創業したという老舗がある。 店内は昔ながらの雰囲気が漂い、テーブル席があった。
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中華そば
メニューは創業時より毎日継ぎ足してきたという伝統の熟成醤油だれと自家製足踏み玉子麺が目玉の中華そば、焼き飯がおすすめ。 その他、蒸し鶏、鶏のから揚げ、豚天などがある。
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焼き飯
メニューは創業時より毎日継ぎ足してきたという伝統の熟成醤油だれと自家製足踏み玉子麺が目玉の中華そば、焼き飯がおすすめ。 その他、蒸し鶏、鶏のから揚げ、豚天などがある。
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お好み焼き、たこ焼きの専門店。 特に、「たこのみ焼き」は名物。
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常連のおばちゃん
店先には、尼崎の常連のおばちゃんとして知られる「おばちゃん」の看板が立てられている。 写真には、黄色と黒色の縞模様のファッション、そして、阪神タイガースのマークが目立つ。
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たこのみランチ
たこのみ焼きを中心に、ご飯、汁物、小鉢がセットになった定食。 たこのみ焼きは、たこ焼きに変更することも可能。 このほか、よくばりセットやバラエティセットなどがある。
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焼きそばなどを中心とする居酒屋。 店内はカウンター席とテーブル席がある。 メニューは、餃子、たこ焼き、鉄板焼き、生姜焼きなど。 モットー「私たちは焼きそばに本気です」の元、オリジナルの生卵麺を使用し、オーダーごとに丁寧に茹で上げる。 また、焼きそばのオリジナルソースは特製、旨塩、醤油、味噌、スパイシーの5種類。 辛さは、自家製ラー油で好みの味にできる。
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焼きそば
ランチタイムにはサービスとしてサラダまたはライスが選択できる。 その他、ランチタイムにはとん平焼きなどの定食も。
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阪神電気鉄道本線の停車駅の一つである出屋敷駅内にある横丁。 横丁内には飲食店や居酒屋などが中心に立ち並ぶ。 横丁の入り口にはアマトラ横丁のマスコットキャラクターが展示。 アマトラとはグルメを意味する「あまから」が由来であり、「アマ」と阪神タイガースの「トラ」も。
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1617年、膳所藩から尼崎藩へ移封された戸田氏鉄が尼崎城を築城。 このとき、城域にあたる大物周辺にあった多くの寺院を集め、一画を寺町とした。 国の重要文化財をはじめ、県・市の文化財が多数あり、尼崎市都市美形成条例によって景観の保全・整備が進められた。
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臨済宗大徳寺派の寺院。 山号は瑞雲山。 1390年、京都紫野大徳寺の第七世・言外宗忠和尚によって開基。 宗忠の法嗣で大徳寺27世の明遠宗智が住し、柔仲宗隆が住持となった。 1531年、室町幕府の細川家の後継者争いから発展した大物崩れの戦いで、敗れた細川高国が三好一秀に捕らえられて自刃。 1560年頃、笑嶺宗訢は栖賢寺とともに再興。 1600年代、現在地に移転。 1582年の山崎の合戦前には豊臣秀吉が訪れ、休息を取った。 豊臣秀吉は明智光秀の軍勢に追われ、廣徳寺に逃げ込み、髪を剃り落として僧と一緒に台所で味噌をすって敵の目を欺いた「味噌すり坊主」の逸話がある。 現在も、すり鉢とすりこ木が現存。
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明治時代、尼崎藩主の外科医として仕えた和田信景の孫・和田九十郎正隆が数寄者窯として西宮大社村に開窯。 兵庫県庁勤務時代、淡路島で陶器学校の建設を計画して県庁を退職した。 二男の正兄は尼崎市東桜木町に移窯し、御庭焼の築窯にも関わり、打出焼の発祥となった。 藤原道真は航海中、船から見えた美しさに感動して立ち寄り、賛美したことで、琴の浦という地名の由来となった。
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浄土宗鎮西派の寺院。 山号は恵光山。 院号は謝徳院。 本尊は阿弥陀如来。 室町時代、玉蓮社勝誉恵光法園によって知恩院末の寺院として創建。 1588年、 佐々成政は、豊臣秀吉から肥後(熊本県)の領地を与えられたが、太閤検地の方法に反発した肥後国人一揆が勃発し、自力で鎮めることができなくなった。 一揆の原因を作ったとして豊臣秀吉に幽閉され、自刃。 寺宝には後陽成天皇直筆の掛軸、佐々成政の肖像画がある。 江戸時代、別所町から現在地に移転。
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阪神電車本線または阪神なんば線の阪神尼崎駅から徒歩約5分の場所に位置し、多くの寺院に囲まれた寺町で店舗を構えるタコ焼きの専門店。 付近には豊臣秀吉ゆかりの広徳寺や豊臣秀吉による太閤検地に参加した佐々成政ゆかりの法園寺があり、年間を通じて多くの観光客が訪れる。 そんな閑静な寺町で愛されてきた地元のたこ焼き屋は7個で100円、14個で200円など安くて旨いと評判。
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たこ焼き
一般的なたこ焼きでよく目にするソースや青のりがかけられ、大きなタコの具が入っていた。 なお、マヨネーズなどは追加料金となる。 寺町で食べる安くて旨いたこ焼き専門店の前やその周辺では、絶えず人の姿があった。
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律宗の寺院。 山号は月峯山。 本尊は千手十一面観音。 605年、百済の日羅上人は長州の浦の浦人から北方に光を放ち、稀代の霊地があることを聞いた。 光明の跡を辿り、聖徳太子の命によって光を放つ槻木(ケヤキの一種)の霊木を切ったところ千手観音が出現。 当地に寺を建立、槻峯寺としたが、月峯寺に改称。 長州の浦の人々は、長州の浦に伽藍を建て、燈明を掲げて遠拝するようになった。 この燈明を掲げたお堂「灯炉堂」が大覚寺となった。 1275年、南朝大覚寺統・亀山上皇、後宇多天皇の御世が始まった東大寺戒壇院円照上人の弟子、中興・琳海上人により能勢・剣尾山の月峯寺の遙拝所「灯炉堂」の地に開創。
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東京・青山とも
旧淀川の河口に位置し、瀬戸内海と都を結ぶ水運の拠点として、また、大覚寺の山伏が焚く柴燈護摩の狼煙により、能勢・剣尾山と京都・愛宕山を経由して、京の都に瀬戸内の変事を伝える役割を担った。 室町幕府第二代将軍足利義詮公が在陣、大覚寺城と呼ばれた。 1877年、現在地に移転。 徳川幕府老中で尼崎藩主青山公は大覚寺の寺紋「葉菊紋」を尼崎青山家の家紋とし、尼崎藩青山家下屋敷が有った東京に青山の地名が残る。
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節分 能楽
毎年、節分の日には「大覚寺身振り狂言」が奉納、大阪張子「金天姫だるま」、江戸時代に存在した北前船で尼崎の港に運ばれた白板昆布の着物を着せた、開運厄除の縁起物「昆布だるま」や能楽「芦刈」に因んだ「芦刈の破魔矢」がある。 能楽「芦刈」の舞台「芦刈からくり堂」で、九代玉屋庄兵衛師制作の能楽を題材にした「からくり人形」の上演。
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京都の貴船神社は総本宮として知られ、長洲中通三丁目に鎮座する貴布禰神社が発祥地。 長洲の貴布禰神社は東長洲の氏神。 祭神は高龗神(タカオカミノカミ)。 西本町の貴布禰神社は長洲の貴布禰神社より分祀されたが当初、尼崎城の西三の丸に創建。 1715年、現在地に遷座。 1945年、太平洋戦争の空襲により被災。 1950年、復興。 1995年、阪神淡路大震災により被災。 1996年、復興。 祭神は高龗神(タカオカミノカミ)、加茂別雷大神、加茂御祖大神。 祭事は大祭(だんじり祭)、宵宮 旧・尼崎町の惣社であった同社の夏祭には各町から地車が繰り出す。
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見せ物興行や宮相撲・浄瑠璃など
境内には芝居小屋があり、多種多様な見せ物興行や宮相撲・浄瑠璃などが催される。
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真言宗の僧、古典学者(国学者)として活躍した契沖。 1640年、当地付近で生まれた。 釈契沖とも。 俗姓は下川氏、字は空心。 祖父・下川元宜は加藤清正の家臣であったが、父・元全は尼崎藩士から牢人(浪人)となり、8人の子は出家または養子となった。 契沖は、大阪市東成区大今里にある妙法寺の丯定に学び、高野山で阿闍梨の位を得る。 大阪市天王寺区の曼陀羅院の住持となり、その間に下河辺長流と交流し学問的な示唆を受けたが、高野山に戻る。 大阪府和泉市の辻森吉行や伏屋重賢のもとで、仏典、漢籍や日本の古典を数多く読み、悉曇研究も行った。 妙法寺住持分となった後、晩年は大阪市天王寺区の円珠庵で過ごした。
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1711年、尼崎藩を治めた桜井松平家(明治時代、松平から桜井に改姓)の初代信定から16代忠興までを祀る。 桜井松平家は武蔵松山藩・遠江浜松藩・上総佐貫藩・駿河田中藩・遠江掛川藩・信濃飯山藩を経て、摂津尼崎藩に至る。 祭神は櫻井信定公(五十橿戈衝立豊柱根命)、櫻井忠重公(青雲伊多々須昆古命)、楼井忠喬公(波奈具波之佐久良命)など。 1882年、旧藩士の有志が尼崎城西大手橋東詰に建立、創建。 1961年、現在地に遷座。 桜井忠興、田野口藩主の伯爵大給恒、元老院議官で伯爵の佐野常民らが設立に係わった博愛社(日本赤十字社)の記念碑が境内に建立。 また、尼崎城の棟瓦が飾られている。
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代々桜井松平家
境内社は、瓢箪山稲荷社、博愛地蔵。 刀身は備前国の刀工・初代守家作で、鎌倉時代のもの。 飾太刀拵は江戸時代のもので、金具・鞘には桜井家の家紋である九曜紋が彫られている。 甲冑は代々桜井松平家に伝えられた武具の一つで、櫻井信定のもの。 兜は桜花紋を彫った金具が据えられている。
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2018年、尼崎城址公園内に地上5階として竣工。 家電量販店「エディオン」の前身にあたる旧ミドリ電化創業者の安保詮氏によって再建。 2016年、安保詮氏は「創業の地に恩返ししたい」と約10億円の私財を投じて、天守を再建し、尼崎市に寄贈。 なお、大きさや外観などは当時の建物を再現しているが、場所は北西約300m離れている。 1873年、1617年に建設された尼崎城は取り壊された。
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尼崎まちあるきゾーン
1階は尼崎市内の歴史や観光の情報発信を目的とした「尼崎まちあるきゾーン」。 尼崎城内では尼崎城が描かれたお城ポストが設置されている。
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尼崎城ゾーン
2階はバーチャル・リアリティ(VRまたは人工現実感、仮想現実)で再現された尼崎城下町を大画面で楽しめる。 その他、鉄砲・剣術の体験ができるゲームが設置された「尼崎城ゾーン」。
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なりきり体験ゾーン
3階は戦国時代に活躍した武士や姫などに扮することができる貸衣装で記念撮影が楽しめる「なりきり体験ゾーン」。
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ギャラリーゾーン
4階は城郭画家・荻原一青氏の作品が展示された「ギャラリーゾーン」。
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わがまち展望ゾーン
5階は尼崎市内を一望することができる他、江戸時代当時の街並みが再現された映像が公開された「わがまち展望ゾーン」。
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わがまち展望ゾーン
5階は尼崎市内を一望することができる他、江戸時代当時の街並みが再現された映像が公開された「わがまち展望ゾーン」。
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尼崎城址
公園位置繰りには石碑が建立。
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石垣
かつての石垣が復元。
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郵便ポスト
尼崎城址公園内に設置された郵便ポストの上部には尼崎城のシンボルである鯱が乗せられている。
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契沖頌歌
2016年、国学者・歌人として活躍した契沖の業績を研究している「契沖研究会」が契沖の生涯を題材にして作詞した契沖頌歌を建立。 契沖は1640年、現在の兵庫県尼崎市で生まれ。 江戸時代、真言宗の僧、古典学者(国学者)として活躍。 別名、釈契沖。 俗姓は下川氏、字は空心。 幼少期、妙法寺(大阪市東成区)で学び、高野山で東宝院快賢に師事、五部灌頂を受け阿闍梨の位を得た。
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契沖頌歌
曼陀羅院(大阪市天王寺区)の住持となって下河辺長流と交流。 畿内を遍歴し、長谷寺(奈良県桜井市)では17日間の絶食念誦、室生寺(奈良県宇陀市)では激しい煉行をした。 高野山で円通寺の快円に菩薩戒を受け、大阪府和泉市の辻森吉行や伏屋重賢のもと、仏典、漢籍や日本の古典を読み、悉曇研究を行う。 1677年、延命寺・覚彦に安流灌頂を受け、妙法寺住持分となった。 晩年は円珠庵(大阪市天王寺区)で過ごした。
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戸田氏鉄顕彰碑
安土桃山時代から江戸時代前かけて活躍した武将、大名。 1576年、愛知県豊橋市生まれ。 1600年、徳川家康の近習として仕え、関ヶ原の戦いに従軍。 1603年、父・一西の没後、近江膳所藩主となった。 1616年、摂津尼崎へ移封され、尼崎城を築城。
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戸田氏鉄顕彰碑
1635年には美濃大垣へ移封。 1637年、島原の乱で寄せ手の一武将として出陣、幕府軍を率いて乱を鎮圧。 1624年、江戸幕府に対しては大坂城修築、4代将軍徳川家綱誕生の際の臍の緒を切断する箆刀の役を務めた。 大垣藩の藩政では新田開発や治水工事などをすすめ、修養を説いた「八道集」などの学問を充実。
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1933年、旧尼崎市立高等女学校(尼崎市立尼崎高等学校)として竣工。 その後、2005年、城内中学校(尼崎市立成良中学校)として使用されていた。 また、映画「ALWAYS 三丁目の夕日’64」では、建物外観が「凡天堂病院」の設定で撮影に使用された。 現在、ここでは、歴史系資料館として使用され、尼崎市内で出土した資料や歴史の展示を行っている。
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かつては、火力発電所として使用されていた阪神電鉄旧尼崎発電所。 1904年、尼崎発電所として竣工。
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阪神高速道路3号神戸線上のパーキングエリア(上り線)。 2019年、尼崎パーキングエリアとしてリニューアルオープン。 阪神高速では初めてとなる軽食の自動販売機を設置している。 施設内では自動販売機やトイレ、休憩所、ハナミズキ広場など。 2016年、尼崎ミニパーキングエリア閉鎖。 また広場では自動芝刈り機の「尼草むしろう」が常時稼働し、草刈りを自動で行っている。
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